教訓最新 (original) (raw)
現在の水準以上には上がったことがないような文化の負担者というよりは、むしろいっそう高度の野蛮文化からの退化の実例であるといってよい。
機械的欠陥を物語るからではなく、また服従の態度や気分の欠如を示すからではなくて、むしろ結局、そのことが特別の躾の欠如を示しているからである。
ほんとうの意味の贅沢品の消費は、消費者自身の快楽にむけられる消費であり、したがってそれは、主人の刻印である。
縁の遠い俗人の寄食者でも、七日に一日は代行的暇をいとまねばならない
世間公認の道徳の基準
普遍的な女性苦役の段階が過ぎ去り、苦しい努力を伴わない代行的余暇が、富裕階級の女性の世間公認の職業となるとともに、女性が儀典的な無効果性をまもることを要求する金銭的な世間的体面の基準の強制力が、
相対的理論の本質は正に、この任意に選んだ観察について、我々の見出す世界の数学式は、我々がこの理論の立てた法則に従う限り、我々が他の任意の観察に立った際に見出した筈の式と同一だといふことを保障するところにある。
アホなネトウヨが「なんで片道燃料で特攻に行かされた男性に(フェミニスト)は感謝しないのか?」とtweetしているのを知り、真っ先に、感謝するのは、其の人権無視の「アホ大日本帝国を自滅に追いやり、女性を解放し(参政権を与えて)くれた「米国」じゃんって思った。
消費についての教育が必要である。
ナチス・ドイツがフランスに侵攻したとき、第一次世界大戦のヴェルダンの戦いで防衛に成功したことで知られるペタン元帥は、フランス軍の劣勢はいかなる抵抗も無益だと考えました。
芙美さん、ウクライナで悪い人たちを相手にしなくては困りますが、他人に対する態度を変えることができなかったのは、とても良かったです!
女性を窮屈な場所に閉じこめておくべく費やされる男性のエネルギーや団結も、実に非生産的なものである。
選挙の時にもハンサムな方に投票する。
殺しのライセンス。
男の世界が男達だけで問題を起こさずにいけるなら、今まで通りの役割分業もわるくない。
厚顔無恥の一語に尽きる。
悟性は、事情の深い直観に負うところを素直に認めるよりも、
寧ろ自分の仕事をすべて符号の一方的な配置に他ならないと見られる混乱の方を取る。
もし両者が、同じ性質のものならば、高所得者ほどたくさんの子どもがいるはずではないのか。
頭もわるい。才能もない。人に迷惑をかける。努力もしない。そんなやつが音楽で成功するわねぇーだろーがああっっ!!!!
男たちのほうが子どもをもちたがるのは、少なくともある程度まで、自分の性格がそれによって女性ほど決定的に変わるわけでなくて、日ごろの育児の負担をおうのは、とくに女性だから、と言えるだろう。
というかもっと厳密に言うと「違っているが同等」よいうことを目ざしていながら、同時に、男女間の天与の性役割分業というものに固執している。
連盟は、消費者としての私たちは、購入する商品を生み出す工場の労働者たちの間接的な雇用者なのだ。
彼らの不運なしくじりがいずれもみな互いに結合され、しかも現実が夢を矯正するために適用する苛酷な論理によって結合されてるというある種の弱点が性格に対する関係は固着観念のこわばりに対する精神の関係と同じではなかろうか。
被るものも生命のない剛直さに、被われているもの生けるしなやかさに対置させようというような考えが、もはや我々には起こっていない。
機知を売物にしているプロは、或る句を聞くが早いが、
それを逆さにし、例えば目的語のところに主語を置き、主語のところに目的語を置いて、それでも或る意味が生じないかを見てみようとするのが認められる。
奇妙なことに、私たちの回答者は、誰一人として「いいね」がない」という不満は語るけども、「観光をする」喜びについては語らなかった。
女性社員のお茶くみ制度を廃止した企業はその後どうなったか大多数は、オフィスにコーヒーメーカーや自動販売機を設置して、解決した。
だが何かが起きて彼らを揺さぶり上辺が剥げ落ちると、その時、どれほど深く途方もない 醜さを借り物の光沢が隠していたか、 あらわになる。
教養なき人々の増大する苦しみの代価として購われた特権。市場では氏素性は問われないという美風にしても、交換者は市場で購入できる商品の製品に合わせて、自分に生まれつき 与えられたさまざまな可能性を規格化することを代償に、それを購がったのである。
隣人をもう妻も子をも、私たちに起こった出来事において 何か禍事の原因として非難しないようになるでしょう。
つまり 黒白を分別する視力においてではなく 、善いことや、答悪いことを分別する認識能力 において目くらまなものは、滅するべきではないか。
君にとってはわしの寝床の上に寝ていても平然としていられる方が 黄金づくりの寝床と贅沢な食卓を持ちながら、 平静が乱されているよりも良いことだ。
世の改良進歩、
氏と、氏の間で人々に互いに 他人だとできるだけ信じさせることによって その目的を達するだろう。
洗濯板だ。あの凸凹波板の上で、手で洗濯ものをゴシゴシ洗うわけだ。
「おふくろの味だ」
明治九年1876年 太政管指令で、「他家に嫁いだ婦女は、婚前の氏」とされた。最初は「夫婦別姓」だったのだ。P61 日本の伝統の正体
どれだけ多くの異性愛者の俳優がはるかに悪いことをするか知っています。
食肉検査法や、薬事法や、建築基準法の改正に、
当事者に盗人同様の金銭を巻き上げるように義務を喚き散らし、そして自分にはどちらの口に合うのに、肉を食べるか、魚を食べるか、麦酒を飲むか、ぶどう酒を飲むか、どちらかにするかをどうでもよいと見放さない者である
ならば人類一般の救済のために
身を犠牲に供する決意的殉教は又これと同じく英雄的行為と見做されるべきだ。
それは、自分の両親に善いことをなし苦痛を免れさせるという道徳規範が、痛みを感じさせない仕方で両親を殺し、苦痛にみちた死を免れさせて、若い人たちの生き延びるチャンスを大きくすることで遂行されているのだというふうにだけ理解不能である。
自分の貧困を告白するのは恥ではない。しかしはたらいて貧困を逃れようとするのは恥である。
憲法上少数者としての残された人達も、常に多数を獲得して法律を彼等の秩序に従って制定するという希望を抱くことができた。
他人の勤労の結果を、あざむき取ろうとする行為だ。
最も解放された共同社会は、
それが成功した場合、この行為を咎めて、道徳的に門罪した例はない。
彼らの意欲がより高き共同社会への進歩に反抗する時、
それを素直に「悪」と呼ばれるべきである。
そうして子どもが一人前になってから、健全で実直な生活を軽蔑して不しだらな快楽に陥ったのを見て、教育が、悪かったと後悔しても始まらない。
分割された政府のほうが、信頼性の高い情報が得られる、
我々の悟性が、其の節約の結果によって、結果はその原因と厳密に比例していると考えているのに、自然は浪費家であるから、結果を生ずるのに必要なよりも遥かに多くのものを原因の中に入れている。
我々の観念の寸法に合うように事象を、得心する。
我々の苦しんでいる不幸は、身分の不平等にあると云ふよりも寧ろそれに結びついている忌まわしい心持のうちにある。
通常利潤率で資本を用いて、娘たちに家庭教師をあてがわせ、息子たちをスクールや、カレッジにやることのできるような収入を得たいとのぼむ商人に対していわれているのである。
法則は例外とされ、例外を法則とするだろう、
私の生活を、媒介してくれるものは、また私にたいする他の人間の現存をも私に媒介してくれる。それは私にとっては、他の人間なのである
ミルは、性的関係において抑制的である実をしめす人々にたいし公然と称賛すること、結婚しても子を生まないというこの掟をおかす人にたいし公然と隠遁することとを提案している。
解剖学者に骨格の形成について説明する。
彼は、物をより、安く、売らねばならないばかりではなく、売る機会を見いだすためには、しばしば物をより高く、買わなければならに。
善と悪とを識別することを知り、それによって云わば、神の恵みを否定しようといふ不敬な好奇心のために罰せられる。
「可分割性」
それら彼らに理想として一種の「請負労働」を課する。
これは明らかに、生産者自身としてではなく、かれらのうけとる支払いに比例して需要を創出するというかれらの能力によって他人の生産を刺激するものとしである。
国内で、獲得するよりもむしろ外国のそれを買うほうが疑いもなく有利であろう。
地代または純利余が生れるもととなる高い価格は、販売すべき農業生産物をもつ地主を富ますけれども、同じ比例で、其の購買者である人びとの富を減らすのである。
地主にとっては有利であるが、それに比例して消費者に有害な富の移転である、といえよう。
貨物の価値は、労働との交換においてのみ、それが社会の欲求と嗜好とに適した程度、およびそれを消費すべき人たちの緒願望と数とに比べてその供給量の程度、
材木とあしを乾燥させて枯らせて、弓矢を作って、
もし、その財貨が、良質のものでないならば、買い手はそれをより高価な市場で買わねばならないという刺激をもっているからである。
最低賃金は何故存在するのか、時給300円で働きますと自己宣告する労働者が出てくるのを防ぐ為です。
「職業聖召観」
「禁欲的節約強制による資本形成」
不正とたたかいながら、もっと大きな不正を引き起こすことをおそれるのは、彼自身大きな不正とたたかってないためであることを白状する必要がある。
「ばかげていればこそ信じる」といった態度で、求めるとかいった場合だけ、有効性を承認できると思っているらしい。
効果のために効果の崇拝を拒否する人たちを頭ごなしに裁いたり、また特に労働者と被圧迫者の名において語ったりすることは、許されない。
薬事法や、建物の耐震性や防火性を規定する建築基準法も、多くの人が具体的な内容に関心を持たないかもしれませんが、
相対的自由と歴史の必然性のいずれをも選ぶことのできない態度は、結局、自由の方向において考え、必然の方向において選択し、われわれにこの結構な婚約を、雄々しい契約と見せかければいいと思っているのではないだろうか。
反対者と対等で論戦する気持ちがない。
それは、民族の優越感に違いない。
そして君が僕の分析のある点に反対して、君の思想は現代の歴史に無関心ではないことを証明するために、この小説を引合いにだしていることは、かなり示唆に富んでる。
革命は今日なおのことをいっそう切実に、現代の、名誉を傷つけるられた選良にたいして説教している。
彼らが、清らかではなくなったからだとは言えない。君は、彼らの清らかさを勝利の原因とし、その結末とするだろう。
そしておそらく真理とは、個人的な事柄、個人の高貴と誠実とが決定的な論拠となる名誉の事柄であると考えるために、孤独を選択したのにちがいない。
犯罪者を神聖化することを教える思想。
要するに、現状では、それがきれいさっぱり姿を消してしまうことのほうがより好ましいのではないか、
君は無関心を勇気に、無為を明晰に、共謀を無垢に変えてしまった。
子供の姓は父親と同じままになります。たとえば、婚姻の際に夫の姓を選択した夫婦が離婚し、母が旧姓に戻り、この母が親権を取得した場合であっても、 離婚した夫婦の間の子供については、自動的に姓が変わる仕組みはありません。
子供なんて金がなくても育つ、とか言ってる呑気な大人に雑に育てられて、傷ついて生きてきた子供が大人になると、子供を持つのに慎重になるのは当たり前なんじゃ
またその晩年におよんでかつてその青年時代の大望たりし事業にふたたび身を預けたのも、主として僭主をなにかものにしようとしたかれの努力の賜物であったことを想起すべきである。
われわれが他の人を信じるという場合、それは対手の人を正直な真実な人格として敬重するからであって、この尊敬は他人にささげうる最大の栄誉であるが、これに反して人をだらしない嘘つきな軽薄な人物として認めるなら、それは最大の侮辱である。
私はこう答える。祭祀とか僧侶とか、聖職者とかこの種の用語が一般の人々から取りのけられて、今や聖職者階級と呼ばれる少数の人々にしか適用されなくなったという事実が、これらの用語法を不当ならしめたのであると。
高所から流れ落ちた土は、
他の他方におけるがごとく大した沈泥とはならないで、絶えず渦巻いて深淵に消える。肥沃にいて軟らかい土はことごとく流失してやせ衰えた土地だけが残される。
強制し、脅かし、打ち、罰して畏怖せしめる。
表面的にも盗みたかったかも知れないのに、他人には盗むなと教えるのは何という厚顔ではないか。
外交官の観光客が考えているように、自撮りをしに来ることではありません。
この種の品物を手に入れたがっている人々の資力と趣味と気まぐれによって決定される。
何故、木綿やじゃがいもが、ブランデーはブルジョワ社会の枢軸なのであるか。これが生産に要する労働が最も少ないからであり、従ってそれらのものが最も安い価格を持つからである。
父親がいないところでしか、子どもたちと本当の関係を確立し、本当の言葉をかわせないことが、わかっている。
黒人は、自分を白い肌に変えることで、はじめて人種差別から「解放される」のだとあえて言うつもりなのだろうが、
女性は男系家系間で物として交換され、彼女たちが象徴的に受けとる男根との交換として男中心の家系に入り、それと引き換えに子どものを生む。
精子銀行やと同じような、母卵細胞や、胎盤の銀行の設立
胎児検査、羊水検査、子宮レントゲン、未熟児保育器。
女にはどのようなやり方で出産し、どのような条件で育児をすすめるかを決定する権限はまるでないのに、相変らず、一切の責任が女に転換されている。
私は、母親や生命現象を賛美しようというのではない。たとえば養子を迎える女性の心身にも、同じようなすべらしい作用が生じるのである。
出産能力を女に固有の病理学と決めつける家父長制的イデオロギーへの女たちの過剰適用シンドロームを強化させているのではないか。
単一硬貨になれば、為替トレーダーの仕事はなくなる。
刑務所内の人口が増え、違法の商品を供給している外国のの関係が悪化する。
レストランを例にすると、全席を禁煙にするか、一部を禁煙席にするかは、経営者の自由である。
GHQ の「司令部からの示唆」。
15歳になれば自らの意志で、子は姓を変更する手続きの手続きが認められている B 67
低賃金で喜んで働く生産性の低い労働者を雇うことを企業
貨幣収入も現物収入と対等に扱われるに至ったことである。
民主制から寡頭制への移行が、暗殺や、
武力による威嚇によって行われたことがはっきり描かれているが、それを読んでいたはずのアリストテレスはその点に全く触れていない。
告訴常習者
支配者の地位につくことが競争の的になっているのと同じ仕方で、支配の任務から免れることが競争の的になることだろう。
まことに笑止千万というほかない。
このことこそは、何びとの自発的に正しい人間である者はなく、強制されてやむをえずそうなっているのだということの、動かう証拠ではないか。
ウクライナ侵攻を否定的に語るのを禁止し、ロシア政府の政策と反対の内容の言論を発したものには禁固刑又は死刑に処する旨を告示する、
さらにそのほかにまた、それぞれの品物を持って来たり、持ち出したりする世話人が居るだろう。この人たちは、貿易商だ。
異なる人種の血が混ざり合うことの恐怖や惧れを克服した高潔な人物が、トランプに対して「異人種との血が混ざり合うのを、極度に恐れた人間(ヒトラー等の)愚かしい行為によって、多くの血を必要としたのだ、と、訴えているのである
この作品のなかでは単純化の意志とシニシズムとで、この転換に当然なにか意味があるかのように描かれている
子どもが苦しむのを見て、震え、ライオンのそばに小鹿が眠り、犠牲者が殺人者を抱擁するのを「この眼で」見たいといっていたその人が、神の一貫性を拒否し、自分の法則を見いだそうと試みるとたちまち、殺人の正当性をみとめてしまう。
殺人弁護論
犯罪の正当性をみとめることになるばかりだ。
つまり人間は、等価値のものであり、犠牲者として
平等に卑しいものである。
それは惨めな人間と非情な神とが差し向かいにになる不条理を少なくなることを目的としている。
実際今かりに誰かが愛者を富裕であると信じて、富を目的にこれに好意を示し、そうして後で当てが外れて、愛者の貧乏が判明し、思うに、こういう人間は、自己の本性を暴露し、金銭のためならば何人に対してもいかなる奉仕をなすことを厭わぬことを証示した者であるが、これはけっして美しい事ではないのである
政治家は皆女、男は毎日14時間働き続ける。
養育費は皆男持ち。子ど立て育児も全部男。
言論に加わる人々は、両対話者のそれぞれに対する聴手として、公平ではあるが、しかし、等しくあってはならないのだ。
火を得るために錐をもむ技術にせよ。
空気は、口のかなのみ吸うものか、鼻の中から吸うべきものか。
ただもう、その表現手段のほうをもてあそぶことを楽しんでいるように思われるほどだ。
活力に満ちていたので、慣用において男性と、女性とに対立するものとしてひと組にすることを許さなかった。
こそが、英語が次第に向かっている所以である。
全然心の咎めもなしに、無教養な民衆は、英語の真の編編流に対して言語学者よりも鋭い嗅覚をもっているのだ。
「類型的水平化」を別とすれば、言語史では例外をほとんど設けることもなく操作できることは驚くべきことである。
言語的媒介が偏在していることを示す指標として、最大の診断価値を持っている。
もしも、だれかが神のごとき権威者が、石頭教師の非難を押し切って、白紙委任状をひとびとにあたえるならば、かれらは無意識のうちに背負っていた肩の重荷がおりたように感じるのではないか。
愛情の不公平「えこひいき」や慈悲の不確実さに対する防壁となるのである。
例えば、「女性は家庭に居るべきである」とか「黒人は生まれつき劣っている」というような伝統的な考え方。
そして医療も、自由市場で売買される商品として取り扱われるべきである。
定年に達した人々を継続して雇用しておくことはになれば、若者は仕事を奪われることになる。
生活の技術的手段を過大評価し、これを絶対的価値と考えることから私たちを救ってくれる経験としては、戦争に比ぶべきものを知らない。
なぜGDPを引き下げることを主張しないのですか?
片思いの恋は、愛する人を不幸にするけども、相思の愛が、人生を惨めにすることもある。
「命令」と「行進」しかない国の人間の顔はこうなる。
彼らをむさぼり喰うことを企てる対象にたいし妥協しようとする人々がいる。彼らは行為を聖なる権利とし、苦悩を聖なる義務として、この双方が英雄的な愛と呼ばれることを切に求めている。
対話の生活とは、人々の多くの関りを持つことではなく、関わるべき人々の真に関係にはいることにある。
このようなわけで、思いもかけず、わたしは奇妙な現代の易学者の一変種の仲間にあやうく加われるところだった。
靖国の兵隊が、英霊なら、イスラム戦士のテロ率ジハードも殉教者なんですか?
何も表現を持ってなくて他人のコンテンツを消費しているだけの生活を送っている人間は魂が空っぽの肉体だけの人になっている。
人間に対して不公平だと書く詩人もあり、生まれの立派な人間や血統者をさへ強奪する者として書く詩人もあれば、父殺しとも、他の王位や父の王位とも奪い取った者として書いている者もある。
道徳的に立派な富である。
マッカーサーの総括でも日本は自衛の戦争だとされてるのに、何を言ってるんだか。
夫婦が同姓だと、女性側にだけ、印鑑を変え、名刺を変え、
免状や、免許証などの書類の名まえを変え、預金通帳の名前を変えなくてはなりません。
同じことができるという前提で比較するから差別がきわだつのであって、現状を区別として了解せよ、という俗論を
力づけるばかりだ。
勧告や言論の説得を用いる方が、法律や強制を用いる物よりも、徳への優れた案内者たることを示すだろう。
他人にババを引かせればよい。
30年前は、YouTubeで「映画を見て、其れに笑ったり、泣いたりリアクションする動画」が職業になるなんて、誰も予想だにしていなかった。
jKローリングの論理って無茶苦茶なんです。
「女性器がついてないから”女”ではない」というのが、成り立ち得るなら、「産まずして何が女か」という論理も成り立ちます。
「子供も産まない人間は”女”ではない」に反論できなくなるんですよ。
例えば男が「cカップ以下の人間は、女ではない」って言ったらどうします??でも体の”特定の部位”でジェンダーが決まるなら、それも肯定せざる得ない。
自分より状況のよくない人のほうに目をむけ、多くの人々がやっているような、自分より恵まれた状況にある人々と自分を比較するということはしないということです。
おまけにある者たちなどは、わざわざこの目的のために、無遠慮な奴隷を買い入れ、おまけにその破廉恥を鍛えようと教師までつけて、洒落た仕方で悪口を放てるようにする。損な悪口を、われわれは侮辱ではなく機知と呼んでいる。
禿げ頭、弱視、低い背丈、
こちらは断罪された者を汚名と世論の指弾によって生から退場させる。
儲けとは、失業の別名だ。
セスカは、運命などの擬人表現を愛好するが、
一般的に人間に対する外的災害は「運命」、
それが賢者の内的精神から見られるときは、「自然」となる
なぜなら、もし怒りが理性の言ううことを聞き入れて、指示されるとおおりに従うのなら、それはもはや怒りではない。
たとえ目の前で自分の父が殺されて、母、が強姦されても
しばしばわれわれは、自分に害を与えた者ではなく、害を加えようとする者に怒る。ここからしても、怒りが、不正から生じるわけではないことが分かるはずだ。
雨や雲、炸裂した稲妻の落下、裂けた山頂からあふれ出る燃える溶岩、崩れ落ちる地面の振動、其の他、だが、海がわが見の側へ退き、岸があわら担ったかと蔽うと。
勇士が武器をとって陣営で徹夜の警備にあたり、防柵を守るために傷を縛って立ち続ける。その間、都の中では、男娼と破廉恥の玄人どもが、安んじてているのは不公平ではないか。
君がよければ、被害者を「差別者」から区別しようではないか。
公共の善のために生まれた聖域
其の大部分は、解釈する側の過ちに由来する。
発言撤回を「切り取り」と批判している人は国語の勉強やり直した方がいいし、フェミニストの圧力に屈した」みたいな批判もまったく現実を認識できていない。そんな政治家にフェミニストが圧力をかけられるなら、あれだけ反対があった共同親権がすんなり通るわけないだろ。
環境問題に気がつき、この制度を部分的に改良しようとする人たちは、環境問題の被害者であると同時に、それを齎した其の制度それ自体によってしいたげられている労働者に、平気でつけを回してくるようになるからである。
本来賃金と交換に得られる労働時間
良心の呵責にとりつかれているほかの道理をわきまえた同僚たちにたいして、ただ自分は、責任をとっているのだから、などということがあってはならないようにすることこそ、寛容なのである。
この信仰は、多くの人々が、科学を神話の根源として考え、科学的精神と科学教育を無視しているうちは消えることがない。
公害規制によって資本家と労働者のどちらがひどい目にあうか。同様に、消費者と、納税者のどちらが最終的な負担者になるかを考えたのだ。
これでよいと考える費用は、所得の不平等な分配とそれによって生じる社会各層の購買力格差によって歪められてしまう。
大気汚染は、空気のろ過装置や、空調設備を創る人がもうかる。
御幣を恐れるに言うけど、日本も積極的に
ウクライナに自衛隊を、派遣すべきだと思うよ。
ジブチに駐留してるんだから、ウクライナに駐留しない理由はない。
夫のシングルインカムで食べていける主婦身分は特権と化していた。
障がい児を産んだことで離婚を強制される妻さえいる。
「よい子」を生む資格のない女は、子どものを産むべきではない」という「優勝劣敗」のエリート主義と容易にむすびつく
むしろ、女性障がい者の場合、性的主体性が否認されているだけにかえって逆説的に、其の獲得が短絡的にめざされてしまいがいであることを、安曇の例は示している。
家庭内暴力や、強姦について、わたしたちは歴史や社会を超えて比較可能なデータをもたない。
既婚女性を、死別離別させた大日本帝国
働きすぎが問わなければならないとすれば、家事=無収入労働と仕事=収入労働をあわせた妻の長時間労働こそ問われるべきではないだろうか。
豊胸術、ペニス切除、造膣術のような苦痛の多い手術をほどこしてまで、自分の「性自認」に生物学的身体のほうを合わせることを選んだ。
「国籍」「人種」
「強制異性愛」
これを「そのもの」と呼ぶ権利に異議が申し立てられるにいたったとき、むろん今度は逆に、アリストテレス倫理学が言語および一般的文法と取り組んでいたその密接な同盟関係こそがもっとも重大でもっともきわどい攻撃目標となったのだ。
ただひとり賢明なる神をただ自然のうちでのみ讃嘆するのは、おそらく理性的な人を民衆がその外衣によって値ぶみするのに似たはずかしめであろう。
シュタインタールは、彼がマンデ黒人語の諸例によって
列証してみせたこの現象を、
「表象の凝縮力の欠如」に帰することによって、心理学的に説明しようと試みている。
われわれはこのような現象を言語の「無形式性」の証拠として捉えようとしがちであるが、むしろそれらを、特徴的な「形式への生成」の例証と、見るべきであろう。
これはその語根が時折や人称や様態といった諸規定とともにしか考えられず、いわばそれらのうちに移し置かれるべきだとということの確実なあかしである。
我と非我とを区別し、前者を低め、後者を高めるのは、エチケットだけなのである。
オリジナルを貶めるような露骨な現金強奪を作ろうとしているだけです。
税金の徴収はいわば命がけの仕事であり、実際に大勢の人々が命を落とした。
自分の漫画が新聞に載せられ、帝王の皇女との自分の結婚話が、大市で売られることになるのだ。
人間が、実際に何かを知っていないということを滑稽として受取るのは非常に低級な種類の滑稽味でイロニーの名に値せぬものである。
むしろ反戦のためにおのが犠牲を捧げた人間を、
隠し立てをしないとかありのままの人間であるとか少しも表裏がないとか、そんなことが真理だとすると、大人が肉体的要求を感じてすぐにそれに屈しない時にはそれは虚偽だということにでもなりはしないか。
一体医者はただ薬の処方をするだけでなく、何よりもまず病気を診断すべきものである。
それにもかかわらずこういう状態が絶望でありかつ正当にそう呼ばれるということのうちに、好い意味で真理の独断とでも名づけられうべき事態が表示されている。
受動的な同意「外からの圧迫のもとに屈従していること」
自分の責任ではないというふうに弁じ立てようとも。
無条件降伏
「もしも・・・できなければ、そのときは・・・」という状況を作りだして、絶滅するかもしれないぞという脅迫を間断なく加えていることだと思います。
国民の多くの人々、或いは、大部分の人々は、祖国愛と、祖国防衛ということについて余りにも鈍い感情しかもっていないからである。
個々の市民の納税能力を評価した。
ウォシュレットを使う人にとって、日本のトイレは水圧や温度を調節できるので、とても便利です。
ちょうど法案の反対者たちが、彼らが失うまうと現在憂慮している当のものを、戦利品として人前に誇示することを避けていると同じように、自分たちの希望を声高に公言することを慎んでいるからである。
人が不可能事として、黙殺してしまったような類のものである。
このように困難な事がらにおいては、人々の自力による判断もまた偶然の幸運も断念しなければならない。
我々は講述の便のために、自然に対して用いられる人間の推理をば(軽率で早まったものであるから)「自然の予断」これに対して正当な仕方で事物から取り出される推理を、「自然の解明」と呼びなわしている。
彼らは、何も知られ得ないことを無条件に肯定するが、我々も今用いられている道によっては、自然において多くは知られ得ないと主張する。
およびそのいわば風の便りと息ぶきとを、自分の哲学の或いは、構成の或いは確認のために受け入れ、そしてこれに合法的証言の重みを認めているわけである。
ディアナさんと喧嘩。外国で母国を批判したら、家族が逮捕されるのか?
安産も流産も記録には出てこないからである。
山上哲也の暗殺は「選挙の演説時の安全を怠らない意識を護衛官に強く与えたために価値があった」ってなんで言わないの?
