ピナ・バウシュと20世紀のダンサー (original) (raw)

「わたしは物のそばにいたい」Pina Bausch

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浅田彰の20世紀文化の臨界を読んでいる。ピナ・バウシュについての章を読みながら動画をdigってたら、ピナを中心にいろいろな舞台映像に出会えたので、まとめてみます。

ピナ・バウシュ
1940年〜2009年。ドイツの舞台芸術家、コレオグラファー。55年にフォルクヴァング芸術大学に入学、クルト・ヨースに師事。59年に卒業、NYに留学。73年、ヴッパタール・タンツテアターの芸術監督となり、傑作を次々に発表。

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みんな大好きピナ・バウシュ。公式HPではカフェ・ミュラーパレルモパレルモが見れる。

▼78年のカフェ・ミュラー。執拗に繰り返すことで愛は暴力へ量質転化する。ピナはよく舞台に生まものを置くが、人の扱い方も同じ。木や土と同じように人(死体)を置く。

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春の祭典。映画「Pina」からの抜粋。モーリス・ベジャール春の祭典が強く影響している。
ピナが土や木を舞台に使うのは、自然の息吹を舞台に回復することが目的ではない。それらは媒体であって、ダンサーが土に触れることで個人の生の手触りや身体の愉悦(または恐怖)を引き出そうとしている。(舞台に土を盛る手法は、すでにヨーロッパで70年代に流行っている)

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ウィリアム・フォーサイス 1949年生まれ。アメリカ出身。ドイツで活躍するバレエダンサー、振付家
William Forsythe Choreographic Objects: Start

ピナをポストモダニズムというなら、その後ドイツで発見されたウィリアム・フォーサイスモダニズムの極み。

ウィリアム・フォーサイス「リズム・セオレム」。危険なオブジェが踊りを挑発する。かっこいい!

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フォーサイスの"The Loss of Small Detail" 音楽はトム・ウィレムス。

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▼"nowhere and everywhere at the same time" インスタレーションもかっこいい。観客がダンスしてるみたい。

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▼イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴィテッド。インプレッシングツアーの第2部。踊っているのはシルヴィ・ギエム。かっこいい!

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シルヴィ・ギエム 1965年生まれ。フランス・パリ生まれ。1976年にパリ・オペラ座バレエ団に入団。1988年に退団。フリーで2015年末まで活躍する。〈高度に精密化された身体〉であり、モダニズムの極限にいるテクネーの人。

▼2015年年越しのカウントダウンボレロ。音楽はモーリス・ラヴェル。惚れ惚れする。

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▼ウェットウーマン。振付家はスェーデンのマッツ・エック。シルヴィ・ギエムはなんでも踊れちゃうからピナの舞台を踊れない。バレエの物語性を分解してしまった身体を、ピナは拒否する。

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モダニズムとは、自己批判を通じて自己純化を推し進める。例えばバレエでは物語性や装飾性など不純な要素を削り落とすこと。

ポストモダニズムとは、モダニズムが削り落とした要素を断片的な記号として引用してきてコラージュすること。

ポストモダニズムが飽和するとモダニズムのコアに戻るので、ピナの後にフォーサイスが発見されたり、建築の世界だとハンス・ホラインの後にダニエル・リベスキンドが発見されたりする。

○ただ、浅田はピナはポストモダンではないと言う。記号にできない生々しい身体と情動があり、それはタンツテアターの核になる。

○タンツテアターという言葉は、1935年にクルト・ヨースが初めて使った。「演劇のあらゆる面を統括的に表現できるダンス的なもの」という意味。タンツでありテアターではなく、テアターであるタンツ。

クルト・ヨース
1901年〜 1979年。ドイツのバレエダンサーで、振付家。タンツテアターの発明者。身体的な象徴性という意味で、ヨーロッパのヨースとアメリカのグレアムは並べられる。ヨースの表現主義(政治的メッセージと内面の表出)はホフマンに受け継がれた。(ピナはどちらも継いでいない)

