Akira_sanの日記 (original) (raw)

イェーリング(著)「権力のための闘争」。

岩波文庫「白」の一冊。

自らの権利が犯されたときには、闘う義務がある、という主張。

闘い方にはいろいろあるが、「権利なのだから」と言うだけでは自らの権利は守れない。

のみならず、権利を侵害されて黙っていることは、やがて権利そのものの価値を無効ならしめる。

闘うことは面倒なことだ。黙っていたほうが楽は楽なこともある。

しかし、安易に妥協するだけでは、誰の権利も守れなくなる。

あなたが無意識のうちに享受している権利だって、他の誰かが闘ってくれたおかげなのだ。

日和見しているだけで、何もしない者は、1度でもいいから、殴り合うほど、闘ってみればいい。

細かい部分は忘れたけど、みんなでカブを引き抜く話。

最後にネズミか何かが加勢してカブが抜けたみたいな。

ネズミが来たから抜けたんだろうか?、というのが昔から疑問。

ネズミは、最後の場面に立ちあっただけなんじゃないかって思ってる。

もうなにも言わなくていい、書かなくていいという域にまで達したら、言葉はいらない。

そんなに毎日、誰かに言いたいことはない。伝えるべき変化もあるわけじゃない。

なのに、いつも何か書いている。

誰に読んでほしいわけでもない。

自分で読み返すわけでもない。

でも、意識がある限り、言葉は捨てられないものとして残る予感がある。

なんなんだろうね。。。

[お題] どんなパンが好き?

今まで朝はずっと、ごはんを食べていましたが、ここ一週間くらい、パンを食べています。

山パンの普通の食パン🍞をトースターで二枚焼いて、マーガリンとハチミツ🍯で食べています。

だからなに?、ですよね。

パンのほうが食べやすいけど、すぐにお腹がへる。やっぱり、ごはんに戻そうかな?

そんな感じです。

書くときって、楽しいときではなかったりする。

楽しいときには、文章なんて書きたいとは思わない。

どちらかというと、何とか気持ちを整理しておきたいときかな?

楽しく書くっていうことって、ほとんどない。

書くときは、不幸なときだ。

ときおり、noteでコメント欄論争が起こる。

相手のコメント欄では相手のルールに従い、自分のコメント欄では自分のルールに従ってもらえば良いと思っている。

コメントを書いても返事がなければ「とうしたのかな?」とは思うが、コメントを書くことは義務ではない。

「コメントを書いたのに返事がもらえなかった」と泣き言を言い、同情を求めるnoterは幼稚だと思う。

タイトルだけしか読まない人も想定しなくちゃいけないんだな。

本文があれば、当然本文を読むだろう、というのは、甘い考えなのだろう。