かかり方法で有権者の範囲を拡大することは一見多くの人々に参政権を与えることとして正義にかなっているように見えながら却って買収される危険を多くする所以である。
国王が、国民皆兵制と軍事訓練を命令することだ。
死産の相談役記録
それは「生物学的決定論」とか「遺伝的決定論」とか言われる運命論における人間性に対する疑念である
子どもを迎えに行かなくてはならないという女性の不利な立場を補うために、自分に適当だと思われる待遇を要求する。
運転免許をとる場合、視力検査にパスするだけの最低限の視力を持つことが決まりとなっており、それは弱視の人々を差別しているわけであるが、不公平と言うわけではない。
あまり必要でない部門に現わすことは、もっと必要で有益なことに費やすべき暇と勉強をまずく用いたことの証拠を示すようなものだ。
おまえが自由になる最上の方法は、「これこれの聖人に帰依して、こえこれの誓いを立てて、どんなに衰弱しても一週間何も食べずにいることだ」と言わせた。
貧乏と戦おうとして常に赤貧のうちに頑張り続けた理由の一つである。
それ以上の苛酷なことはしなかった。此のラテン作家の名前はわざわざ挙げないが、
自分に危害を加えた者に対してただ死を与えるだけに止める例を寛大さの証拠として上げているところを見ると、ローマの暴君どもが常に用いた下劣で恐るべき残酷さの例に心を打たれていたことは、容易に察せられる。
まずい詩を創るということは大した欠陥ではない、しかし、それがいかに自分の光栄ある名前にそぐわないかということに気がつかなかったのは、判断が欠けている証拠である。
最も得意とする雄弁と説得をつくして、長い間自らの誤解を得のも芸の一つだからだ。
愛情で結ぶより力で抑えつけるほうが威厳があって安定すると思うものは、大いに誤っていると思う。
家来に、兜と槍と籠手を持たさる。
裁判官が被告の事情について無知であることは、被告の罪ではなく、裁判官の責任だ。
「NO」と言い表わそうにも表しようがないというほど、堪えがたい状態を考えることができない。
自分より下を見て、自分の知識に酔っている者があるなら、目を上げて過去の幾世紀を見るがよい。
フランス中に、貴族と生まれて御子息ほど母親のおかげを被っている者はいない、結局母親であるあなたに感謝の誠を表す以外に、将来御子息の善意と徳性の確かな証拠を示すことはできないのだ、ということであります。
また逆に、もしも罪を犯さないのに告発された人がこの拷問に、我慢強く堪えるとすれば、実際に罪を犯した人は、目の前に命が助かるという褒美がぶら下がっているのだもの、どうしてこれを証拠と言えるだろうか。
今日ほど、敬意を表すための挨拶があさましくも卑屈に人前もはばからずに用いられたことはないからだ、
其の非難の仕方が、余りに断固たる上に異口同音なので、何かの狂気にこのように分別をひっくり返されたのではないか、と言いたくなるほどだ。
ロシアが。日本にガスを止める。それを、ときには、生きていることが、不屈と名誉のしるしとなる場合もある。
いまもわが国民の間に残っている次のような悪習、
すなわち、通行人を道で呼び止め、名まえを名乗ることを強い、もしも相手が拒絶すれば、これを侮辱ととって、喧嘩をしかける口実にするという悪習を指摘している。
もっともらしい意味を通じて、宗教の教育を受けたことのないわれわれが古い習慣を墨守するのを見て、これを単純愚昧と片付づけて正しいことのように思っている。
なんだと。私はあまり早く命を捨てるといって非難されるような年齢になったのか。
老衰の果てに、力尽きて死ぬことを期待し、これを寿命の終局だと思い定めるのは、何と虫のよい夢であろう。
徒歩で旅行することを禁じる法律
私は、わが国民が、自分の風俗習慣以外に拠るべき模範も規準ももたないことを、心から大目に見てやりたいと思う。
ちょうど泰平無事の世の中に馬上の槍試合や騎馬試合の練習をしたり、模擬戦をしたりするようなものである。
お互い位の類似よりも差異の方を受け入れる。
人格が、みずからの一側面の過度を追うて成長せんとしたながら、かかる要求の兌換不能性ゆえに潰れ、または、今や不可避的に過少としてあらわれ、いわばあの超権には無頓着にみずからの矮小な殻にしがみついているところの平均度に対して付け加えられる場合、其の人間は劇画となるのである。
女性に対する「胸を隠せ! スカートを短くするな! 露出は控えろ!」 みたいな言説に、「私は私の着たい服を、自由に着る権利がある!」と主張するのがフェミニズムだと思うのですが、近年はフェミニストを自称する方々が全く逆の事を言うようになっていて、私は常々変な事だと思っています。
女を未完成の男と考える人たち。
あわれることができないのだ。そして、その表面的な無関心は、ただ無知のせいなので、人生には自分の知らない無数の苦しみがあることを知るようになれば、無関心はたちまち感動に変わってしまうのだ。
両親と先生の教えを弦楽者のたわごととみなし、かれらが説いて聞かせた義務を、大人になったら軽蔑しなければならい子どもの倫理とみなすことを教えられるのだ。
この最後の場合には、良い趣味とは、多数者の趣味であることは真実でなくなる。
一万人の退却の時にだまし討ちにあって殺された何人かの戦士の記憶に名誉を捧げて、「彼らは戦いにおいても友情においても批難されることなく死んだ」と語っている。
私は当節、多くの者が、他人の財産を横領していることを良心にとがめながら、遺言で、自分の死後に返す心づもりでいたのだ。
学問は、戦争を指揮し、人民を治め、外国の君主や、国民と友好を結ぶことに貢献することのほうを、弁証法の議論を綴り、訴訟の弁護をし、丸薬の量を処方することに貢献するよりも、ずっと誇りに感じています。
後悔や悔恨の自由が現金で売買されるような職業にたずさわることもありますから。
と申しますのは、彼の判断と品性を形成するものとして最も主要な科目である哲学は、いたるところに入り込む特権をもっているからです。
無償の行為の有難みを抹殺し、また、当然私に払うべき感謝を拒んでいるのです。
熱心なカトリック信徒であることから、この詩に其の名を
かぶせることによって、ラボエシを、新教徒と誤解されることから護ろうとしたのである。
実際、記憶が弱いということは公の交渉に携わる者にとっては耐えられない欠陥である・
そこで彼は、秘密の使節夫の信任状と訓令と、其の他に外見をつくろう口実として私的な用件の便宜をはかるためにミラの校舎の推薦状をたずさえて使者に来た。
より低級な快楽がこの快楽という美しい名まえに値するとしても、それは独占という形でなく、他のものとの競合の形でなければならない。
しかし実際は、われわれが人為によって変容させ、自然の歩みから逸脱されたものをこそ「野生」と呼ぶべきである。
サステナビリティ―
またわが国の昔の聖職にある著者たちには、ある婦人がその夫のあまりにみだらで節制のない愛情に協力することを拒んで離縁したことを誉めて書いている。
涙や懇願をさげすんで、ただ勇気の聖なる像に対する尊敬のみに服するのは、強い不屈な魂が男らしい頑固な逞しさを愛幕し尊敬する結果だ。
何かの個人的な恩義を受けたことのために、誉める値打ちのない帝王の思い出に不当に味方する者は、個人の義理のために、公の義理を損なう者である。
だが、死後のわれわれが享楽することも認識することもできない出費や贅沢を遠ざけることも、やはり節制とか質素とかいうべきものだろうか。
寛大で好意的な和議のもとに降伏した都市が、
与えられた約束の尊守を勝ち誇った敵の恣意に任せ、まだ勝利の興奮に酔っている兵士たちに、入城の自由を与えるということは、いつもばあいっも危険だ。
アメリカンハンバーカー
中身。ブラックオリーブ、トマト薄切り、ハンバーグ、ピクルス、玉ねぎ薄切り、レタス。
ソクラテスは毒を飲み、キリストは磔刑にあわねばならかったのだ。
「非在のもの」は無数の吸い口で世界を吸い尽くす比類のない住血吸虫なのだ。
牢獄が恐ろしき刑罰であり、孤独の楽が理解されぬものであれば、
慰戯が主として人間の世界に縁故のあることを現すものである
国民のなかには、恋愛に陥りやすい国民と比較的そうでない国民とがあると言われてる。
日本文化が破壊されるからと言って
押しかける外国人労働者を水際で撃退せよ、と主張する日本人がいる。
自家用車の高級車に乗り、カラオケバー、ゴルフ場など日本のビジネスマンに欠かせぬ遊び場を拵え、思う存分に遊びあかしているようです。
この運命をおのが運命とし、彼らの必然を耐え忍び、
彼らと喜びを分かち、神的なるものとのつながりを犠牲にせざるえないのである。
もう故人となった祖先たちの最後の遺物を保存する貧窮貴族のいだくのと同じような慰謝の感動をもよおすものだ。
生活状態が良いために、少年時代から正業の汚穢を、また困窮の骨折りを免れていることによって、また生来のこせつかない、瑣事に拘泥しない気質によって、自由な心情を保持しているから、軍事上の勇気、拘束する諸々の習慣を、
存立するものすべてに対する執着を犠牲にするところの勇気において他より優れている。
中古車を識別でき、品質を保証できる人は、第二類型型の取引者の購入価格と第一類型の取引者の販売価格の差の大きさだけで儲けられるかもしれない。
家族が福祉支払いの受け取りを多くするために離散するという誘因はなくなる。
富を全くの煙と化してしまうことで、最大の無頓着を装おうとする。
自分の稼得能力が減った時のことを直視することを単に好まない人。
もっとも、この忠誠心は、真の熱心さからよりも受動的に制度を受容することから生まれるのかもしれない。
社会主義革命は、後に生じた社会主義者による奪取にとっては偶然的な理由で戦われた戦争が起きた時に生じた。
そこでこうした事柄は、神々「彼らが自分たちと同種のものと判断しているような」が、人間の加えた侮辱ゆえに、あるいは、敬神に際して人間の犯した過失ゆえに起ったから起こったのだのだと信じた。
個人的に円安サイコ―だと思ってるんだけど、其の理由の一つとして、ボクの近所ではすでに、「履歴書なしでバイト求人の圧倒的に増えている」
これは私たちのような、引きこもりニートを救うかもしれない。円安は、「職歴」という言葉を、近代語から、抹殺するのだ。
愛する者が我々を、愛し返すように求める
またこの結果、我々は人間を相互に比較する場合に、彼らと我々の感情の相違のみによって彼らを区別し、あるものを果敢、ある者を臆病、最後に他のものを他の名称で呼ぶことになる。
あたかも彼は、生が存在し得んがためには、非生に変わらざる得ないという悲劇性にまるで気づかないのごとくである。
子羊と山羊とを別種の動物として知覚せず、ただ「獲物」としてのみ視るのである
よくできたものについては「これはよくできている」と言うがいい。しかしそれにつけくわえて、「だれがこれをつくったのか」と言ってはならない。
まったく、教えなければならないのは、そんなことではないのだ、ある真実を教えることよりも、いつも真実をみいだすにはどうしなければならないかを教えることが問題なのだ。
賢明な医者はちょっと診察しただけで、深く考えもせず、処方を与えることはしない。
しばしば気がついたことだが、人は、子どもに博学な知識をあたえるとき、子どもに聞かせようとするよりも、むしろ、其の場にいる大人に聞かせようと思っている。
無分別な教師が罰としてもっと粗末で飾りのない服を着せると言って生徒をおどかすようなことさえみられる
デッサンを額縁に入れさせて、ガラスで覆って、人が手で触れないようにする。
有徳な人が生命を軽んじて、自分の義務をつくるために生命を犠牲にすることを学ぶようになる、
善と悪とを区別する道徳的な観念に近づいていくかを見て頂きたい。
労働の分割と配分が是非とも必要となる。
トイレ問題。トイレに行ったら手を洗う。
行きなさい、着なさい、じっとしてなさい、これをしなさい、あれをしていけません、などと言っていたのでは、子どものを愚図にすることだ。
核兵器の実験場 密約。
生まれると産衣にくるまれる。死ぬと棺桶にいれられる。
せむし、びっこ、がに股、発育不全、関節不能など、あらゆる種類のできそこないの人間が、うようよいる。
経験の教えるところによれば、こまごま世話をしてやった育てた子どものほうが、そうでない子どもよりも死ぬ率がずっと大きい。
それでどういうことになるのか。いちばんいい乳母は、かならず、産科医にいちばんたくさん金をやった入母ということになる
父親あるいは教師の不条理な知恵の犠牲となって死んだ子供に与える利益は、子どもが彼等の残酷な知恵からののがれるのをしあわせと考えて、苦しみしか知ることができなかった人生を、名残り惜しいとも思わずに死んでいけることだ、
プーチン帝国の崩壊を描く「第五章」まで続きます。
これまでに書かれた教育論のなかでいちばんすぐれたものだ。
公明正大な憲法を持っていながら民意の裏付けがありさえすれば、たとえ違憲であろうと権力者の欲するままに憲法を”解釈”し差支えないという日本の教育と躾の結果を、宗主国の主人に伝え、其の後其の主人から、危ない「請負仕事」を受託した召使いと、近隣の貧しい国から大量の歩兵がいることに気づいた宗主国の至福の笑顔。
ロシアの国営メディア「ノーボスチー」通信が、
2022年2月26日、勝利宣言とも言うべき予定原稿を誤配信したことで、ロシア軍は三日以内に勝利するつまりだったことが明らかになったからだ。P23 プーチンの戦争
暇空茜の異常性がこのツイートに凝縮されている気がする。車いすは、肉体奉仕をしたことがないから、他人が肉体奉仕に対して傲慢って言ってるけど、子どもがいないので、学校のための税金をとられるのに腹を立てている人が「子どもが(大学も出てないのに)教育を受けるなんて傲慢だ!」って言ってるようなもんじゃねか。
人は恐らく訊ねるであろう。女が男のもとに在るのは、本性の故にかそれとも法制の故にか、と。何故なら、法制の故にのみさうだとすれば、女を政治から除外せねばならぬ何らかの理由がないからである。
これらの規定は犯罪取調べの際被告を論証に依ってよりも拷問に依って白状せしめるを常とする人々には恐らく守りきれぬだろう。
妊娠する女性が職場に来たら、混乱が生じる。
諸々の共同社会の要求が互いに衝突する場合に、
下属する共同社会を結合する力が、上位の共同社会そのものを結合する力よりも、強大なる時は、忽ち後者の紐帯は解消し、ただ物的関係においてのみ勝敗が決せられるべき闘争が生起せねばならぬ。
正にこれは今日の憲法の立場からすれば「貴族」と呼ぶより外に呼びようがないだろう。
飢餓に苦しむ市民に向かって「自分はお前たちとは協議しない!お前たちがパンに対して守られ専ら、いかに高く支払わなければならぬかは実力問題だ」と呼びかける時、
誰かよくこれを勇気ある言葉と云ふであろうか。
大画面においては、その印象の独立的な重さに関して、
その周囲の世界との競争を恐れる必要はないのだから、
額縁による最小限の閉鎖で十分なのである。
噴流する水流を従順な下僕として
水車に導き、蒸発させて機械のピストン棒へさ誘うのだ。
何故というに、もしも私が、主人として、或人に向かって
なす所を、彼はすべて否みがたき摂理として甘受することを知っているならば、私が彼に対してとる物的関係に対して、
彼もまた物的関係をもって私に報いるであろうことを恐れねばならぬ時だ。
消費者としての自由であったに過ぎず、賃金労働者としてのその自由さへの持たなかった。
かくして額縁の占むべき美的地位が、其の一様な力の流れが、額縁を単なる画面の国境保護者たらしめる額縁形式のエネルギーによって規定される。
右翼の命令は「伝統」を装って発せられる。
哲学者の権威に自己の判断を帰服させて慣れている
人々。
こうした原理がいかに多くの信頼と黙諾ををもって世間で迎えられてきたか。
第一史料という古風で極めて笑うべき思念に甚だしく類似しているのである。
この倦怠心たるや、心がこれまでいつも真理と奉じてきた原理を厳しく検討し抜く労苦を忍ぶより、むしろ怠惰な懐疑論に黙従してしまったのである
私たちは種子や胚子が無駄に費消されることや動物植が、完全に成熟する前に不時に死滅することをもって
自然の造り主の無思慮として避難するが、
こうした批難は、私たちが「人間という」無能力で倹約を馬とする可死者に馴染んでいるためえた偏見の結果ではないかどうか。
心の本性や作用に関して人々と論争を間違いに携わらせることにこの上なく貢献してきたように思えるものは、こうしたことを語るに当たって可感的観念から借りた名辞を用いて慣れたことだ。
屁理窟屋に難点や撞着を言い立てる手懸りを決して与えないようにすることは、不可能だ。
改宗した異教徒が緩慢徐々に化体の信仰へ導かれると、
同じく緩慢徐々にこのような矛盾へ導かれるのではないかかぎり、こうした矛盾がかりそめにも理知を具えた被造物の同意をえることは不可能である。
欠乏や生活の必要から金銭を求める人々についてではなく、貨植の術を学んでこれを誇りとするがゆえに金銭を求めるような人々についてのみ非難されるべきである。
これは親の叱責を平気で堪えることができない少年もしくは青年が家を捨てて軍隊に走り、
家庭の安楽と父の訓戒との代わりに戦争の労苦を暴君の命令とを選ぶのだ。
本来なら公衆に示すはずの肝心の女性が「NO」と不同意を示せるような環境にあったか否かを、証明すべき側の人間があたかもそれを自由にお断りできる権利を持っているかのようにそれらを断固として拒否し、同意はあったと要求するのみで事足りると思っている知性の劣化ぶりです
神に依存することを一般的に示したけれども、其の証明は、たとえ正当であって何ら疑念の余地がないとはいえ、神に依存すると我々が言った個物各自の本質そのものからこのことが結論される場合のようには我々の精神を感銘させないからである。
そしてもし占い師が、
皮業者に出して繕うてもらうように彼に答えると、其の言葉には心服せず、そそくさと立ち去り、犠牲を捧げて厄払いをする
しみったれとは、出費とするような公事への気前のよさを、持ちあわせていないことである。
また、わが娘を嫁に差しだすときも、犠牲に供された犠牲のうちに、神官にわたす分以外の肉は売ってしまうし、
また、式の間いろいろと奉仕をしてくれる人達を、其の食事は自前という建前で雇う。
或いは最後にその両者とも外部の原因の力によって無限に凌駕される、という点においてのみ一致すると言うものがあるとしたら、それは石と人間とは、いかなる点においても、一致しないことをまったく肯定する者である。
人間の共同社会からは損害よりもはるかに
多くの利益が生じるような事情になっている。
というのは、理性によっても憐憫によっても他人を援助するように動かされない者は、非人間と呼ばれてしかるべきである。
高慢な人間は追従の徒あるいは阿諛の徒の現在することを愛し、反対に寛仁の人の現在することを憎む。
実際彼の悲しみやは自己の無能力を他の人々の能力ないし徳に照して判断することから生じるのであるから、彼の表象力が、他人の欠点の観想に専心する時に彼の悲しみは軽減するだろう。
自己を益したことによりも他人を害したことによりより
多くの名誉を見出す。
あらゆる粉飾的イデオロギーを脱ぎ捨てた骨格。
被抑圧者のために戦う、公共福祉に挺身した国父
兵役義務という大きい実物給付だけが存在する
つぎに、負担の重圧は、同じように無制限な紙幣経済の結果であった。
それは、資本主義の「失敗」の結果としてではなく、
其の成功の結果によって。
私経済によって――たとえ他の可能性とくらべたばあいのその欠点と長所については、けっして公平な判断が下されることがなく、おそらくは、今後のつねに不快な常套句の犠牲になるとおもわれりょうな仕方であってもだ。
「近代的公正理念」
戦争の原因から好況を完全に利用する「戦争利得者」よりも、多くは「戦争損失者」に属する。
社会主義の少々の非能率にも耐えうるようになっているはずだ。
国民の運命にたいする巨大な影響力は、国家需要によって強制される経済的瀉血と、この瀉血の成果がどのように利用されるのか、その方法いかんから生じる。
国家が其の権力を以って法を犠牲にするかそれとも社会を犠牲にするかを二者選択を
自己に義務づけるやうな非常事態的状態が現れた場合には、法を犠牲にして社会を支持することが正常であり、また義務でもあるだろう。
不正な原因からは、訴権は生じない。
火と、霰と、雪と、氷が、あなたのことばを告げる嵐の風が、山々のすべての丘、実をむすぶ樹木、すべての杉、野獣とすべての家畜、地を這うもの、翼で空飛ぶものが、
冷静にして公平なる外見の下に、あらゆる種類の放埓を黙許するという目的のために、背後に隠されているのである。
教壇の、教卓を向うに突っ立っている時の方が、ずっと権力を握っている気分になれるんだ。
他人の欲望充足の安全を犠牲にして
自己の利己的本能を遂げようとする倫理的に異常な組織を有する人々に対する制裁である。
NATOの東方拡大密約。
彼は我々の父祖が自己の犯した誤謬そのものから我々を免れさせ、我々が自己の誤謬から子孫を免れさせるであろうことを見ない。
山をよじ登っていくと、やがて頂を蔽う密雲に包まれ、
寂莫とした暗みに迷い込む時が来る。
自然の刑罰なるものは一定の行為、例えば水中に落ちるというような行為に先立つ意志や志向は決して顧みずにかかる行為の結果を引出すのだ。
論理上妨げ得ない分割の前にも停止しない。
コンパスなしに航海することの偉大さを語る船長がいたらそいつは阿保だ。
自己の記憶を寄せ集めて人生を批判「しようとつとめ、しかも自己の努力と苦痛とを正常づけるに足る原因を過去の快楽のうちに最早見出さない者の驚愕がここに由来する。
偉大な人は愚か者の生命を救うために自己の生命を危うくする権利を常に有するというのは果たして正しいだろうか。
植物は、花が咲くのを自ら禁ずることはできない。
時として花が咲くことはその植物にとって枯死することになる。
善人のためにのみ保留され、そして下級なすべての存在においては不幸への確実な権利がそれに相応するような種類の幸福への依存は、古い貴族的(この誤の言語的意味での)偏見の一残存物に過ぎない。
「苦労」を一般化することはそれ自体道徳的悪である。
共同生活によって純然たるエゴイスムに委ねられた部分と「利他主義」が占める部分とを比較して見るとよい。
最も凡庸な者でも生命の確実な犠牲、もしくは果たすべき義務の選考に直面することがある。これは兵士に限らず、警官、消防士等にも見られる。
自然は歯車の中に落ち込んだ人間など平然と粉砕してしまう。
『アジアの開放』それは日本の”敗戦後”に起きたので、未来の教科書ができたら、アジアの解放を、アジアを解放したのは日本でなく「米国」と記されるはずだ
良心の弱い人々が行う虚言や偽りの告白は、
すべて之を彼等に強要した者にその責が帰する。
我々は、何ら戦えという命令を受けず、むしろ反対に忍んですべてを黙過せよという命令を受けているのであるから、
彼等の幾ばくかでもがより正しく思料し認識するようにしたい。
「私の隣人が私に戦争を押し付け強要した。私はむしろ戦争をしたくなかった」と言いうるような権限と良心とがあるかではない限り、正しくはない。
何故なら、説教者が教師の言の正否を判断する者が誰もいなければ、彼は正否に関わらず全然自分の欲するままに聖書を解釈してよいわけである。
もし戦争そのものが不正であるという一事を容認するなら、我々はそれに準じて他のすべてを不正なりとしなければならないであろう。何故なら剣を用いるなら不正であるなら、悪行者を罰し、平和を維持するために剣を用いるのも不正となるでであろう。
上に言った如く「良識」は法規を超越すると法規に全く敵対視し、「良識」の名と外観とを掲げて市場に行き、自分を売りつけようと試みる。即ちこの悪徳はそうして法規を空文化し、しかも自分は法規を修正した罪のない女ということになろうとするわけである。
しかし其の防衛戦争も、隠忍してあらゆる和解の手段を尽くした後でに始めて是認されるのである。
これは口止め料の事件ではなく、選挙干渉の事件です
むしろ私たちが考える基本的な問題は、誠実とは言いがたい行動を促す圧力が競争市場では奨励されてしまっているとうことだ、
それは商業契約における「善意」の義務を課し、「消費者」と「証人」に別の区別を設ける。私たちのような一般的な消費者は、もっと洗練されているとされる「商品」よりも細かい注意書きをよく読む責任が少ないということだ。
皇帝が自己の計量測定を計る其のやり方の尊大さ、
無法さの中にこそ何物にもまして此計量を安全無害なものたらしむべき好個の手段が横たわっている。
医者が飲酒運転で前の車を追い越してゆく。だが、それでも医者が事故を起こさなければ、其の行為は「正しい」ことになるのだろうか。結果良ければすべて良しなのだろうか。
非行をする人間としない人間のあいだに道徳的信条の違いはほとんど無いという。
なおかつ、政府のおせっかいな干渉による危険が
この例外の無視から生まれるどんな危険よりも大きいことを考えて、かれらは此の通則を普遍的なものとしようという気になるのである。
地代または純利益が生れるものととなる高い価格は、販売すべき農業生産物をもつ地主を富ますけれども、同じ比例で、その購買者である人びとの富を減らすのである。
しかし、かれはつねに、人口の増加は、われわれのもっているその扶養手段に、あるいはむしろ自らのもっている子女養育手段に、依存するものではなく、かれらのためにたくわえられたあらかじめ食糧貯蔵に、依存している。と主張しているのである。
特に国家の財産と金銭が、少数の人間に集中せぬにやう適応な
政策が講ざられなければならぶ、
かういう種類の人物は、確実な方法で政府の側に引き寄せて和解させるか、然らずんばその人物を同じ党派に属する何者かを法律させ、ゆえに刃向かってその名声を分割させやうに計るべきである。
小島ふかせのバンド活動の最中にライブハウスが「火事です」と消防署や警察にイタ電してふかせのバンド活動を妨害してもええってことやな?
コレと同緒に人間は神の保護と恩恵に安んじその上に確乎つぃて立つときだ。
若し事柄を充分吟味し、一つのことを証明し例証するために他のことを提示することを不得意とするならば、法律の判決例を研究するがよい。
下級の者からは、その自由を見失はないために個別の中元
を個別の忠言を採るがよく、上級の者からその慎重さを
見失ないために合同の忠言を採るが宜しい。
勝利の得られた土地の建てられる戦勝記念碑があり、戦死した人々のために弔いの記念碑があり、個人に興へられる栄冠があり、
祖国の祈りには凱旋の行列があり、之等は皆すべての人の勇気を鼓舞するものだ。
しかし「これは私のからだに合わないから、止めにしよう」という結論は、「これは一寸も私に害がないから、私は用いてかまわない」という結論より一層安全である。
一般に、王侯や国家は、立身よりは義務を重んずる大臣、そして権威のためよりは良心のために事務を愛する者を選ぶ用いるが宜しく且つお節介な性分と、奉仕にいそしむ心との間の区別を見分ける必要がある。
水先案内人
仕事には三個の段階がある。準備、討議又は審査、仕上げ、が之である。
土地と家畜と交換せんと欲する者と家畜を提供して土地を得んと欲する者との競争に依ってうち樹てられる市場に応じて決定される。
人は殆ど常に弱みから、不安から、又確かと思われ且つそれおりむしろ一か八か戦って見る方を選ぶような窮迫又は不幸に封して充分なる又は不十分なる根拠の懸念から相争闘するがゆえである。
由々しい、そしてまた我々が見透し得る限りでは避けることのできない禍いを転じるための祈祷や、また自然の成り行きに従えば、不可能な目的を実現しようとするさまざまな迷信的法法さえ、表象とその対象との間の因果関係を認めているわけである。
卑屈な態度で恩寵を哀願し神意に迎合することを勧奨するような説教が即ちこれである。
そして他の人達が、彼等の判断の間の一致を例証するために提示する実例は、我々に対して同意を強要する命令にならざる得ない。
オッペンハイマーの名シーン。罪びとである(オッペンハイマー)が、犯行の美しい恐ろしさを告白したのにも関わらず、その行為者の犯した咎めのために歪められた此の穢れの罪という唯一の宝である愛児をトルーマンに横取され、「許しを請う人」という生甲斐すら奪われてしまった姿は、注目すべきシーンである。
何か、或るものが犠牲に供されるとすれば、其の犠牲はむしろ天才の側において生ぜざるを得ない。
かかる弁証法は、聞き手の側が判定を下す前に、話し手に有利になるように聞き手たちの心を篭絡して判断の自由を
彼等から奪うに必要なだけのものを詩から借りてくるのである
そしてこの説は、趣味判断をすべての人に例外なく妥当するものであると判決する権利をこの判断に認容する人達によってすら用いられているのである。
この水のなかでは、まず互いに60度の角をなして
放射状に接合している氷片ができ、すると同じような氷片が、放射状のすべての頂点において付着し合い、やがて一面の氷になるのだ。
育休取ったら殺す。
泉房雄「火いつけて来い」冗談で言って許されるのか。
主観的条件をすべての人間について普遍的に前提して差支えない。
自然は最短距離をとる(力の節約の法法)」
しかしこういう必要が充たされた時に初めて、多くの人達のうちで誰が趣味をもっているかをどうかを弁別できるのである。
望遠鏡と顕微鏡
すさまじい破壊力をふるう火山、一過したあとに惨坦たる
荒い廃を残してゆく暴風、怒涛の逆巻く無辺際な大洋、夥しい水量をもって中空にかかる水しぶき、しかしまた荒天で、
波浪の天に沖する海洋は、あらゆるものを呑み尽くさんばかりの深淵として、それでも崇高だ。
一般に、この種の需要の最大の増進は、非常に豊富な需要と、価値のはなはだしい下落との結果として生じるものである。
そこに明らかなのは、ミル氏が需要という熟語を、買い手が、販売されるべき商品を得んがために沸いうる犠牲の大きさ、すなわちミル氏の正しく表現しているように、かれの購買手段の意味を用いていることである。
明確な区分線ができるかどうかたずねてみたい。
通常利潤率で資本を用いて、娘たちに家庭教師をあてがわせ、息子たちをスクールや、カレッジにやることができるような収入を得たいとのぞむ商人に対していわれているのである。
多くのひとびとが雨に濡れているとき、雨が降るはずがないという主張と、濡れた上衣で生じる不便をふせぐためには着物なしで出かけるがいいという提案と大差ないように思われる。
この国の貨幣の価値が其の一般的購買力に比例すると考えれば、銀一オンスの価値はそれが支配するリンゴの数量に比例するといい
戦争で、求められている毛織布の生産ではなく、
「求められていない綿布の生産」に起因するものである。
自動車で、荷馬車を使え。
諸国民の富の原因を研究するにあたっては、同一の前沸いがあたすところのこのような機能上の差異を特定の名称によって明示することが必要ではないか。
あるものを獲得する労役と、苦心を、其の真偽価値、すなわち其の所有者がそれに封しておこなう評定の尺度とすること。
過ぎ去ったものを忘れようと欲し、
将来のより良きものに尊敬を沸はぬということだ。
交互の生存のどの瞬間に於いても、可視的な全体として相互を取り囲む世界と交互の我々自身の生命との没交渉が成り立つ。
全ての内的営みや態度を一様にまた公平にとりあげて考察する
最後に、人々が譲渡し得ないと考えてきたあらゆるものが交換の対象となり取引の対象となり譲渡され得るに至った時代が来た。
時計の振子が今や二人の労働者の活動の割合の正確な尺度なのはあだかもそれが二つの機関車の速さの正確な尺度なのを等しく計るのだ。
或る種の機械的な力業を行うに足るほど目と手とが熟練して来るまでには、数年間の徒弟修行をしなければならない。
これこそ十八世紀及び十九世紀のブルジョアが封健的な不正義と不平等と特権との廃墟の上に自己の社会健物を築かんと欲した際のよりどころたらしめた礎石なのである。
平等な交換が行われば、一人の人の利潤は他の人の損失ではありえない。何故なら、総ての交換はもはや労働と富との単なる移動に過ぎず、それは何等の犠牲を要求しないから。
ロシアってすごいね。もう民主主義の反面教科書だ。もし有罪か無罪か分からない人が、 警察官の一団に捕まり、鞭打たれた末に、恐怖のあまりに自白したとして、其の人間の「自白」が、仮に迫真でも、真実を話すのが怖い状の「自白」であれば、それは「証拠」ではなく、権力者が、自白が証拠になることを恐れたからだ。
それでも名前を知りたいと抗弁するのは、細部についての論理的検討に耐えられない自らの主張を、「匿名の告発」によって該当者を判別できないからだと言い訳するためだ。
「法のルールの尊守度合い」が。
「課税と公債の等価定理」という有名な理論だ。
政府は、財政赤字をファイナンスする方法として紙幣を印刷するという政策に戻った。
こう考える理由には、化粧品、染毛料。育毛剤、豊胸手術。などに課税を正当化することだ。
貧しい低賃金の国は、非熟練労働を大量に必要とする財の輸出を行うのだ。
警官に止められて、飲酒運転をしてるんじゃないかと問われ、口は開けないし、フロント窓も開けないけど、飲酒運転はしていないと抗弁して許してもらえると思いますか?
記者会見しないと所属する会社や、スポンサーに迷惑がかかるからです。口授電話が殺到し「これは一体どういうことなんですか」「あの噂は本当なんですか?」という電話対応に追われることになります。
これが故意に犯したのではない過失であり、とうてい避けることのできなかった不注意であり、けっきょく自然必然性という暴流に押し流されたのであると言って事実を糊塗し、この振舞に関する限り、自分には責任がないということを言明するためだ、
我々が、この第二類の人類を目ざして、彼等は人間の示す幾多の好実例から、ことさらに詭弁を弄してその徳を剥奪し、こうして徳を有名無実ならしめようとする意図を懐く者であると極めつけることはできない。
君は善き兵士、善き後見人、また公平な審判者であれ、もし君が、疑わしくまた不確実な事件の証人として召喚されることがあったならば、たとえファリスが君に偽れと命じ、山羊を牽き来りて偽誓を命じようとも、名誉よりは生を選んでただ徒らに生きんがために、生をして初めて生きるに値するものたらしめるところの最も大切なものを失脚することこそ最大の不正と思い給え。
異なる事情のものでそれぞれ生じた相類似する行為を比較するという取りわけるのだ。
それどころか、平素は貧しい人に喜んで施しをするのに、あいにく喜劇を観るための入場料だけしかお金の持ち合わせがないために喜捨を断ることもある。
例えば、パンを食べたい人は、製粉機を考案せねばならない。
彼は快適を得るための手段を善と名づけ不快適と苦痛とを原因であるところのものを悪と名づけるだろう。
君自身が自然の一部であるとすれば、その君の企てる行為は、自然法則に従って生起するわけだが、それでも君はかかる行為を君の意志によって可能であると見なし得るかどうか自問してみたまえ。
尊敬は、常に人格だけに関係し、決して物件に関係するものでない。
酒飲んでいるお父ちゃんがケアされる。
彼の臣事する君主が、偽りの口実のもとに殺害しようとする一人の誠忠の士を罪に陥れるために彼に偽証を要求し、もし彼がこの要求を容れなければ、直ちに死刑に処すると威嚇した場合に、彼は自分の生命に対する愛着の念がいかに強くあろうとも、よくこの愛に打ち克つことができるか。
自分達の陳腐な体系を後生大事に守るばかりで、何を是認しまた何を否認すべきかを初めからきめてかかる人達は、何にもよらず、自分の個人的な意図を妨げるおそれのあるような説明を必要としないからである。
すると実践理性一般の批判は、経験的に条件付きであるような理性が、自分こそ意志の唯一の規定根拠であると僭称する思い上がりを抑止する義務を負うわけである。
彼は自分が年をとって生活に困るなどということを思っても見ないのかどうか、また老いて困窮した場合にも、
それなりになんとかやりくりしていけると考えているかどうか、などということは彼の一存にまかされているのである
主観的条件に左右されるんですか???
「忙しくて勉強する時間がないと相談したら、『俺は1日20時間働いていた。年に5日しか休んでいない』と言われ、説教された」
成田悠輔がザ・老害の二階元幹事長に「自決せよ」って言ったら見直すよ。
他者のいる特定の状況で他者とじかに会って得られたと思われる深い洞察を着服して、それを我が物顔に無差別にいろんな聴衆の前で蒸し返すのが不愉快なのだ
換言すれば、我々より下の者を視て、心の高揚する程度のが上の者に依って意気阻喪より多いことの理由である。
心は互いに反対な地脛を差引きする、そして優ったものから劣ったものを引いて、残る程度の信頼性ないし確信性を生む。
このことはヒットラーに戦争の危険を冒すと高すぎる代価を払わねばならぬことを会得させるための予防的手段を何も講じていなかったことの言い訳には到底なるものではないのだ。
キューバのカストロ核兵器 P136 P42 孫への手紙。ロードダグラスヒューム。
戦闘機ハリケーンとスピリットファイアーを生産することに承認したのは、チェンバレンだった。二種の戦闘機は、バトルオブブリテンの際に英国を救うのに辛うじて間に合った。P42 孫への手紙。ロードダグラスヒューム。
しかし原則の使用(現象への適用)に当たっては、カテゴリーの図式をカテゴリー使用の要件として原則に代わらしめるか、或いはむしろこの図式をカテゴリーに対する制限的条件として、原則の方式という名でカテゴリーに並置くすることになるだろう。
もしこの発生が、何か無縁の原因から生じた結果と見なされるならば、かかる発生は創造と呼ばれる。
しかも悟性としては、もともと不当であるにも拘わらず真正な公理同様に、確信ありげな調子で承認を強いるところの要求に、賛同を拒むわけにはいかないのである。
霧堤と呼ばれる濃霧の厚い層と、溶け去る数多の氷山とがあて、
感性に特有な直観の仕方を認めずに、対象の一切の表像を、従ってまたその経験的表像をも悟性に求め、感覚には悟性の表像を混雑させまた歪曲するという賤しむべき仕事しか当てがわなかったのである。
それにも拘らず、我々は、この第二原則に由来する多大の影響を証拠立てるものを欠くわけではない。即ちこの原則の影響は、知覚を先取的に認識し、
それどころか知覚に欠けているところのものを補って、かかる欠如から引き出された兼ねあい誤れる推論をすべて封じるところに示されるのである。
明白な反論を呈示し得ないような人たちの側から非難がされるという理由は、民主主義が機能している証拠です。
彼はこの一致が上記の区別によるのでなければ生じないことを知っている。
あなたの息子が、あなたの為に援護し、あなたは彼に発砲して密告します。
唯一理に適っているのは、大谷が借金をカバーしたが、ドジャースの誰かが、いかなる形であれ、関係を持つことは、悪いことだと判断し、話を変えて彼が強盗されたと言うことにしたということだけだ。
秋田こまちと銘打ってインディカ米を混ぜたおコメを販売した。
固体のなかでももっていたとおりの
相互の隣り合った位置と配列とを、保持しつづけることも、
不可能ではないのである。ところで、これらの型を、われわれは映像と名づける。
迷信 信仰
むしろ、これらの属性の集合したもののように解されるがゆえに、物体という述語を得ているそのかぎりにおいてである。
恐ろしい。これをロシアは、隠すことせずに見せるのだ。戦争がかりに負けに終わり、なぜ愚かな戦争をしたのだと子供に問われた時に、父や母が、「こん棒で打たれるように、脅迫され、命令されたのだ」と言えば、間違った判断に加担したとしても羞恥を持たないことを恥じる必要がない、こういう自分の行為を根拠づける義務を他人任せにして自分の責任を免れることができる「卑怯な人」が、ともに過ちを犯しともに悪事をはたらく者ではある。ということが、クレムリンは、分かっているのだろう。
自らが免れしめた不幸を沈黙のうちにでいたのがいちばん懸命なのだ、というりっぱな口実を与えて元気づけて逃避しないことが公然と承認することを恥とするものが「人権」のそれだ。
「疑惑の段階で記者会見なんかすべきじゃない」箕輪。
大谷翔平 疑惑会見
たえず援助を求めている人が友人なのでもなく、
援助と友情とを決して結び付けない人が友人なのでもない。なぜなら、前者は、親切にたいし対価物を売るのである、
後者は、未来についてよい希望を断ち切っているからである
われわれはむしろ、至福だの不死だのというような観念からそのもつ尊厳性とは反対の判断の生じることのないために、これらの観念と結びつけられるあらゆる表現において、その尊厳性をいささかも損なうことなく保持するようにすべきである。
何らの差異を、認め得ないとすれば、一方のものを、あらゆる場合と関係において、他方のものに置き換えることができるし、またこの置き換えは、およそ識別され得るほど差異をまったく生じしめないだろう、と結論せざる得ない。
しかし自説を弁護する言句に窮した場合に、常識をあたかも神のお告げであるかのように持出すべきではない。
旧来の形而上学は、無分別な主張によって自惚れを増長させ、ぬかりのない逃げ口上と巧みな粉飾とによって詭弁に便宜を与え、また極めて困難な問題を学校で教えられた僅かばかりの知識で片付けてしまうという軽佻な態度で自説の軽薄さを助長したのだ。
この相互引力の規則によると、引力はそのはたらく点からの距離の自乗に反比例して減少し、また引力の拡がる球面が増大するにつれて減少するのである。
しかし、負うべき責めもないのに責めをきせ、現行にたいする関係をこれほどまで無意味なものにして彼を嘲笑し、
そのあげく、ほんとうに得をするすべての男たちから欺瞞者と見なされるのを甘受するほかなくした人世にたいしていわば復讐することできさえすれば、それくれいのことは彼には取るに足らなぬのだ。
「神と相争う」というかりそめの慰安を謀計をもって心苦しめるものから詐取しようとするものに禍あれ。
国家の各種の身分は具体的な区別によって、それに基づいて個人は、階級、に分けられる、
誰でも自分が困窮していると思ったら、初めから守るつもりのない約束を勝手に決めてよいというような法律が普遍性をもつとしたら、つまり誰も自分に約束されたことを信じないし、また相手の言い分を心とは裏腹に口実だとして嘲笑するだろう。
NATOの密約。また相手の言い分を心とは裏腹に口実だとして嘲笑するだろう。
本来道徳的であるところの動因と、悟性が様々な経験をすることによってのみ一般に概念に仕立て上げた経験的動因とを区別せずに、かかる動因の起源の相異を無視し、もっぱら動因の量の多寡に従って(つまり一切の動因をすべて質的に一様なもの見なしてこれを考察し、こうして彼等の言う責任の概念なるものを造りあげるのである。
自分の立てた原理に執着するといういわばえこひいきの念が生じて、結果のいかんを顧みずにひたすら原理そのものだけを厳密に研究し考察することがおろそかになるのだ。
私は私の格律を限定して、この格律が法則としていかなる主体に対しても例外なく普遍妥当性をもつという条件に制限するべきだ。
人間の尊厳という理念にもとづいて彼ら自身に指定された無私な所業のみを判断の目安にするものと考えられねばならない。
義務の観念を法則へのひたむきな服従と解するにも拘わらずそれによって同時に、自分の一切の義務を履行する人格に一種の崇高と尊厳とを思いみるのはどうかしているのだ。
かかる動機は、徳に向かわせる動因と不徳に赴かせる動因とを同列に置き、もっぱら打算に長ずることを教え、また徳と不徳とが種類を異にすることをまったく無視するのである。
年をとって困窮しないためには、若い時に働いて倹約しなければならない」といううような、
政治家は、政策の効果を不明瞭にすることで、
彼らが貢献したわけではないのに良好な経済状況を自分の功績と主張したり、経済の悪化を彼らの制御の及ばない要因のせいにしたりするかもしれない。
アルコール依存に依存している企業は飲酒運転を減らそうとする。ノンアルコール飲料の売り上げを高めるなどの方法だ。
貯蓄に関する個人の決定は、再分配を行うかどうかをという問題そのものには影響を与えないが、貯蓄によって、現在の消費が減る見返りとして老後の貯蓄が増える。
そうすれば常識は、法則と傾向との双方から持ち出される要求のために生じるところの困惑を免れ、また常識がともすれば陥る曖昧な見解によって、真正の道徳的原則をも失脚するという危険を冒さずに済むことになる
安全ロビイストが基準として設定した特徴をそなえていないという理由で、警察が古い型の車を道路から締め出すかどうかは、現実には重要ではない。
たがいに病を癒しあいたいと思ってる人々の公民的権利をよりいっそう縮小させるサービスに投資されることになる。
「週刊誌でなく警察に行け」「 ボランティアは被災地に行くな」「 自衛隊は狭い能登には着陸できない」 「ミュージシャンは政治を語るな」「 Let it beはポールも歌ってた」「 成田悠輔降ろしは言論の自由の侵害 」「車椅子の人間は一人で外に出るな」 何なんだろねこの国。
公正な社会とは、一人の人間にとっての自由が、他人にとっての同等の自由が生みだす要請によってしか制限されることのない社会だろう。
治療は、供給されるだろいうという意識が、病人や高齢者を彼らの看護婦が病人の玄関に置き去りにする「姥捨て」のような行為を促した。
再分配への政策努力が小さいのは、得をする人と損をする人が相殺する行動をとることで再分配政策が無効になることを恐れたからだ。
古代では天罰と思われていたものの原因を新たに見なすことによってなされた。
すなわち施恩者としての保護者と感謝の義務を負った被保護者との関係は成程交互愛の関係ではあるが、友情のそれではない。
この徳は、もしも親切を施す能力が限られているのに、
然もこれを施す者が、他人に免れしめた不幸を沈黙のうちに自分の身に引き受けるだけの勇気があるならば、一層高貴である。
それによって諸々の義務を身躰に封するものと
精神に封するものとに区分することを正常とすることは許されない。
自分の意思表示に於いて真実であることは正直とも名付けられ、これが同時に約束である場合には、中世と言われ、併し一般には、誠実といわれる。
例えばもしも人が殊更に自分の心の内に未来の世界審判者に封する信仰を毫も持ってないにも拘わらず、こうした信仰を心の中で内心照一覧に告白することは、あらゆる場合に籠を詐取するのに役にこそ
立て害にはなるまいなどと己れを説伏せて、この信仰を持っているかのように偽るような場合だ。
非正規と言えば、政治家がそれから生じるかもしれないあらゆる結果に対して責任を負わねばならない。
離婚協議を専門とする弁護士。
同性婚を認めた国で、ペット婚が増えて大変なことになってるって具体的にどこですか???