▼「緑のテーブル」1932年

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マーサ・グレアム
1894〜1991年。アメリカのダンサー、振付家。モダンダンスの第一人者。
▼マーサ・グレアムテクニック。1975年。

www.youtube.com モーリス・ベジャール
1927〜2007年。フランスのマルセイユ生まれ。バレエの振付家。有名なのは春の祭典ボレロ中国の不思議な役人の振り付け。ベジャールが目指しているものは〈神話的な意味の表出〉。「エロス・タナトス」以前の抽象的な振り付けは良かったが、それ以後は自己引用を重ねたきらびやかなコラージュになり、典型的なポストモダンになった(浅田)。

▼エロス・タナトス

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▼エロス・タナトスから13年前の「現代のためのミサ」。確かに同じ人の振り付けとは思えない。

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▼ジョルジュ・ドンがメロディを踊るボレロ。(映画「愛と哀しみのボレロ」)

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マース・カニングハム
1919〜2009年。アメリカのダンサー、振付家。(とても丁寧にまとめられてる→Merce Cunningham Trust - YouTube)戦後アメリカでのモダンバレエ・モダンダンスの完結点はマース・カニングハムジョージ・バランシン

マース・カニングハムのBeach Birds for Camera (1993)。すごいモダンだわ。

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ジョージ・バランシン
1904〜1983年。ロシア出身のバレエダンサー、振付家。10月革命後の混乱の中、ソ連から亡命、アメリカへ。ニューヨーク・シティ・バレエ団を設立。クラシック・バレエから物語性を排した。

ジョージ・バランシンのAGON。これはかっこいい。

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ジョージ・バランシンのセレナーデ。曲はチャイコフスキーの「弦楽セレナード ハ長調 作品48」。好き。

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知的な言説とバレエの文法を拠り所とするフォーサイスはテクネーの人で、ピナはその対極にいるけれど、ある意味ピナも〈特別なテクネー〉を使って同じ不可能なラインに漸近しようとしている。それは、生きてる間に身体に降り積もった記憶の痕跡、遭遇の痕跡をもう一度呼び戻すためのテクネーだ。

ピナの異端さは、距離をとりつつ接触する眼差しのあり方、精神分析家の眼差しのあり方にある。言葉の演劇、古典のバレエから逃走し、そのつど身体を再発見していく。ピナの起こす舞台は〈ヒステリー的身体〉(演劇的な身体。大文字の他者の視線に対し、見てもらおうと演じている)ではなく、むしろ見てくれる〈父〉の視線がなく、演劇的な構造が底抜けになり、残酷な自由に向かって開かれている。

ラカンは〈現実的なもの〉とは〈出会い損ね〉だという言い方をしているが、そういう意味でピナのタンツテアターはほとんど〈出会い損ね〉と言える。〈出会い損ね〉の瞬間の現実的な手触りがピナの核にあるが、それが象徴にならないように、観客が安易にメッセージとしての答えを見出さないように、手触りを循走させる。

石光泰夫表象文化論、ドイツ文学)と渡邊守章(フランス文学、演出家)と浅田彰の対談を、調べつつ読んでるうちに、20世紀のダンス系譜の一端を知れて良かった。前は漠然と、舞台のスペクタルさや、ピナの身体やたたずまいに感動していた気がする。

書ききれないけど余談で話していた、日本の〈舞踏〉の源流はドイツ表現主義だという話も面白かった。大野一雄とか土方巽とかを小綺麗に形式化したのが山海塾だとか。(確かに白塗りの身体はオリエンタリズムの視線によって捏造された土着性といえなくもない。)バリ島のケチャも、ヴァルター・シュピースの振り付けによるものらしい(!)。なにか、今まで深そう〜とか神秘的〜とか、ありがたがっていたものの価値が揺るがされるような対談だった……。

ピナに出会ったのは大学2年のときで、生の舞台は見たことがないけど好きになった。古橋悌二のいるダムタイプを生で見ることはできなかったけど、原稿を読んで好きになった。写真集や映像での間接的な出会いはいつもうれしい。新しさは時間に逆らった中にもある。

未知の世界へのとびらで溢れてる本。気になったら読んでみてください。

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