舞台「野球」飛行機雲のホームラン 雑感 #舞台野球 (original) (raw)
自分が俳優とか舞台作品をみて回るようになる前に上演された*1作品なのに、評判がよいのを目にしていて再演が決まってなんとか観たい!と思った作品。
今回は全員舞台俳優で固めるのではなくスペの中村浩大くんが据えられて、周囲を囲む皆さん…という感じのキャストだった。わたしが西田大輔大好きになったのはジャニ(当時)主演舞台を観に行ったのがきっかけなのに、もはや俳優のが目にしたことがある回数が増えており、遠くに来た……という感じがします。
あらすじは公式サイトより貼り付け。ジャニエーベオフィエン作品の特徴(?)として後々超あっさりHPがリンク切れになるというのがあるのでリンクは貼ってません。
1944年、夏。
グランドでは、野球の試合が繰り広げられていた。甲子園優勝候補と呼ばれた伏々丘商業学校と、実力未知数の有力校、会沢商業高校の試合である。会沢の投手・穂積が、捕手・島田の構えるミットを目掛けてボールを投げる。ど真ん中に入った球は力強く打ち抜かれた。穂積と幼馴染の伏々丘四番打者で投手・唐澤も高い空を見上げた。
それは紛れもなくホームランだった ── 。戦況が深刻化するなか、敵国の競技である野球は弾圧され、少年たちの希望であった甲子園は中止が宣告された。
兵力は不足し、学生たちには召集令状が届く。甲子園への夢を捨てきれず予科練に入隊した少年たちは、”最後の一日”に出身校同士で紅白戦を行う。
「たとえあと一球でもいいから投げていたい。時間があるなら何度でも。」
野球を心から楽しみ、仲間を思い、必死で白球を追う少年たち。
それぞれの思いがグランドを駆け巡るなか、最後の試合が幕をあける。
とにかく劇場をめいっぱい使って「野球」を見せてくれる。ほんとに客席にいながら粗末な球場にいるような気がする。それが演者の声だし、演出の力だ。まして銀劇の広いとは言えない間口でどうやって野球を……と思っていたのだが、人間の脳はよくできているので見せ方次第できちんとマウンドからバッターボックスまで届くような投球が見えるし、外野まで伸びる打球が見える。ほんとにこれこそ舞台でやることだなあと思って観に来てよかったとうれしくなった。
お話についてはわたしが書いてあーだこーだ言うのはほんとうにつまらないし、野暮だなあと思う。自分が第二次大戦について、半端に知識だけがあるから何をどうやって描くのか、自分のコードの中で作品が組み上がっているのか実際に観るまで正直不安でいくら好きな脚本家でも怖いなあと思っていた。が、杞憂だった。よかったです。
日本が植民地化した国の人間のこと、そのひとたちへの差別と暴力(そこからつながる殺人も予感させる)、美談としても語られかねない特攻隊員という存在、特攻で有名なのは飛行機だけど実は潜水艦を用いる部隊もあったことなど、きれいに、きれいにって言ったらおかしいけど、1940年代、戦中の日本を語るにあたって外してほしくないなあと思うところがきちんと押さえられていて(足りていないという意見もあるのかもしれないが)わたしはよかったと思う。物語の大きな流れよりも、正直こっちに気を取られてキリキリしてたとこがある…。
観に行こうと思った決め手は相澤莉多くんが出るというのだったんだけど、いい役で、いい芝居で、いろいろなことを考えた。たぶんこれまでからしたら難しい役だっただろうなと思う。しっかり追ってるわけではないが、莉多くんの誠実な言葉が好きだなあと思って無料時代のブログをたまに読んでいたのでパンフで「100%理解することは不可能」と書いているのを読んで、またいいな~と思った。
「明日死ぬのに」って力(ちから)のセリフで客席がひやっとする。これまで見せられていた明るい青春に影が落ちる。そんなセリフをもらっていることにいいなあと思って観ていた。彼らも自分たちも早かれ遅かれ先にはただ死が待っていて、そこに差はない。そんなことは当たり前なのに、直面している人間しかその事実を本当には理解できていないんだと思う。差別されて暴力を受ける場面こそあるけど、彼にとってこれまでの人生が、明日が救いになる生じゃなくてよかったとこれを書いていて思った。きっとそれは伏ヶ丘の面々がいたからなんだろう、そうだといい。力が輪から外れようとするときに、明治(あきはる)が肩をつかんで止めてたのが好きでした。
友人が紹介してくれている(?)のをたまたま目にしていた大見くんも出ると知りかなりラッキーだ!!!と思っていた。大見くんの演じた俊輔は肩が強くて(いいな…)、ムードメーカーだった。試合の様子を観ていて、どうにか収集がつくんだろうという前提がある客でさえどうするんだよこの空気…耐えらんないだろ…みたいなのも明るくしてくれて非常に…助かった。これは西銘くんの喜千男(きちお)もそうだった。彼のエピソードはそれだけではなかったんだけど、戦中だから存在するそんな選択肢が憎かったし、そこに至るまでの思考回路が至極まっとうというか普通なのが悲しい。ピーマンが嫌いだから食べないみたいな風になるのかその話がと思う。
南海軍、航空機での特攻隊が編成、配属されているというので鹿児島の方なんだろうとあたりをつけて観ていて、地方の高校(当時の中等学校)や社会での選択肢のない感じ、べったりと地域と張り付いている感じがしんどかった。国家の関係が個人同士にも持ち込まれる、隣人が何を考えて自分をどう思っているのか分からない不信感、それが肉親である場合もある。この居心地の悪さもきっと作品から外せないんだろう。
群像劇なので1回の観劇で自分が着目できる限界がこの辺である…。でも西田作品定番のOPハイライトでその人間がどんな感じか分かるというのでけっこう情報が入ってきたので助かりました。でも全員のエピソードがあるんだろうなあと思ってたからけっこう元の台本から削られている気がする。
限られた生をどう使うのか、ただ死に向かっていく過程が厳しいだけではないはずだという前提で描かれる少年たちの姿…なのでどうしても映像で観たもののふ白き虎とダブって、もうベンチの様子なんかそうじゃん!もう!と思ってしまった。けして美しい話としては描かれていないけれど、それだけでもない。ちゃんと犠牲を否定する話だとわたしは思う。観れてよかった。ちょうど公演期間が6/23の沖縄慰霊の日に被っており、これから8/15も迎えるという時期の上演もタイミングがいいなと思う。再演してくれてありがとうございます。
あと最後に(?)これは作品公式サイト内の西田大輔の紹介文。あまりにもきれいにまとまっている。西田大輔大好きの人が書いたんだと思う…。分かります。
鋭い感性と、繊細な表現、演者の持つ力を最大限に押し出す粋な演出で数多くのヒット作品を手掛け、舞台界という荒野を開拓してきた西田大輔
*1:初演2018年