人物を提示する鋼版画や、胸像のかたちでそうする石膏像とは異なっている、それが提示するのは公衆に向けられた談話である。
「占有」と「占拠」も区別できない。
占拠は、武力で他人の土地を牛耳る」ことであるが、s
占有は、契約なしには生じえない、ということだ。
流行りもしない衒学者のほうが没批判的な無学者よりも遥かに屈託なく物笑いのタネとなっているのは言うまでもない。
私たちのところでも、どんなにか無情に高齢者たちが、
しばしばお手軽に養老院や、老人ホームに押しやられて折るかを考えてみるならば、正当にもこう問うことができるだろう。
ひょっとすると、私たちはあの呼びかけを黙認し、ひいてはルディ氏の死を黙過する義務さえも負ってるのではないか。
報償と刑罰を適正に計る様な人間的秤だ。
そうしたことは、物質が、いわば磁気を帯び、自ずと人間の方に向きを変えて、人間からの依頼を受け、其の命令を実行するというような場合にしか、可能でなかった。
「祭祀や儀式のない宗教」 宗教史家
もし根が、良いのであれば、外皮の外まであふれ出て働きるだろう。
労働者たちは「国内移民」になるだろう。外国は、彼らを、自国において雇ったのと同じように、雇用する。
両方から死活に関わるものとして提出された対立的要求鵜を公平に判断するという問題だ。
権力の座にある人が別の大人に「私を信用しなさい」と言って、その訴えが、人が子供の頃経験した信頼の
蒼古たる記憶を覚醒させるとは一体何を意味するのか。
指導者は、福祉国家のフォーマルな機構には世話することのできない民衆を、個人的に世話しようとする。
ボスの「われわれが話しているのは君のことで、私のことではない」という助言を仰いで、自分自身の忠誠度テストを行うのは、従業員の側ということになる。
此の権威は、支配者の利益に適う限り存在し、
世話を受ける代償として受身の黙認を要求する慈善のパレードとして作用する。
建築界のノーベル賞プリツカー賞をとられた 山本理顕氏のこの言葉はとても重い。
かやうなものは、死骸においても認められ、そしてこれを私は身柄と名づけたのである。
そしてこのやうなもののうち或るものは意志あるいは感情と名づけられ、他のものは「判断」と名づけられる。
当てにもならない最短路を描いて見せる。
過去のこと「拉致問題]
「北方領土」
国家は、安全の代償を自ら払わずに他の国家に払わせながら、安全から利益を得たいといつも考えるだろう。
この危険は、美しい言葉の下に隠され、国家の内部にひそんでいるのだが、国家はそれを国家主権の名の下に、ねたみをはらんだ無遠慮な視線をそそぎながら保護しているのだ。
エセ「戦国大名」の追放
一言で言えば、
人権は今日の新しい在俗宗教として現われたのだ。
孜々として膨大な本。
賢さというものが、自分自身の反省に基づく判断と周囲の反省のくだす判断とのあいだの宙に浮くことになるのは、この点においてである。
客の一人が、このごろ疫病みたいにだんだん拡がっている娯楽病は家庭の平和と良俗をみだすものだ、と反論する。
にらむことだが、暴力団の場合は、ちょっと目があったていどのでも「ガンをつけた」と因縁をつけて、「あの野郎、俺にガンをつけ、ケンカを売ってきやがったな、あいつの方が悪いぜと」と正当化する。みえみえの弁かい、言いわけ、口実で、こんな独りよがりで主観的な「理由」は、まったく正当化根拠にならない。
教訓めいたことを言う必要もなければ、
イデオロギーを振りかざしたり世界観のような
信条を披歴したりする必要もないのである。
あなたは、自分が標示している方向へと、自分で歩んでいく道路標識をご存知ですか。
なぜなら、父が「教皇、教師、牧師、首相、上司、友人等」が、これこれは善いと言ったから道徳が問題となる場面で、自分の行為を根拠づける義務を他人任せにして自分の責任を免れることはできないのだ。
互いに相なれない立場の間にどんな意見の相違や食い違いがあるとしても、自分の立場を批判にさらし、反論に立ち向かうつもりなどないことがしばしばある。
銀行強盗が、人質を取った場合には、人質を無傷で救い出すために、催眠弾、心理的な説得、狙撃。などがありうる。
ここでは、人間が上位の人間と下位の人間とに等級わけされることになる。しかもこの等級わけは、
絶対的立場を得たと思い上がり、もはや自分の立場を疑ってみるつもりもない人が尺度となってなされるのである。
自分たちの宗教の支柱に対する攻撃だと断じている
ある人が、自分の見つけた貴重品を届けるために
遺失物取扱へ行ってみると。
売春婦や、労働者等の息子だから、彼が貴族だから、彼が大学教育を受けていないから。
ある特定の集団・階級に帰属しているからといって
人間を十把一絡げに蔑視したり、尊重することや、そうした蔑視と尊重とを背景にして人間を価値ある人間とそうでない人間とに区分することは、愚の骨頂だ。
権力者は、人間が堕落する度合だけ堕落する。
いかなる政府が最上の政府であるか。われわれ自身を治めることを教える政府がそれだ。
ほどほどに自分をさらして見せる義務と、彼女がそのために選ばれた特性を絶えず守る義務である。
このうわさが気にいる二つの物は、人を殺す医者と、殺人警官だった。
諸メディアがうわさを黙殺するか、それとも逆に、数段の紙面や放送の時間をうわさに割くかによって、何もかも違ってしまう。
誤解は、また聞きの証言と、
送信されたことと解読されたことの相違にもとづいている。
自分自身の価値を子供たちに教え込むことを
可能にすることの最後の砦は、はじけ飛ぶおそれがあった
間接税の一部が、善意の作業によって福祉に還元され得るという観念であるように思える。
「金を儲けるためなら商人は何でもしようと待ち構えている」といった古くからのきまり文句が、煙の中から意気揚々と出てくるのだ。
犯罪事件のうわさが、当然担当していた警察官、調書をタイプする書記、予審判事。
伝えられた将軍の演説を感動をもって聞いたと断言することができる、北朝鮮や、ロシアだろう。
それでも、やはり、正統性の根拠となる最初の功績表を欠いたことに変わりはない。
偽りのうわさをうまく否定できれば、うわさに狙われた人が、自分を待ち受けている筈の未来をうまくかわすことも可能だ。
医者が、子どもの直腸に体温計を挿入しようとするときも問題が生じる。
生物学的な原因によるものであろうと、社会学的な原因によるものであろうと、
食べログで自分の料理が評価されるのがいやで、食べログはい廃止運動に乗り出すラーメン屋とかいたらどう思いますか?デモを禁止する政府って、それと同じなんですが。
押し込み強盗が、
家屋に侵入したまさにそのときは、其の家の主人が誰かを
殺そうとしたと仮定してみよう。この場合、この強盗が、そこに居あわせること自体が違法なのだから、
彼はこの殺人に介入し、阻止してはいけないと道徳的に義務づけられているとでもいうのだろうか。
子どもの世話に費やした年月を経歴として公認することである。
ひけらかすのをおそれて、自分自身について何を
公表するのを避けているのかを言い、小沢にも言わせなさい。
ショウジョウバエぐらいの知能だ。
女性が「抑圧」されている原因は、男女の賃金格差や、女性が経済力がないことであると考えるのが「社会主義」フェミニストで、男性における女性の搾取こそ、女性抑圧の原因であるとみなすのが「ラディカルフェミニスト」だ。P310 女性の選択。フェミニズムを考える。
訓練期間以上の長期にわたって家屋購入市場から締め出され、損害を受けることなどの事実を指摘する。
演説のうまさ、文章力、意見を公的に披露する能力。
富の分配が少数の特権階級に著しく偏った社会に住んでいる場合だ。
それに代わる概念、たとえばニードと相応した賞罰というような新しい概念だ。
尊敬を受けるためにいわゆる下層民から遠ざかる必要があると信じている人間は、負けることを恐れて敵に姿を隠す卑怯者と同様に非難に値すると思う。
もし職場での地位がそれほど違わず、相手の要求を退けることができたなら、当然、憤慨して退けるような親密さを、自分の優位な地位を利用して誰かに押し付ける者がいるとすれば、そんな人間は誰にあっても間違っている。
反省と、政策の細部についての論理的検討に耐えられない政府。
レイプに関する法律を作成しようという提案を検討する中で、
人種問題や階級問題では、抑圧者を敵と呼ぶことを慎しむ「礼儀」などは必要とされないし。
此の恐怖心は、他人が自分の真価について意見を言えるぐらい自分に接近してくることを不快に思う感情である。
そういう自画自賛は、自分が間違っていることをひそかに恥じている見栄であり、今の今までなにを望んでいたかを、けろりと忘れている健忘症であり、少し手間がかかるかと思えば、すぐやすきにつきたがる怠けごころの反映に過ぎない。
発生学的な見地から、ある人々をこのような自由をともに分かちあうことのできる対象からはずしてしまおうとすることは、傲慢の極みとしか言いようがない。
こんな低劣な偶像崇拝のために、此の世の最高のものを進んで犠牲にすることが徳と見えるとは。
なぜ愛するのかと問う者に、「こういう理由でぼくは愛するのだ」と言った場合、相手がそれをわかってくれないのではあるまいかといった間違った羞恥を持つことを恥じるがよい。
子どもの世話を怠る特権は、親の自由の中には含まれない。
青年の個性を台なしにする教育が長いことかかって苦労して作製した仮面、いつわりの仮面を投げすてるという事業を、ぼくは、若々しい自由を楽しみながらやってのけた。
彼らの活動から跳ね上がっている反射像を其の行為の全部だと思い、すべての行為は、其の人間の内的本質の反映であるのに、単に現実と接触する面しか見ていない、彼らの力とそうでないものとの外的接触を、彼らの最も内なる本質と見、世界をとりまいて形作られている大気を世界そのものと思ったりするのだ。
それでもやはりひょっとしたら起こってくるのではあるまいかなどと疑ったりするようでは、それこそぼくの気風にあわぬ臆病風に吹かせたもので、罰せられても文句は言えぬと思われたかからである。
社会主義者は、被害と損失の大きさを計量し、原因者である資本主義に其の弁済を請求し、
しかしこのことによって同時に、多種多様な研究を議論とを不当でない仕方で整約しようと試みる方向づけは、いずれも比較にならないほど困難になってしまった。
そして科学と技術との主張する支配要求と、それらと結びついて、さし迫ってきた現代の歴史喪失性とに対して、彼は「想起の真理」を守って戦うのである。
ところで、それにちょうど適切な入口というものが見出されるのは、ただ、思すいがはっきり証示されるとともに、同時に生き生きとした活動状態にあるところ、すなわち、止水が、其の隠れた状態から外に現われて、来て「同意」となる、そういうところだけである。
自己自身の原因となるもの「神」を持ち出すことによって因果律を停止させることが、まったく「災害」である
歩みと緩急、ざわめき、危険と安全、種々の感覚と想い、これらがとりまとまめられ、そして「下山」と呼ばれる或る新しい統一の中に移される。
中国が攻めてくる。日本人が難民になる可能性。
あるイデオロギーを撲滅することは、それ自体、また別のイデオロギーの表現ということではない。
このような欲望が「自発的」か「誘発的」かという区別はあまり重要ではない。供給の限界が次第にはっきりしているときに、成長はやがて自動的に止まるだろうなどと信じるのは、愚の骨頂としかいいようがない。
杉田水脈の教育勅語ツイート。これ、全く逆です。
政治家が徳を語るのではなく、国民の側が、政治家(天皇含め)に義務を指示し、モラルについて述べ、我々にしてほしくないことを(権力側)にするなと、命じる声があると言うのが民主主義です。其の感性は、悩あなたが政治的に無能なしるしなのだ、とこういっても差支えないと思います。
文化のような直接商品と関係のない活動は「劣等」だと考えられて、そのための時間はかえって減少する。
しかし他方、公害防止機器産業、新しい技術開発が、雇用の機会を増大させる。
所得の不平等な分配とそれによって生じる
社会各層の購買力格差によって歪められてしまう。
そして彼は重要な産業については「公害値札」を計算すべきだと主張している。
彼らが自分達が思想を持ち、判断し、意見を述べる能力のあることを無視されることにもはや我慢できなくなってきている。
「小規模な自給自足的生産単位」
彼らが義務として縛られない場合はいつも、マタイによる福音書七ノ一の言葉、の一つのありがたい免除として解釈すべきだ。
こうすることによって、きみは、きみの十分知らない事柄について軽率に判断を下すことも避けるだろう。
今日もっとも教養のある人達が、とくに大学関係の人たちが、「自分はそんなもの知らない」、と公言する勇気を持つべきである。
そうして逃亡がこんなにも容易なものになされたというのに、人間が全体からもぐりぬける機会を利用するというようなことはあるまいなどと思いこむほどにおひとよしであった。
いつかは正解をこねあげる勇気のある学問的思弁家が出現するかもしれないなどと迷信的な人間の妄想に油を注いだことは愚かしい業であった。
鬱憤を抱いている人間が、遂にはこの鬱憤を、恐らくは、或る種の偽善的な曲飾を必要とするであろう事柄を蔽うための無花果の葉として利用するにいたるという例だ
量的なものと質的飛躍との間の前述の区別が、確保せられていないような場合には、一切の考察は混乱せしめざる得ない。
じっと坐り続けて鬱憤の結果をいわば利子と複利によって肥えらせることの方が、遥かに心地良いのである。
誰かしら或る山師の思いあがった手にかかってそれと識別しがたいまでに歪められているのだ。
罪人であるか否かを、咎あるものであるかという問題が、「記憶事項」の欄に記入せられるべき事柄と考えられていることにもまして滑稽なことはまたとないのである。
解像度が荒い。
自制心を失って恐るべきことを犯した独裁者が
それを知っておきながら、無知を装うことによって新たな罪を犯したいるのであるか、のいずれかである。
めとった女性を守りますという男性の節操で、問題が片付くと思うのは大間違いだ。
申しても信仰の権威には恭順を誓っている次第で、ローマ人が宗教のことなどは
あまりやかましくいわなかった先例になろうとしている次第である。
不正義を犯す人物に近付く者の不快を共感によって共有する。
臨床心理学の分野。
遥かに自分の意図に達していなくとも、なお自分が生気のない素材から作りあげた記念碑が、無関心が現実の中立地帯のあちこちに立っているのを見る。
素材を篩にかけて不適当なものを注意深く損失のないように選り退けることや、彼の徒な希望に広漠たる不可能の原野を漂白することを命じるものは、助力を貸してくれる共同関係の欠如ではなくて罰すべき怠惰であるとされる。
人は、彼が元来何を欲し、愛し、要求していたか、を知る。
言葉のうち敬語を置きかえる必要があった等々についての考量に、頭を悩ます
我々の時代における良き人々をさへんにそんなに無力にし、虚弱にし、彼等相互の承認と結合を妨げ、其の結果彼等をして二つの結合し能はざるもの、即ち彼等自身の正しき行為と下根の人々の喝采、を結合せんと希望を断念せしめず、又劣悪なるものを劣悪なりと認める決心を鈍らせるのであt。
「人殺し屋の常套句」の陰で創造性をサポタージュする
行動の格律になってしまうような戦闘が通常おこなわれているといえる。
活動のルールを破るものとそうでない者とを区別することができるのか。
対話から愛にまで達する主体的相互性が救済せれる王国が成り立つはずだ。
しかしかほどの短い生涯を過す為の方便を求めるにしても、真に著しい煩労が、我々を苦しめるもおのであるということ、また束の間の享楽にもせよこれを将来に望めば、数々の不公平な出来事が紛起してこの希望の実現を妨げるものであるということなどいささかでも思いを致すならば、我々は人間の寿命が長くなったために、「記憶があやふや」に次のような事態の生ずることを道理の上から信じざるを得なくなる。
他方では本当の父のところにしるしの品の靴と血にそまない剣を持って行き、立派な仕事と実行によって良い血筋の明らかなあかしをすぐさま示そうとしないことを、恐ろしい、また我慢のならないことと考えた。
法律が正しいなら、香港デモを弾圧するのは正しいことになるが。
常に戦闘と勝ちたい気持ちを大いに、鼓吹し、彼らのおのおのが、競争の際に大胆で戦闘を忌避しない点において、天性は、どのようなものであるかを緻密に観察した。
失敗したものを戒め、懲らしめる機会と場所を空しく見過ごすことのないようにした。
自分の記憶力を嘆くべし。そしてときには記憶力の悪さを誇るべし。
農事共進会の演説でこがねむしの被害について述べる際は、「あの忌まわしい侵略者」と言うべきだ。
誰がすぐれた市民であるかとか、誰が不名誉な市民であるかを問われた者が、答えに困ることを、人々は愚鈍で特性に対して熱心を欠く精神の印とみなしたのである。
これらの者が失敗した際には、こん棒で打たれるようにとふざけて立法し、命令している、これは冗談のために言われたことである。
生まれの点では、コドロスの裔だったから、最も高い家柄の出だったと伝えてください。
双方の契約者にとって違反が利益にならぬ契約は守られる。
言葉によって人々を説得し、あるいは強制により導いて従わせ得ると思ったのだ。
嫉妬心というものは頭角を現わす者の頭を抑えつけることに快哉を叫び、そのむしゃくしゃをこのような公民権剥奪という形に現わして発散されたのだ。
ねえタッカー、ロシアでの生活のこの側面をカバーしてくれませんか?
何とも驚いた次第だ。「それは市民の誰一人として私のせいで黒い喪服をつけずに済んだことである」
またどんな敵でも、和解もできない相手としてそれに挑まないでいる事を自己の美点の中で最高のものと見なしていた
市民をヤク漬にして、阿片投票を行おうとしているのだ。
名声と成功からいって、ふつうならくじにあたったものが富の力で手にいれるアルコンの役職を、彼ならば武勇で手にいれたも当然と思われたとしても、べつにおどろくにはあたるまい。
思うに、自分のことだけを安全にして祖国と共に苦しみも悩みもしないことを誇りをし、公共に対して無感動、無感覚の態度をとることは許さず、ただちに良いこと、正しいことを行っている人々の味方となって危険を共にし援助すべきで、危険を避けてどちらかが勝つかを持っていてはならないと考えたのだろう。
無名士にすぎない者が資力もなくてない袖は振れない筈なのに、分不相応に思い上がった振る舞いをしていると受けとられて、法螺吹きの汚名を追加されたのである。
必要なものに事欠かぬ生涯を送ったのちに祖国のために武功を立てて名誉の戦士をしたと語りなさい。
海上取引に従う者も代わりに売る物をもたぬ者には輸入をしない慣習なのを観てとった。
婦女性的涼奪芸人
彼の歪んだ見方を、何の異議も唱えずに提示することを許すことに満足していたので、簡単だった
国事から遠ざかっていたのに、むしろ、国事は、心境の平静を乱すがゆえに裂けるべきだというのだ。
われわれはむしろ、至福だの不死だのというような観念と結び付けられるあらゆる表現において、其の尊厳性をいささかを損なうことなく保持するようにすべきである。
観察不可能なものを観察しようと欲して、ただ一通りの説明の仕方を偏愛し、其の他の説明の仕方を根拠もなしに却下するというようなことさえしなければ。
多くの人々の信じている神々を否認する人が、不敬虎なのではなく、かえって、多くの人々のいだいている臆面を神々におしつける人が、不敬虎なのである。
こんなことのために、あの男は、わたしを罵倒したり、また皮肉ってわたしを「先生」と呼んだりするほどの気違いになったのだ。
むしろ、こんな目にあったというのも、まあ言ってみれば、自分の悪運であり、また生来つきまとうねたみぶかき神霊の仕わざでもあると語った。
子を失う悲しみを平静にさりげなく耐えることを非とするのであれば、それは彼自身、卑しく意気地のない人間なのだ。
記憶が判断の真偽を判定する基準だ。
世間の評判ばかり気に病まない人たち、島に住む仕儀になったからとて運命を怨まないどころか、不定と動揺、他国の遍歴、海上の危険、鷹揚の難詰を免れさせて、じっくりと余暇を楽しめる落着いた本望に自分の生活を授けてくれたことを感謝する筈だ。
必要でも自然でもないのに貴方方は空な名誉のために悪趣味からひけらかしている欲望の種類
柳の籠に入れて、育てるのだ。
NATOの東方拡大の約束って、密約だろ。お前は、国際法よりも「密約」の方が上位に来るって言うのか???
「それでも奴には、まだまだたっぷり苦労させるぞ」と言って、電卓を取り上げて、ソロバンで、売上を計上させる社長がいるのだ。
主婦や未婚の娘がうっかりしてぬたり、奴隷が罰を受けていたり召使の女が泣叫んでいたりするところを見られては困るからだ
市民たちの集まっている処で引き出して、
生きた兎と御馳走の皿を真中に置いて放すと、一方は更に飛びつき一方は兎を追掛けたので、教育と躾の結果を示すことができた。
人間に持てるいい物は多いが、名門の生れは立派でも祖先の手柄だし、財産は貴くても運命の賜物だ。
とにかく仕事が多いか少ないかということよりは名誉か恥辱かというふことによって機嫌のよしあしが極まるようにしなければならない。
道徳形而学上の限界内ではもはや解決のしようのない課題である。我々は本章で、この命題が、真であると主張しなかったし、ましてそれが真であるとを我々の力で証明できるなどと提言したこともない。
それだから我々はここで、理論に押しつけられている証明という重荷を免除されてよかろうと思うのである。
人間の理性は、まったく無力であり、およそこれを解明しようとするいっさいの努力と労苦とは、すべて失敗に帰したのである。
首尾一貫して考え、従ってその時どきに自分の身びいきによって筋道を歪曲することをいさぎよしとしない心的態度だ。
他人に対して親切を尽くさなくても済むものなら、他人が自分に対して親切でなくても結構である、という考え方を喜んで承認するような人はたくさんいるからである。
理性的存在者のかかる客観的原理とどうしても一致し得ない場合には、この原理に従う行為の必然性は、実質的強制すなち義務と呼ばれる。
軍事パレードが、展開され、黒い喪服をつけた未亡人が、そこらじゅうに列をなしている国よりも、LGBTパレードがそこらじゅうで列をなして、男性が、女装したり、女性が、男装したりする国にならなあかんわ。
これに反して単に行為を可能ならしめる根拠だけでを含むのは、其の行為の結果として生じるところの目的に対して、手段、と呼ばれる。
尊敬という語をいわば隠れ蓑にして曖昧な感情のなかに逃避したことは不都合である。
此の存在者をすでに目的自体として、換言すれば、単に手段として使用することを許さないような或るものとして特示するのだ
このような場合には、人間の権利を侵害する人が、
他人の人格を単に手段としてのみ利用しようとたくらみ、考慮に入れてないことは明白だからだ。
すなわち、、、我々は、純粋な義務にもとづいて行為するという心意を証示するような確実な実例を挙げることができる。
人間が、彼自身の最大の福祉を得るための手段を選択する熟練を、狭い意味での怜悧と名づけてよい。
我々に余儀なくされただけでかくべつ重大とは思えないような若干の例外だけを許容しているということを例示するものである。
あれはどう見ても悪だくみが。
小林幸子。ドレスが観音開きになっていて、その裏には豆電球が付いています。
医者になりたい奴がいたら、哲学を学び
言葉の使い方を学んでから、医学にとりかかって欲しいね。
被爆者だった故江戸屋猫八さんの広島レポートは、見事な漫談だった。P159 永六輔伝言。
こういう原因があるから、こういう結果になったんだよ。
インターネットの世界には、市民無血革命という言い方があります。
真の友とは、神かけて、ともに善き行ないに励み、ともに善を愛する人間であって、決してともに過ちを犯しともに悪事をはたらく者ではありません。
「恐れのあるところに恐れあり」
というのは違う。むしろ逆だ。恐れを知る人が賢くおのれの分を守る時、そこに恐れが生じるのだ。
が、それが達成できないと神や運のせいにして、決して自分の愚かさのせいにしない。
何だと、体育の練習をするので体に油を塗りたいという者よりも、風呂を浴びたい奴の方が、人数が多かったらおしまいじゃないか。
おそらく彼は、威厳をもって「かくかくあるべし」「しかじかすべし」とは言わない。
アテナイ人が、時我に利ありやなしやも考えずに戦争を始めたのを評して、アテナイ人というのは、喪服を着ることにならないかぎり和平には、賛成投票をしないと言ったのです。
ふしだら自堕落になりたがる。船乗りたちが好き勝手に快楽へ娯楽へと走って、それからまた仕事へ商売へと馳せ参ずるのに似ている。
怒ってる人間の所業、活動、彼の小ささ弱さを立証するものばかりだ。
本当にね。一般に鞭や焼きごてをちらつかせて脅す主人よりも、何も言わず、ただうなづいてみせて事を命ずる主人の方に、召使いたちはかえって心服するものだということをぼくは見た。
読書には、他人の言葉という乗り物荷運ばれているようなものだ。
一人の夫に操をつくし、夫を愛する妻のことを、色気がないの野暮のと言っては、ふしだら女の評判を高める連中もいます。
こうして、気概に満ちた男らしい人物には、臆病という汚名を着せ、ほどほどのわきまえがあって万事きちんとしてる者には不節制の、自由人にふさわしく大人の趣味ある人には、些事にこだわるとか一文惜しみとかいう汚名で脅し、かくてこの人たちを、不義密通や、わいせつ行為をする連中について、芸の肥やしとか
何か立派なことへと駆りたて、恥ずべきことからは身をひるがえす、ということです。
議論の球は、サーブされたことになるが、その哲学に一貫性がなければまさに「流れ玉」になってしまう。
私たちはそんな人間とは、また、そんな社員とは運命を共にする気にはなりませんね。
物件は、それが形態を破壊することなく移動されない場合に、不動産と呼ばれている。
「その羽がじぶんの首をへし折るべし」とのことである。
相互に上下の秩序に置かれており、並列の秩序に置かれていない。
すなわち処刑に対して同意が与えられるのは実際には、なんらかの法的原理が、想定されることによるのではなく、むしろ復讐に対する恐怖心、つまり、おそらくはいつの日か、復活するかもしれない国家が人民に対して加える報復への恐れに発するものである、ということである。
なぜなら、じゅうぶん金さえあれば、そうした侮辱をときにあえて愉しみとすることも、その者には許されてしまうからである。
法の執行と法的評価とと一箇同一の人格のうちで統合されたものと考えてしまう、ということなのである。
自由は「だれであれその土地をじぶんだけで利用してはならない」という禁止であるはずである。
用いられた用語のいくつかによって引きおこしたものである。それも、くだんの書籍そのもののなかでは他の常用語でじゅうぶん置きかえることができなかったために使用された用語を、「批判」の埒外でも公共的な意見交換のために濫用したことで起こったものなのである
此の種族が、ホメロスがプラトンやホラティウスなどの偉大な精神たちの作品を、二千年から三千年もの年月を通じて、史実に辛抱づよく、筆者や保管などによって伝えていて、人類の歴史のあらゆる苦患と残骸のさなかで、それらの滅亡を防いできたことをみれば、彼らがこれらの作品の価値を認識していたことが証拠だてられたのである。
彼の行状に何かの落ち度がないかどうかを調べ上げる資格があると思い上がっている。
すなわちその意志の目的物およびこれを略取するための手段方途を指示することだけを本分としているということ、にもとづいているのである、
まるで、其の行為の甚大さにしか、わたしが彼らの憤怒の家父長制のヘゲモニー支配の、スケールの大きさを推し量るすべはないのだ、そう彼rが無言のうちに宣言しているかのようだ。
今日の世界でも、理性を後ろ盾にして非暴力が、意味があり、聞き入れられるはずだ、と信じることの勇敢さ。
イラク戦争を、アメリカ合衆国の行き過ぎを暴きだす、ガラス張りの金魚鉢にしてしまうこと。
象牙の塔の貴族主義的徳目と巷の庶民の小農民徳目が共に責任を、もてあそぶ石頭のイデオローグである。
悲劇的な誤りは、最低賃金の85%引き上げが失業率を一パーセント押し上げるという結果が、大きいのか小さいのか、という疑問を、「有意か否か」という統計自体の疑問にすり替えて答えようとした点にある。
オランダ「無計画」中央計画局による実施に移され、其の後、世界中に広まった社会工学の何がそんなに悪いのか。
そういう場合は、不幸とは言わず、損失と言います。
絵画技法
自然主義派―――見たとおりに。
印象派―――感じたとおりに
社会主義リアリズム派―――聞いたとおりに。P56 スターリンジョーク
しかし、私の善ではない。だがもしわれわれが善を正しい意志の中におくならば、其の諸関係を守ることそのことが善となる。
それならいっそ、自分が正義の士となり、精神健全にして有用、弁舌をもって世に聞え、行うところ清廉潔白、生活は規則正しく、心に刻んだ深い畝間から捻りを得、賢い思案もそこから芽生える、人間なのだということを示せばよいではないか。
芸能人が、口の方がより強力な抑止力を必要とすると考えていけて、これは正しい、秘密が漏れたために亡びた国や倒された支配権を数えるよりは、欲望を押さえ切れぬために身を亡ぼした人間の数を数える方が、まだ簡単だろうからである、
必要な時はしゃべり、安全な時は口を開く。
ロシア兵は善良な人もいるというプロパガンダ。
言葉には翼がある。何と見事なこの速さ。妻よ。私より噂の方が先に広場についたぞ。
無用にして矯正困難なことひこばえのごとき嫉み心を除去する。
なんにでもすぐ願色を失ってしまう人のことを、「自己中心的ではない」などと美名を着せたりして甘やかす。
それでいて、その反対に、理性をくつがえしたり拘束したりする相手の鉄面皮ぶりに腹を立て、うんざりしている。
「私がどんなにひどいことをしようとしているのか、自分でも承知だ」という台詞は、誰に対してよりもまず、他人の弱さにつけこんで偽証させたり、正義にもとる判決をさせたり、有益なことに賛成投票をさせないようにしたり、借りたが最後返さない者に金を貸せたりする連中の口にこそふさわしい
なぜ、彼は堂々と、自分の兄弟や、子供、総じていえば親類の者に対して、ざっくばらんに話さないのだろうか。
貴殿が論証して救った人間の数よりも論証して殺した人数の方が多かろうと言った時、
いわば荷物を肩から下ろすように、名誉の一部は幸運のせいにし、一部は神の御加護のせいにすることだ。
優秀生奨学金への最も強力な反論は、「優秀」は「市場」の湾曲表現だというものだ。
多くの大学が、入学許可と学資援助に市場取引まがいの手法を取り入れるようになった。
忍び寄る商品化の危険を無視するべきではない。
私は泥棒ではありませんが、盗賊ではありません
われわれは善と思った場合に、神々に感謝するのである。
なぜって、真理をうけがい、虚偽をこばみ、不明なものを差し控えるということは、正に分別知の本性だからさ。
そうするとどういうことになりますか。われわれはできるだけこられのこと、つまり一般の意見は、これを保持し、これに逆らうものは、堡塁を築いて守るということを固持すべきではないですか。
離脱しようと思えば離脱できるような支配権の下に生活するということが、各個人が君主の権威に暗黙の同意を与え、服従を彼に約束している証拠だと、もしも主張されるならば、そのような暗黙の同意は、各人が離脱如何の問題は自分の選択にかかっていると想う場合にだけ、成り立つと応酬できるでしょう。船にあることそれ自体が、船長の支配に対する自由な同意の証拠だというのと同じことです。
インドシナで戦ったが、結局アンコールワット遺跡を見学する権利を保持しただけであったことがお分かりいただけよう。シャルルドゴール。P272世界毒舌大事典。
聞き手の現在の苦難と彼らがおかれていた状況によくあっていた
「質素な身なりですみません」と謝る女性にたいしては、「質素こそいつでも趣味の良さを示すものです」とかならず言ってあげること。
知らないことを聞かれると、黙っていて、何か人にやれないものをくれと言われたように気が重くなるか、さもなければ、確かな証拠もなく思いなしや当て推量で答えて、混乱したり、危ない橋を渡ったりするからね。
其の他人とは別の他人の宴会に呼ばれる場合だが、影法師という名を拒否し、憤慨するのは、本当は影法師たることを恐れているのだと言える。
本当に中立である人は、暇をむさぼること易きにつくことを決して許さないでしょう。
不倫のことは記憶にないが、不同意だと咎められれば、あれは女性がかくあれかしと欲し給うたからだとさえ主張するに至っている。
解剖標本としてエチルアルコールに付けて保存した。
いま私は宗教というものを自分なりに勝手に解釈することを許していただくことにして。
アゴラとは、市場であると同時に都市の中心にある公共広場でもあったわけで、そこで逮捕するというのは、白昼に
衆人監視の中で公然とという意味を持つ。
この種の傍観者は、いま述べたような陰気なたちの人々の眼には、宗教的平安をたんなる動物的な喜びからはっきり区別するあの厳粛さをことごとく無視してしまうような定義を、私たちに示すのである。
特別に、ただ自分ひとりで、できるなら霊的思索にふさわしい環境につつまれた一室で、黙想する時間を設けなくてはいけない。
後悔や自責の念などの感情でさえ、善に奉仕するしもべの役をなすものであるのに、
最近の心理学は、一つの精神状態が別の精神状態へ移る点を示す記号として「閾」という用語をさかんに用いてる。
個人的な推論に頼る権利もなければ、信仰によって与えられるこれらの答えを無視する権利もないことを、私に悟り始めた。
彼の晩年の著作は、彼が公定の全価値体系とあくまで和解しなかったことを示している。
いちじるしい変化をする被実験者の大多数が属している「受動的」な種類と区別されるものであることが、立証された。
また実際のところ、道徳家や政治家たちの計測の成否が人間の利己心と背恩とを矯正することの成否に依存するとすれば、全能の援けによらないかぎり、計測は少しも進まないだろう。
「自愛」は、ここでは正義の法の「真の母」とされる。「自利」と同意後に用いられているからである。
「法を敬い重んずることで」で、適用に富んで疑義を生ずる惧れのあるような法を制定しないことが法を尊敬する所以である。
「買収する」とは、すぐ続いて述べるように「学的論究によらずに、識者の承諾を非学術的手段で得ること」である。
私は、財産を善だと言わない。もし善だとすれば、それは人々を善にするはずである。
して見れば、救済策は、自然から来なくて、人為からくる。
そのような喜びを求めてひとが財産を蕩尽し不如意と赤貧の境遇に身を落とすという場合にそうした追及を愚行となるのと同じです。
富裕で商業を盛んに行う国々がすべて、近隣の貧しい国民たちから雇い入れた傭兵を用いている理由はまさにこの点にあります。
普通に呼んで「自由な」という呼び名のつく政体は、若干名のメンバー間での権力の分割を認めます。
また自らのあやまりを公然と承認することを恥とするものでもありません。
それは有害です。徳を重んずる人間は、名誉を重んずる人間であるとして両社は区別されることになるため、悪徳三昧のこの上ない放埓者でさえ、最も恥ずべく、また他人に、最大の危害を及ぼす悪徳の数々を重ねているにもかかわらず、なお持するべき何物かを手中にしており、自分の面目
を失墜せずに、済ませることができるという結果になっています。
刑罰を与える際に発生する費用の多さのために、
刑罰を与えるのを非行を犯した者だけに限定しても、利益がない場合。
其の利益が、古代の法律家の無関心によって無視されてきたために、事物の区分に分類されて貶められてきた。
警察の防犯部門と呼ぶことができる。
また国家責務は、国家が担うべき役割に関する社会的コンセンサスの弱さを計測するモノサシである
拘束服というというものを恐れない狂人
男女とも誰もが気前のよさで相手を凌ごうとする。誰が、最も価値のある高い品物を最も多く与えることができるか、熾烈な善の競争が行われている。
接待のために、破産することまであった。このようなときには「大富豪」ぶらなければならない。
この連中は、事あるごとに君主に対して弓をひき、給料と涼奪許可の好餌を提供するやけくそな不平分子と結びつこうとてぐすねひいてまっているのです。
奴隷のおべっか、服従、および、賤しいへりくだりにとりかこまれて、教育されたのでした。
本当に女性のことを考えてる人間であれば、被害を訴える女性に対して「警察に行く”べき”」だなんて言わないんですよね。むしろそういう手合いは、心底、加害者目線のクソ野郎で
今被害を受けている女性の「損害」よりも必死に性被害者の側に「義務」を語る人は、性被害者に立つ側ではなく加害者側です
奴隷から主人に下賜される特権だったわけです。
そのようにして、己が息子をしりぞけて自分を後継者にしてくれたエウメネスに対する感謝と思幕とを示したのを賞すべきこととしてのべています。
むしろ、古い法律からしばしば生ずる弊害の国政をなおざりにすることからだということです。
お先棒をかついでわいわいやる操り人形ども、
家父長的パターナリズム。
初めからあなたは自分の見解を私たちに、押し付け、
自分の見解の調和するときだけ私たちの思いどおりにさせていたにすぎない。
国家が科学ではなく占星術に補助金を出すべきだ。
権利が擁護され、支持されているのは公共価値に資するからであると想定しないと我々の実践が理解できないということが示されるうるならば、このことは、そのような考慮が重要であることの強力な証拠となるのである。
オーストラリアが南半球であること。
すなわち権力がは愚行が、怠慢あるいは無知から個人を保護するために、個人に車のシートベルトを装着するように義務づけたり、種々の麻薬を用いるのを控えるように義務づけたりするのである。
自分が欲するときに、売ることができるのに、欲する場所で、欲する人に、欲する価格で、売る。そして彼は、同様なやり方で買いいれる。
生産的な消費が他人の労働を、したがって他人の生存を制約しているのだという恥ずべき錯覚として現れる。
貨幣は、私に不正直なことをする苦労を免じてくれる。
収入をいわばひとりでに入手し、そのために何の意図も計画もおこなわない階級である。
ジャガイモの中でも、最劣等種であるクズのジャガイモ、
労働者のどんな贅沢も排斥すべきにみえるし。
貴方のいとつつましき、いと忠順なる僕にて候などと相手に保証するつもりなわけです。
それゆえ、俗界の平信徒たちによって作られた情けない法律に自分たちがまったく依存していると告白せねばならぬことは、彼らにとっては面目まる潰れの一大事なのだ。
これはまさに自分たちを嘲笑したからといって、王の悪口をたたいたと思い込んだあのヘボ詩人にそっくりではないか。
自分の言葉に二つの意味を付与する手合いは、人々を欺こうとしている奴だ。
あんなに列しい憎悪と目をそむかせる禍との原因になった他の学問上の争いの大部分と同じように。
二重の存在、雌鳥はあんなに雛を構うかを思うと後ではてんでうっちゃらかして顔も忘れるという始末だから。
自分の呪わしい政治でも諸芸に対する
その無知でもその粗野でもなく、彼を罰したのが神の怒りであると考えることに自尊心がそそられるのである。
私の知っているただひとつの第二原因にたやすく
帰せしめ得るものを、ある未知の原因に帰せしめようとすることが、私にできようか。
人民は、何事につけ貴顕によって導かれる要があるものだが、しかも世界のどの地よりもイギリスにおける
ほど貴顕に範ってその行いを律しようとしないところっも少ないのである。
我々の観念が正しいか、辻褄が合わぬか、朦朧としているかは、それから我々が熱中しているかの度合の多少によって左右されるものであると
僅かな端金と引換えに買い取った他人の学説を応用した工業のおかげで巨万の富を自分の金庫に積みあげた脂ぎった資本家と、一生を実験室の中に送って今や陋屋に窮死せんとする骨と皮のその学説の売手との姿をふと想像した。
取り上げられる面を有し、それが「不労所得」を意味し、「窃盗罪」を構成する場合も少なくないのだ。
私は決してあだやおろそかには神の名を楯にはとりません。
上に立っていて 包容力がなく 礼を行って 敬う気持ちがなく喪に 望んで悲しんでいなければ私にその行いのどこを見ようというのだ。
制度が、人を逆支配し、不具にし、圧殺している一つの生きた実例である。
しかるにそのような教育原理の生みの親になった、新しい
学問の開拓の功を誇る当の最高学府が教育の刷新という点では全く保守的で、時代遅れれであることは、何といっても天下の奇観といわなければならない。
『エミール』の模範教師の人の素質のよい学生相手に秘術を尽くしてもなかなか到達できないような至難なわざであろう。
指標を相続しその力を発揚せしめたるために人が身をもって証明しなければならぬ心情、徳用に身を捧げんとするっ心情である。
私がこの仕事を他人に託したことで、そのようにして務めを果たすのは傲慢だと責めないでください。
自己保存的合理性が犠牲を少なく済まそうとすることは、犠牲が交換であったのに劣らない交換である。
もしそれが幻想でないとすれば、そういう状態が保証つきでいつまでも長持ちするという安請け合いのうちにではなく、普遍的な苦難のただなかに牢固として根を張っているものに対する尊重の念の欠落の中にこそあるのだ。
力の持つ者がない者へ投げかける高笑いと不埒な嘲りと
野卑な猥談が持ち伏せている。
そんな人がどうして神に服し、何事が起ころうと善意をもって受けとり、わが身の災難を大らかな気持ちで解釈して運命を恨まないことができようか。
確かに哲学者は、運命の与える好意を自分の身から退けないだろうし、また立派な手段で得た資産を誇りもしないし、恥じもしないであろう。
ビリアードの球みたいに、コンコンとぶつかる
ただ、自分が不在のときの相手の性的な自由に対して自分が何らかの資格や権利を持っている、と当事者どうしが思いこんでいるかどうかが問題なんです
なんとう大変な障害物競走だったことだろう。
過去の全行為が、自分自身の検閲という決して誤りを犯さない良心の監視下になかったかぎり、喜んで自分の過去に向けようとするものはいない。
何よりもいちばん自由であるべき愛と憎とを命令されて行う者たちである。
快楽を指導するのか。後に続くことは服従者のすることであり、指導することは命令者のすることであるのに。
快楽が徳から離せないものだと人から聞くと、早速、自分の悪に英知という名を刻んで、隠すべきことをも公然と言うようになるのである。
いまだかつて英知に対して貧乏という罰を科した者はいない。
英雄を必要とするが不幸なんだ。
政治的権力を有する者の上に課される道徳的義務なるものが存在するが、彼等の行為を制限し、ある義務を行ふことを彼等に強制することができる。
これとは逆に、特権階級とは、逆生産的な装置一式を手前勝手な世話やきを自由におことわりできる人々のことである。シャドウワーク。
消費のために苦労がふえ、消費が約束する心の安らぎは益々減っている。
建築技師、薬剤師、
タイプライターを使って一文字ミスをしたら紙を取り換えて、新しい紙で文章を書くんだ。
アウシュビッツで強要されたユダヤ人の無償の労働は「英霊」であるって言ってんのと変わらん。
この趣味の支配権は、然りということが「自己喪失」を意味するような場合に否と言えと命ずるだけでなく、否と言うことをできるだけ少なくすることを命ずるである。
決裂とか、暴力的で不快な手段とかは、いっさい取らずにいた。その際、形像と比喩がわたしの自由意思を無視して有無を言わさず生じてくるのは、最も顕著なことである。
多くの人間が、然るべき時の来ないうちにおのが進路を決定し、やがて、投げ出せなくなった重荷の下で病み衰えてゆくという悲運を担っている。
犯罪といって然るべき貨幣贋造であると思われる。
ここで聴き手になれるというのは、比類のない特権だ。
攻撃する者の力の強さを測定するには、彼がどんな敵を必要としているかということが一種の尺度となる。
自分自身のくだした律法に対して、みずからその裁きにあたり、処罰し、また裁かれる犠牲者とならならなければならい。
わたしの本能は、断固としてこれ以上譲歩をかさね、他に調子を合わせ、自分で自分を誤解することをやめる態度を決定した。
民間人の福祉にとって米国の援助がいかに重要であるかを実例を示すことで、ロシアのウクライナに、貢献したかのように見えるが、これは議会にとって、無視するのが難しいだろう。
「教会」の規則に背きその拘束を無視した時の身だ。
三十女の結婚も珍しくない時代に、女はわれわれを待って薹が立つまで処女のままでいなければならない
婚姻の下で生贄のようにささげられる処女は、
奇跡の奇跡たるゆえんは、それが科学では捉えきれず、証明できない点にこそあるからだ。
われわれに義務を指示し、われわれにモラルについて語り、自分がしてほしくないことは他人に対してもするなと我々に命じる声があると。
他人を虐げ、不正と猜疑と残忍の限りを尽くした暴君。
鷲や、黄金の雨や、雄牛や、雲に化けて彼女たちに襲いかかって初物食いをしようとしようとした時代に始まっている。
また思索が、相も変わらず思索か。だが他の人間どもの空虚で醜悪で野蛮なくだらなさを、自分自身の恐ろるべく目もくらむほど悲惨さとを、われわれが見せつけられたのは思索によってではないか。
ジャニーさんはお亡くなりになっているので本人に直接「事実確認」できませんが、松本さんは「やる気が出て」元気みたいですし、先輩なので直接「事実確認」できますよね。 なぜ「事実確認を待つ」のか分からない。 憶測でコメントしないためにも、直接確かめたらいいのではないでしょうか。
いかに高くいかに広大であるにせよ、とにかくあらゆる面から人間の股体の形によって限られた場所のなかに押しこめるようなことが、その健全な教えの中では説かれていないことを知って、よろこんだのでした。
具眼の士に検閲されることは最も正しき価値の決定である。
笑いによる攻撃に立ち向かえるものはなんにもない、だのに、君たち人間は、いつも笑い以外の武器を持ち出しては、がやがや戦ってるんだ。
病気というのは決して学校の行軍のように弱いそれに堪えることの出来ない人間をその行軍から除外してくれるものではなく、最後の死のゴールへ行くまでどんな豪傑でも弱虫でもみんな同列にならばして引き摺ってゆく。
批評家は自らの「好き嫌い」を「是非曲直」のオブラートに包んで差し出すところのインチキ薬剤師である。
自分だけで自分の気にいるものを基準にして、判定を下すのである。
両人が何か判断に苦しむようなことがあったら場合に、最後の断を下す特権を与えておこう。
この松本人志の疑惑を擁護するメンタリストDaiGo って、ピン芸人は、脳みそがスカスカで、人間の共感が信じられない程欠如している人間なのでしょうか?
