釆女城 ~伊勢平氏の流れをくむ後藤氏15代居城で300年の栄華を極めました。 (original) (raw)

【釆女城】

( ウネメジョウアト )
後藤伊勢守基秀が
分応元年 (1260年)に築城し、
織田信長伊勢侵攻
永禄11年(1568年)に落城するまで、
約300年間にわたり栄華を極めました。
遺構としては9つの郭 、空堀、土疊、
深井戸、虎口があり、
三重県下では第1級の歴史的遺産と
評価されているとのことです。
采女城の由来

【歴史・築城】
采女城は藤原氏
(藤原利仁・利仁流後藤氏)を祖先とする
伊勢平氏の後藤左衛門尉基清によって
築城されたと伝わっています。
以降、後藤氏15代の居城でしたが、
後藤藤勝が城主のとき、
織田信長の侵略に対して
関家・蒲生家とともに戦いましたが、
永禄11年(1568年)に落城し、
後藤藤勝は討死しました。
矢矧橋と采女城ゆかりの地名

【登城口】
内部川の北岸を東西に走る道沿いと、
北側の南部丘陵公園に登山口があります。
ただし南部丘陵公園の
南エリア駐車場の西方から行く
登城道は迷いやすいので、
川沿いの登城口からの登城がよいかとのことです。
その場所には城の案内図があるとのことです。
采女城 登城口

<城の案内図>
采女城 案内図

<城の案内図の場所>
采女城の案内図の場所

<登城口周辺>
采女城 登城口周辺

<夏場>
虫よけスプレー必須。
蚊・ハチ・蜘蛛の巣多数とのこと・・・。

【縄張形態】
山城

【標高(比高)】
70m(50m)

【築城主】
後藤基清か?

【築城年】
文応元年(1260年)か?

【廃城年】
永禄11年(1568年)

【主な城主】
後藤氏

【遺構】
曲輪、土塁、空堀、土橋

【交通アクセス】
(電車)
四日市あすなろう鉄道内部線
「内部」駅から徒歩25~30分程度。
(車)
東名阪自動車道「四日市」ICから約20分
東名阪自動車道「鈴鹿」ICから約20分
<采女城周辺の地図>
采女城周辺の地図

【駐車場】
内部地区市民センター駐車場利用可能とのこと。
(登城口まではちょっと遠いかも)
<問合せ先>
内部地区市民センター (059-345-3951)
<所在地>
〒510-0954 三重県四日市市釆女町857−1

【采女城の登城口周辺・所在地】
〒510-0954 三重県四日市市釆女町

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