母の死 末期 (original) (raw)

母が入院してから

しばらく私は気持ちが落ち着きました

やはり病院に入院しているという

安心感が一番ありました

けれど母には辛い入院生活

食事は胃ろうになり

(母の場合は胃の入口に癌があったので腸へ栄養を送ってました)

足はパンパンに浮腫んでいきました

(私は足を擦ったり、マッサージをしましたが無駄でした)

私は毎日、病院に通っていましたが

正直

弱っていく母をみるのが

つらかったです…

余命三カ月だというのを隠していましたが

きっと母は自分は長くないと気付いていました

ずっと側で癌で亡くなる人をみてきた母は

自分の状態はかなり悪いと気付いていたはずです

言動がおかしくなる母

『外で警察が見張ってる』

『鮫が部屋の中を泳いでる』

『男の子が部屋に来ていた』

私は看護師さんから、話を否定しないで

合わせてあげてと言われていたので

いつも母の話に合わせて聞いてました

この症状は『せん妄』だと説明されました

腹水も溜まってきました

顔や肩や腕は痩せていくのに

お腹はパンパンに大きくなり

足もパンパンに浮腫んでました

毎日、母に会いに行くのが

本当に辛く苦しくなってました

会話も噛み合わなくなり

目も虚ろな母

側にいたいけど

ワケのわからないことばかり

話し出す母

たまに、しっかりしている日もあったので

そんな日は普通に会話ができました

入院中の母

一方

兄は土曜日の夜に面会に来ることが多く

来ても数十分間だけだったり

母が眠っている時などは

すぐに帰ってしまいました

母には妹がいるのですが

一度だけお見舞いに来て

その後は来ませんでした

親戚や従兄弟達も

一度きりのお見舞いでした

親族が来てくれる時は

その場の気が変わるので

すごく有り難かったので

本当はもっと来てほしかったです

私は

自分の心が折れそうなのを

自分で支えている状態でした

辛くて苦しい日々でした

私より母はもっと辛くて苦しいのだから

そう奮い立たせ毎日病院へ足を運びました

あと数日の余命宣告

5月に入り先生から

『何時、亡くなってもおかしくない状態』

とカウントダウンを告げられました…

2月から入院して、5月になり

本当に先生が仰ってた余命三カ月が狂うことは

ないのだと冷静に感じました

相変わらずマイペースに

短時間だけの面会をする兄に

話があると時間を作ってもらい

『言いたくないんだけど…

先生から何時亡くなっても

おかしくないって言われて

…それで葬儀はどうする?』

と私が話し出すと…

『お前んちでいいんじゃね?』

心の声(は?)

私『自宅で葬儀は無理だよ

狭いし…猫も三匹いるから』

兄『…』

私『母ちゃんが

自分で葬儀の準備してたから

そこにお願いしようと思う』

兄『それならそうすれば?

俺、払う金無いよ』

私『お金は大丈夫

保険のお金おりるから』

兄『保険のお金っていくら出るの?』

私『死亡保険○○○○万円』

兄『そうなの

へえー!じゃ、お前に葬儀任せる』

私『喪主はお兄ちゃんだよ?』

兄『んー!それは無理だね~』

心の声(そう言うと思ったよ)

私『母ちゃんが

誰にも知らせないでって言ってたから

家族葬にしようと思ってる』

兄『そうなんだ。じゃそうすれば?』

心の声(ほんとに嫌な奴だ)

兄『あとさ!

母ちゃん入院中保険金出てるらしいけど

いくら入ってきてる?』

心の声(絶対教えないね)

私『まだ、手続きしてないから出てないよ』

兄『あ、そうなんだ。』

結局、葬儀の手配も

喪主も私がする事になりました

つづく