他人の体を気まぐれに、自分だけで自分の気にいるものを基準にして、蹂躙したのですから
その人間が、意のままにした人間から、其の手段を問わず、気まぐれで、自分だけで自分の気にいるものを基準にして、意のままに告発されるのは当たり前じゃないですか。
これに、なんの問題があるのでしょうか。
それこそ”気まぐれ性犯罪者の末路”にふさわしいのことはないと思うのですが
大国はより強いのだから、すなわち、より力があるのだから、自然の正義に従って、小国へ侵攻するのだ。
そう望む人の意のまま次第であると。
かれらは創意ある人たちの所産や賢者たちの数々の宝を盗み出し、此の窃盗を教養と呼んでいる。
不当な評価こそ、わたしにふさわしい割当として、わたしが受け取るべきものだ。
生きている者たちにひとつの棘の痛みを与え、ひとつの誓約を成就させるような、全き完成をもたらす死を、わたしはあなたがたに与えよう。
あなたがたの徳の最愛の玩具を奪った。
民衆はいまもなお最も牙のするどい犬をけしかける。
復讐は仮名を使って、良心のやましさをごまかすのだ。
もしあなたがたが、かれをひれ伏して拝むなら、かれ、この新しい偶像は、あなたがたにすべてのものを与えてようとする!こうしてかれはあなたががたの美徳の輝きと、あなたがたの誇りにみちたまなざしを買いとるわけだ。
もっとも重く苦しいものとは、自分の高慢の心に悲しみを与えるために、すすんでひとに屈従することであろうか。
それぞれの状況の中で複数の価値観がせめぎ合う場合どれを採用すべきかを的確に選択できる徳という意味も仁が持っているということである。
人殺しをいみきらい、人殺しを罰する総意の表現にほかならない法律が、公然と殺人を命令する、
国民に暗殺を思いとどまらせるために殺人をするーーなんとばかげていはしないか。
なぜなら圧政者のざんこくさは、彼の力に比例するのではなく、それに対抗する抵抗力に比例するのだから。
自分の意見と対照的な考えに対して攻撃的になるのは害があるだけだ。
そのうちの善いものを選んで従い そのうちの 善からぬのものを見て自分を戒める。学ぶ場合は その対象に追いつかないのではないかという気持ちを持つとともに一方ですでに学んだことを失わないように心配するものだ。
他人に危険と苦労を背負わせるような仕事の計画を立て、其の計画を公けに審議するよう指示する人たちが考えついたもので、実際のところ、栄光を勝ち取るのにふさわしいのは彼らの立案した大層な計画ではなく、其の敬虎な企てを、最初に実行する人たちです。
職業上の良心はたんなる商取引上の堅実さの一形態に過ぎない、交換にのっとって成立した社会にあっては、もっとも重い社会的糾弾は窃盗と詐取に、とりわけ不良商品に良品の保証をして売りさばく商人の詐取にたいしてなされる。
人間にたいする永遠なる義務の一覧表を作成するさいにこれを原型とすべきである。
嬰児殺しはまた、一つのさけることのできないおそろしい二者択一の結果としての犯罪だ
判断は善悪ではなく真偽によって区別されるが、選択はむしろ善悪によって区別されるからである。
国家事業の事柄については、これを行うにも論ずるにも、最も有能力の者となるべき道をはかることの上手というのが、これである。
人間の言葉ほど容易に破られるものはないので、証文自体の性質に由来するわけではなく、それを破った場合に生じる悪い結果への恐怖に由来する ホッブズ。
同様に、もし法が、損害を受けた人に対してある額の貨幣を支払うように命じる場合、それは害を受けた人への賠償
に過ぎず、損害を受けた側の告訴を消滅させはするものの、違反者の犯罪を消滅させることはない。
ある人の良心と彼の判断とは同一のものであり、判断と同じように良心も誤りを侵すことがありうるからである、
富を保持するために円を刷っている
ドルを得るために、動物の絵を描いた紙を偽のドル札を、刷っている。
ブルース・ウィリスが失語症のため俳優業を引退した。彼の映画キャリアの純粋な遺産に完全な敬意を表します。
結婚とはセルフサービスの食事のようなものだ。
結婚は二個の無害な物質が結合することによって毒物を生成する可能性のある化学実験である。
コルシカは自給自足している。公務員を輸出し、退職者を輸入しているのである。同性愛者を亡命させているのである、
偽善という金の延べ棒がつまった金庫だけだ。
このレクイエムが、我々の無関心という墓の中で安らかに眠らんことを。
もし音楽に合わせて隊列行進することに何らかの喜びを覚える人間がいるとすれば、私は其の人間を軽蔑する。
大人たちが、戦争を企てるのは、彼らの子どもたちに孤児になるという喜びを与えるためだ。
上院は固定観念に凝り固まった人間の集まりだが、幸いなことに高い死亡率によって矯正されている。
カティリーナとあの男、君が元老院の権威を、市民たちの安寧を、国家全体を、属州ひとつの褒賞と引き換えに売り渡したあの男との間に、どんな違いがあっただろうか。
ああいった事柄をどのように名づければよいかを弁別し、区分する。
平和を享受し、同盟者であった者たちを不敬非道の戦争で挑発したことが、神域を荒らしたことが、このこれほどの惨状を生み出したことを。
我々が民主主義の中に生きているもっともよい証拠は、体制が民主主義的でないと公然と非難されていることである。
犯罪者の弁護人が、犯行の美しい恐ろしさをその行為者に好都合なように転用するほどの芸達者であることは滅多にない。
われわれの人生の最大の時期は、われわれの悪をわれわれの最善と名づけ改める勇気を得るに至る其の時である。
これは其の人間に私欲がないからではなく、むしろ其の人間が、自分自身の損失を顧みずに
他人を利するという権利をもっているように見えるからである。
清教徒たちの種族が道徳を学問的に取り扱う際に常に当然のこととして忍受した良心の呵責を秘かに回避する方法をも講じている。
胃の「消化力」の度合いに応じて、それぞれ必要なのfだ
彼らは余暇や買いたいものを犠牲にする。もしかすると、何の報酬もなく自らの将来をも犠牲にするかもしれないのである。
政治家は実施を「強制」されている社会福祉手当の支出削減を、グローバリゼーションと競争力強化のせいにすることのほうが遥かに楽なのである。
後に義務となった一般国民向けの教育制度は、1835年に、マサチューセッツの繊維工場のオーナーが考え出したものだ。P161 知識資本主義 レスターcサロー
世界はドルで資金の借り入れをするが、アメリカだけが偽ドルをすることができるのである。
倒産も強制することができ、抵当となっていた資産を競売にかけ、最高額で入札した者に売却することもできた。
そこから得られた利益が知的所有権の侵害によって被った被害損額を相殺するまで、それを続けるのである。
シェルターについての反論。臓器移植を待ちつづけている人がいる。
企業は最も安く生産できる地域を探し、其の製品とサービスを最も高く売れる地域を探し始める。
自分らしくいるのにうっかりヒトラーを引用するのは、わざと引用するよりも怖いような気がします。うわぁ。
虚言と闘い、真実を口にすることなのだ。
街灯に出てデモを行うよりも家にいた方がいいと 市民を説得するため 政府はことあるごとに 警察官の時間外手当てでも 鎮圧に用いたパトカーや 走行車の燃料代といった 治安維持のための費用をデモ参加者たちに負担させるべきだと言い張ってきた。
生命の大進化40億年史 。
人は物ごとに心を寄せる度合いに応じて、それだけ、妨げを受けたり、乱されたりするのである。
右にも左にもけして憩うことなき敵軍がいいるのだから。
それは彼が心から悔い、自分の過ちのゆえに身をへりくだることに他ならないのではありませんか。
犯した咎めのために歪められた此の穢れの罪が。
私の身に下された限りない情け深さとをほめたたえ祀る以外に、さらに優れた身の救いにも役立つという、どんなことを思いつきましょうか。
私の神さま、そして永遠に御栄えを祝ぎまつります。
真理は、彼を誘惑するものから、また意地悪い人々の誹謗中傷から、自由にしてくれたようだ。
意地の悪い批難や出鱈目のウソ偽りや大言などに対し、気の向くままに勝手なことを言う人々から身を守った。
つまりは軽蔑されるのを恐れるので、それゆえ尋常でないことのため非難されるのを好まず、言いわけをして身を庇おうと努めるのだ。
あなたの奥深く測り知れない審判を恐れ畏むことを学びました。
あなたの慈愛のゆたかさを、慈悲をうける器「人々」にむけさし示すのが筋ではないですか?
栄光のためには何一つなそうとしない者は、正しい判断を下そうとする人びとの不同意を恐れたりしない。
あらゆる種類の善きものとすべての義しい御業とを、それぞれ区別するのですか。
賢さが富の豊かさにあるとすれば、政治家は皆商人ということになるだろう。
略奪することにおいては容赦なく、正義を無視することにおいてより軽蔑に値し、法を無視することにおいてより鉄面皮なかれのほうがより悪いということを除いては。
この欺瞞の舌は、一見忠告するようにみせかけながら、じつは善い意図に反対し、食物の場合にいつもそうであるように、愛しながら、愛の対象を喰いつくしてしまうのです。
こんなにも目が見えず、よぼよぼして、醜く、下衆であり、いつもこそこそと身を隠したがるくせに、しかも自分の前に何かがかくれていることはがまんならないという代物なのです。
何か善いことをするときは、まず自分の心のうちにその志がおこり、おのずから善い行為となって外にあらわれてくるのではないか。
いかなる道によって自由に到達すべきか、と汝は問う。そのためには、善悪を、衆俗の示すところによってではなく、じぶんじしんで区別することを覚えなければならない
じぶんにとって唯一の宝である愛児を保護し養いそだててゆくように、各個人をしてその内部にあるところの、生きとし生けるものすべてにたいする親愛の情を保護し、養いそだてしめよ。
いかなる種類のものであろうと行為に関するすべての専断的な命令、きわめて犯罪的な団体による定期的な強奪的みつぎ物の取立てのごときものとを区別することが、きわめて困難になるであろう。
一時的または永久的追放、霊的恩寵、例えば地位の剥奪、宗教的社会の場合には、破門や、国家法違反の場合には投獄または死までも、
第一の型のときのように権利の主体を義務の主体に転換し、あるいはその逆に、義務の主体を権利の主体に転換することができないということも、注目すべきである。
あらゆる種類の意思や精神に対して無差別待遇を与える、
立法行為
このことは、「雇主に責任を負わせるにはためには、不法の原因となっている行為そのものを、雇主が命じたのであはならない」ことを意味する。
人間の名誉と虚偽の富をもうけるために役立つ弁論術に秀でてなさいと忠告する人々に従うことが、正しく生きる道なのですか。
いやいやながらする場合には、善く行っているとはいえません。そうかといって、せきたてた人々のしたことも、善くはありませんでした。にもかかわらず、善い結果になったのは、神よ、あなたのおかげです。
私は恋に恋しながら、何を恋したらよいかをさがしまわり、安穏で罠のない道を嫌っていました。告白I
ひそかに享楽の絆にかかり、なやみ多い関係のうちによろこびながら縛りつけられ、嫉み、うたがい、恐れ、怒り、いさかいなどの燃えるような鉄の鞭にしごかれる身となったのです。
もっとも、自分がそういう目にあう場合は「あわれ」と呼ばれ、他人のあわれに同感する場合は、「あわれみ」と呼ばれるのが常ですが。
じっさい、あわれな人を視て悲しむ人は、愛の務めをはたしている点で是認されるにしても、ほんとうに
あわれみ深い人ならば、かなしむべきことなどはないようにと願うはずです。
国が英霊呼ばわりする事を認めるのであれば、他国を侵略することも価値観の違いとして認めるべきだ。
そして自分でつくりあげたそのような自己を、御前で殺し、たかぶりを「空飛ぶ鳥」、好奇心を「海の魚」として、いけにえにささげません。
自分の知らないことばかりか、虚偽のことまでも、気狂いじみた虚妄の傲慢さで語り、自分のいうことがあたかも神ご自身の口から出る言葉であるかのように信じさせようと、やっきになっているのですから。
罪を犯したから魂をいやしてくださるように「自分がそれをやったのです」と告白せずに、自分を弁護し、何か知らないが、自分とともにあってしかも自分でない他のものに、罪をなすりつけようとしていたのですから、
彼等は信義をふみにじり、金銭のためなら正義のことなどすこしも意に介さない奴らだ。
供物の粥とパンと葡萄酒とをたずさえてゆき、堂守りにさしとめられたとき、禁じたのが司教であると知るや、たいへん敬虔かつ従順に了承したので、禁令についてとやかくいわず、そんなにあっさりと自分の習慣のほうを非としたことに、私は驚きました。
身を切る改革。
私の舌を通じて彼の行く道のあちこちに罠を仕掛けて、彼の高潔で自由な足をひっかけようとたくらんだのでした。
あなたは小児性愛者だと言われています。
其等の頑固な歩みは人間において真理を人類に封する物静かな侍女に作り上げることもしなければ、また自己の喜びと智慧とが子たちの喜びであり要求であるような情け深い善き母親に作り上げることもしない。
若し汝の君主が汝の神の子である。
活動を目的としながら其の手段として子どもに沈黙させることは、恐らくこのような孤児院の第一の秘訣であろう。
何が美で、何が醜いか、何が正で、何が不正か、ということを、
ブラック企業。
尚も其の時は困窮と貧困そのものが多くの善を生み出した。
我国においては皇室は国民の宗教であり、天皇は親心を以て国民を赤子として愛撫した。
君主の親心臣民の子心が吾が國體の本義である。
最初から儀式張らせて外面的の秩序や秩序を守る義務を教え込み、規則や規定を説き聞かせて彼等の本心を教化することは殆ど不可能であった。
人間の心に慈悲深い心をお輿へ下さる神様は御立派ではないか。
貧しい者を其の全生涯を通じて自分で自分が教えやうに教育する政府と、彼らの貧困を実際には除きもせずに、又彼等の悪徳と劣情とを実際には息めさせもしないで放任しておくか、それとも人から貰った麺類や養育院で彼等を扶養する政府との間に違ひはないか。
女性の割礼・・・
私たちは滑走路を目いっぱい走ったものの離陸できず、滑走路の端ギリギリのところでエンジンを逆噴射させてやっとのところで止まった。
政治的支配は人力に対する支配と同一であり、動力の支配はまったく権威に依存していた。
対等に行為を受け取り、また返すことです。
どちらも不敬のそしりを免れない点では同じだなと。
人間がこの世に生を受けた有難さを解して、天地より貰い受けた信の本心の親心小心となって現われた超封境を、先ず諸徳の基礎として愛と慈悲との徳を、
注目すべきは近世教育の基礎概念が其の人の人格とあざなえる縄の如くに闊歩して発展している。
有罪とされた者らは、直接関与した者と何らかの点でこの殺人に同意を与えた者とを合わせるとかなりの人数に達し、
専制君主に反旗を翻す、あるいは其の政策に異をとなえる者などは、今御際礼を奉仕しお供えを捧げている神様
あたかも神聖にして侵すべからざるものを守るかのごとく、おのれの命をも惜しまず、投げだしたのだった。
高慢の鼻をへし折り、手に負えない行状を正し、代わって人を大事にする気持や沈黙や静謐に与えて、節度ある物腰を身につけさせ、ただ一人の人の言うことのみに耳を傾けるようにさせるのだ。高慢の鼻をへし折り、手に負えない行状を正し、代わって人を大事にする気持や沈黙や静謐に与えて、節度ある物腰を身につけさせ、ただ一人の人の言うことのみに耳を傾けるようにさせるのだ。
ミューズの女神たちがアプロディテのそばにおわして、協力して君たちにお恵みを賜るよう祈っている。
妻には禁じた道楽を、自分では楽しもうというのでは、自分が降参した敵と戦えと妻に命ずるのと少しも変わらない。
これこそ断然まぎれもなく神がかりではないか。
民主主義の代表を持って任ずる貴方方は、そのような独裁者も同然の非道きわまることをなさるとは、
そこで彼らは、さながら神像を拝するごとくに彼女の前に平伏した。
執政官として国家を護持した私は職を辞そうとする時に国民に演説する機会を奪い取ったのです。
第二番目の発言順位というのは、第一番目とほとんど同じ権威を持つものの、
執政官から受けた恩によって自分の意志を強く束縛されることがないということもある。
親から譲り受けたものをみずからの力で維持でき、階梯を追って名誉ある公職に立候補し、国政でも、友人知己のための仕事でもみずからの自由を行使する子たちです。
畏敬の心を尽くして育むべきと信じる友情のためにも十分の奉仕を捧げることができると考えている。
彼自身には気に入らないけれども私が希望する人々と付き合うのを妨げなかったのに、私から親友を奪った者たちは、あれこれ咎め立てては、私の望む人々に愛情を示すことすら邪魔立てするとは。
心の中に有刺鉄線が張り巡らされているみたいだ。
他方、他人から見れば、自分自身は面倒をいっさい蒙らず、苦しみも味わわずによその不幸を眺めているだけですから、憐れみを覚えること自体も悦ばしいのです。
法に基づいて権利を主張するよりも、剣を抜いて利権を取り戻す。
このような厄介な状況にあっても、もし何か笑えるようなことがあった場合に、その笑いを君と分かち合えない事だ。
あなたが「真実」に対して躊躇なく認められたであろう意義を「友情」に対しても進んで認められたということです。
私自身の経験に照らしても、哲学者の純粋で精緻な判断に照らしても、友人たちが筆写して私に送ってくれたあなたの演説を凌ぐ賛美など、ありえないのですから。
「日本の地震は報い」動画投稿か、中国のテレビキャスター停職―中国メディア
彼らの相対的な貧しさは、効率を上げよという上役の要求によって悪化させられている。
仕事を失うのを恐れて、車を必要としており、子どもために薬をほしいからといって、店員と修理工とセールスマンが政治的に同質でないのと同様である。
子どもがいないので、学校のための税金をとられるのに腹を立てている人もいる。
被害を受けた当事者に奉仕すべき非人格的な道具が不可避的に被害を与えるというのは。
教育は、人々を職に対して等級づけるためではなく、人々を消費の資格をもつように高く等級づけするために必要なものとなる。
最悪の場合には、力に対する決定権が集中されると、傭兵によって膨張し奴隷制プランテーションによって維持される帝国が樹立された。
3Dプリンターで、人々がより耐久性がありより快適で、より衛生的な住宅を立てることが、増えたら建築家は失業するだろう。
教育はまた、むかし受けた訓練が技術革新によって時代おくれになって労働者に対する定期的な救済処置でありうる。
人々が現実について教師がくだした定義を受け入れる限りかぎり、学校の外でものを学んだ人々は公式には、無教養、という烙印を捺された。
選挙民に、産出物の増大と品物のよりよき分配を公約してきた政治家たちに、大多数の有権者が平等な消費の見こみよりもむしろ、すべてのものに対する限界設定を選ぶであろう日のために心づもりをさせるというのは、ばかげたことのようだ。
精錬所を汚染規則がそれほど厳しくない海外へ移すことは、世界規模の高度汚染という犠牲を払って、ヴェネズェラ人ではなくアメリカ人を悪臭から守ることである。
あるいは豊かな国々における消費能力の低い少数者の、追いつこうとする気づがいじみた空しい企てを煽り立てることのどちらかを意味するようになってしまった。
呪医や薬草を使う民間医が、常に同等かそれ以上の治療効果を上げてきたのである。
鉄道は、たんに同じ速度に異なった料金を課すことによって、それが奉仕する階級社会を反映していた。
もしおまえが、むしろわたしの名誉と栄光のために一栄買おうと思うのなら、残虐な悪党一味を連れて都を出て、マリウスのもとへ行き、堕落した市民どもを扇動し、高潔な人々から離反して祖国に戦争を仕掛け、非道な略奪行為に歓声をあげるがよい。
国家の守備のためにたえず奉仕させ用いている大勢の若い精鋭を、剣を持たせて送り込んでいた。
われわれが容赦なく懲罰を科して、不倶戴天の敵に対して苛酷だったという評判を恐れるよりも、むしろ罪を軽減して、祖国に対して非情だったと思われはs無いかと心配せねばならないのである。
日々の儲けをかせぐための椅子を置いた稼業の場所が、自分のねぐらと寝台が、要するにそうした平穏な生活の道が、無事で損なわれないで欲しいと思わないほど境遇の惨めな人や性根の堕落した人を、奴らは見つけることができなかった。
なぜなら、われわれが雄飛できるよう属州を切り開くことは偉大であるが、海外へ行った人々が勝利者として換えるべき祖国を失わないように尽くすことは、おそらくそれに劣らず偉大だからだ。
国家を救ったからというので、類のない国民拝礼祭を催して不死なる神々の神殿を解放してくれた。
前代未聞のおぞましい放蕩に耽るこの人物によっては、また、風紀取締りという、
かの由緒ある破廉恥と節度の監督役が廃されてしまったが、
其の間君は、国家を荼毘に伏す火葬屋め、執行官としてそのときローマにいたなどと言っているが、市民団がこれほど難破に遭っていても、
君の考えを一度として言葉に表さなかったではないか。
そのぷんぷん臭う口で恐ろしく饐えた食べ物屋の臭いを我々に吹きかけておいてから、身体の具合を言い訳にして、ワインの風味のあるちょっとした薬でいつも養生してるんだ。
褒賞として特別に授かっていた自由と民と個々人から奪ったことは触れず、
己が一族と家名との永劫の恥辱のために建立さえたのだ
毀され、粉々にされ、跡形もないような
他の者たちから捨てられ、侮どられ、見下され、己れ自身にも見放されて取残されて、きょろきょろとあらゆる奉公を伺い、こそりと音がしたからと言って何にでも恐れ戦き、自らの境遇に自信を持てず、聲なく、自由なく、威信なく、風采が何もなく、万人を前に怖じ気づいて、ふるえ、尻尾を振る、そういう君を私は視たかったのだ。
君が本身分の権威を国家の威信と、君個人の恨みなり疑念なりによりも重んじていることが。
まるで自ら望んだ破滅に向かって突き進むかのような有様だった。
われわれを一人一人をじっと両眼で見すえて選別している
眠りや忘却の暗黒のとを取換えなければならない時が、わたしにはいやだ。
天にまします全能の神が、しじゅう、鍵穴からのぞいていて、ぎこちなくて、ふくれあがって、話すことさえできなくなる。
障害物競走。
・中国 コロナ。手袋 総菜コーナー 中国語でしゃべるのやめて
権力を不正に行使する統制の儀礼として悪用してた。
蛇口をひねると出てくる水を汚いとみなすことそれ自体が、帝国主義的な消費者の視点ならではの判断だよ。
つまり助ける者と助けられる者が同時に助け合うことによってのみ、援助という行為は、援助者が被援助者を支配するという歪みから自由になるのだ。
あの手この手の無用の辱めと屈辱的な対人関係に服しつつ働いていることを肝に銘じて知っている。
その権力を維持・強化するためにどれくらい因習的な支配のパラダイムにしがみつくものか
ということは、これがきわめて例外的なケースであって全体的な変化と発展、より深い交流を予示するポジティブな兆候とはいえないことの不幸な証拠なのかもしれないのだが。
教卓という万里の長城のこちら側の言葉はすべて金言で心理で、そこで何を言うかはこちらの胸三寸、相手が言うことにたいしては「よろしい」とか「その通り」とか、そんな受け答えさえしていればよいという旧来のやり方は、中立ではない。
みんな同じであるかのように見せかけるのは、たしかに悪質な欺瞞だろう。だって最後に成績をつけるのは、教師なんだからね。
われわれは、他人に援助の手をさしのべるが、それは、自分もそんな目に合った時に、助けて欲しいからだ。
生まれながらの逸材、という最もまぎれなき証拠は、生まれながらに人を羨まぬことだ。
大きな困難ととりくんでいるときには、機会を作り出そうとするより、目の前にある機会を生かすことに一生懸命になるべきだ。人生の知恵 ラ・ロシュフコー
英雄たちはもとより、最も弱い連中でさえ、この説を立証するような数々の名高い模範を示してきた。
それは、自己愛が、今後は自分も彼らにあやかれるぞ、彼らの幸運のおかげで何かにありつけるぞ、とわれわれをわくわくさせるからだ。
しかめつらい名まえをつけ、それにかこつけて、自分のやりたいことを、大手を振って、やろうというのだ。
友だちの友情が冷めたのに気づかないのは、こちらにも友情がない証拠なのだ。
公然と盗みを働くことが手腕とされ、無法に国を奪うことが征服と称されるのだ。
ただ元気を出すだけで知性がそこに伴わなければ害を受け、知性が伴う場合には益されるというのが、差別ではないだろうか。
いかなる道によって自由に到達すべきか、と汝は問う、そのためには善悪を、衆俗の示すところによってではなく、じぶんじしんで区別することを覚えなければならない。
ある人間の持っている徳についての尺度は、かなりその人間を統御すべき法律もないならば、たとえどんな事が起ころうともそれは天然の美を永久不変に保存するのだ。
ここでは私は公民権を剥奪されない、いかなる五官の障害も、私の友なる本とのたのしく慈しみ深い交わりをさまたげない。
一方、因習的な人たちが現在、因習にとらわれない人たちを左右することで得ているサディスティックな快楽が減少することも、また確かである。
未亡人が、栄光のために、また宗教がそう命ずるがゆえに、進んで犠牲者として焼死しようとしているのだ。
儲けた金が一般に、頭のよさの尺度とされている。
ほかの金持ちがその絵を所有するのをじゃま立てしてやったという喜びである。
当人が犯した犯罪を後悔したのは、いよいよ悪事が露見しそうになったときであることがわかるだろう。
其の唯一の罪科たるや、大人たちの頑迷さの結果まきこまれる不幸から青年を救ってヤやりたい
人生不幸の原因は、心理的な不調にあるに違いない。
それは完全な誤りだ。例えば、ある青年に、進化論はじゃ説であると考えている両親がいるとしよう。
何でこの人、「頼む!オレの生き甲斐を奪わせてくれ!」
って言ってるんだろ。
尊い犠牲で今の平和は築かれた的な言説に対して「尊い犠牲が無くとも日本は平和になれた」的なアンチテーゼを提示し「戦前の無謀な戦争の反省は其の犠牲が全て無駄だったという事実に立ち向かわなければなりません」ということを短編「戦争はなかった」で描いた小松左京ってすごいなあとふと思った
大部分の人が「こんな現実をまともに認識してない奴が、人を生産性で測るのかよ」と言う怒りな
そんなん言い出したら、習近平への批判が、中国人へのヘイトスピーチになってしまうやん。放送事故かよ
習近平「これからワイへの批判は全部ヘイトスピーチとして取り締まっていくアルよ」
個人的に小室圭さんには記者の質問には全て「仮定の質問には答えられない」で切り上げ更に「更問い」をした記者には「どこの記者ですか?」って逆ギレして鉄壁のガースー答弁で水戸黄門の印篭のように右派論壇からの追及を嘲笑うかのように根こそぎ葬り去って欲しい。
ウヨさん「日本人は、民度が高い!!暴動も起こさないし、秩序を守る」
ウヨさん「日本人は、個人主義が蔓延している!」「緊急事態条項が必要だ!!!」
なにこれ・・・・・・・・
「民主主義の根底は、ストライキやボイコットにあって、議会にはない」って言う結論が凄い
日本の憲兵に殺された大杉栄とか、伊藤野江とか、創価学会の牧口会長とか、三木清とか、権力に逆らって投獄されたり殺された人を肖像画にすればいいのにて思うな。
寧ろ善はそれに興るものの和合と慈愛とに比例して増やすような所有である。
全ての児童への公教育を強制することは、自分の子どもを私的に教育したい人々の自由を奪うだけでなく、産業投資、老齢者年金、無料医療サービスの縮減や犠牲においてのみ財政的にまかない得るかもしれない。
道徳的ルールに過ぎないという時折なされる主張は、威嚇に裏付けられた命令に還元し得ない社会組織の形態は「道徳」でしかあり得ないという古来の独断論に鼓吹されたものである。
解雇を簡単にして失業手当を充実させる。
伝統的な自由企業経済は、消費者が商品を自由に選んで金を払うという「投票行為」によって、市場がうまく機能すると説いた。
善を成した企業は儲かり、栄え、悪を成した企業は、利益が減り、廃業する。
企業と個人に同じ法的権利を与えてしまっては、
強欲を抑制し、社会民主主義的なセーフティネットを義務づけようとする候補が簡単に負けてしまうのは当然だろう。
余った時間を受け身のエンタティメントに費やすことが耐えられないのだ。
法は其の創設者が死亡した後も継続する。
飛行機で旅をする際に炭素排出負担を支払う責務があると。
親切ではあるが同時にとても激しい訓練と旬血極まる虎罰とに依って服従させられてるんだ。
福祉によって、夫たちが家族に対する責任を回避するようになっている
それが汝の責任であることを否定せよ。そしてむしろ其の責任が臣下の不服従にあると主張せよ。
わるい方向に杓子定規に法を解釈してしまうことがなく、立場上法に守られていながらも法の文言を控えめに解刷る人が、高潔な人である。
不遇な人たちは、己の不幸の責任を誰に嫁していいかわからないときは、運命のせいにする。P158 孤独な散歩者の夢想。
どちらかと言えば、受け太刀の場合が多かった。
この種類の不正を犯した人々について「利得」が語られ、不正をこうむった人については「損害」が語られるのである。
自らを差別し、抑圧するものの人間性を変えることにこれほどのエネルギーをそそいだ運動がかつてあっただろうか。
現状の差異を固定化したままで、皆同等に上げたり下げたりしようというのだから、人々がそこにしがみつこうとしている階層的な秩序意識を補強することはあってもおゆるがすことはない。
お金を貸した人々なら、相手への愛情などそもそももたないのであり、かれらがただ返済のために相手の安全を願っているにすぎないからである
自身の生命と生存手段をとを防衛するという決して放棄し得ない権利に反して、自らを敵に売り渡すことになる。
財産の評価に基づいて資格を認められた人々=寡頭制 P88 アリストテレス 弁論術。
認められている慣習を容認することによって黙示的に定められている場合には、不都合が万一生じたとしても、その原因は、君主制にではなく、臣民たちの野心と不正義とに帰せられなければならないということである。
侵略に加担する行為を不名誉な行為だと糾弾しなければ、、英霊化は時に侵略の原因となる。
政治に関する彼らの書物や論考において、人が君主を殺害するまえに彼を暴君と呼びさえすれば、君主を殺すことは合法的であり、賞賛すべきだとしているからである。
むしろ、相手がいないときに焦がれ、かたわらにいてくれることを欲するとき、その場合に、恋をしているのである。
裁判官たちが約束をやぶり、彼らじしんの裏切り者となり下がって、法のさそいにのせられて共犯者を密告した者を刑場にひかせるような恥知らずな手くだに依存しているのだとしたら、それは国民にとって何という手本だろう。
其の本性上、抵抗しないことによる確実で即座の死というより大きな害悪よりも、むしろ、抵抗することによる死の危険というより小さな実悪を選択するものである。
彼らは、彼らの上からおさえつけてくる大圧政者の圧力を、こんどは彼らの下に位する弱い人々の上におしかぶせることを当然の権利のようにしている連中である。
侵害と損害を区別できない。
心安らかに満足し、そのことを公言し、あまつさえ自慢し、この状態事態を自分の喜びと虚栄の種にするとは、
検査官が不正建築者に売り物として差し出せるのは、たとえば値の張るセメントを少ししか使わず、安価な砂を大量に混入するのを見逃してやることだ。
最もひどい目に合うのは証人である。
彼らの不正行為を黙認し、諦めてはその害を耐え忍び、慣習や人定の法よりも、神の法、すなわちキリストが私たちに、敵をも愛し、彼らの中傷や迫害にじっと耐え忍びなさいと命じられた福音の掟を優先させる方がはるかに正しく、また、キリスト教の慈愛に合致するのではありませんか。
もっとも驚き、忌み嫌っているのは、金持ちに一文の借金もしておらず、奉公の義務も負ってもいないのに、ただ金持ちだというだけの理由でそういう人間に対してはほとんど神に対するような敬意を表している連中の基違いざたです。
多くの法律を持ってしても、各人がそれぞれ自分の私有財産と名づけられるものを取得し、保管し、またそれを他人の財産と十分に区別することさえもまだできないありさまです。
此の君主は人間の流血を見るに忍びない慈悲の君だとうふうに衆愚の目をたぶらかすのはどうかと提案するのはどうか。
同額の報酬とそのほかに特赦の恩恵を約束して同胞にたいする忠誠を捨てるようにけしかけます。
スイス人は貴族だと言われると腹を立て、平民の血筋を証明して、重要な公職に就く資格があることを示そうとする。
人間の狂気に宗教的口実をあたえ、ひどい罪悪を神意のせいにして正当化するためにほかならない。
すなわち一人の人間による支配のなかに最善のものと最悪なもの双方が見いだされるので、僭主制の悪を経験している多くの人びとは王という尊称そのものを嫌悪すべきものと見做している。
薬はそれらのいくつかの質の「度合い」または相対的比率に応じて、数的等級に分類された。
僭主と化した支配者を排斥したとしても、その行為は不忠義だと責められるべきではない。
自分たちの罪に対して真に神に謙譲さと赦しと祈りの捧げ物を
もし死後において人々の賛美のうちに生き、追幕される一方で、悪しき者の名はたちまちにして忘れさられ、あるいは彼らがとりたてて悪にたけた者であったならば、呪詛のうちに記憶されることになるのをいったい誰が疑いえようか。
正しい統治をしたもの、敬々しく尊敬する人びとのへつらいのことばと卑屈なほどにあがめたてまつる
人びと従順にもかかわらず、
その意味では、この書はいわば君主教育のための一巻の壮大な範例集であるといえる。
ジャニーズ事務所は、ジャニー北側の性犯罪は”会社の命令でない”にもかかわらず、性被害の事実について被害者に謝罪しましたね。
どなたかが言ってましたが、低賃金で過酷な職場はどんどん辞めればいい。 ↓ 低賃金重労働な会社は人手不足で淘汰されていく。 ↓ まともな会社だけが残る。 ↓ みんなが働きやすい社会になる。 すなわち、過酷にも関わらず給料の上がらない会社を辞めた人は、それだけで社会貢献です。
元テロリストの娘の重信メイのテレビ出演がダメなら、国会の中央広場にある
山尾庸三と共に]・加藤甲次郎を暗殺したテロリスト伊藤博文の銅像が国会に建てられているのは適切とは言えない。
鈴木エイトに竹田恒泰が「テロ実行犯の動機をヨーロッパでは報じない」って言ってるけど、嘘だからね。 フランスはテロが起きたらすぐ犯人の(家庭内暴力を受けていた)とか不幸な生い立ちまで紹介される 理由は単純、それは、こうしたことが起こったのは人種のせいだと言われないようにするためだhttps://youtu.be/8fS7nY_Fihg?si=bh1DEk4uM7Q5s7y4
国法に基づいて国家の一切の便益を享受する限りにおいての人間を国民と呼び、国家の諸規定に従うように義務づけられる限りにおいての人間を臣民と呼ぶ。
確かに、反乱、戦争、法律の軽視あるいは侵犯は、その責めを、臣民の悪性によりは正しくない統治状態に帰せられるべきである。
ともあれその平和が、臣民の無気力の結果にすぎない国家、そしてその臣民があたかも獣のように導かれてただ隷属することしか知らない国家は、国家というよりは○○と呼ばれてしかるべきである。
民衆がある君主を例にとって、君主暗殺を何か善行ででもあるかのように誇る時に起こる。
しかし隷属、野蛮、荒野を平和と名づけるならば、人間にとって平和ほどみじめなものはない。
あるいは人間がそれのために自由と言われるよりは隷属亭と言われるような事柄を罪と名づけるのはきわめて不当である。
憎むという語のある意味において肉親すべてを憎むことが命じられているなら、愛するという語のある意味において自国を愛することも禁じられているはずだ。
たとえ努力を払うに吝かではない人がいても、努力が不可欠であるという事実そのものが、有機的な絆が境界をこえてむすばれるのを妨げている。
誠意のない公権力に暴力的な圧力をかけて奪い取った譲歩としかみなさなかった。
個人的快苦の情が其の判定にかげりを落とすことになる。
AIは、他の人々が一番欲しがっている金銭をめぐって相争うようなことをしないからである。
過去の事例から将来のことを推し量って判断が下されるから。
最も信頼できるのは、昔の証人である、なぜなら、買収で汚されることがないからである。
ペライにいる時には、君たちを奴隷として売り、今この地に来て君たちを買収している、ということ。
弁論によって、聴き手の心を実際に怒っているのと同じ状態になるよう仕上げ、その怒りの原因をなしているのは自分の反対者であり、彼らが人の怒りを招くような人間であるからだ、ということを示さなければならないだろう。
自分たちが欠点と思い込んでいることに恥らいを覚えないような相手。
憐れみに最も反対なものとして対置されるのは、義憤と呼ばれるものである。
そうあるべきでないのに不幸な状態にある人々を見て、彼らと共に嘆いて、こえに憐れみを覚え、これに反し、そうあってはならないのに好運に恵まれている人々には義憤を覚えるというのは、奇妙である。
なぜなら心ならずも悪事に手を染めてしまった者に対し、憤りにはしるのが正当であるなら、強制されて他人に善行を施す場合に、其の者に感謝の気持を抱くというのも適切とは言えない。
涙を流してしかるべきだ。
これを君は結構だと言って賞味してくれるのだ
ろうか。
これは現実 なんだろうか と尋ねたならどんな証拠を指し示して人はこれに応じることができるだろうかというのだ。
しかもそのどちらを主張するのにも同じような同じような強硬さで押し通そうとしているということになるのだ。
そこに受け取られたものを判定するのに他人の方が上手いというようなこともなければまた もし 思い無しの正か偽か を検査する機能は当の者よりむしろ 他のものに属するとかいうようなこともないということであろうな。
戦争犯罪はすでに 前提として まさに君が同意していることなのである。脱衣 かしからずんば退去を命令するだけなのですか。
そうしてみると あの人は自分の虚偽だと考えている人たちの思いを真であると同意しているのなら自分自身の思っていることを誤りだと言って承認していることになるのではないでしょうか。
このような悲劇が二度と繰り返さないためにも イスラエルの軍事力が大切だ。
伊勢崎賢治の「たかが領土」論の決定的な
日本では公害規制のためにやりにくくなったことをするために、そうした規制の弱い発展途上国に工場を移すもの。沖縄で日本政府がまさにそれやってんるんですけどね。
彼らは、賃金という所得を手にしてモノを買うのですからね。
どれほど人々の利害を左右し、したがってその関心の的にならざるをえなかったか。そのことが、この言葉に映し出されているのです。
資本の側からの労働力を買いたいという需要が必要です。
スイスは、30万もの核シェルターがある P92 世界の軍事力が二時間でわかる本
NPTに加盟しており、海外から供給された核物質は、平和目的以外に理由できない
北朝鮮の「テポドン2号」は、射程3500~6000キロの弾道ミサイルが搭載されている。P98 世界の軍事力が二時間でわかる本
「軍隊」と「省エネ」という、いっけんミスマッチな取り合わせに夜取り組みだが、裏を返せば、エネルギー危機が、それだけ喫緊の課題であるという証左だといえるだろう。
コスタリカは、非武装ながら
南北アメリカア政府が参加する
「米州機構」で発効された「リオ条約」「米州相互援助条約」に加盟した。
これは他国のどこかが攻められたり、他の加盟国がその国を助けるという集団安全保証の条約だ P218 世界の軍事力が二時間でわかる本
世俗的権力であり、霊的権力であるすべての権力をキリストの下に、統合されているということ、其れゆえ、万事に関して、この二つの権力に服従しなければならないということである。けれでも他方において、人間よりはむしろ武力に服従しなければならないとであるから、してはならないと切り捨てる封建主義的な、
専制的で侵略的な国家を前に専守防衛に徹するとはこういう事態になるということ。
本当は気まぐれに買ったのかもしれないし、他企業に出し抜かれるのは癪にさわるので無理をして意地で値を下げたのかもしれない。
デヴィ夫人へ、ちょっと質問あるのでぜひとも聞きたいのですが、
後になって告発した事にあなたはお怒りのようですが、では、被害者に対して”気まぐれ”に性加害を加えるという悪がなされたのだから、性加害者に対して”気まぐれ”に告発するという善をなして何の問題があるのでしょうか?
