Bi-Bo-6 (original) (raw)

https://www.tobikan.jp/exhibition/2024_dechirico.html

dechirico.exhibit.jp

第二次世界大戦後の活動期間も長く、60年代以降の作品は、枠線は太くて平面的で、時代に合わせて?ポップアートやイラストレーションに近くなっていくようなタッチの変化がある。

画風は常に実験的で、私的な解釈と再構築にあふれている自由な雰囲気が良かった。配置や色のセンスに、デザイン性の高さ、「計算」を感じる。

展覧会のキャッチコピーで「不思議」と銘打っているが、私には「これだけ変な絵を量産しているのに、作品に狂気が滲まないとはどういうことなんだろう。」という意味で不思議だった。いや、私がマグリットに染まりすぎており、狂気を渇望しているせいなのかもしれない。

9 秋(1935)

秋の空、赤みのある肌。

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19 サラミのある静物(1919)

脂身の色の描き分けがすごい。(▼インスタの2枚目)

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13 バラ色の塔のあるイタリア広場(1934頃)

これが元祖 リミナルスペース か。

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31 南の歌(1930頃)

印象派の画風でありながら、ジョルジョ・デ・キリコならではのマヌカンや形而上的配置といった表現(脚の短さなど)が調和している凄み。

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48 剣闘士(1928)

バレエの所作 優雅で静けさを帯び、あらゆる心理が抜け落ちている

ここまでの展示を見て、ジョルジョ・デ・キリコの絵画は「恐怖、欲望、肉質といった衝動性や感情に訴えかけるというよりも、ずいぶん、さらっとしているな。」と感じていたところ、このキャプションで膝を打つ。そうだ、心理が抜け落ちているし、何かと「静的」である。音を感じさせないというか。

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57 風景の中で沐浴する女たちと赤い布(1945)

愛らしさと気品の高さの絶妙なバランスに見とれてしまう。ギリシャ彫刻のようでもある。

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64 オデュッセウスの帰還(1968)

箱庭である。

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shibu-cul.jp

新作とあって満席でした。今夜は夏の大三角形を探してみようか。

渋谷の谷底から空を見上げたイラストが楽しい。(投影前のみ撮影可)

bijutsu.press

図書館で見つけた本書。ブルーナ氏が実際にマティスの技法に影響受けたそうで、解説文含めとても読み応えあり。

フェルメール編も読んでみたいな。

bijutsu.press

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良書!

私自身が感じる、今の日本の教育全般(特に小学校期の学習指導要領や学校経営方針等)に対する違和感を紐解く謎解きの書であった。戦後〜90年代までの詰め込み型や受験競争などを反省し総括する文献に触れる機会はあれど、その後90年代から2020年代まで、どういった変遷で今のような学習指導要領に落ち着いたのか、それを知る機会がなかったのでとても勉強になった。

学歴による序列化の「日本型メリトクラシー」と、幅広い非認知能力 "生きる力" の序列化による「ハイパー・メリトクラシー」の2本が垂直的な評価を生み、一方で2006年の教育基本法改正により道徳や規範教育が強化されたことから「教化」と呼ばれる水平的画一化も新しい側面(「ハイパー教化」)から強められている。

いわゆる保守的な政治活動で語られる「取り戻す」「古き良き日本的価値観」のような文脈は、長らく自分にとっては「何のことを言っているのか」分からなかったけども、後者の「教化(横一線に同一の価値観を刷り込まれている状態)」という一言でまとめられるのか、と膝を打つ。

戦術レベルでは、新奇性からアクティブラーニングがもてはやされているが、戦略としての教育目標は現代でも「同一的な"資質"を養う」ことにあるため、「個別の答え、出口」を許さない設計であり、これが文字通りの息苦しさとなっている。

この縦2本横1本の評価軸では、今の社会が声高に叫ぶ多様性(多様化)とか包摂の価値観と相容れなくなってきているし、教育現場と実社会との間にねじれや葛藤、親子の不適応を生み出している。

その違和が、学校の内側からは見えず、学級という「現場」での解決は求めづらくなっていること、外側で生活する私たち「親」が気がつくがそれゆえに板挟みになりがちだという現実には、非常に納得度も高い。

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自分の義務教育期間を振り返ると、ゆとりど真ん中*1で育った身としては、座学による「教化」を受けた印象はあまりない。

そのかわり運動会ほか学校行事の準備時間が長く、そこで統率を学ばされていたのかなと感じたりもする。動作・所作としての統率はあったけど、内面をまとめあげ皆で価値観を共有するというような授業は一部の国語の読解以外では記憶がない。時間があったのか、担任の与太話も多かった。だいぶ時代が違うようだ。

*1:98年公示当時は小3だった。特例校として99年から「総合的な学習」も一足早く開始している。