アンのように生きる・・・(老育) (original) (raw)

空気は秋ですね

天候は雨の予報でしたが

幸いにも好天に恵まれ

初めて妹の運転で土佐を巡りました

妹があとからレンタカーで合流しました

いの町の亀の井ホテルで

一晩ゆっくりして

何十年ぶりかの姉妹旅です。

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夜明けの空にも感動があり

孫たち家族を今度は連れてくる、と

約束してくれました。

こうやって両親のふるさとを

繋げてもらえると有り難いです。

曾祖母や祖父母の葬儀に帰っただけの

妹も次第に父が継ぐべきだった

ふるさとへの郷愁と親族への

感謝がわいてくるようです。

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現代企画社が高知のあちらこちらに

欧州風な店を展開していて

ここ「屋根の上のガチョウ」という

喫茶店やギャラリーが素敵です

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早朝10時の開店を待ちかねて

人々が集まってきます。

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二人でこれからのことを話しながら

チーズケーキと私はこの地域で

採れた栗のモンブランを

楽しい時間でした。

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その5 新米教師

父伸之も 継母由岐も 教師として戦後の日本で

新しい教育界で活動を始めた。

師範学校も時代の波に乗りながら若者たちを教育者に導いていく。

そんな中の学生たちは最初は戸惑いながらも伸びやかな世の風潮に

意外にすんなりと 馴染んでいったのかもしれなかった。

今までの押しつけられたような軍国主義教育を若者たちは忘れ

伸びやかに教育を授ける教師になっていかねばならない。

新制の小学校の教師になった。

最初の赴任地は市内の仁淀川沿いの小さな町であった。

子どもたちが素朴で また家庭も農家や商家とその頃

新しい暮しの中で必死に働く人々ばかりだった。

若い坊主頭の新米教師でも親たちも子どもたちも

よくついてきてくれた。

当時は若い独身教師が輪番で宿直をし、喜んだ孝之は子どもたちを

夕方から集めて校庭で星空の観測をしたり、

日曜日は昼間に遊びに来た 子どもたちと

百人一首のカルタ取りをしたりした。

親たちは心配するどころかそれを推奨してくれて

ふかし芋の差し入れを してくれたり、暖かい素朴な支援をしてくれた。

小学校4年生の30人学級の児童は

「夏休みなどいらん、毎日学校に行きたい」など

言っていたようで孝之を喜ばせた。

運動会は地域と一体になって、町民たちもリレーなどに参加する

盛大なもので そこでも大人のリレーで孝之は足が速くて評判になった。

しかし校長はその人気に少し渋い顔をしていたようだ。

つづく

by akageno-ann | 2024-10-19 11:35 | エッセ- |Trackback

かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

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