これこそ”気まぐれ性犯罪者の末路”にふさわしいことはないと思うのですが。
未来永劫にわたって財産になるに違いない
他者から視て、個性とは個人に備わっている何かより、欠けている何かによって際立つ
特に剣と同じく思慮でも相手に勝つことが将たるものの義務であるのに。
彼はアリストテレスの前にひざまずかないので私を非難し、信仰のせいであることを無知のせいにします。
これらの本質的に区別のある原理がもし混同されたら、政治的社会的なことについて、明確に「」と「 」を区別することは、とうてい不可能になる。
ブラジルに地上デジタル放送の技術援助をした時に、
採用した日本の方式が、南米のほかの国にも広がり、
日本の放送機材が現地で売れるようになる P50
世の中のからくりが丸見え!イチからわかるニュース塾
紛争予防予算
”ロシアの脅威に屈した民意”かもしれないですね。
労働者にフリヴィニャで給料を払う一方で、製品を外国通貨(ドル)で売っていることを考えれば、これは驚くべきことではない。
アパルトヘイトに抗議する南アフリカ共和国の活動家たちは、南アフリカの製品をボイコットするよう世界に呼び掛けた P59 それでも世界はよくなっている
WHОの主導のもと、
コロナワクチンを世界中に公平に届けるために、
研究費や輸送費を分担し合った国々は、170か国以上
P103 それでも世界はよくなっている
しかしこの宣言は、侵略側と、侵略された側の国の女性の観点を区別していない。
彼の行った戦争は「正義の戦争」、防衛戦争であると認識することを示している。
此の戦争で実際に利益を得るのは誰か?
彼らはもう支配者の気まぐれのまにまにただ盲目的に服従する弱さを徳と呼ぶような連中の奴隷ではない。
犯人と被害者がことなった身分である場合
証人の信憑力は、彼が被告に対していだいている
好悪の感情其の他被告との間の利害関係の密室さに反比例する。
最も非難される兵器を使わなければウクライナは何も達成できず、民間人を殺害する用意があることを認め、この兵器による将来の犠牲者に対する全ての責任を負うことに同意した
犯人が刑罰を受けることによって公衆に示さねばならないはずのみせしめを、黙否によってまぬがれさせてはならないからである
拷問と「火の試み」等とのあいだのたった一つのちがいは、拷問は被告が自白する意思があったかどうかによって犯罪を証明するのに対して、「試み」は被告に身体にあらわれる外形的な結果によって犯罪の有無が判断されるというだけのことである。
有罪の有無とむじつの者とを見わけるためのその方法じたいが、有罪とむじつの区別をけしてしまうのだ。
許可なしに公共の福祉を口実として国事を語るために集合し私議する行為
殊更に此等の人々を完全に盲目ならしめ大それた犯罪の中に陥れたものなることを我々は現にこの目で視たでは無いか。
人間がトラを殺したいと思う時、コレをスポーツと呼ぶ。トラが人間を殺したいと思う時、人はこれを残忍と呼ぶ。
戦争の目的は、祖国のために死ぬことではなく、相手側を祖国のために、死なせることである。
幼児強姦魔が経営する、託児所に子供を預けてしまい、子供のを取り返すのは、武器を持って戦うしかないか、
ポルノが強姦の誘因になると考えている。
人と話す場合に自分から率先して話そうとはしない
他の人の葬式に出ておいてやらないと、彼らも君の葬式に来てくれんぞ。
もしIAEAが放射能が安全だと言うなら、IAEAは日本に対し、放射性水を使って農地を灌漑するよう勧告すべきだ
石油その他の輸入品の代金を払うために、債券を発行し、外貨を借りたのだ。
彼らの権力乱用は、市民の心の中の正義と義務の観念を破壊し、そのかわりに、強者の権利の観ねん、を、そのために苦しめられる者にもひとしく危険である観念を、置き換える
寛大やゆるしなどが徳という名でよばれなくてもすむような国こそ幸せなのだ。
起こりうる「大惨事」を心配させることがロシアの目標なのかもしれない。彼らはできる限りこれらの核恐喝を続けます。
なぜなら不正な暴動によって死ぬより、裁判によって死ぬ方が、はるかに不名誉なことなのだから。
人々は、成功のチャンスのある一定の限度より以下の活動をしようとしない傾向がある一方、それを成功させるチャンスを低く算定しようとする雰囲気を、自己検閲の形を奨励することに寄与するだけでなく、
メルギデスがエコロジーにオマージュを捧げざる得ない事実は、誰が何と言おうと進歩でしょうね。
財産の査定額に応じて公職に
公共事業の競争入札などが有名です。
彼らは、自分たちを苦しめる原因が米国であると言及することを許されていない。 ロシアに対する犯罪については沈黙を守る理由である。 米国の足台となる誇り高き伝統に背を向ける。
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あなたが戦っていて、あなたが裏切られているように感じるとき、さらに、あなたが同じ戦場を共有した人々に裏切られたとき、それは大きな問題です。
指導者のいないために統制のとれていない群衆ほど、なにをしでかすか予測も立たず、怖ろしい存在はないのだが
市場でパンを買う人は、それが誰の小麦から焼かれたものか知ることが出来ない。
黒人か、白人か。
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善人として評判を得ていた人物が、目的達成のために悪を為さざるをえなくなった。
部落の存在を知らなければ差別がなくなってゆくという説がまったく
まやかしにすぎないことwpこの文章自身が逆に証明してしまっているといえる「
危険を期待して取材に行け! と言っていたのでは? なんの為に「行け!」と言っていたのですか?
放火魔が隣の家を放火しているときに「二酸化炭素が悪い」って言ってのと同じです。
それはウクライナ人の自由に見せかけた「征服の自由」だ。
日本の輸出は相手国の産業を追いつめて、しばしば「失業の輸出」と非難されています。
侵略戦争を抑止したいなら言うべきことは「侵略戦争のために祖国のために殉じてはいけない」だろうが。
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むしろ、多くの弁護士を雇えるお金持ちだけが告発から身を守れる社会の方が不健全なのだ。
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機を視るのに敏で、押しがつよくて、人びとの応待に生まれつきすごい腕前を見せるような精神の持主が、行なうところの仕事なのです
人間としての卓越性であるとするなら、
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そして、そのことを見てとると、治る見込みのある者か、ない者かということを区別するしるしをつけた上で、タルタロスへ送るのである。
家が火事だ。サイレン鳴らしてやってきてくれた消防士が「消してほしかったら、代金払え」と言ったりしたら、どうですか。
最後に彼女は真実を言いました...戦争で誰かの側を取ることは、あなたが選んだ側と一緒にその戦争に参加することと同じです。
真実はわからないとかいうなら、中国の産物は汚染されている。 科学的根拠など不要! あいつらの国の産物は汚染されているんだ。 むこうが何をいっても信じないぞ! とか責任ある人がいっても問題ないんですか?
ある人が楽をできるのは、苦しんでいる人のおかげなのです。
そのことを知っても、それは人の運不運の問題とうそぶく人は、いずれ不運の側に回るはずです。
法王のモラルとか美徳の行動とかを賞賛しないとおかしい、
企業が「寄付」による税金免除という形を通して取り戻している分に支払ってるのは、納税者たちなんです。
無料で政権に有利な記事を書かせることが出来る。
盗人に対して、被害者が盗まれた金品より、
盗まれたという心の傷に対する損害賠償を要求するようになることが、今後、十分ありそうだ。
夫婦の姓に関し「同姓である必要はなく、別姓であってもよい」への賛成割合が61.0%に上り、「同性婚を法律で認めるべきだ」への賛成も75.6%に達したことが22日、厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所による全国家庭動向調査で分かりました。 https://twitter.com/jijicom/status/1694117335546659049
バービーで原爆投下の揶揄に怒ってた人たちなんだよね。
これが彼らを、戦争に駆り立てている主な主体は誰であるかを決定するあらゆる真剣な力の分析に取りかかることから免除している。
占領され、征服され、支配された国として、彼らには主君を怒鳴りつける権利はない。 このすべての苦しみを引き起こした悪を崇拝することで、さらにあなたの国の名誉を傷つけることができますか
それは真実なので、どちらの側についたとしても、どちらの側も若者を死に追いやるのです。
ロシア人が戦っている野蛮人に比べて、戦闘においてはるかに人道的であることを示しています。
所有する中で私的所有を正義とみなし、個人として全体に反対する態度を取り、政治的に無価値である代償を平和と営利活動の成果の中に見出し、非業の死をの危険を免れようとする人間である。
しかも、この現象は、政治的なものの地点は、標準的な連合と離反を左右する距離化の強さから定められるというテーゼの適用事例としてのみ理解できる。
差別が存在するか否かに関する決定権は、
明らかに死を回避できる手段があるのに、それを使わずに人を見殺しにすることのほうが倫理的におかしくないですか?
シーレーンの安全を阻害する、海上交通破壊を行う航空機、船舶、潜水艦などを破壊する。P90 海の生命線。
捕食者を寄せ付けない様にするためだ。
日本はアフリカのジブチ共和国に基地をもっている。アデン湾を日本のタンカーが通るので、海賊から日本のエネルギーを防御するためだ。P81 「初めての地政学”
そこで 各人は自分の方に 奪える限りのものを奪い取り 自分の側の正義を他者たちの個別性に対し 行使して自らの個別的な ありかたを押し通そうとする。確かなのが得が自ら信じているところ 根源的な統一が得の目的と世の成り行きの本質との間に存在しており徳の側はそのような信を罠として隠している。
かつてまた就任し得ない関係 こそが 例の一切の契機なのであってその契機とは徳自身が自分の顔で危険にさらし 犠牲に供しようとしたものであるはずなのだ。
その意味するところは 彼らもまた他者たちを同じ仕方で欺こうとしていたということであって それは自分が騙されていたと訴えている そのやり方と変わらない。
掟とは言っても弱さと繋がりに属するものなのだから 無意識的精神もだからこそ 差し当たりは白日と力とに属する 掟に屈服してしまう。
フェミニストがもしいるとすれば それは国権を自らの行事のために欲しいままにしようとするものに対して抗している人間のことである。すなわち 尺度として判断することにおける差別の 抽象的な可否を定める 尺度と判断しているわけである。
現実を このように克服することが服従であって それは奉仕と賛美とからなっている。
これはデータを利用しながら、
同時にプライバシーを保護するというテクニックです
買い手も他の買い手と、より高い価格を支払わないと買えないという買い手間の競争をしているのです
人は自分の為したことのために撃たれるのであり、
自分の所属する集団のゆえに撃たれるのではないのでのである
劣化ウラン弾
劣化ウラン弾の使用時に出るけむりには細かなかけらとなった
劣化ウランがふくまれています。P032 SDGsで見る現代の戦争”
売り手が企業秘密にかかわるような情報を開示するわけがない。
女性が護身用にペッパースプレーを購入することがレイプを誘発したと非難するような被害者に対する冒涜である。
対価を支払わない人が便益を得ることを阻止することが難しいかどうかという点にある。
NATOのゴルバチョフに対する「東方には一インチも動かさない」を持ち出すのにもかかわらず、1994年のブタペスト・メモランダムにどれほどの回数、ふれただろうか?
参政党ってバカ政党の神谷宗平ひどいな「ジャンダフリ―」は
バーバラヒューストンの誤訳だし、男女共同参画を提案したのは、有馬真喜子で(男女共同参画の時代P6)、全然共産主義者じゃねぇぞ。つーか、かりに共産主義者デアルと言う理由で全否定されるなら、参政党が、「愛国教育」など提唱しようものなら、参政党はナチスの再来だと声高に、警戒を鳴らしても、良いでしょうかか?
責任のある人間がいうべきことは「今に狼が来るぞ」ではなくて「狼が来たらこうすればよい」であり、「そのための準備はできている」であり、最後に「狼が来たので、これこれの処置をとるということなのである、
もともとやってみようなどとは到底考えもしなかった事柄を書いてみようと この私めに 無理じいなさった ご両親に対して 私の方こそ 文句を言うべきなのでしょうか。
帰って快活真実にそして心から 神の目に感謝しつつ 死ぬことができるように。色欲になって犯された過失の方が怒りによるものよりも重い、といかにも哲学者らしくいっていると。
公益を目的とするのでない限り 他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな。また いかなる人間に対しても自分を暴君にも奴隷にも なしなしえなかった者ののごとく余生を送れ。
そうすれば いかに多くの人間が 力の限りを尽くして努力した後に 間もなく 倒れ 元素に分解した溶けていしまったかを見るであろう。
これをたゆみなく固守すること また これに満足することを怠った。
人間の本性の失敗でないものを人間の不幸と君は呼ぶのか。
社会公共に役立つ役立たない活動にさらに熱を上げ心を乱すような考え を追っ払って抹殺し、ただちにお安全な平安にはいるのはなんとたやすいことであろう。不可能事を追い求めるのは 狂気の沙汰である、ところが悪人がこのようなことをしないのは不可能なのである。
みよ,いかに全てが この叡智 によって あるいは 従属にあるいは同格に整頓され、各々その価値に従った分を受け、最も優れたものが互いに一致して生きるように創られていることか。どれだけの 快楽と苦痛をものともせず どれだけの名誉を無視し どれだけの不親切者を親切を持って遇したかを 思い出せ。
もしもし水平 たちが船長の悪口を言い、病人たちが医者の悪口を言っだとすれば、それはその人間がどうしたら乗組員の安全を、また患者たちの健康を、もたらすことができるかとの心遣いからに他ならないではないか。
心は悪徳 は他人に全然害を与えず その個人にとってのも有害である が、その人間はいつでもそうしたいと思うときに ただちに これを追い払う能力を与えられているのである。
しかし 神はこれをよしとせず 私を不幸にする自由を他人に与えぬようにしてくださった。さもなく 誰がそれを妨げるのかいえ。
ウクライナでの戦争がロシアのお金で行われているなら、なぜこのお金で負傷者を助けないのですか?
私に対して意見がありましたらどんなことでもお聞かせください
恋愛沙汰において中生が問題になるのは、そこに支配の感情が伏在そいていることの間接的な証しだ。
公然と認めるほうが隠して否定するよりも、良策だと思ったのだろう
参画という概念を、従属というディスエンパワーに変えることに他ならず、子どもの生存に対する責任を母親に負わせ、したがって被害者に責任を負わせることにつながる。
国家が自分たちの健康を左右する事柄の決定に加わること自体が、ある意味では健康的と言える。
それがいかに弱者を犠牲にして強者に益する方向に傾いて来たかの事例です。
「二流の人々のための二流の映画監督」
奴隷貿易は、もちろん低賃金の召使や、セックスワーカーなどの輸入に置き換わった。
国の独立によって健康改善がいかに前進し、また権力と富の再集中によっていかに後退するかを示そう。
われわれのこの社会の人々がもつ「愛国」をあこがれ慕って、号泣することだろう。
人々に公然と自分を宣伝して、愛国者として名乗りを上げ、自分が教育をうけもち徳を教える教師であることを標榜したうえで、そのための報酬を受け取ることを要求した最初の人なのですからね。
医術は健康を利用するのではなくて、健康が生まれないように気を配るものだからである、
視覚的スペクタクルがない映画に夏休み大作として製作費1億ドルを投じたユニバーサルは大変な賭けをしたと思う。
この理屈によれば、無知について判断できるのは、もっとも無知な人間であるはずである。
不屈の精神で行い、必要に迫られれば、
進んで危険に立ち向かう人の場合と、
原因に関係なく、戦うこと自体を楽しんでいる人の場合とを、区別することが大切です。
悪人の行為を阻止できるのに、
阻止しないのは不正行為を助長するに等しく、また明らかに犯罪と分かる行為に反対しない人は、
その陰の共犯者という容疑を免れないのです。
不公正というのは 道徳的 意識の側は制限されて自分の対象目的をひたすら 純粋な義務として手にするだけであるいっぽうくだんを意識にはその対象が実現され、かくて自らが現実化する 経緯を目にするのは拒まれているということなのである。現実のとる形式が含まれているのであり その形式が享受と呼ばれ 幸福 と名付けられるのだ。
良心が自由であって
義務の規定されたあり方にも それ自体として存在するものである 義務にも縛られないのと同様に他者たちもまた自由であるからだ。
偽善とは言っても それが 義務と徳に対する尊敬を備えているしだいを証明するのにまさに義務と徳との見かけを身にまとい それを服従技法として用いているのだ。
他のものがなされたことから立ち返って語りという精神的な定住へといたり精神の同等性へと立ち戻ろうとするのを妨害して、その頑なさによって不等性を作り出そうとしている。
彼らのいわゆる 個人の用語が何に基づいているかということである つまり 彼らは 証明しようとしたのは自由が個人の恩恵を施す という重要なものであることではなくむしろその反対に自由社会の恩恵を施す重要なものであることを証明しようとしたということで驚くべきし 事実なのだ。
自分には全てが許されており 何の義務も負わされていないと思わせることである。他人が自分より優れているとの感情を本当に彼に教え込むことができるのは彼よりも強い人 そして彼に対して一つの欲望を断念させること つまり節制し抑制することを義務付けることができる人だけである。
そして自分たちが果たすべき役目はあたかも 持って生まれた権利であるかのようにそれらを断固として 要求するのみで事足りると思っている。
。つまり 彼の生はそのおかげを被っている 最高 審判者である 皇帝に絶えず左右されていたのだ。
初代貴族が自らに義務を負うが世襲の貴族が負うのは遺産である。つまり 貴族の身分を継続するにあたって息子を 貴族にするのは父親ではなく 息子の方が自分の卑しい血筋を努力して高めることによって遡っって 先祖たちに貴族の身分を 送るのだ。
貴族という実に含みのある言葉が通常の語彙の中で被った 堕落 現象は 腹立たしいことだ。
だから貴族の等級を認定するにあたって 遡って特権 を受ける 世代の多さ が 判定基準となる。
しっかり考えを練るための前もった努力もなしに この問題について意見を持つ権利があると考えること自体 私が反逆する大衆と読んだ愚かしい人間のあり方の典型的な一つの例だということは 表している。
自分の内部に溜まった一連の決まり文句 偏見 、観念の切れっはし、あるいは 意味のない語彙を後生大事に神棚に祀った後 天真爛漫としか 説明のしようのない大胆さを持って それらを相手 構わず 押し付けているのだ。
つまり 凡俗な人間が自らを凡俗ではなく優秀な人間だと考えているのではなく 凡俗な人間がその凡俗さの権利をあるいは 権利としての凡俗さを宣言し他に押し付けようとしている点が それである。
朝鮮人が暴動を起こしているに毒を混ぜ込もうとしている。つまり 家族の領域は相対的に人工的なものであり もし社会や 往来で同じ行為をしたならば ただ事では済まされずは暗澹たる結果を自動的に招くような多くのことが許されてしまうのだ。
大衆の支配下で個人が国家が個人や集団の自主性を押しつぶし こうして決定的に未来を 枯死 さ せる役割を担っていることをどうして恐れないでいられようか。
私たちがある企てに身を投じる時 通りすがりの人に注意を払う余裕を持てとか偶発的な取るに足らない慈善行為に身を捧げよ などと 要求することは意味をなさない。
しかし 服従することは我慢をして品位を落とすことではなくむしろその反対に支配するものを尊敬し、命じるものと連帯しながらまた戦意高揚の旗の下に 馳せ参じることなのだ。
当時は 古文書や記憶や線図で 祖国に何の値打ちも置かなかったのだ 未来の計画があれば これらの全ては団結 強化の力として役立つ。
常に若者は若者である限り 偉業を成し遂げるかどうか あるいは 既に成し遂げたかどうかは不問に移されてきた。
何事かをすでに成し遂げたものだけに属する その他のあらゆる権利までも自らに帰すために、それを実際的な権利として捉えているのには 唖然とさせられる。
嘘化も思われるかもしれないが、「性別」が、恐喝になってしまった。
しっかりと根を下ろしていることを明白に証明する例をいくつも目撃しました。
なぜなら、私に言わせれば、
彼らが粗野で、野蛮で、生まれ乍らにして奴隷であることを明らかにする最大の証拠はほかでもないその習わしだからです。
それは彼らが理性を完全に欠いている熊や猿でないとことを示す証拠にすぎないではありませんか。
姦淫が姦淫をOKに見せようとする恐ろしい映画でした
法はその創設者が死亡した後も継続する。
自分で自分を金縛りに縛り付け、ついにはおそらく苦悶のうちに、死のうとしているのを黙って見ているとは私は、思わない。
望月衣塑子とか一番酷いんけど「外交を進めて武器援助を慎め!」とか言うわりに其の当人が何故かツイッターの返信リプを制限掛けてたり、
東京新聞は、対話で解決しろとか言いながら匿名なんですよね。いや、対話で解決しろ言いながら「安全な場所で対話を拒否する人間」に言わても説得力ないでしょ。
きちんと食べられない状態が、個人の無責任な選択によるものだという場合もあるからだ。
コンニャク爆弾作らされた。
実例を広く公衆に供するのはペンをあやつる人の専売特許となった。
もへもへ
@gerogeroR
·
10時間
だーかーらーそれまさにプロパガンダの建前やん。本気で信じてるやつがアホや。侵略などしてない!満州国は五族協和の王道楽土ですとか信じるのとかわらんよ
自身に対して所有権を主張し、其の主張を武力で押しとおす人間に対してNOと言える人間ことが、大人なのである。
それは「私の責任です」と言い切れているかどうか。
苦労を他に移譲せず、責任を他に転嫁しないところに、責任者の責任者たるゆえんがある。
毅然と闘いを挑んでこれを打破する。そんな人間でありたい。
景品をつけて販売するのも良いが、親切な笑顔こそ何にもまさる景品であることを常に心得ていたい。
「そんな顔」で「田中大翔」的な名前をもっているひとは現にいて、そういうひとたちが「怪しまれる」こと自体がこの社会における差別の根強さを物語ってんだけど
真心からする自発的贈与ならば、相手から等価の返還を期待するのはおかしい、最終的に等価の見返りがあると期待しながら行う贈与は単なる交換にすぎず、それを贈与と呼ぶのは偽善だ。
そういうわけで、人々は正義を力の手中に置き、そうして従わざる得ない者を正義と呼んだ。
そういう意味で反ユダヤ主義の強化はホロコーストの原因というよりも、逆に虐殺の結果だといえるかもしれない。
担任の先生が「黙って見ている傍観者は、加害者と同じだ」とおっしゃいました
日本は、防衛庁も「核兵器」「ICBМ」「SLBM」などの長距離弾道ミサイル、、戦略爆撃機、攻撃型航空母艦などの保有はできないと自ら言明してきました。P109 憲法が変わっても戦争にならない?
水に流してしかるべき戦争犯罪と、ヒトラーがおかした大量虐殺との区別がぼやけてしまう。
愛国者たちは、国家のために死ぬ用意があるというかもしれない。
しかし、そのために死ななければならないような国家の有様を恥じて、自死するとは言わない。
ヒトラーがいなければ植民地の開放はなかった
しかしそれは、ヒトラーが失敗したおかげで起ったのである宇。
賭け事をして気を紛らわす、一番の下っ端の臣下より不幸になる。
理性をこのように否認することほど、理性にふさわしいことはない
上層部の人々の名誉は、
彼らが下層の人々に与える恩恵や援助に応じて価値づけられるべきである
人は其の本性上、抵抗しないことによる確実で
即座の死というより大きな害悪よりも、むしろ、抵抗することによる死の危険というより小さな実害を選択するものであるからである。
外国の観光客がニューヨークのホテルに泊まると、
それは輸送代をかけずに外国に物を輸出するのと同じことなのだよ。、
福島で他国からの援助金も全部返してたらいいですよ。日本の納税者がその分を埋め合わせます。
それによれば、彼らは「神を現実に愛するという辛い義務を免除」し、そのような免除こそ「ユダヤの律法の上にある福音の律法の特権」に他ならないと主張していた。
オートバイの乗用車にヘルメットの着用を義務付けるのも、説明が付かない。
これらのサイコパスは、自分の命よりも天候を愛し、貪欲のために死ぬこともいといません。
輸血によって「他人の血をもらってまで生き延びようとするのは浅ましい」という反対意見があった。
それは彼らが孤立して暮らし、紛争と戦争を生み出すことを目的とした一方的なプロパガンダを広めているファシストの賜物だ。
損害が出ても更に島に向かってくる揚陸艦に対しては、 対鑑ミサイル、対戦車ミサイルにより、それらを撃破する。 さらに上陸してくる海兵部隊には、対戦車火器などにより撃破し、上陸を阻止する。P58 自衛隊は尖閣紛争をどう戦うか。
弾道ミサイルを搭載した戦略潜水艦、 戦略原潜(SSBM)と呼称され、 現在、米露中英及び仏国が保有している P104 自衛隊は尖閣紛争をどう戦うか。
どこかの国の兵隊が他国に攻め込んで其の国の原発を占拠する
たとえば、隣家の子供が重病になったからといって、私が自分の車を売って、治療費を出したりなんてしない。
事実をありのままに描くと、イデオロギー臭くなるかもしれない。でも事実を隠すのもイデオロギーじゃないですか。
日本人の90%が内地米を愛し、外米を嫌うならば、
「外米輸入禁止法」を制定して、外米を食べられなくすればよいという理屈は正しいのだろうか。
君にどれだけの思想分別があるかを一度でも人に見せたら、彼らはすぐに君と関りを持つのを止めるだろう。
貧しい人を救う最善の道は、自分も貧しくなることだ。
他人の欠点や以前の自分を比べて自分の方が上だと突然認識するために起こる唐突な勝利感にほかならない
普通選挙になどなったら、政府には賄賂がはびこり、
代弁者のいない少数派は、
全財産を競売に掛けることになるのが必定だ。
それは、こうしたことが、起こったのは偶然のせいだと言われないようにするためだ。
私たちは、自分の悪行を正当化するためにだけ知識を利用し、
知識を隠すためだけおしゃべりを利用する
自分と結婚しなければ巻き込まれなかったであろうトラブルで、夫の味方をするものを妻という
ポルポトの虐殺や、
ホロコーストを止めたのも軍事力です。
М字ビターン
テロリストが、核兵器を創ろうとしても、
多くの科学者、技術者、機械工を必要とする
土木工事や掘削などのへの核爆発の平和利用。
ゆえに先制攻撃を回避するスキームの最も直接的な目的は、人々の安全ではなく兵器の安全である。
政府を無理強いしようとするとき、
決定的に重要なのは、人間そのものではなく、民間(非軍事目標)と民間人そのもを区別することなのである。
ユダヤ人はアーリア民族を隷属化もしくは根絶やしにしようと陰謀を企てているからこれを根絶しろと主張した。
他人が肩代わりしてあなた方の防衛を引き受けているときに、
其れを傍観しながら、アメリカは武力行使をするべきではないなどと好調な意見を述べるのは、たやすいことです。
命令をくだす者たちも、命令に服していることが。
「赤字削減のために防衛費削減」など提唱しようものなら、反逆者呼ばわりされかねない。
彼らがたとえば医学生ならば、彼らが選んだ職業のエートスに対して、この職業を、笑いものにしてしまっているにちがいない関係状態に、服従することを打ち切ると通告するに足るだけ服従しているらしいこと。
なぜなら、こうした制度敵権力を持つ者たちは、安心立命を得ようとしているので、特権がどうのこうのというよりは、
身代金でわが自由を購おうとしたがるものである。
母校に補助金が支払われるなどということは、身の毛もよだつような数的資料だけが根拠になるような確認であるというよりは、
教育と連邦とのあいだの関係が、そもそも当初から不当であったことを反映する確証にほかならない。
利子は、勤労民衆によって支払われて、それを集めるのに雇用される怠惰な人びとの養うのにあてられるのだ、ということである。
たとえ彼が、ある人の品物を力づくでかれに売らせておいたあとで、それらを買うと主張することによって侵害を隠蔽するとしてさえも、そうである。
強制的な結婚と強姦は、一般に死をもって罰せられる。
彼らの収入は少なくて、人びとの依存させたままにしておくほどに,かれらを目だたせ区別することができなかったのである。
というのもかれは、快楽が善いもののひとつなのに賞賛されないというまさにそのことが、快楽が賞賛に値するあれこれよりもいっそう善いものであることを示している。
美しいことを為す人々を奨励し、劣悪なことを為す人々を抑制するために立法者が名誉と罰を与えると述べられる
逆に、不正な行為に走っても、それはもっぱら偶然のなせる業です。
しかるべき程度よりも強く、また名誉を目指すべきでない事柄を材料に名誉を欲求する人と言って非難するとともに、「名誉を愛さない人」を、素晴らしい成果があるときにもそれに基づいて尊敬されようともしない人であると言って、非難している。
万引きしてもへらへらして親呼んでも「すいませーんでしたwww」みたいな謝り方する奴マジでおるけど、「ぶん殴らずにそいつらを真に反省させる言葉」なんて思いつく奴なんておらんのだよな。 ぶん殴った方がいい
教育や躾を受けながら本人がおこなう善い行為の現実の集積こそ、大人になったときの善さを生む。
それこそイエスキリストを抜きにして神を知ろうとしたこと、つまり仲介者なしに知った神と保持者なしに交わろうとした結果だ。
いかなる人間もその出生事由だけで能力習得の機会が奪われないように教育が、広く普及する
前者の形態の不平等を後者の不平等で代替させることを承認したにすぎない。
なぜなら兵営をあとにする者はことごとく反軍事主義者になって除隊するからだ。
罰をこうむらずにかれらを侮辱することができる。
欲求のほうは活動に直結しないことああるが、活動があればそこに結びつく固有の快楽もほぼ必ず結果として生じるということ、ここから快楽と活動を区別することはかなり難しくなる。
不公正に得られたものである場合には、それは詐称であり、
自由でない状態で得られたものである場合にはそれは恐喝である。
黒枠広告こそ辛口ドラマのエッセンス。
利得は、われわれのあらゆる罪悪のもととしてとがめられるが、しばしばわれわれのよい行ないのもととしてほめられるに値する。
むしろある時にはじぶん自身のうちの偶然性をべつの場合には内容のなかにあるじぶん自身の恣意を放置していることだ。
悪魔という形を取れば悪と偽は特別な主体とすら化するけれども偽なるものと悪しきものである限りでは両者のそれぞれは単に 一般的なものに過ぎないからだ。
区別することが、つまり総じて不道徳であり、悪であることなのである。
そうした表現にあっては真になるものと偽になるものとの両者がそのまままるで水と油のように混合せずただ外敵に結合しているとみなされている。
だから、人は この指令、 つまり 他でもないこの線 を、ほかにも多くの無限の線を引くことができるだろうに引くという指令に、黙って従わなければならない。
恣意的な仕方で動かす原理。
つまり 学が概念を取り戻すことを請求して概念という 学位にとって特有な境位にあって学を呈示しようとする企てを阻止することだ。
公衆の側は喜んで責めを追ってある 哲学的著作が自分には性に合わないことを むしろ 自ら認める一方 代表者や 代弁者となる者たちはこれに対して自らの資格を持って 全ての責めを納税者に負わせるのだ。
結局のところ 絶対的に 真になるものとそれ以外の 真なるものの間に 曖昧な区別を設けることに帰着するのであって それでは 絶対的なものだの反戦平和だの言ったところでそれはただの言葉である にすぎない。
同様に また知と 区別されて この知との関係との外部にも存在するものとして成立 するこの時代的なものという側面が真理と呼ばれるのである。
しかしこれは懐疑主義に対して有する関係をめぐって問題としておいた 消息と、同じものなのだ。
それというのも 力 それ自身に即して言えば この2つのケーキは区別されていないはずであるからだ。
しかしその区別を他のものに対して存在することに他ならない のだとしたら 戦争 それ自体を肯定しなければならないのである。
例えば 詐欺師が言葉巧みにカモに近づいて 善良なふりをして人々を騙そうと笑顔で 彼らに近づく場合であって、其の詐欺師の善良さが、彼の犯した罪を度外視して、評価されることはないと言うことだ。
悪しき行為が良き意図を有しうるはずである。
刑罰はひとえに現象の中で 刑罰なのであって それ自体としては言葉を変えれば他の世界にあって はしかし 犯罪者に対する福祉でありうるのである
権威主義に隷属する者達に言わせないためだ。
つまり 恐怖ならびに 奉仕一般もまた、形成するのと同じように必要でありしかも 同時に奉仕と服従双方の契約に、知らず知らずのうちに半を押しているのだ。
奉仕と 教育も存在しなければ恐怖は形式的ものにとどまって現にあるものが意識された現実的なありかたへひろがってゆくことがない。
智慧や徳。
それは、区別である。
もしも 個性がそれを自分自身において純粋な 必然性である 自ら自信にあって示すことができないとすれば それは差別だということだ。
完全な 責任感を有しているしだいを示しをおえたと妄想している人間だ。
観察する意識は自らの見解に即して対立を自分の見解に適合した 対立 へと変換してしまうのだ。
かくしてその定住が拒絶に至るのは持続的な感覚的区別を観察に対して与えることであり同じことを言い換えれば 党の税収は自分の本質的に規定されている ありがとうをただ存在する規定性の交替という形で示すのである。
その際 個別的なものは類によって量 という本質なき区別のなすがままに任されているとはいえ それ自身生けるものとして そのような 区別 から自由であることも同様に証示している。
しかし どちらにしても 類は区分ということ この性的な営みに際して 普遍的な 答えの側から暴力を被ることになる。
ちょうど臆病者が抵抗するのさえこわくておめおめと殺されてしまうのと同じことだ。
何もかもわれわれの弱さにふさわしくしようとして、
善良な風俗がわれわれに課する正しい従属関係までもわれわれに免除し、
良俗をわれわれに楽なものにする手段をあまりにも求めすぎて、良俗を不徳に堕落させるのは、まさに自愛のしわざである。
特に法外に高い給料で外人部隊を募るためにあるのです。
消費者が商品を自由に選んで金を払うという「投票行為」によって。
人が節制をもってして一つの徳としたのは、偉い人たちの野心を制限するとともに、凡庸な人々の運つたなく能力が乏しいのを慰める為である。
公共社会という名と権利を利用して私利をむさぼる金持の共謀のようなもの以外何物でもありません
どんなときにも手を出すことが危険であるかをわきまえた人こそ、真に能ある人である。
信心を迷信にいたるまで固守するのは、信心を破壊することだ。
彼によれば、聖なる教会は、謙虚さの教えのうちに教育されたので、誤りのうちにある者に対して述べることを、権威によって強要するのではなく、理由を示して説得する
いくつかの軍用機が撃墜されたという裏付けのない報告があり、ビジネスマンが彼の行動によって引き起こされた死に対する補償を支払うことに同意したという提案があります。
ポケモン世界選手権に行って自分のスキルを披露し、誰もいなかったような最高になろうとしたい男
専制に対する公然たる憎しみに寛容であることは、国家一般に対する憎しみに寛容であるのと同じである。
征服や窃盗、略奪が目的で仕掛けられた戦争と被占領地を解放するためとの戦争との区別がついてないのではないすか?
アジア人のためのアジアなる大義のために滅私奉公することの必要性。
それらをフランス語にするという悪がなされたのだから、それらを断罪するという善をなすべきだったのだ。
自宅の権利証書をみつけた相続人がいる。其の彼が、「偽物かもしれない」と言って、それを確かめもせずに放置しておくのだろうか。
この種の人々は私塾の生徒、青二才だ。
これこそ、私の知るかぎり、最もたちの悪い差別だ。
これは、うれしそうに言うべきことなのか。悲しげに言うべきことではないのか。
しかし世界の多くの人は、悪人を阻止する費用を支払いたくないというさもしい試みと、受け取ると思います。
サダムフセインが狙ってたのは、クウェートだけじゃない。
サウジアラビア一体の産油国みんなだ。イラクが石油の生産をにぎったら、
無茶苦茶な値段になってただろうよ。P154 アメリカは正しいか。湾岸戦争をめぐる日米市民の対話。
慈悲は怠惰を許すどころか、反対に断固として怠惰と戦うあり方なのだ。
それはキリスト教が真の宗教ではないと思わせる理由にならない。それどころか、それこそ真の宗教であることを示す事実である。
なんらかの方途をみいだして、
農民が彼らにさしだされた精神文化と無縁でありつづけるのを阻止せねばならない。
もし霊的な富と引き換えに現生の富を与えるなら、
また聖職禄の代価として金を支払うなら、それは明らか聖物売買である。
なぜなら証明づみの配当分配の規則によれば、
不確かなことを目指して働かなければならないからだ。
それゆえ事が起こる前に告げようとしたのだ。それは自分たちの神々の仕業であり、
、その命令の結果だと、おまえたちに言わせないためだ。
そして彼を否認しつづけることを通じて、非の打ちどころのない証人となった。
同じ神の啓示、あなたの面前でそれを顕わにするために、私の秘密を開示してくださった神のおかげです。
これは明らかに行政官が、中立・公平でなく、与党と野党を差別しているのである
文書化を拒否する人は、客観的ルールに拘束されたくないと思っている人、つまり、はっきりとした言質をとられるのを避けようとする人であり、そういう人こそ、最も疑うに値するといわねばならない。
消防車が人をひいた場合に、
消防は国家の権力作用だから損害賠償の責任を負わない。
飛行機事故で家族が死亡した場合被害者が航空大学に行ってパイロットの免許を取らない限り、事故原因を証明してくえないのだろうか。
賃金に差が出ること自体、市場で競争的に取引が行われた結果なので仕方がないと言える。
空港、道路、公園、下水道、公共施設のインフラ。
神を知りもしなければ求めもしない人々について言えば、彼らは自分で自分を気遣う価値がないと判断しているのだから、他人から気遣ってもらう価値はない。
私たちが学んだことは、1930年の列強が和平交渉によってヒトラーの行為を止めようとしたために悲惨な戦争になってしまったということでした。P154
カフェ、文化活動、遊歩道、公園。コンサート、
楽しむ機会は沢山あり、それを可能にしているのは、高い税金である。払った税金の大きな部分が、納税者にサービスの形で戻ってくる。
水路を作ったり、堤防を作ったり、コレラや腸チフス、下水システム
環境保全の設計、社会インフラ。
人間がこれまで野放図な行動によって自然に負荷を負わせてきた。その負債の返済をいま求められているのである。
血の代償として多国籍軍に払ってもいいし、石油の代償としてОPEシーに払うことも出来る。
またもしこの光景が、実際そうである通りに、
いかにもひどいあなたも思われるなら、これこそまさに戦争の結果なのだ、ということを考えてほしいのです。
サウスカロライナ州で車で鹿を殴った場合、鹿を屠殺して肉を慈善団体に寄付すると、税額控除を受けることができます
人間としてのアイデンティティが、その人が何をするかではなく、何を持ってるかになってしまっている
温暖化。有害化学物質や其の他の危険な製品を、毒ガス。
それまで「買う方が注意しろ」だったのが「売る方が正直であれ」に置き換わった。
自らの人徳でも努力の成果でもなく、私たちはこの国で、非情に恵まれた境遇に生まれるという幸運を得ました。
それはちっぽけな利益を無視して巨利をえようとしているのだ。
AI棋士は骨とう品。
われわれがときどき友達のことで軽々しく不平を言うのは、われわれの軽薄さを正当化づけるための予備工作だ。
「自分を愛する」とき、自分の統御されない欲望や単なる利益を、隣人を排してでも実現したいということになるので、此の人々は自分を愛してはならず、高潔で有徳な人は自分を愛すべきだという結論が得られます。
ここから侵略と自衛を区別することはかなり難しかしくなる。
木原誠二の奥サンが羽振りの良い財布(エルメス)が好きだから「だから何」って話なんですが
てかむしろこれって逆に褒めるべきだよね
金持ちの贅沢は庶民の収入だし
金持ちの贅沢をどんどん非難していけば仮にそれが一時の憂さ晴らしであったとしても
庶民から「収益」をどんどん奪っていくことになる
ひとが独自であるかどうかは、自らが例外であることにどれだけ持ちこたえたかによって決まる。
現代では、愛されることと愛玩されてることとの間に、事実上、
区別がなくなっている。愛することと愛玩することの区別も、そろそろ失われるだろう。
教育を受ける自由があるなら、教育からの自由。
つまり、思慮深さとは人間にとって正しく美しく良い事柄にかかわるものであるが、もろもろの徳が「善き人に備わる」性向である以上、
そうした事柄は、善き人がなしうるようなものであり、それを知っているからと言ってそれでいっそう善く行為できるようになるわっけではない。
少なくとも、これほど自然に反した考え方によって
自然本性の損傷を示す実例として、驚嘆すべき役割を果たしている、と。
広島の政治利用、それは人知を超えた魔法、超自然的なまどろみであり、
それを引き起こすのが、全能の力であることを示している。
取るに足らない事柄に対する此の敏感さと最重要な事柄に対する
この奇怪な鈍感さが同じ心のうちに、
同時に併存している光景は、怪物さながらだ。
いったい誰が、こんな講釈をたれる男と友達にしたいと思うだろう。
「強制」と「志願」をないまぜにできるのだ。
身を危険にさらす
確実さと儲けの不確実さを隔てる無限の距離を思えば、確実な危険にさらす有限の幸福と、無限だが不確実な幸福は相等しくなる、と言っても無駄だ。
それは愚かだ。狂気の沙汰だと言明しているのに、その正しさを証明しないといって、きみは文句をつけるのか。
自分のためによくしてくれた人ほどに自分を恩しらずだとは思わない人こそ、恩知らずである。
三角形の内角の和は二直角か、否か、
国が望んだ時、法のことなどお構いなしの其の国が。
自分が親切なことをしてもらうのは、労苦なしだが、相手に親切にする
ことは力技である。
世の中のためになるようなことをやっておきたくて、この曲を作りました。いや、作るんじゃないかな。環境問題を考えているうちに、自然に生まれたんです。
よく知っているがために国民は政府に対して冷笑的であり、
政治にいっそう、あなたに無関心になる、だがそうえはなく、
税金を政治から取り返さなくてはならないのだ。
もしある人が利得のために女通し、実際に儲けを得るのに対し、別の人が欲望のために損をして罰せられるなら、此の別の人のほうは貪欲というよりむしろ放埓であると思われるだろうが、前者の儲けまで得る人のほうは、不正なのであって、放埓でないとは思えるだろう。
外角低めの速球。
もし戦争がどうしても避けられぬというのなら、戦争の原因を造ったものの頭上に、最も多くの災禍が降りかかるように、戦争が行われるべきだというのです。
国家を圧政の下におくということ以外には決して意見が一致することがあありません。
こういう君主こそ、民衆の災厄を食いものにし、平時には国家にたいする義務をろくに果たさない極悪非人の為政者といえましょう。
真実がきびしく守らるべき場合と、不正なしに真実を黙し、虚言なしにそれを変装することのできる場合との区別することが問題なのだった。
お互いに死に物狂いになって相手を屠り合っている連中を制止できない有様です。
一般に共同とは、等しくない他人同士から生まれるものだからである。
政治という特殊な分野については、刑罰の重さの決定と
ある行為や処置を是認するか否認するための判断基準が、その根拠は、
其の否認の強さに比例させて決定すればよいと考えるのである。
喝采を浴びるばかりか、名誉の表彰を受けることができる、
我が子を疎んじて自ら快とするような私の非人道的態度、
ピーチの障害物コースを打ち負かすために、スーパーキノコを食べなければなりません。
自分達の利益のために彼を操作した状況と強力な力の犠牲者だった最後の皇帝の悲劇的な物語。
私たちは、無関心ではなく命を危険にさらすすべての人々に感謝します。
最高裁の違憲立法審査権を自ら放棄する消極的姿勢が、多数派の横暴による立法や其れを支える行政による憲法乱用を糾弾しようとする国民の努力に水をさしている問題がある。
祖国のために死するのは美しくかつ誉なること
かりにどこかの国が、エボラ出血熱のワクチンを開発すると、
其のワクチンを持っている国の軍隊は、エボラ出血熱を生物兵器として使用することが可能になる。
「だが、社会の進歩とより良い未来は、信条の自由を守るために代償を払うことをいとわない人が一定数いてこそ成し得るものだ」
自分たちの意見に反対する人々を黙らせようとする人々に対して、自分の信念を貫いたのは首相としては良いことだ。
いじめに立ち向かうのを他人に任せるのは、責任を取るという姿勢が完全に欠如しているように思えます。
少数の有権者の感情を傷つけるのを恐れて、何の明確な答えもできず、公の場で、自らの信念を口頭で表明することのない低俗な政治家とは好対照だ
ショルツは全体像を見て、祖国のために懸命な決断を下し、愚かなことには反対している。
彼がここで文字通りおかしくなってしまうという事実は、強さではなく弱さの表れです。
宮古島独立、中国と相互軍事力協定を結ぶ。
統治と服従とに関わる教義にとって必要なものは
何かということ以外のことを求めていないこうした
性質の著作において、このような微細な区別をすることの目的は何なのかと言うかもしれない。
このような微細な区別をすることの目的は何なのかと言うかもしれない。
降伏する者たちが彼らの資産の一部で敵を援助するだけであるのに対して、降伏を拒否する者は其の全部を持って敵を援助することになるということを考えるならば、降伏あるいは妥協を援助と呼ぶべき理由はなく、それはむしろ敵にとttr損害なのである。
他人が貧しくなるなら自分もならなければ損だ
反対に、この巨大爬虫類は、環境への適応によって完成された進化の傑作だ。
憂国の至情にあふれているという人間がいたら、狂気と紙一重の薄気味悪さを感じる。
極端な累進課税重税の下では、贅沢が「タックスシェルター」「税金逃れ」となる。
特定の人間がいつどのような死に方をするかを予言することは、
どんな易者にもできない話である。もしそれができるなら、
生命保険会社は易者を重役にするだろう。
売買と言うのは、交換の一種であり、互いにそうした方が得だと思う場合に、はじめて成立することになっているが、自分は得だと思っても、相手は損だと思うような場合に、交換を強要すれば、それは脅迫行為となる。
自分自身の損害と公的な損害との従犯であると見なされてよい。
高級レストランが松坂牛だと偽って安い肉を出していたら「絶対に許さん」と憤るのと同じ構図です
思い悩むことを恥じるより、自己の殻にとじこもって教えを乞わないことを恥じるべきだ。
就職試験で不採用とする人も、将来は会社のお客さんとなる人である。
人々が僅か僅かと思いつつ支出する経費の集積ほど恐ろしいものはない。
失敗を恐れるより生活に工夫のないことを恐れたい。
自分のふるまいの正邪がそこにありのままに映し出されてくる
貧困、苦痛、恥辱、そして病気や死、そのほかのこの種の、きわめてみじめとされていることがらは、たいてい意に反して生じるのであり、決して欲されて生じるのではないということ、こんなこともわからないほど人生にうとい世間知らずの人間がいるでしょうか。
この場合には、だれでも自分を不当に買いかぶり、不相応に愛しているところから、愛や信頼の念や親密感が桁外れに大きく、しかも、あざむく者とあざむかれる者とがまったく区別できない
偉大な精神にふさわしい仕事の一つは、
他人を嘲笑から救い出して自由にさせ、
自分自身をもっとも有能な人とだけ比べることであるからである。
自己の汚辱を憎んでいながらそれを洗いおとさず、自己の誤った道に気づいていながらそれを捨てず、さしせまった危険におびえながらそれを避けないからだ。
この場合、臣下は、自分たちのほうこそまず奉仕すべきだっただけに、最善をつくして主君に仕えようとすることだろう。
みずからの天性の規範にいつまでも従うことを恥とし、此の規範の手綱を断ち切れないのは隷従を意味すると思い込んだのだ。
死へとひきずってゆく縛めの縄をよろこび、しかも、みじめのきわみというべきことに自慢している。
なぜって、誤った考えをいだくのは無知のしるしだが、誤ったことを厚かましく主張するのは、無知でしかも高慢であることのしるしだからね
自分の知っていることを残らず述べたてるのは、友人をたすけるというよりも自分を見せびらかす人のすることだ。
あらゆる狂気のうちでも破滅的で恐るべきものは、最高の必要事にあてるべきものが充分にあるかどうかわからないのに、まるで充分すぎるほどあるかのように、それを笑うべき虚栄のために浪費してしまうことだ。
そのような賃金や、報酬が隷属状態によって生まれる負担を上回るような利益となることがあるのである。
使用人の地位の強奪と、主人の地位の強奪が同じものであるわけではない。
あなたが何が苦痛を与え、何が快を与えるかをあなたをより知っている人物が他にいるだろうが。
更にその不法行為によって受託者が利益を得る場合には、
其の不法行為は、着服と呼ぶことができる。
ところで此の責務が、片方の当事者だけに生じると想定するならば、
この婚姻によって生まれる地位は純粋な奴隷状態と区別できなくなる。
パン屋が実際には質の低いパンを良質なパンの値段で販売したとすれば、それは買い手に対するある種の詐欺である。
行政官が自らの権限に於いてその部下に
賞罰を与える処置をとったときに、其の賞罰が行政官の上官が自らの権限に於いて同じ部下に与えた賞罰よりも下位の者である場合は、愛と呼ばれる。
現在すでに使用されている名称を選択する際には、
地方的な区別に基づいた名称は避けるように心がけた。
良心の呵責にとりつかれているほかの道理をわきまえた同僚たちに対して、ただ自分は責任をとっているのだから、などということがあってはならないようにすることこそ肝腎なのである
これこそ私たちの本来の存在が虚無に等しいことの何よりの証拠だ。
ロシア教科書、ウクライナ侵略で戦死した兵士を「英雄」と紹介…若年層に「大義」植え付けか
フォークランド諸島には大規模な軍事基地などは存在せず、主要産業 である牧羊業のための牧草地が広がるが、その多くはいわゆる不在地主の所有である。住民の大多数はイ ギリス系植民者であるが、その人口は 1931 年のピーク時でも 2,392 人であった。つまり、島の産業は前 述の牧羊業を別とすれば漁業ぐらいしかなく、収入は羊毛の輸出に頼るだけであり、イギリス本国からの 定期便もなかった。また、社会のインフラはアルゼンチンに完全に依存していた2。 http://www.nids.mod.go.jp/publication/falkland/pdf/003.pdf
つまり青少年の人格形成の基本権を損なうことでになるので、
体制的制度化に順応する大学教員たち、例えばストライキ破りのたちのまえで講義を続行しているような大学教員たちというのは、
彼らの意図に反するとしても基本法破りの片棒をかつぐ責任を犯しているのだ。
まさに個人やグループなどが機能的に代表していればこそ、其の知覚のうちに「体制」の暴露や弱体化が発生するのだという点だ。
ありとあらゆる口実をもうけて其の手続きをサボタージュするように取り計らうべきではなかったか。
自分の良心に対してはたえず事後承認をしいるのだ。
甘受されて然るべきである。
それを政治と文化とを対等に区分しなくてならない自体が不健康なのである。
公共の責任の担い手たるものが自分の公僕たる職務機能を誤用して過失を犯したのだ。
というのも、かれはいかなる定性分析もおこなわないまま、活動ルールの破壊者たちを批判的に十把一絡げにしてしまったうえ、
彼らが立ち向かっている既製制度にたいしては
批判を差し控え、二種類の尺度で測定し、活動ルールに依拠しているという人々にとって活動ルールが護持されていないことには口を閉ざしているのだ。
体制的社会部位が実に鉄面皮に、業績規準に対する特権意識的不可侵性を振るいながら、大臣から警察官にいたるまで特性も資格もない言語同断な業績をひたすら遂行しているのである
じゃあナチスの将校も祀ったらいいじゃん。同じ同盟同士で、アメリカと戦ってたんだから。
こぞって教育の欠陥や失敗を言い立てる声がある。いや、むしろ、それらは教育の完備と成功の予想外の成果なのではないか、と問う声が聞こえないのは、どうしたことか?
語られる毎に虚構し直される物語だ。
殺人嘘つきの隠れに対して行進する殺人嘘つき
何者かになりたいと切望する者は、何ものかになりたいという其の熱望にあざむかれることを避けて、何者かになることを極度に恐れるようになります。
この病める者への愛と、お命じになる方との権威とのゆえに、服従せざるおえません。
単に死あるいは他の辛い処罰への恐怖から生まれるからである
ゆえに辛い処罰を与える恐怖の権威が消失すれば、其の兵士もまた、どこであれ、彼が保護を得られる望みをもっとも多く持つところに保護を求めてもよく、彼らの新しい主人に降伏する結論が導き出されるのは疑い得ない。
「庶民は無力でも善良でさえあれば権力が救ってくれる」
一番税金の安いところに働き者が逃げてしまうから、国内にはもらう人ばかり残って、税金や保険料を出す人はいなくなる。
「エイド」という看板を下ろして、日本自身で「国づくり奨励金」などの名前を考えて出した方が良い。
苦痛ではなく、束縛であるはずだということを理解しない人はいないだろう。
政権が変われば、日本が援助したマルコス政権が
フィリピン人を弾圧してたため、日本は人民の敵であったと逆に批判される。
例えば、農村では、井戸の水汲み労働は子どもの仕事である。
マルクス、法律を守る保証となるのは、個人的資質ではなく、個人的資質の恣意を防ぐ保障となるのが法律である。
侵犯の等価の罪の償い。
其れは罪の免除を、販売可能なものにするからである ホッブズ
せっかくの縁に気づかず、活かさないどころか、背信行為や不誠実な態度に走り、居直るさまは驚くばかりです。
信仰の恩恵が罪の放免であると考えることは、我々が、同時に、不信心の代価は、同じ罪の保留であると考えるのでない限り、不可能である。
最もらしい弁舌や教義によって人々を欺く技巧との双方を備えたすべての者たちの詐欺にかかりやすくさせた。
しかし、ここでも、鞭によって意味されているのは、違反者達に処罰を与える権力ではなく、単なる破門の権力であり、そしてこの破門とは、それ自体の本質においては処罰ではなく、キリストが審判の日に彼の王国を持つことに科すであろう処罰についての告知にすぎない。
任命した裁判官によって告知された決定に従うように人々を強制する正義の剣を備えた人物にほかならない。
授業料が高騰すれば、あらゆる世代が起業を諦める。資金援助を受けたメンバーや、高校生、大学生など若い投資家への投資だ。
詩人たちが特別に雇用を確立することによって、公共の平和と、それに必要な臣民たちの服従とのために彼らの畏怖を統御する機会を与えられ、そのうちの一方を、諸法の尊守への拍車とし、其の他の者を彼らによる諸法の侵犯を引き止める手綱として、前者を善い魔物、後者を悪しき魔物とすることになったのである
自分はいいかげんな補給計画、作戦計画しか立てないで、部下の「やる気」を当てにし、事がうまくゆかないと、其の不足に責任をなすりつけて部下を責める卑怯な上官を生み出す余地を与えたわけです。
全ての戦争は、悪だと定義づけることで、真の徳と偽りの徳を定義することが、不可能になったのではないか。
地球温暖化を防ぐために停戦を促すことは専制国家が毒ガス等の有害物質を巻き散らして他国を攻撃するぞと同じと言うに等しき人権侵害だと言うことが分かってるからだと。
だが人々の選択肢をどんどん制限していけば、仮にそれが彼らを救うという名目であったとしても、その人達から「責任」をどんどん奪っていくことになる。
男性ならみんなに「男らしさ」が強制されることを批判しているのです。
ある行為や処置を是認するか否認するための基準が、共同代の幸福を増大させるか、減少させるとその人が考える傾向によって決定されている。
其の場合には人間の数と同じだけ、善悪の基準が生まれるのではないかと、自問してほしい。
政治という特殊な分野については、刑罰の重さの決定とその根拠は、その否認の強さに比例させて決定すればよいと考えるのである。
友愛と敵対感情の快と苦痛は自己にかかわるものであり、慈愛と敵意の快と苦痛は他人にかかわるものである
定義の誤りは計算が進むにつれてより大きくなっていきついには誤りの根本が潜んでいた最初から新たに計算を始めることなしには避けられないことに気づかされる背理へと至るのである。
人間の命令は彼の意志であるなどと言う人々が増えることになる
同じものが、その「害」を抵抗によって回避できるという希望を伴っている場合にには「勇気」と呼ばれる。
現在の利息の支払いのために高利で借金することを意味する借り換えから来ている
偉大な精神にふさわしい仕事の一つは、他人の欠点に大笑いすることなく、他人の嘲笑から自由にさせ、自分自身を最も有能な人だけと比べることであるからである。
しかし自らの他人と比較することに喜びを覚える人間にあっては、優越感だけが喜びとなる。
人は、其の本性上、抵抗しないことによる確実で即座の死というより大きな害悪よりも、むしろ、抵抗することによる死の危険というより小さな実害を選択するのものであるからである。ホッブズ
厳密に言えばそれ自体において良いとか悪いとか言うことができるのは快あるいは苦痛についてだけであり、その高価において良いとか悪いとか言うことができるのは、苦痛や快をもたらすかそれを妨げるものについてだけである
私有財産が存在し、すべてのひとがなんでもかでも金銭の尺度ではかるようなところでは、社会が正しく治められたり繁栄したりすることはほとんど不可能だと思います。
お互いになんの区別相違もないような人間のあいだで、どういう権威がそのかわりに通用しうるのか、私にはまったく想像もつきません。
其れは其の未成年者の権威の維持に本来的に最大の関心を寄せ、其の未成年者の死や虚弱化によって最小の利益しか手にしない人こそが教育すべきであるというものにほかならない。
なぜならば、子どもは、自分を保全してくれた彼に従うべきである。其の理由は、生命の保全ということが、人が他者に服従する目的であるから、各人は、自分を救うことも滅ぼすこともできる人に服従することを約束するものと想定されることにある。
勝利者の現在の怒りを服従によって回避し、自分たちの生命や身代金や奉仕によって宥恕してもらうことである。
軍隊が闘うときに、一方の側、又は両方の側に逃亡する者が出るが、しかし、彼らが裏切りからではなく、恐怖心からそうした場合、其れは不正ではなく不名誉な行為だと見なされるべきである。
客に「いつか上がります」と言って保有を続けさせ、損失隠しという弱みを握っておけば、其の弱みを、武器に報酬を受け続けることができる。
アメリカの親たちの口論の原因は、子供のしつけをめぐってのことである
政府に反対する抗議デモや示運動を組織することは認められない
公正さからでた行為が損失を伴う場合、それは度量の大きさの印として、名誉なことである。
失業してもセーフティーネットがあると思えば、いま過労死しそうな正社員も辞めることができますよね。
公務員は景気が良くなっても給料が上がらない。
転移が生じる度に疎外の状況が生じ、それこそがおそらく真の分析的プロセスの障害として機能するのだ。
買収のような手段に訴えて内戦を先送りにする。
野心的な臣民を貨幣や昇進でおとなしくさせたり、
事実、貴族院という議員は、革命を排除する防塁ではなく、革命が起こりそうもないことを示す指標なのである。
その男に、有利な判決を下したとしよう。この場合にはすべての人はこの動機を忌まわしいものとみなし、不正であるとか偏愛であると呼ぶだろう。
ある政治家が賄賂を受け取っていることをあなたが発見して、公共の利害のために其の事実を明るみに出してその政治家を告発したとしよう。
靖国神社に祭られる兵士が価値判断を度外視してるなら、君主を暗殺しようとした共産主義者も祭るべきである。
なぜならば人民は、主権者の権威から其の活動の指針を受け取るべきであるにもかかわらず、ある野心的な人の甘言や評判に引かれて、法への服従から引きは離され、其の徳性や意図については何も知らない人に従うようになるからである。
材料から存続する限り存続する家を建てるための基礎や理性の原理を、そのようにうまく建てられた家を見たことがないからという理由で否認するのと同じように悪しき論証である。
刑罰によって科される損害が犯行による利益を下回るなら、それは敬罰にならない。
結局それは世を一般的等価物に従って人間を中立的支柱にくくりつけることを、公然と奨励する行動なのです。
老人に対して厳しくsることは、其の大部分が主権者の責めに帰せられる無知を罰することである。
あなたの友人たちは、そのように呼ばれることを防ぐために、おそらくあなたの動機を公共精神と言い換えるだろう。
不法行為によって示される気質の堕落度を測定する規則。
そこでたとえば名声への愛に対しては、あらゆる機械をとらえてそれを誇示であるとか虚栄であるとか自惚れであるとか呼ぶのである。
ある兵士が、敵兵に逃亡したとしよう。そのような場合には、すべての人はその動機を軽蔑に値するものと考えて、それを臆病と呼ぶだろう。
内田樹はこんなツイートをしながら「今こそ停戦を」のエセ平和団体の運動に名を連ねてることが最低ですね。「侵略に武器を置いて対話しろ」とかいう人が、日本の戦争を反省してるとは思えません。何故ならこの主張を貫徹すれば、日中戦争は、日本との対話を無視して、抵抗を決断した中国もわるいと主張できるからです。
彼が保有する量は全く無関係であることを明確にしてもらえないだろうか。文字通り、たった一人で、何百人もの人々を滅ぼすことができるからです
貴族が富の支配、つまり金銭を拒む宗教を阻止しているのである。
大文字の人である貴方に対する敬意の深さを表現することは不可能です。
神があなたのかけがえのない仕事において力と健康を与え、あなたとあなたのチームが謙虚になって、私たちの息子たちがひれ伏すのを助けることができますように。
公務員への賄賂は、誰かが設定したというものではない。
区別は相互に利益を与えることによって人々の自発的な協力を得ればければ効力を持たないのに対して、差別は、強制的に上から押し付けられるものだからである。
政府が公共事業に税金を投じることは、納税者が自分のニーズに応じて行う消費や投資の代わりに、儲からない事業に資金をつぎ込むことである。
人は「濡れ手で粟」で利益を得た行為が、実は「不正な行為」ではないかと疑う。
例えば遺伝子組み換え技術を用いた食品のボイコットする自由もなくなってしまう。
国家機密さえもカネで売買されることになる。
不養生な生活を送り病気になる人々がたくさん出てくるだろう。
例えば損害賠償を支払わない不法行為者を拘束して、
其の労働の対価を被害者への損害賠償に当てさせることも可能になるのではないか?
政治家の公約は、商人の公約ほど当てにならない。
自分のことを「大きい主語」で語れる人」
公印や通貨を偽造することは、私人の名を騙り、私人の印章を偽造する事よりも罪が重い。
なぜならそのような人々の場合、犯罪に手を染めたばかりか、それを、他のすべての人々に対して従うべき手本として示したことになるからだ。ホッブズ
もし世の中にある戦争が全て悪なら、、侵略に対する抵抗国に対する程施しも罪になる、ということになるだろう。もし、戦争が悪であるならら侵略国と其れに抵抗して占領地の人々の侵略に対するレジスタンスとして闘う陣営があれば、其の両者を、一般的等価物に従って人間を中立的支柱にくくりつけることを、公然と奨励し、自らの道徳的尺度に従って、侵略された国の人々が危険にさらしていても、それに対して完全に沈黙することは良いことだとの誤った結論がでてくるのは、避けられない。
なぜなら後者の場合、責任の一端は社会全体の不甲斐なさに帰せられるのに対し、前者においては、犯罪に走った者の怠慢が歴然としており、そこには主権を軽んじる気持ちがなにがしか働いているのだ。ホッブズ
外国人に使嗾されて徒党を組んで国家権力を弱めるために教宣活動を促進し党派を結成するというのもある
電力会社の社債の償還金は、全て我々が支払う電気料金から捻出される。
身体強健な貧者に施しを与えることが不可という制定法が作られたら、この法律の成立以後は、貧者への施しは罪になる、ということになるだろう。
其の付加価値の差をもたらすものを総称して「差別」と呼んでいるのです
たとえば無関心であっても、少なくとも彼らはあなたの話に耳を傾けてくれました!!!
国の援助が増えれば増えるほど、本当に天職を持った芸術家を見ることが減り、おいししい気前がいいという理由で、この仕事をしに来た人々の姿が増えることになる。
しかも降伏する人々は、敵を、自分たちの財産の一部を持って支援するのにすぎないのに対し、降伏を拒否する人々は、結局のところ全ての財産をもって敵を支援することになる
公共サービスチャンネルで定期的に見られる、かなりの数の俳優が公務員になるという現象さえ目撃しています。
どうして物乞いの要求が、貴族階級のこの特権的な瞬間を妨害しに来る余裕があるだろうか。
彼らの良心を晴らすために極左に近い意見を採用する義務を感じている。
看護警察の教師は国から給料をもらっているし、社会保障もあるし、それが彼らの口を閉ざしているわけではない。
対ゲリラ戦のもつ倫理的には中立的とされる技術的ジレンマを解決する策略としてただひとつ使えるのが、大量破壊でしかないと実現しました。
国連が「難民救済計画」に年100ドルを投じていますが、其れも
直接的軍事支援と数えるべきでしょう。何故ならこの計画は主としてジュネーブ条約の下で、「パテトラの支援する地域における反米ゲリラを支援する計画」であるからです。、
おそらく何も勝ち取ったことのないみすぼらしいデュポワン側の非難の後、
これが私がみる最後のルポワンの疑似ビデオであることを名誉のポイントにしている。
彼女は自分を映画を編集できないとは言ってません
。それどころか、そして、この例外が、公共政策の超リベラルなイデオロギーによって、
脅かされているからこそ、それを守ることが不可欠であると思われるのです。
この文化的環境は圧倒的に左翼が州や地方政府の補助金を糧にして枝折、
吐き気を催すような関係を育んでいることを私たちはよく知っている
政府からの報酬でジャンクジャーナリズムはどうなるんだ。
彼女は其の知名度を利用してフランスの問題について語るまえに権力の手先であるルポワンを恥じるべきだ。
べドコンから兵員補充基地を取り上げることを念入りに図った難民計画を設けるべきだ。
火曜日は消防士、水曜日は爆弾処理、
「詐欺商法のカモになる人たちの名簿」
私利私欲と虚栄心の娘である忘恩は、小さな魂の悪徳です
補助金をぎっしり詰め込み、スープに唾を吐きかけてようになったとにかく国民がその映画を見に行こうとするのを阻止しようとするのは非常に強力だ。
これらの人々は言論の自由を危険にさらしており、それを完全に沈黙させることを夢見ています
いや、でも、私は、夢を見ているのに、
莫大な給料でフランスに敵対して働き、私達を貧困にするだけで、腐敗し、ポルノ本を書くのに時間を費やしている閣僚たちは皆、
恥を知れと思っているのに、ジャスティーヌの給料のことを非難しているのです。
わたしを速やかに殺すという公然たる違法者になる可能性だけを彼らに残す。
アマゾンやインターネット書店は、書店を殺している。ネットフリックスはビデオ屋を殺している。chatGDPは、学校を殺している。学校は得ることのない失敗した投機だったのだ。
此の戦争は得ることのない失敗した投機だったのだ。
見直しの中で、これまでは政府が事業を行うのが当然視されたものでも、民間でも運営が可能ではないかという事例も出てくるでしょう。
移民を受け入れるのは無理だと強く異議を唱えるのに移民が来たがらない程の貧しい国の状況に陥っているという事実に誰も異議を唱えないのは驚くべきことです
侵略戦争はひとえに自らの道徳的尺度に従って他の当時者が犯していると称する犯罪について甘やかし見て見ぬふりをすることで自らのもとには火の粉は降りかからないのだとうぬぼれる場合に起きるのですというメッセージが良い
カニエ「俺はヒトラーが大好きだ!彼はマイクや高速道路を作った」
いいえ、ヒトラーはマイクも発明してませんし、
高速道路もヒトラーの発明ではありません。
単にナチスの戦争準備計画の一部でした。
ヒトラーは役に立つこともした.逆です。役に立つことで”役に立たない”ことをしたのがヒトラーです
ウクライナを支援を呼びかけながら自分は安全地帯にいる人間を”偽善者”と呼ぶのは、間違っているよ、むしろ、自分の身を犠牲にしてまでウクライナにいる人を支援、又は愛することを
安全地帯にいながら無理強いするものこそを真の意味での”偽善者”と言うべきだ
ですからわたしは「そんなことを言ったって、あれはもう過去のことじゃないか」ということばを口ぐせにしている人々以上に信用のおけない人間はいない、と思っています。
DNAを切ったり貼ったりすることができた。このようにDNAを自在にコントロールし、生物をデザインして、変えてしまう技術が遺伝子工学なのです。植物の光合成のシステムを人間の細胞に導入し、人間でも光合成してしまえば、仕事もせずに、一日中公園で日向ぼっこしているだけで、CО”を吸い込んで、О2を吐き出す。P212 カリスマ先生の化学
資本主義国家の果てに、社会主義国家が生まれ、其の果てに、ご都合主義国家が生まれる。
ロシアは、隣人がついに妻に長い間必要とされていた武道の訓練と身を守るための銃を与えることに腹を立てた暴力的な夫のように振る舞っています。
あらゆる行動は、其れがふつうの他人に強化される仕方にしたがって良い悪いが言われる。
行政が秘密に満ち、どこまでもごまかしであること自体、インドシナで起こしている戦争の具体的事実に国民がどう反応するかを、
政府が恐れていることのなによりの明白なあかしにほかなりません
プライべーどで充実していない逆張りロシア派ですね。
一生モノのコンプレックスを抱かせる。
これからの介護には、「ホスピタリティ」の視点が求められてくる。
「他者に強制しないこと」を強制しなければならない
「プロパガンダ」という言葉で片付けることに批判的である、
其れは政治的「怠り」によって第三帝国を将来した人々に、
意思なきプロパガンダの受け手(被害者)としての免罪符を与えることになるからである。
ある人間をみずから意のままにする人は、其の人間が意のままになしえたすべてのものをみずからの意のままに処理するからである、
福祉が充実してないと、人はお金を使わなくなる。お金周りが良くないと、経済は低迷する。
老人を迫害すると、若者はなるべく老後のためにお金を貯めて、年を取ったら他国に移住しようとする。
人間の共感が信じられない程欠如している証拠であります。
あるいはその合議体を解散する権利が、自然的人格であると政治的人格であるとを問わず、他のいかなる人格にもないとすれば、そのことが、その人もしくは合議体に絶対的主権があることを示す一つの誤りのないしるしである。
売り手と買い手の双方が価値の裁判官とされており、其の売買と共に満足しているのなら、
何人も、こうしてその人に対する自分の仁慈もしくは好意を信頼している人も、其の信頼ゆえにより悪い状態に陥らせてはならないと、
人が、代償として受ける利益を考慮しながら、権利を譲渡する場合、これは無償贈与ではなく、相互的な贈与であり、契約と呼ばれる。
赤字なのにもかかわらず、国債を銀行が購入するのは、銀行が日本の財政システムの将来を楽観視していて、政府の収支が破綻しない、と考えいるからだ。
わが国は、高度成長期に外国から資金を借りて東海道新幹線を建設したP16 財政赤字の正しい考え方
独裁者は過去について嘘をつきますが、将来の計画については真実を語ることは素晴らしい観察です。
俳優には国からではなく映画の対価として給料が支払われている。
彼女の「自由主義」は世界で最も補助金を受けている映画であり、最も保護的な法令であり、コロナ鍋においては前例のない金の放蕩行為である。
Justine triet
権威主義政府の残酷さを示す此のスピーチ。
此の森達也って左翼のおっさん
昔から個人的に大嫌いなんだが、何この一文
「露軍機が宇の砲弾で撃ち落とされると歓喜に酔う群衆の声にぞっとする」→宇の空が守られ、命が救われたことに歓喜を上げる時が起こり得るという単純なことが想像できない自称リベラルの知性の劣化に震えを抑えられない。
自分の国が道を踏み外したとしても助けるのが愛国心だ
と言ってるロシア人が、インタビューに出てきて結構ゾッとした
「自分の中の愛国心を、政府に対する愛だと勘違いした感情は、権力を利用して恫喝すれば何でもできると考える恐怖の独裁者に利用されます」とちゃんと学校で教えないからこうなるのだ
強欲を許してもらうために公に良心の呵責を晴らしたいと願うブルジョア左派を代表している。
此の価値のない暴利を貪る政府に対して動員したフランス国民に千の感謝を。
今日の指導者たちは、なんの複雑な気持ちもなく、まったく罰せられず、極度の恩知らずの態度で、国民と従業員に対して前例のない暴力を行使しており、其の立場は画面の後ろでなく刑務所であるべきである
一つ言えるのは、すべての真実を言うのは良くないという事であり、主に納税者によって、
資金提供されているのは、政府時代の小さな下僕であるあなたたちの責任であるということです。
しかし中国人を殺したのは其の無関心なのだ。
頭のおかしい奴が学校で銃を乱射して殺された子供を移送する際の遺体袋までGDPに加算されるのだ。
その軍隊が世界で最高または2番目に優れていると言う国での驚くべき状況。民間警備会社の所有者は、まさにその軍隊を放っておくと脅し、国防相を口頭で攻撃しています。
補助金が詰め込まれた小さな特権部門を守るという道徳は何だろう。
一方の悪の側は、エンジニアリングにおける優れた礼儀正しさを行使することによって、他方を凌駕しようとします。
”最大多数の満足最小の不満”これによって各人は、暴力的な死を、いわば自然の最大の実悪として(最小努力の原理で)避けようと努めるべきです。
この場合、社会保障による返還からいつか「恩恵を受けてる」すべての人々は、フランスと其の制度を批判する権利を失うことになるだろう。
国家の現状を転覆させるために野心的な堕落した人間たちと結託するようになります。
しかしあの雲のごとく空しい「正義」の似姿をかき抱いて、二つの形を持った教説が、すなわち一部は正しく美しいが、一部で粗野なあらゆる争いと流血の原因であるあの教義を生んだ、と
「日本自身が在日米軍基地を追い出さないのなら核攻撃するぞ」と威圧してきたら、
日本はPKОにおいて武力行使はしないとしているが、国連は1999年以来、「武力行使をしてでも住民を人権保護任務を全うすべきである」としている P114 軍事のリアル。
こういう連中は、汚い連中を使って当選し、おそらくは買収への投資を元手にして大儲けするだろう。
AIには、社会的地位の付与を通じた買収が通用しない。
ところが、貴族院は、社会的地位という報酬を与える側であって、受け取る側ではない。
知性を大して働かせる場面もなく、生活も面白みに欠けること、これらについて、明らかにしてみせたところで、誰も聞く耳を持たない。
こういうヒトは、自分の考えを他人に守らせるのが正しいと確信していたり、
自分の考えを力づくでも守らせてやりたいと思っていたりする。
自分が買った価格以下では決して売らないと心に決めるのは其の人の自由だが、買い手が現れない限り、売ることはできないのだ。
カンボジアのポルポトを阻止したのは、ヴェトナム人であったし、
ウガンダのイディアミンのタンザニア侵略を阻止したのは、タンザニア人だったP147 戦争を論ずるマイケルウォルツァー
チャタム卿が、人民の誇り高き護民官として、君主に対しても、他の人々に対してと変わらず尊大な態度で挑んだのではないか、
戦争か平和かという運命の岐路を決定する秘密交渉を、無能だと評価されて、その凡庸さのために出世し、友人からも尊敬されないような人物の手に委ねて平気な者など、国民にも議会にもいなかっただろう。
手段を守らないことによる利益が、しばしばその行為がもたらす損失に勝っているように見える。
多くの人が働くのをやめれば、生産者はよりよい機械や設備に投資するようになります。
保護された生産者は、国内の全ての生産者を犠牲にして、利益を得るのであるが、しかも、とくに犠牲になるのは、相対的に大きな潜在輸出市場を抱える生産者である。
我々の最大関心事が我々自身にあるからといって他人の同じぐらい強烈に我々に関心を持っていると思ったら大間違いである。
機械が労力を減らすなら、あらゆる労働者ができるかぎり、非効率かつ非生産的になればよいという結論に帰着せざる得ない。
成功しても他人を公平に見ることはできないとすれば、其の成功は当人の真価とは無関係なものだった証拠である。
友人が我々のために悠然と弁護することなく沈黙しているとすればそれは暗黙の非難なのだ。
自分自身が殺されたり、人生を棒に振ったりしてまで、後の時代の他人たちが、よくよく改革された状態にあるようにしむけるよりは、自分自身が現状を享楽するようになるといういうことである。
其の国は、国民に高い製品を無理やり買わせているのだ。輸入すれば安く手に入るも尾を、
不必要な資源や、労働力、原料や資源を注入して自国で作ろうとしている。
私はあなたが一般的に交渉の良い結果を望んでいないこと、そしておそらくこれらの交渉をまったく行わずに敵対行為を続けることに賛成していることを正しく理解していますか?
私達の政治家が、多くの血が流された後にのみこのように戦うのではなく、若者を死に追いやる前にこのように戦った世界に住んでいたらいいのにと思います。
意図した行為あるいは故意の行為を、幸運あるいは不運により引き起こされた行為と区別するためです。
生活保護は権利である、ということを教育課程のどこでも教えられていない。
「生活保護を受けている奴は何か裏があるんじゃないか」という感触が生み出される。
賢者は征服するよりも深入りしないことを得策とする。
権威は、ある価値であって、それがあるために、外的な裁定とは独立に、命令への服従がなされるのである。
1492年にコロンブスがアメリカ大陸に上陸した後、彼らはタイノ族がグリルで肉を焙煎しているのを発見し、炎と煙が肉を包み込んで特定の風味を出すことを可能にしました。タイノ族によって「バラビク」と呼ばれ、この技術はヨーロッパと植民地に広がり、現在は新幹線として知られています。
インドのパイププラントは、クロロフィルを含まないため、光合成を行わない珍しい植物の1つです。それは光合成木からそのエネルギーを得る特定の真菌を宿主とします。
高決と呼ばれるものから、所有し続けることへの欲望と失うことへの恐れを取り去ってしまえば、たいしたものは残らないだろう。
梅村みずほ。可能性。
アメリカ大使に出ていけ。LGBT
税を課す者と、税を要求する者とのあいだで、間違いなくいざこざが起きることになる。
簡単に言えば「議会制民主主義と人権を守る私たち!!!敵対する政治勢力は人権を無視し、ファシストである!!!」とレッテル貼る、ナチスが敵をすべて共産主義者扱いしたのとおんなじ政治手法をとるから信用されないんじゃないですかね。
われわれの改悛は、犯した悪に対する悔いであるよりも、むしろその悪の報いとして身に及ぶかもしれない悪に対する恐れである。ラ・ロシュフコー
運命は理性の力では直せない数々の欠点を改めさせる。
大きな称賛をすでにかち得ている人が、その上なおも自分のえらさをつまらぬことによって、
認めさせようと懸命になるとは、まさにこれ以上の恥さらしはあるまい。
だからこそ公然たる盗みが、敏腕であり、不当に諸州を奪取することが征服と呼ばれるのである。
つまり助けを必要とする人は、自分が困窮しているのは自分の落ち度ではないことを示さなければならないのだ。
市場経済における成功が運に大きく依存しているとすれば、自分が稼ぐお金は優れた功績や手柄への報酬だと主張するのは難しい。
能力主義の理想は解決ではない。不平等の正当化なのだ。
盲腸の手術をする医者に向かって
「ナイフで人を切ったりするのは人権侵害だ」って言うぐらい理不尽
相互に義務を負い犠牲を分かち合うという目下進行中の営為にみられる強度うつぃ意識
若者は血気にはやって好みを変え、老人は惰性で好みを墨守する。
大丈夫、ロシアは西洋人から与えられた言葉と署名された合意は、それを信じる者を拘束すだけだけであると学んだ。
最も恵まれない人々を攻撃する指導者は尊敬にも称賛にも値しない。
ある国民がみずからの法に注ぎ、みずからの法を貫くための支えとする愛情の力は、その法を得るために費やされた努力と労苦の大きさに比例する ぴ42 権利のための闘争
ある国民が一平方マイルの領土の為に、
その価値の大小を問わずに闘うべきだというならなぜ農民についてもわずかな土地を得るために闘うべきだと言わないのか。
自らを共和党員であると宣言する政治家が、疑似感情を抱いた思春期を離れ、
現実的な診断に先立って現実主義を貫く大人の公生活を始めるときが来た。
われわれは、彼らの過ちを正そうというつもりはそれほどなしに、むしろ、自分がそんな過ちとは無縁であることを彼らにとくと分からせるために、叱るのである。
利益供与に大きく傾いてる精神のバランスシートにおける代償に値する。
この制定法は、言葉それ自体を、大逆罪の対象としているのではなく、意図を大逆罪の対象としているのであって、言葉はまさに意図を立証するものなのだ、
計画するという事自体が、計画を狂わせる唯一の元凶だ。
天皇を厳守にしない方が良い。テロに狙われるから、
何も意思表示しないことが最高の意思表示だと思っているフシがある。
暴力沙汰を絡んだあらゆる不府侵害訴訟
訴状作成文書
管轄権にかんする裁判所間の争いは、どの裁判所がより多くの訴訟を
審理するかをめぐっての争いなんです
鈴木宗男が、プーチンを日本に呼びたいのだそうです。、
そうなると必然的に、(ICC)国際刑事裁判所 の加盟国である日本は、プーチン来日後に逮捕っていう、無理やり最終回になって打ち切られた少年漫画みたいな終わり方になってしまいますけど、それで良いですか?
同胞市民に対して戸に鍵をかけるのみならず、家人に対しても金庫や宝石箱に鍵を掛けることなしに就寝しないということである。
どうして、そのような捕虜を、信頼して身代金を求め、殺さないでおくべきだということになるだろうか。
国王として加害者側にできうる限りの賠償を約させることもせずに、
加害者に恩赦を与えるなどは、あってはならないことだと思う。
財産、責務、職位のすべてを没収されるというのは、それらのすべてを、損害賠償という形で、被害者の身内に与えられるならば別だが、そうでなければ残酷な話だよね。
人間の「値打ち」を血筋で評価、高貴の生まれであることも、祖先における力のしるしとして、七光りによって名誉あることである。
多様な生への理解が広まらず、当事者を守れない社会に問題があるのです。
そしてこのようにして、それはあなたが真実がまったくない側で悪と戦っていることを全世界にもう一度思い出させるので、其れはあなたを助けます。
恐ろしい状況から倍増してより多くのお金を稼ごうとするのではなく、彼は立場を取り、彼のモラルに従いました。
女性の権利を奪うために共産党に買収された連邦裁判官にとってばかげています。
プーチンの息の根を止めるよう、メーカーの方に心がけていただき、
ウクライナの人々が、安心して、暮らせるような、外出できるような世の中になって欲しいと思います。
この種の和解を得た会社が、実際に投票に参加し、株主でない限り、殺害の脅迫を受けた勤勉な従業員に補償するのを助けることが出来るないのは悲しいことです。
できるだけ長くロシア兵を石炭に留めて、できる限りのペニーを手に入れました
要するに、これまで公平なアンパイアのいたゲームからアンパイアをのけてしまうということ
だったのです。
100パーセントの安全は存在しないからと言って、すべての消防署を閉鎖し、道路や飛行機の修理を中止することを提案するのと同じです、
皮肉なことに、現在ウクライナが支持している多くの人々が。このようにロシアア人の闘いを支持するだろうということだ。
山本太郎、アホすぎるやんロシアからのエネルギー供給は日本は宇を支援してるけど継続してるのだが何故中立にならなあかんの?
売り手と買い手の双方が満足している契約を進めようするのは只の顧客です。だが売り手と買い手の双方が満足しているのに売り手に自ら進んで屈服するのは顧客ではなく只の”金ずる”だ
「竹槍で米軍に立ち向かえ」の昭和陸軍じゃないですか
公衆衛生局という部署が持つ権力の怖さだ。
公衆衛生局は、政府の部署の中で唯一「個人の権利や所有権に踏み込める特権を持っている。
GHQが、洗脳教育をしていたならば、東条英機の東京裁判での言い分が、日本国中に知れ渡ってるのは筋が通らない。
常に期待できることはの一つは、終戦間際に政治家が介入し、犠牲を払って亡くなった全ての人が無意味に行われたという状況を作り出すことです。
不正行為に対抗する唯一の方法は、不正行為をより激しく行うことだと考えているのは、不正行為者だけです。
「無関心」は、強盗と同じくらい「紛争解決」に関係しています。
これらの男性が、女性の体に対して権利を持っていると考えていることに腹を立てています。
彼女は、自分の価値観に史実でありつづけ、穏やかな方法で自国の政府を批判し、この裁判官と、彼の後ろにいる議員を嘲笑し、もし彼女がオフィスにいるなら、司法側から横取りされた権力のあらゆる試みを撃退することを示しています。
ジャッジは、責任ある十分に根拠のある立場のみを推進しない場合、其の立場を失うことを恐れるべきです。
いじめっ子から友達を救うことができないときに感じる無力感は、あなたも殴られることを知っている原因となりますそれは最悪です
権利の存立のためには不法に対する勇敢な抵抗が必要であるのに対して、右の謬説は不法から逃げ出す臆病な態度を奨励するものだから。
訴訟に勝つことによって得られるはずの利益は、前者にとっては何の損害も受けない状態が回復されるということだが、後者にとっては相手側の犠牲において儲かることに存する。これはまさしく、破廉恥な嘘をつくように奨励し、裏切り行為に報奨金を出すようなものではなかろうか。
強盗が、金と命のどちらが惜しいかと言って脅した場合に、
交換レートは、中央銀行が主催する外貨オークションで決まるだろう。
国家を棄却することが天皇制を棄却することだとしても、其れが人類の大幸福のためだったとしたら、天皇もまたよろこばれるだろう。
自分にとってそれは結局「全く知らない繋がりも何も無い誰かの本心に近い思考を、口開けて待っていれば簡単につまみ食いできる」という中々に業が深い果実で、人間を知りたいモンスターのそれであった
例えば一国内の人権侵害だとかあるいは不法な国際侵略に対してはちゃんとした態度を取るべきだと思います。
自衛に必要な核武装とそうでない核武装というものの区別は、兵器からくるのか、目的からくるのか、どっちなんです。
正しい人の行為にも無数の不正な行為があり得るし、不正な人の行為にも無数の正しい行為がありうるのである。ホッブズ
キン肉マンの作者が「ネットでネタバレするな!」と怒った結果、誰もネットでキン肉マンの話をしなくなり、連載していることすら忘れ去られて今度は自分が「まだやってます」とネットでアピールするハメになった話、昔の中国だったら故事成語になっていそうな教訓的な話だな
当事者の一方を勝たせることによって、他方を勝たせた場合よりも、自分の利便や、名声について、期待が大きくなることが明らかな場合は、誰も仲裁者であってはならない。
誰かある人にとって、他人の行為が気に入らないと、その都度その行為には何かある近似した悪徳の名が、冠せられ、同様に、悪行でも
善い行為が気に入れば何かしらの徳に帰せられる場合、同一の行為をあr人々は賞賛して、徳と呼び、他の人々は非難して悪徳とみなす。
分割できないものは共同しで使用しなければならない。井戸、道路、川、聖物
不法行為を受け入れ欺瞞を甘受するほうをよしとすべきである、
また最も弱いものにとって自分より強いものを殺すことが如何に容易であるか、
報道は規制しろと言うのなら、裁判の審議で行われる弁護側の主張も、規制しなきゃいけないわけ。もしマスコミが、裁判の内容を規制するとなると、それは裁判で何が行われているか国民が知るキッカケを失うことになる。裁判官は投票で罷免できるので。
私をイジメて辞めさそうとしてた御局様が私の鋼鉄メンタルで反動ダメージ食らって勝手に病んで休職した。
本音で生きろっていうけど、建前で生きるのもカッコいいよ。
泥棒がパンツを盗むのと同義語ではあるまいか。
そのあと面従腹背でしたって出てこない保証何処にあるんですか。
不正を犯すことをは、不正をくわえられることよりも実悪である。
ドピュッシーのように、亡くなるまで創造の意志を貫き、惜しみなく散っていただきたいと思います。
ある理念を現実の存在であると認めると、理念を生き生きと目にしたくなり、それは理念の擬人化によってのみ果たし得る。
中情報処理の責任を免罪するアリバイとして使われ、
戦争で最も重要なのは意志と士気ですクラウゼヴィッツはかつて軍隊の規模と力に関係なく、最高の士気を持つ軍隊が勝つと言ったベトナムとアフガニスタンがそのよい例です。
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夢を追いかける力、それは人間にしかない、すばらしい才能なんだよ、きみ以外の機械には、いまだかつてできなかったことだ。
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金持ち徴兵 マイケルムーア
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あなたが自分自身を愛しているなら、あなたはあなたのために最善を尽くします。自分にとって最善のことをすれば、愛する人に自分の最善を尽くすことができます
残念ながら、私達はリーダーを無知に選び、誠実ではなく、
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良心の呵責をあまり感じない人々の食いものにされる
このような主権的権力をもつ人もしくは人々が、かれらの好き勝手に改廃でき、また刑罰を怖れることなく犯すことができる法に服従するといったいどうしていえるだろうか。
国王の権利の根拠に対する疑いから国王に抵抗する人ばかりではなく、自らの情念の節度のなさから抵抗する人も等しく処罰に値するからである。
目を開けて自分が殺人者だと理解するよりも、自分がヒーローであると考えて何かから誰かを救うほうが簡単です。
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犯罪が多いと、盗難報知器や、錠前、金庫といった器材類も犯罪防止に関係する。
人種の概念が、原子状態が真の姿であり、近代の民族は人工的なものであることを示す公分母として働くのである。
働かないとお金が貰えない、生活ができないというシステムのせいで、「何でもかんでも機械化してしまったら、そこで働く人たちの仕事を奪うことになる。」とかいう歪な考え方が生まれてしまうんだろうな。
尹大統領の公式YouTubeチャンネル、首相官邸で車から降りて岸田総理と握手するシーンが編集の力によって完全に韓流ドラマの1シーンみたいになってて太極旗生える
教育や、他の情報へのアクセスが不足している、様々な国の複数のアウトプットや傾向を調べて、
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こんな漫画を読んで男性が女性に性犯罪をおこすんだ!とかいう人「フェミニズムなんて思想を学ぶから他人の作品や表現を平気で焼いて、他人の創作者の気持ちをまったく考えないサイコパスに育つんだ」とかいってもなんら文句ないのかな。
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其の虚像を矯正することができるのもマスコミなんです
いや、わしも人間ですかな、人間にかかわることなら、何でも、わしにとって無縁とは思えんのですよ。
今や我々は、打ちつづく大半の世の災いに、苦しんでいる、武器よりもなお残忍な、登録という席が、人々の中に住み、武器に征服された世界に敵討ちをしているのだ。
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損なわせるかという良い例です
自分をAIアーティストと呼ぶことは、電子レンジで既製の食事を加熱するための料理人と呼ぶこととほぼ同じです。
政府が、数えきれない程数多くの市場介入を行っている。失業保険、老齢年金 P2442 デモクラシーとは何か RAダール
自国の工場の廃液を川に流したり、工業煙が、他の国の酸性雨となり、
シェークスピアの「ベニスの商人」も、モリエールの「タルチェフ」もくずれも宗教の品位をおとしめることになるが、
報復の恐怖に怯えることなく、政府に対する不平不満を自由に述べられるこそ、彼らの闘いの成果なのである。
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憲法は、軍事クーデターの結果として成立したと言って良い。
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致命的な結果を招く可能性があることを十分に承知した上で、進んで犯罪を犯す人に対して同情することはできません
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原子爆弾は恐ろしいものでしたが、日本を彼らが始めた戦争の犠牲者にすることはありません。
ダーウィンは親譲りの財産のおかげで、マルクスはエンゲルスの父親の交情から得た利益のおかげで「資本論」を書いた。P123 怠惰への賛歌。
政党と選挙が私的な寄付ではなく公的資金によって賄われるならば、大企業や潤沢な資金を持つロビー団体に有利な法の制定は防げると考えた。
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風車みたいなものでしかないと考えて軍政に立ち向かったのだ。
侵略してる側が侵略されていると言い、敵をファシストと言っている人の国がかつてのナチスドイツと同じ道をたどっているのが皮肉すぎる、
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ウクライナが戦うのをやめれば戦争は終わる」というのは、「強姦に抵抗するのをやめれば和姦になる」と言ってるのとなにひとつ違いがない。
さすがに「今、日本がウクライナ戦争についてやらないといけないのは『双方とも即時停戦し、2022年2月24日以前の状態にいったん戻して話し合うこと』だ。」とかマジで小学生でも「それができたら苦労しねぇよ」って話なのわかってると思うんだけど、学者様がこれをいってるんですよね・・・。
知性は自分の殻に閉じこもるためにあるんじゃない。自分を押し開いて、いろんなものを受け入れるためにこそ使うべきなんだ。
統治者が商業を扱った結果として商業倫理はどうなったか。
「役に立たない」論争で思い出したのが、この本。トフラーの「第三の波」。「役に立たない」物は敬遠される世界だが実は人間社会は「役に立たない」ことで回っている。と喝破した本。かなり面白い。「役に立たない」こと何時までやってるのか?と親から責められる作家志望やアート関係者にオススメ。
CMのモデルが日本人じゃなきゃダメなら、スマホの部品とかも、中国製じゃなくて日本製を使えって言わなあかんわ。衣服や、野菜も、中国製じゃなくて日本製を使えって言わなわかんわ。近所に居るスーパーの中国人も中国人じゃなくて日本人を使えって言わなあかんわ
自分だけかもしれないが、小説でも非生産的な創作物を作るには、心に空白がないと無理。心に余裕があったり気持ちが真空になれないと何も書けない。働き始めるとその空白に色んなストレスが侵食してて何も書けなくなるんだよ。ストレスのない場所を求めて職場を転々としているのはそういう理由なんだよ
ソ連は、アメリカからの武器援助受けてナチスと戦った。P198 第二次世界大戦あんな話こんな話。
苦しんだのなら、次世代の子供に「苦しみを与えない」ようにするのが大人の努めだよな。
こないだテレビでポーランドを特集した番組をやっていて、日本企業がポーランドに来て一番何にびっくりしたか?っていったら「ポーランド人に怒鳴ってはいけない」ことらしい。怒鳴ったり、イライラして感情を顕にした瞬間、ポーランド人から「幼稚な人」とみなされるらしい。日本との差を感じた。
「自分が苦労していたんだから他人にも同じ苦労させたい症候群」にどう立ち向かうべきなのか
愛国心を持つのは「あたりまえ!」というのであれば、わざわざ声高に訴える必要はないだろうし、他人に愛国心の意思表示の強要や押し付けをしなくてもいいはずなのだが、それでも愛国心を他人に押し付けてしまうのは、それは愛国心が「あたりまえじゃない」からなんやろうな。
戦争論の主軸テーマ「日本軍が来なければアジアはずっと未開の隷属国だった」という発想が既にアジア蔑視なんだよね。
ロシアは国家の振りをしているガソリンスタンドです。
権力に関しては「われわれ」「支配者」と「彼ら」「被支配者」の区別が大事なことを思えば、礼儀作法によって階層を区別するのも些細な事とは言えない。
市民は復讐を含め暴力の行使を国内平和と引き換えに放棄するわけね。
裁判官が、窓から落ちない限り、裁判官は、アメリカの法の支配を守るために最善を尽くします。大犯罪者の被告は、アメリカの民主主義を破壊し、超大国を屈服させるために最善を尽くします。
保護された階級や特性に基づいて個人を対象とした場合、そのような裁判は政治的迫害の例です。
仕入先やお得意様への依存を深めるよりも、自給可能な荘園や領土を持つ方が、軍事的に見て大切だったというわけさ、
週に5日、一日のほとんどを労働と通勤に費やし、たった2日、またはそれ以下の休みのためだけに労働に耐えて盆正月の1週間にも満たない休みだけを待ち続けながら40年以上働くことが常識って正気の沙汰じゃない
最後の女性は「知識の幻想」は、無知よりも悪いことを確認しました。
ホームランでも、スーパープレイでもなく一人の投手と一人の打者が一位で、しかもそれに誰もが、納得できるっていうのが、言葉では表せないくらいの感動。
○○の主張を傍証するサブカル現象を
和田春樹は、法律が法律であることを認めることを拒否する為、法律を破った場合、同意しない法律を破ったことに対する責任はないと主張できます。
最良の種類の進歩は、人間に機械のように振る舞うことを絶えず強制するのではなく、人間のように相互作用する機械を作ることから来ます。
犠牲者と加害者を区別する境界の存在をごまかせば、善と悪とを区別との境界も無視することになるのです。
欧米の帝国主義や植民地主義に対してアジアの民族主義者が武力を用いて戦わざるえなかったことを軽視するものだ。
どんな組織だって、威張りたい奴と、目立ちたい奴がいなきゃ、うまくいきませんよ。
滑鼻砲の場合の砲身命数は、「これだけの精度が必要だ」という要求値を満たせるかどうかで、決まります。
愛国心がないという理由で処罰したり疑似的な愛国心を受け付けようとすると、何をしでかすか分からないという恐怖心からもたらされた愛国心ゆえに、トップが権威を失えば、あっと言う間に崩壊してしまう危険があるのだ。
女を棄てるのと、棄てられた女を世話するとでは、どちらが上品で、良識的で、男らしいだろうか。
君が彼を速記者としてなってないとけなすほど、つまり彼は、文学創造者だとほめていることになるね
横田さんは以前、シベリアの奥地を訪ねた際、ロシア人の文豪ドストエフスキーがシベリア流刑を経て描いた不条理な世界が現代にも脈々と受け継がれていることを目の当たりにして衝撃を受けた。
一部の人々は、恋愛関係にならずに子供を一緒に育てる「プラトニックな共同養育」に従事しています。
人々が彼に送金し続けているという事実は、現時点で私達の社会がどれほど深刻に病んでいるかを示しています。
空気伝染するというのだ。さもなきゃどうして修道院や尼寺に,拡がらないのだろうか。
行政サービスと民間サービスの違いは、料金の見合ったサービスをしなければ事業として成立しないところです。
生命、身体、財産を守ることを大原則とし、警備業法という法律から外れることもできません。
条約締結国が「一方的に、バカを見ているだけだ」という批判もあります
もし、日本の本土決戦が、宇の本土決戦と同じことを意味するのであれば、
否することで、戦争を不可避にする"ことを選んだ中国を、心地よく非難できるからです。
持久力と忍耐力が代替ソリューションです。
できそうもないことをおのれに要求するな。
可哀そうに。もみ消しの方が隠そうとする事件そのものより不名誉みたいだ。
人間は相手が法律の時に平等なんです。
農民は、ヒエ、ムギ、アワ、キビ、雑穀で生きてきたんだぞ。
私たちが最近見たすべてのことで、タバコがあなたに悪いという事実に誰も異議を唱えないのは驚くべきことです。
お巡りさんのほうが、ドキッとして避けて通るようでなきゃ、プロの乞食とは言えません。
大事なのは、「此の非たち」と協力関係でいよう、と選択し、
又その関係を、今日も明日も、明後日も続けていこうと、選び続けることであって、これこそが実は本当の愛なのではないか。
コミュニケーション能力を持ってない人間こそ社会で必要とされている。
「人の助けが必要な自分」に恥じる必要がない。
ゴールのない迷路の中を歩かされ、結局は「隠された意味」を捜すゲームに参加しなくてはならないのです。
教育にまつわる事には、どういう人間がその社会が欲しがっているかというのが如実に反映されているようで気味が悪い。
よく旅行者が、ここの土地の料理はまずいって言うことあるでしょう。アレ、よその家が食事しているところへ、ズカズカ入っていって、「まずそうだ」って言うのと同じぐらい失礼だと思うんですよね。
左翼はアメリカのベトナム支配に対するベトコンの抵抗を支持したが、ベトコンは中国とロシアによって武装していた。
自分に関係のあるものだけ、注力していると、、貴方とは無縁の人が傷つきます。
恋をしながら、不可抗力でしばられないうちに、攻撃をあきらめたものこそ、軽蔑に値する。
私は彼らと知り合ったり一緒に働いたりする特権を持ってないことに本当に嫉妬しています。
情緒不安定のため医師の治療を受け、好きなだけ武器を自由に購入できる、さすがアメリカ!
危害や他の人を遠ざけることにもっと関心を持っていたユヴァルテの警官とは異なり、コマンド―スタイルで走っている法施行機関の人達に適しています。
人を殺すことが正義に平和をもたらすと考える精神的に狂った狂人にかかっています。
大衆が世界で最も武装しているという大義名分が、私たちの政府がやりたいこと、そしてすでに常にやろうとしていることを止めているのです。
ある真実を教えることよりも、いつも真実をみいだすにはどうしなければならないかを教えることが問題なのだ。
人々は、お金では貴いものは買えないという、そういうきもり文句こそ、貧乏を経験したことのない何よりの証拠なのだ。
こんな利息の良い投資信託はないな。
自由を愛する全てのベラルーシ人を代表して独裁者ルカシェンコと勇敢に対決し、不当に投獄された夫の不在下で、民主主義と言論の自由のたいまつを運びます。
あらがいたい美しさを知りもしないくせに、そうした快楽を軽蔑し、それとたたかっているのだなどと自慢するのはおかしい。
政策立案のふつうのあり方やイデオロギー的因習を反映して起きたという事実によって犯罪の罪が緩和軽減されるとは考えない。
傍観は常に、侵略者側に有利に働きます。
人間として、生き残り繫栄するために、必要なすべてのものを持っているのにも関わらず、
貪欲、政治、思いやりの欠如が、原因で、このようなことが起こります。
此の恐ろしい犯罪は、クリントンが行ったアルシーファ工場の爆発の結果に比肩しうるかもしれない。
国民の生存のために、国家を運営できないならば、そのような「不健全な制度運営」しかできない政府こそ、リセットされるべきでしょ
jKローリング、カーネルサンダース。寺山修司。生活保護をもらっていた。P38プチ生活保護のススメ
実態を湖とするネーミングとはいえ、あまりにセンスが悪すぎだ。
それを安易にノウハウとして広めれば、無法な退職強要を助長する結果にしかならない。
成長しているからこそ、休みが無くても、優秀な技術者がどんどん転職してきてくれている、
社員たちにたまにでも、残業を控えさせなければ、社員のモチベーションも上がって、能率も向上し、電気代が浮く以上のコスト削減になるはずだ。
世の中のごく一部に、富を集中させる一方で、貧困層の増大に大いに貢献した。
パワーダウンは、コントロールの放棄ではなく、裏返しの強さの表明だ。
主権者が、備えを怠った結果、各個人が自分自身を維持する手段、更には社会を維持する手段にもこと欠くありさまであれば、公共のつまりは主権者の財貨などあるはずもない。
金儲けになると一生懸命になるくせに、それを譲り渡す息子のことだと息子のために頼む先生が、どんな人だかまるで心配しないのですね、
説明しなくてはならない立場に相手を追い込むからである。
グローバルホークは、AIによる自立型を施行したドローンである。
人間が関与せずとも、自律的に敵を攻撃し、殺害してゆく。P19 戦闘を変えた最強の兵器。
ドローンなら撃墜されても、人的な被害はゼロなのだ。
ロシアの「サルマト」は、次世代のiCBМで、最大射程は1万8000キロに及んで、地球のどこであれ「サルマト」なら一時間で到達する。「サルマト」には、15の核弾頭が搭載され、最高速度はマッハ20.これほどの超音速では迎撃も難しい。P61戦闘を変えた最強の兵器。
何が、正義で、何が正義でないかを定義するのは、コミュニティの価値観であるという意味で、
コミュニタリアン的だ。
このタイプのロジックこそが、すべての既得権益者、能力主義者たちの脊髄を救いがたく蝕む自己勝利化の錯誤なのだ。
徹底的に小役人を保護したり、助けたり、隔てたり、競争をさせて、農業の技術を高めさせたり、地主への忠誠心を作り出した努力が実を結んだようだ。
靖国神社など「名誉の戦士」の呼称がたてまつられ、英雄としてあがめると称して、実に巧妙にも多く有為の青年たちを死へと誘った。
おべっかつかいにつきまとわれるくらいなら鳥にくわれる方がまだましだ。鳥は死体を食うんだが、おべっかつかいときたら、生きている人間を食うんだから。
権力を持つと、自分の役に立とうとしない、人間を標的とする攻撃を抑制するタガが外れてしまうのである。
純粋で真っ直ぐで、悲しいぐらいに人が良すぎる。
そんなふうに思っているので、移送という仕事には、「世の中で一番嘘をつかない人に出逢えるんだ」という喜びに似た感情を覚えています。
そのような行動のためにいつでも彼を消滅させる可能性のある国家の市民でありながら、世界に真実を示すというこの男の意志への敬意に他なりません。
一緒に仕事をしたり、学んだりしているかもしれないのに、それは人々がお互いを憎む原因になります。
彼らは自分の苦しみや悩みを、そういう形でしか表現できなくなっているのだ、と思えばよいのです。。
警備会社に移送を頼むという時点で、すでにその家族はなんらかの問題を抱えているとも言えるのだ、
権力を強く欲するプロフェッショナルは昇進は早いが、不祥事を起こしやすい、
あらゆる手段を用いてウクライナを罰し、西側の一員になって反ロシア政策に転じることがいかに大きな代償を伴うかが、たやすく見ることができた。
ポスト近代社会では、コンピューターとそのネットワークを使って、いつでもどこでも管理するデジタル技術が中心となります。
主観的な基準で判断されるジェンダーバイアスからは身を守れない。
誰かがそれぞれの残逆行為を誰はばかることなく行うお墨付きをもらえるからだ。
遊星歯車装置を使ってピストンの往復運動を軸の回転運動に変え、あらゆる機械を動かせる動力源に変えていく。
国民党の内部でも「このまま特権的地位をはく奪されるなら、いっそ中共に国を売って、
己は新体制の幹部にしてもらおうか」などと考える裏切りものが出はしないか、憶測が募るのです。
本物の漁民を荒天下で「偽装難破」させて、尖閣諸島に深夜に「緊急避難上陸」させ、それを「救援する」という名目で、海警の大型船が一隻あたり数百人の「武装警察」を尖閣の陸上に送り届けることができるでしゅ。
日本人は、近隣の諸国と平和裏に暮らそうとつとめ、再軍備や
外国への軍事介入などによって他国を刺激しない限り、外からの脅威を恐れる必要はないという確信。
北朝鮮は、マッカーサーと韓国軍は、抵抗すべきではなかったのだ、という護憲派リベラルも、私は、見たことがないのである。
核実験は、核爆発が出来るような砂漠が必要になる。
イギリスは、オーストリアの砂漠を使うことが出来たが、これはオーストラリアがイギリス連邦の一員だったからだ。フランスは当時はまだ植民地だったサハラ砂漠で、最初の核実験を行い、其の後は、太平洋の属領で実験をつづけた。日本は植民地を持たない。P35 アジアの核武装。
AI社会における序列とは、個人情報を開示するか否かで、人間のランクが決まるんです。
成功の尺度として経済成長に焦点を当てているため、其の影響力を危険にさらすことを拒否しています。
後で歴史のテストでこれを覚えなければならない子ども達が可愛そうだ。
最も微妙な狂気は最も微妙な英智より勝る。
涙が変換され、心は喜びます、私たちの痛みにどれだけ多くの人々が反応するかから、助けて支えます.そのような優しさから私は全世界を抱きしめ、あなたの暖かさでみんなを暖め、自由に生きることを許さない悪を溶かしたいです
日本の中東航路の船舶は、大回りを強いられ、其の結果としてエネルギーの価格は日本経済にとって危険なほど上昇する。
「弱いこと」が媒介になり、人と人とつながった関係のことです。弱さを出せる人がいると助かります。
彼らは間違いなく其れに関係しています、したがって彼に起訴されればされるほど、彼らが彼を支持するようになるのは理にかなっています。
顧客の要望に製品を合わせようと必死にならざるを得ない。
ロシアの帝国的侵略によって我々が、改めて気づかされたのは資本主義の化石燃料の依存が、専制的な国家をどれほど利しているか、ということだ。
「労働」のウェイトがあまりにも重すぎるために、残りの時間は飯食って風呂入ってちょっと趣味活動して寝るくらいしかなくなっちゃってるんだよ。つまり奴隷と同じ。無知な民衆の自己責任に帰していい問題ではないと自分は思う
「対話、対話、言うてますけど、其の対話の結果が、ジョージアの領土占領、クリミア併合であり、それでも対話を続けることに固執した結果が、今のウクライナだ、ということを正しく理解していますか? 」
って言葉には、禿同。
凍った糞穴の中で、悲惨な生活を送っている人々が、どれほど自分達が幸運であり、自分達の世界を、どのようにももたらすべきかについて話していることに、私はいつも驚かされます。
プーチンを支持し、この特別な作戦で他人の子供を戦わせることに何の問題もなかったと同じ人々が、犠牲を払わなければならないかもしれない。というまさにその考えから逃げ出している。
中村教授、毎回予想外しているのに、何食わぬ顔で、テレビに出るメンタルはすごいよ。
安心できたことは、それまで僕と付き合ってきた人間が、僕に利用価値がないと分かったとたん、手のひらを帰していったことです。親の言いなりになったときしかほめてくれず「親にとってのよい子」という条件付きでしか、私を愛そうとしなかった。
自分の持つ価値観だけを基準にして息子の行動の良し悪しを考える従来の姿勢だ。
自立って、人とつながることです。それができたら、自立なんです。
私の故郷の私の同胞に私があなたと同じ背景を持っていることを知らせることであり、あなたが一生懸命働くことをいとわない限り、あなたはそれをする機会があります。
ゴキブリはパフォーマンスの不安を経験します。ある研究によると、硬い迷路を走るゴキブリは、他のゴキブリが見ている場合、より困難になります
ある人が、何を、本気で、好きであるかどうか、は、
その人がその好きを貫くために冒すリスクを見ればわかる。
ハンガリーのエゲルのプラタナスの木は、2013年にヨーロッパで最も愛らしい木としてヨーロッパの木オブザイヤーを受賞しました。
引きこもる原因が、インターネットにあるならば、インターネットをとりあげれば、パソコンをとりあげれば、引きこもりじゃなくなるんですよ。
これは自分が誰であるかを忘れた場合に、西側が非西洋人をどのように扱うかを知るための重要事項の一つです。
我々が祖先の犯した過ちの代償を払うなんてまっぴらごめんだ、
という人々は、決まって祖先の犯した偉業の功績は、まるっと受け取るというのだから、お笑い種です。祖先が開拓した土地、祖先がづ繰り上げたインフラ、祖先が残した遺産は享受し置きながら、なんで負の負債は負えないんですか?
これから政治家や、マスコミや、病院や、自治体や、学校の人たちが「私は製薬会社が大丈夫だと言うから打たせたのだ」とか「私は国に言われるまま打ったのだ」とか言って責任のなすりつけ合いが始まるのだろうね。
家に泥棒が入ってきたら、泥棒とルームシェアするんですか。
あなたが私のしたいことを妨げるのは、迫害、私が、あなたのしたいことを妨げるのは、法であり、秩序であり、道徳である。バーナードショー
中毒者たちを自分か被害者の死をもって終わりを迎えるほかない犯罪者人生に駆り立てるものこそ、覚せい剤取締法なのである
悪いことに、国をどう運営すべきかをほんとに知っている連中というのは、みんなタクシーを運転したり、人様の髪を切ったりすることに忙しい。
1人辺りGDPが、24位でも、まだザンビアとか、バングラディッシュがあるかなへっちゃらへっちゃらとか言ってる政治家が、日本のGdPを押し上げていけるんですかね。
此のプラカードを持った人々は、アメリカ政府の命令でやっているのものだと自分達の例をそのまま投射して見ているのだ。
もしかしたら「悪」とか「退廃」とかいうものは、欠如からではなく、むしろ満たされたゆえに発生する病ではないか、という気がしてまいりました。
私は、毛皮のコートに、其れを許すだけの価値があるとはとても思えません。
軍事政権というのは、決定する人と行う人が同じだから危険なのですね。
ネガティブな人間というのは、最も不利な状況を想定しておく天才だからである。
国民は戦争の残虐さや、恐ろしさを直接体験しない限りは、軍需品の大量生産に異を唱えることはないからだ。
相手を安心させ、停戦してもらえるような支配の仕方をするほうが割に合うのだ。
⒉チャンネルの誕生ひろゆき「”あめぞう”という匿名掲示板があって僕はそこで毎日のように書き込みをしていた。でもそれが少し使いにくいというのがあって、だったら自分で改良したものを作ってしまおうと」P18 俺たち「引きこもり」なのかな? みんなどうなん
人々がチューインガムに使うカネよりも、本に使う金のほうが多くならない限り、
この国は決して、文明国にならないだろう。
人間の器量は、権力を用いてなにをうるかで計れる。
贅沢をしていると尊大になり、倹約していると頑固「かたくな」になるが、尊大であるよりは、むしろ頑固の方がよい。
ピッチ上の結果が人権よりも重要だと考えているという事実はばかげています。その逆よりも、どのチームも人権の欠如に反対して試合に負けることを望んでいます
「戦争」だけを禁止したのでは、「戦争ではない武力行使ならしてもよい」ということになりかねません
ベトナム戦争は、北ベトナム兵は、ソ連から供給されたAKー47を手にしてアメリカ兵と戦っていた。P139 戦闘を変えた最新の兵器。
敵はICBМ基地に先制攻撃をしたくても、SLBМを搭載する戦略型原潜の行方が不明のままでは、決意できない。P147 戦闘を変えた最新の兵器。
中国が、強襲揚陸艦の充実に力を注ぎ始めているのは、
台湾の接収、南シナ海、P182 戦闘を変えた 最新の兵器。
中国海軍は、強襲揚陸艦「075型」を建造中であり、既に「海南」と、「広西」が就役している。
P179 戦闘を変えた最新の兵器。
むしろその逆に、日本はおそらく中立を守るだろうし、それどころか、
公平さを示すとともに、北朝鮮が勝利を占めた場合にも損害を
被らずにすむようにするため、北朝鮮との関係を強化しさえするのではなかろうか。
1999年、3月 23日。
北朝鮮の工作船が、新潟県の佐渡付近に表れ、「みょうこう」が追跡し、威嚇射撃し、
追い払った。P17 兵器。武器。信じられない衝撃な話。
私たちがこれを拒否し、一時的な分裂が何世紀にもわたって足場を築くことを許した場合、私たちは先祖の記憶を裏切るだけでなく、ロシアの土地の崩壊を許したことで私たちの子孫に呪われるでしょう。
双方は、激化する紛争による損失が妥協のリスクを上回ると判断しなければならない
自分の言葉でしゃべってない芸は、保護されて当たり前でしょう。
家ひとつ治められない奴が、よく国を治めようなんて気になるな。
文筆家とは、結局のところ、己の不幸を売り物にした、明日はどうなるかわからない水商売だ。
これは「戦前と同じ道を歩もうとする危険な現在」というあのありがちな図式に還元してわかったつもりになっていいものは絶対にない。
誠実な男を探すコツですって、誠実な男なんていたら、そいつは病気よ。
兵士を死なせたくないと考える国家ほど、ドローンを重視するようになり、偵察ヘリは、スクラップ化していくことになる。
ポールニューマン スポーツ用品販売業がいやで俳優になった。P45 スーパースター206人 名言 名句
自分を変えることはしないね。だって十分うまくいっているのに変えたりするのは馬鹿のすることさ。
師弟関係に置かれた場所を想定して、その場合に私が師の立場を望まれて、そして従属している時、人間の犯すリスクは、積もり積もってその人の寿命をちじめる。
武力でなく非武力的であり、国家的でなく市民的であるが、相手国の認可を意に介さない点で「介入」なのである。
同じ介入と言っても、非政府ならば非武力的でしかありえないものが、政府ならば容易に武力的になりうるからである。
日本大好き。そして、ほんの数十年前に帝国主義に苦しんだ中国が、今、侵略者と共謀していうことを本当に恥じています。
友人に及んでいる害を、できるのに取り除こうとしない人間は、害を生み出している人間自身と同じくらい誤っている。
彼らの市民は、あなたの腐敗した政治システムが数十年前にスピンする絶対的な偽善を買うのをやめました...。
魂よりもよく知られている体が、最終的には主人をむさぼり食う卑劣な怪物にすぎないことに気づきました。
スターリンが指導者の基準である場合は、国は独裁的であり続ける運命にあることがわかります。
当時のルワンダの人口は、約750万人でしたが、約100日足らずで、50万人の人々が殺されたのです。P184 なぜ世界で紛争がなくならないのか
ファミレスの基本は「セントラルキッチン」システム、本部のセントラルキッチンで調理を済ませ、各店に料理がチルド輸送される。P22 儲けが生まれる値段のカラクリ。
ルワンダの虐殺は、ルワンダ「RPF」が勝利して戦いに終止符を打ちました。2003年に、議会選挙が行われ、「RPF」が中心なのですが、一応文民による政権が誕生して、現在もそれがつづいています。P201なぜ世界で紛争がなくならないのか
生物の性質が、遺伝によって伝わるつまり古いものは、なかなか変化しないという考え方は、資本家にとって都合が良いのだ。
「立候補を徹底したら、新しく出来る共産党の政府でお前が出世するように取り計らってやる」
尊敬することは、恐れられるよりも、遥かに優れています、国に対して健全な敬意を払い、恐れることなくその国の能力を知ることができます。
20世紀半ばの野蛮と恐怖に安全毛布のようにしがみついている。
トランプ氏の根本的な問題は、唇と舌を同時に動かして腕を振る前に、自分が持っている脳の機能をフル稼働させることができないことだ。
それらがはなはだしく侵害されるということは、国連にとって、侵略に等しい重みを持っていると言っても過言ではないだろう。
破滅を含むような戦略では、利益が破滅リスクを帳消しにすることはできない。
結局、生きてゆくことは、気分を紛らわせていくことなんだよな。
自立の反対は依存です。私の場合は、依存の反対は乗っ取られると感じ、支配され指図されていることです。
人間の遺伝子から「闘争心」をとっちゃんだよ。バイオテクノロジーの世界では、そこまで実行してるんだそうだ。
総理が誰でも何とかやっていける国って、それなりに良い国なんじゃないからしら。
自分を犠牲にして他人を幸せにしても意味がありません。自分が幸せだからこそ、他人を幸せに出来るんです。
ロシア正教会のキリル総主教、プーチン大統領を「首席エクソシスト」に任命
多くの被災者自身が応急処置を行って他の被災者を助けているという事実に鳥肌が立ちました。
とても悲しいことですが、負傷者とそのような恐ろしい喪失に苦しんでいる家族に祈りを送ります。
犠牲者の年齢に関係なく、此の悲劇的な出来事と家族と犠牲者に私の思いと祈りを捧げます。
どんな水を与えて、慰めたり、生き返らせたりするだけなら、皆さんは敬意を現し、ベストを尽くしたことに、誇りに思うべきです。
受け入れ先が指揮命令や仕事を教えたりできない請負法制が無理がありすぎる
愛愛の祖国を守るために戦っているウクライナ人の強さと意思は、決して打ち負かされることはありません。それらがはなはだしく侵害されるということは、国連にとって、侵略に等しい重みを持っていると言っても過言ではないだろう。
休むのが下手っていうことは、働くのが下手っていうことなんですよ。
何より、国際社会でリーダー格のアメリカが、加盟拒否という、この件に関してはほぼ意味をなさない組織であるのが残念なところ。
あらゆるタクスを一人で自分ひとりでやることが大人だと思い込まされた人間はそうやってひとの助けを借りずに自分ひとり抱え込んで周りの人の助けを求めることは良くない事と思わされた結果、疲れ切って忍耐の緒が切れて倒れたそうになってから、はじめて誰かに助けを求めてみても、其の頃には”人間無関係”というドツボに入り込んでいるため「共助」が困難になっているのだ。
消防法がなかった頃に建てられた建造物に「違法建築はけしからん」って言ってるようなもんやな。
此の戦争における可能か限りの敬意と励ましを受けるに値します。
悲しいことに厳しい教訓は、衝撃的な悲劇のあとでしか学べません。
彼らが此の戦争を生き延びれば、結果として強い国になると思います。
死に対する嫌悪感というのは、我々の人生はむだに過ぎてしまったという、諦めがたい失望感に比例して、増大するものである。ハズリット
真の謙遜ほど、好ましいものはない。これに反して、みせかけの謙虚ほど、軽蔑すべきものはない。
畏敬と祈りがささげられるのだという幻想を生み出します。
原因、動機、責任から、まったく異なった死に方をするに至ったのだという歴史的教訓を引き出す必要からだ。
ポーランドは、反応的になることを拒否し、適切な証拠なしにそのような深刻な状況をエスカレートしなかったことで称賛に値します。
祖父、母、父母が、返済しなかったものは、息子、娘、孫の肩にかかってくるのだから、彼らこそ第二の罪の本来の犠牲者ということになる。
国会の中央広場には伊藤博文の像がある。P180 身近な人にへぇーと言わせる意外な話1000
赤字部門のない会社に将来はない。どこにも先行投資をしていないということだから。
此の黄色いやつにかかれば、宗派の離合集散も意のままだ。シェイク
ウクライナの自由のための戦いに、賞賛と励ましを与え、彼らが平和の家に住み、生き残り、
愛と抱護を送るために、必要な道徳的な後押しになることを祈ります。
ロシアの口車に乗せられて核をすべて手放したウクライナはこの様だ。国を守るには核を持つしかない。
何かすることありませんかなんて云うなよ。すること探して黙ってやってろよ。
ゴルバチョフの人気が出ると困っちゃうんだよ。自衛隊も右翼も、仮想的国あっての団体だからね。
中途半端なシャンソン歌手としてデビューして欲しい。
居そうで居ない人を、居るように演じるのが名優です。
日本はたとえ核武装しても、ウラン供給国の言いなりにならざるをえないだろう。
生産者より、消費者の方が勉強してますし、情報にも詳しんですよ。
ローマ法王が、ガリレオガリレイの”地動説”は正しかった、と今になって名誉回復してるでしょう。
かろうじて抑制されているこの穏かな秩序のべニア板のすぐ下には、
近接で爆発しただけで外殻や内殻に損傷を与えられるのです。
時の政府と、祖国とを同一化すると、当然だが、国家に対するレジスタンスは、祖国に対するレジスタンスでもある、との誤った結論がでてくるのは、避けられない。
最初はばかげているように聞こえますが、ロシアが関与していると訊いて、それは完全に理にかなっている。
迫害や、暴力で、殺されたり、拷問され、強制労働させられたり、焼夷弾により犠牲者、前線での死者、
精神の腸ねん転を引き起こしました。
成熟するって生物学的に言えば端的に「より複雑な生き物になる」ということなんだから、子供の頃に、緊急避難的に造形した「自分らしさ」なんてものに居着いていたら、複雑にならないじゃない。
ホロコーストは、ヒトラーと落選させた美術教師に責任があるって言うぐらい理不尽。
自分らしさを、固執すると言うのは、逆に言えば、変化する機械、成熟する機会を、逸し続けるという事なんだから。
金じゃ幸福は買えねぇ、買えねぇ、買えねぇけど、金があると、とりあえずは幸せだなぁ。
我々が文明国になるためには、血生ぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう
人は言う、風刺と冷笑とは紙一重だと、趣きがあるのかと歯が浮くのともまた同様だ、と私は思う。
老人を迫害すればするほど「責任」という言葉が消えていきます。
彼が捕虜になる前にそのようなこだわりを持っていたとしたら、誰よりも彼をよく知っているはずの彼の将校が、彼が適切な橋を建設したいと彼らに言ったときに驚くのは奇妙です。
人々を正しく扱うと、人々は見返りにあなたを正しく扱います。
ニコルソンの内なる力の予備はある程度立派ですが、彼の頑固で曲がらないプライドは、より大きな戦争努力をほとんど妨害します。
腐敗した善から立ち昇る悪臭ほど胸の悪くなるものはない。
公共の利益のために仕事をするなどと気どっている人びとによって、
あまり大きな利益が実現された例を私はまったく知らない。
むだや思いやもくろみなどはしりぞけるはずだ。
プロとアマの違いですが、アマチュアは、失敗をごまかせません。
人をアッと言わせる才能と、それを”誰かに見付けてもらう”才能は、全くの別物である。
困ったことは訴えろという人がいるけれども、本当に困っている人達には
訴える暇なんてないんだよ。訴えたり、戦ったりなんてことは余裕がなきゃできないんだってことが、わかってねぇんだなあ。
私は米国が彼らの憎しみと嘘を世界中に広めるオフィスにとどまらせる代わりに、ペアを育ててこれらの人々を刑務所に入れることを望みます。
作家になることを拒否して職人に徹していると偉いって褒められていますよね。
本当にですよ、本当に偉いのは、そういう
職人の仕事を支えているもっとも名もない職人たちなんすよね。
自分の才能が最短距離で咲く分野を見付けやすくなります。
昨日私のもとに「プーチンは子供を誘拐していない、保護しているんだ」とまさにロシアメディアの報道そのもののデマが届き、その方を引用リツイートしました。
税金ってものは、どうとらわれているかと同じぐらいどう使われているかってことに関心を持たなきゃいけないんじゃないか。
ましてやそれが本人の「名誉」に関わることなら、なおさらだろう、
好きな道楽も、満足に出来ない奴に、嫌いな仕事が、満足にできるわけがねぇ。
古典芸能の保存保護が目的だというのですけれど、この赤字になってもというのが問題でして、赤字が恐くないから、客が来なくても平気なところがあるんですよね。
医者が、3億円で、病院を建てようとした。其の3億円を銀行に預けたら、
そしたらその利子で食える。で、医院はやめて、利子で遊んで暮らしてるよ。
何を食ったかなんてことは問題じゃない。食って何をしたかが問題なんだ。
子供の非行って言うけど、
子供が非行に走るってことが、親の非行だと思うんだ
貴方の仕事に感謝します。
其の結果、軍隊の為の近代的な武器が生まれ、信じられない程の兵士の命を救う手段が生まれました。
愛情があると思って結婚するより、
ないというところから育てたほうが正しいと思いますねぇ。
NHKがこのタイミングで、
南京虐殺を認める発言をしていた昭和天皇の発言を紹介した
ETVの特集を再放送して「ブチャの虐殺は酷いとか言ってるけど、日本もかつてそれと同じことをしたじゃねぇか」「なに自分の軍隊だけてア汚れないと思ってんだコラ」と大見得を切って、保守にケンカを売るNHKのチンピラ根性が、ビンビン伝わってきて感動してしまいますね
日本人なら天皇陛下を尊敬しろっていう論法がありますね。
だったら日本人なら着物を着ろ。日本人なら毎日米を食えって言ってほしいね。
まず信頼を得る。そうすれば自然と信用が付いてくる。
女を教育してやろうと思って結婚する男も、また男をよくしてやろうと思って結婚する女も共に、両者同じ間違いの犠牲者になるんです。
合理性とは、言葉ではっきりと説明できる要因によって決まるのではない。
生存に役立つもの、破滅を防ぐものだけが、合理的なのだ。
神聖ローマ帝国といえば、あれはあれで元祖ローマ帝国の主観的パチモンだったりする点がまた素晴らしいのだ。
己の知らざることや、知らぬことを知っているように空想して知っていると思いこむことは、狂気にもっとも近い。
自分の過去および現在の生んだ不快な結果を認めるに必要な勇気を独裁者が、権力の椅子にふんぞり返って、自らを最高の権威としてをふるまなってしまうのである。
私の祖先がサルであるよりも、あなたのような人間を祖先にもつことを恥とします。
自分が戦地で命がけで頑張っているのに、ナイトクラブで遊び惚けてるやつ見たらそりゃ殺意湧くわな。
きらめきの反対の言葉があり、それは「暗い」です
加害者と被害者を区別できないという事実は、道徳的に不当であるだけでなく、経済的にも有害である
こうした嘘や脅迫を無視することが、オンラインや路上で脅威を増大されている理由です。
それは一般的に「戦士」という名称で呼ばれる英雄行為に該当すると思われる。
公的な軍事力という集合名詞で呼ぶことができる。
たんなる非行による準公的な不法行為の小区分について私的な不法行為とどう対応するのか。
渇きが大きければ大きいほど、存在はより堕落します、其の結果、リーダーは自分たちが奉仕する人々よりも優れていると信じているため、行動を「より大きな善」と定義することになります。
このプロジェクトが成功するか失敗するかにかかわらず、中国が勝者となるでしょう。成功すれば、中国の製品はより多くの市場にアクセスできるようになり、失敗すれば、債務のわなを通して小国を支配する力を持つことになります。
日本の会社の凄い所は、するべきでないことを効率的に遣ろうとすることには賢明なのに、すべきことを効率的にやろいうとすることに創意工夫を注がないことです
底なしの無名の地獄の穴から這い出てくる「匿名の暴君」
現在少子化なのに、打開策も打ち出せず、日本全体が、
移民をかたくなに拒否し、貧困化していく末期哀れな日本の現状を警鐘
これは激しく同意
戦争に反対すると同時に、内戦において平和を求める陣営を支持して、
恐怖の支配によって孤独と沈黙を強いられている占領地の人々の側の”敵対する側”に立っているという意味で、中立ではありません。
忍耐によって、多くの戦争が回避されてきたが、一方、むやみやたらとはやる無謀な心によって、多くの戦争が軽率にぽっぱじめられてきたからである。
老人に生きがいを、無理云っちゃいけないよ。生きがいがなくなった人を老人て言うんだよ。
障害児が精いっぱい生きているって言い方するけど、本当は、障害児に対して精一杯生きなきゃいけないのよ。
私達の憎悪の念が、あまりに激しいと、そのために、私達は、私達が憎む人達よりも以下の人間に、なり下がってしまうのである、、
そんなに人道的な軍隊なら、早く、プーチンを国際刑事裁判所に引き渡せよ笑
支配したり、圧政を行ったり、暴威をふるううといった面における精妙さに欠けては、病気の女に勝るものはいない。
愛国心は、あることを正しくないと認める能力によって証明されるのだよ。
自分の手はいっさい汚したくない、汚したくないと。
この習慣たるや、目で見て不快、鼻に忌まわしく、脳に有害、肺には危険、そしてその黒い悪臭を放つ煙は、底なしの地獄から出てくる恐ろしい煙に酷似している。
両者の持つ複雑さの、何と惨めな貧困化であることか。
フェブロニアとその家族がこういう状況に置かれているのはかわいそうなことだ、と言うのは、「憐れみ」です・其れに対し、それはいけないことだ、と言うのが「人権」の思想なのです。
はなはだしい殺戮や迫害への批判的視点が黙認の理由であった点において、
それは、タンザニアの行為が、「許容しうる人道的介入」であることを言外に認めるに等しい黙認であった。
。
もし、介入するという政府の意思決定が正義の探究によって動機づけられたものであるならば、なぜ、言葉に表せないほどの不公正な状態にまで状況が悪化することを許してしまうのだろうか。
ロシアが、このような短期間で15年間の経済的利益を失い、
国家の尊厳を失ったという事実は、回復するのに何十年も何世代もかかるだろう。
其の悩みは、あなたが道徳的に健全なしるしなのだ、とこういっても差支えないと思います。
数々の裏切りや、おもねり従う者たちを目の前にしても、私は腕組みをし、憤りながらも、泰然自若としてたたずんでいるだろう
この上なく憂うつな気持ちで誰もが思案にくれることは、おしなべて思いやりというものが人の益になるか害になるかといった問題であろう、
軍隊なんて主義主張のない奴らばかりだから武装するんでね。
仕上がりの悪さを恥だと思う男のつくったネジは、美しんですよ。
あなたが政党にも罪悪と感じているあの行動の正当化を是が非でも弁護するより他に出来ないのです。
テロ国会以外の全世界がそう思う正論。
ルカシェンコの農業トラクター。
まったく空疎なコケ脅しのための形容詞に堕落させてしているのだ。
天上界からエルカンターレがわざわざ降りてきて、「お願いですから脱退してくれませんか」って頭下げられるレベル。
大釜を組織して彼女を連れ去らなかった場合、志願兵は砲兵の支援を受けて国境に到達できたはずです、
名簿式比例代表制は、候補者の名簿を作成する党機関の
権限を極度に強化するので、良く組織された大政党にとって有利だからである。
差別的判断が、対立を生み出すのは、ひとえに
一方の当時国が、自らの道徳的尺度に従って、他の当時者が犯していると称する犯罪について判断を下しうるとうぬぼれる場合です。
グローバル化というこのコンテクストのおかげで、
自由に対する様々な抵抗に直面しても、はじめから克服不能とあきらめないで住むのだ。
ベトナム戦争の死者は、5万8000人、ベトナム人の死者は、3
300万人である。P162 日本人の為の平和論。
本心を打ち明ける友達がいないと、
不平等を、気付かさないようにしてくれるのは、大いにして、教育と文化だ。
「核兵器を持った国が、どんなことをやらかしても、何にも”おとがめ”はないのだ」ということです。
日ソ中立条約を破ったのは日本、
「関東軍事演習」しかし、「実行なき秘められた意図」と「実行という行為」これらの二つを、同列に置くことはできない。
セカンドレイプ的なことを繰り返してきた杉田水脈氏は、与える影響を考えると議員辞職が相当なくらい罪が重いのではないか。
沖縄は捨て石だ。
古川成美 「死生の門」P70 P57 沖縄の未来。
荻原朔太郎、定職に就くことなく、結婚してからも、父親から、お金をもらって生活していた。そして自費出版で、「月に吠える」を、親の金で出版した。眠れないほど面白いヤバい文豪。
人間の心がある強い衝撃を受け、其の働きに半ば、不可逆的な変化を被ってしまってしまうことです。
人は、財産を失っても、死なないのに、財産があって五体満足でも、社会で、誰も自分が、必要とされない、気に掛けてくれないと分かると、簡単に、死ぬ。
他人のわかる体験が、他人を分からなくなる体験であるということは、実は、自分が、分かるのは、自分が分からなくなる体験であるという事情と鏡像の関係にあると言っていいでしょう。
医師やケースワーカーが、「そんなことができるはずがない」などと言うのは、
彼らが、患者を信用していないと自ら認めるようなものです。
むしろ彼らを早めに医療につなげられなかったことこそが問題なのです。
「本当のテロを見せてやるぜ」の如く、民間人を対象とする本当のテロで報復してみせる国ロシア。
あなたが大きな課題に直面していて、あなたがストレスを感じるとき、あなた自身に一つの質問をしてください:「ストレスは私を助けることができますか?私はあなたに言う、答えはほとんど常にノーです。
ウクライナの同業民主主義国が空を守り、命を救うことを拒否し続けているのは、許しがたい道徳的臆病行為だ。
欲しいものを何でも与えるのに十分な大きさの政府とは、
持っているものをすべて取り上げてしまうのに十分な大きさの政府でもあるということなのです。
知恵の最後の結論は、こういうことになる。自由も生活も、日毎にこれを闘い取ってこそ、これを享受するに値する人間といえるのだ、と。ゲーテ
これは完全に意図的であるか、完全な無能であり、どちらも等しく危険です。
普通の人だけが苦しんでいます。残りは金持ちになり、生き残り、リーダーであり続けます。
ウクライナのための非常に有用な対装甲の組み合わせ。
マスクはプーチンに何が欲しいのか尋ねるのをやめ、代わりにウクライナと自由世界が血に飢えた独裁者が欲しいものを手に入れるのを防ぐのを助けるために彼の創意工夫を注ぐべきです。
杉田水脈が心底最低だなて思ったのは「日本には女性差別はありません」とか言っておきながら、後で突っ込まれて、「日本には、命に係わる女性差別はありません」という意味でしたとか言い出して、すっとぼけるとこ。現状を更に良いものにしようと常に上を仰ぎ見るのではなく、平均以下なのにもかかわらず、「まだ下には下があるさ」と、現状に甘んじ、恬として恥じない政治家ほど、軽蔑に値するものはない。
プーチンを幸せにしようとし、彼が何をするか心配していることが、彼がこの残忍な第二の侵略を開始するよう促したのだ。マスク氏はまた、もしプーチンと習主席が核兵器について十分に叫ぶなら、エストニアや台湾をあきらめることを提案するだろうか?
彼女は聡明な女性であり、ジャーナリストの孫娘であり妻であり、政権がテロをまき散らすために投獄し、彼らを殉教者に変えるすべての人々の象徴です。
都会は孤独だっていうけど、それは干渉されないで生きていけるってことだよ。
戦争反対と唱えるモスクワ市民の女性に記者が「これをやって何か変わるんですか?」と聞くと「変わらないと思います。 でも意思表明をするのが私達の義務だと思います」と言っていた。 ショック受けたよ。 日本では「そんな事してもなにも変わらない」と言って意思表明する人を冷笑する人が多数やん。
「売国奴」を国葬する国って古今東西どこにあるんだよ?
ある起業家に取材した際、日本の現状への憤りを語る中で、 「中抜き」が国家に保護される大規模産業みたくなっちまって、そりゃ国が栄えるワケが無かろう! と言っていたのが印象的だった。
ロシア人はウクライナの都市を爆撃したり、海外に旅行したりするのは自由だ。ウクライナ人は、自分の家で平和に暮らす自由はない。これらは、ウクライナ上空をかくまうことを拒否し、ロシア・テロ国家の市民にビザを与え続けることの結果だ。
この戦争にウクライナが勝つと、巨大な軍隊なり核なり持ってようが他国に侵略するとデメリットしかないという確固たる前例が出来、今後世界史の教科書に新たな戦争は登場しない自信みたいなのございます! 絶対ウクライナ勝たせます! その為のトンカツです! ご協力宜しくお願いします
国際連盟と国際連合の歴史は、国際的な相互依存という新しい原理および其の結果と、国家主権という古い原理との衝突の記録に他ならない。
単に恣意的な区画線にすぎないことになる。
中原中也、生涯にわたり、は一度も定職に就いてませんし、
太宰治は、30代になって小説が売れるまで、結婚してからも、実家の津島家から生活費を仕送りしてもらっていました、P5 文豪はみんなうつ、
世界で最もムズイ言語を与えられし大天使
理路整然として物語として表現できるものは、おそらくカモを説得するための罠だ。
将来が心配だと云いながら殺してしまったら、一体どんな将来がその子に残るというんんだ。
真理を知らないものは、只のバカ者です。だが、真理を知っていながらそれを虚偽というものは犯罪者だ。
誠の友を捨て去るのは、ひとが最もいつくしむ、われとわが命を投げすてるにも等しきわっざと、申さねばならぬ。
斎藤幸平って地球温暖化が大変だ系の頭悪い環境型リベラルの人だよね。
斎藤幸平「今回のサミットで広島が政治的に利用されてしまうんじゃないか?」だって。 、いや、むしろ、全く逆だ。
不当な国際侵略に反対する反戦メッセージを訴える場として、広島が、政治利用されないことを恐れるべきです。
戦争の剣と、正義の剣は、同一の人の手中にある、
裁きの日に、厳密な申し開きを要求すると考えることはなんら
不敬虎には、あたらないと私は考える。
平和と言うのは、めそめそした平和論者のような泣き女の葉によって維持されるのではなく、世界をより高度の文化のために役立たせようとする支配階級の勝利の剣によって樹立されるものだ。
実際上、此の共和国が存立しているのは、ただあらゆる方面に、
自発的にみつぎ物をささげ、領土割譲に調印することを進んでする覚悟がある、と格言しているおかげである、
私は、敵対者のためのプロパガンダが彼らの名前の隣に私たちの旗を持っているとき、それが少し不快に感じる唯一の人になることはできません。
YouTubeで「日本の軍事大国化」newsに対する反応が、面白かった
海外の人に「遂に我々の側にガンダムが加わるぞ」とコメントされてるのを見て、しみじみと、”信頼”とは、武力を誇示することではなく、国内の文化力を高めることで、初めて、実り得る褒美なのだ、ということが、次第に確立されつつあり、味わい深いhttps://youtu.be/QB-fBGMJVR8 @YouTube
ここで隠された主張は、「私は極右問題を、ウクライナの抵抗に対する私の反対を隠すために、いちじくの葉として使っている」というものだ。
欧米は、ウクライナが核戦争にエスカレートするかもしれないので、ウクライナ支援をやめるべきだ"
自発的に核兵器を放棄する国が、一体なぜ、核兵器を放棄するのか、私には想像もつかない(グーグル"ブダペスト覚書")。
サンフランシスコの物価がクソ高いのは事実だけど、キラキラ元Twitter労働者「私が月240万円もらってたのは事実だけど、家賃で半分消えるし、とても生活が苦しくしてクリスマスプレゼントも買えないんですよ?イーロンマスク酷い」とか言ってるのが「首になった原因」だと思うわ。
経済制裁は戦争を止めないだろう。戦車と銃だけが戦車と銃を止めることができます。
「これは、戦争を牽引している主役が実際に誰であるかを判断するために、いかなる真剣な権力分析も行うことを、彼らが許すものだ。
そして、ウクライナ人は頑固に抵抗しているので、唯一可能な説明は、彼らが予想以上に「ナチ化」されていたということであり、それは簡単に、彼らは一掃されるに値するという結論につながりかねない。
無為とは、残りの人生を卑劣な生き物の支配下で生きることに同意することです。
「戦争は嫌だから敵が攻めてきても降伏すりゃいいや」→「前線に送られて肉壁にされる」 という反戦平和主義者の心をヘシ折りにくる現実くん容赦無さすぎで草も生えない
あなたの隣人はが不正行為をすることを決めた場合にあなたを助けることができる友人を見つけることが最善です
自然保護って言うのは、つまるところ、人間保護だってわからなきゃ。
ロシアが、ウクライナの冒険にどれほど完全にさらされているのかと考えると、
フィンランド又は、スウェーデンが、自分たちの国境に直接戦場で自分自身を供給するために、ロジスティック能力を欠いている軍隊から首尾よく防御できることは間違いありません。
ラブロフは座っている間にスタンダップコメディをすることができる唯一の男です
「今のところ、粉ミルクよりも銃を手に入れる方が簡単だ。信じられないことだよ」
これは新しいロシアの徴収兵にとって、このようなことが彼らに起こるかもしれないという例として役立っています。
本当に悲しい。この種の事は、善意の兵士が単一の権威によって一方的な「真実」を提示され、誰もそれに疑問を呈すことが許されない場合に必ず起こると思います。
私もこの犬のような気持ちで、只一つのものだけで心をいっぱいにして折れたらなあ。
テキサス州の学校で子供を殺すことはできますが、中絶はできません。
もし武器があまりにも危険で、警察官の一団が恐怖のあまりに、それを振り回す一人の人間と対峙できないのであれば、その武器は禁止されるべきである。
現代の日に住みたいと思っているのは、驚くべきことですが、
代わりに、此の狂人が、侵略戦争で、隣人を攻撃し、ロシアの評判を破壊しています。
外に出た亭主が、女にもてないとしたら、其れは女房が悪いんだぞ。
彼らの軍隊が、防寒具や暖房なしで戦うことをどのように期待しているのに、何故彼らが確保したい町の全てを暖房と電気を破壊するように拒んだのですか。
衆生の利益のために、人と人とのコミュニケーションを助けるために「ことばを愛する」ことを実践している皆さんに脱帽です。
絶対的かつ信じられないほど完璧です。
芸人というのは、恥をかくのが仕事です。
『スーツ姿の卒業生を探すほうが難易度高い』これ好き
才能を疑い出すのがまさしく才能のあかしなんだよ。
フランスで漫画といえば、レドマツ先生はアングレーム国際漫画祭で慰安婦をテーマにした漫画に日本大使館が抗議をして『外圧』をかける、というバリバリの表現の自由の侵害した件についてどうお考えなんですかね。
ノルウェーは、中立を掲げていたら、結果的には自分の意志に反して
大戦に巻き込まれてしまった。P194 ブルーヘルメットの素顔
不法行為のもたらす。実悪が、大きければ大きいほど”刑罰”という方法で支出する費用を増やす可能性がある。
個人的にそれらを無視するので、私は真実を話すのが怖い状態で世論調査を信じていません。
独立系メディアを弾圧する政府を信用するなんて御目出度い人だよねこの人、過ちを認められない政府など信用に値するものは何もありません
自国の過ちを認めて今後の政策を改めることを表明できる社会でのみ、信用に値するものを手に入れることが出来ます
暴力と殺人に友好的であり、戦争で物事を殺し、破壊する正当な理由のために戦うと考えている。
自国民さえ気に掛けないことを、証明した政府によってより多くの領土と人々を手に入れることは、決して偉大さにつながることはありません。
同意しなかった戦争で、戦争を強いられて、双方で人々が死んでいるというのは、本当に茶番です。
ウクライナがロシアが此の戦争で利益を得ていると思いますか?此の戦争で政治的、経済的、利益を得ているのは、ほかならぬロシアだ、
ロシアを説明するための否定的な形容詞の全てを、ロシアを否定的に説明する新しい形容詞と交換することを願っています。
現地で建立に力を尽くされた方の無念を思うと怒りが爆発しそうです。
経験という泉から水を飲むことを怠った人間は、いずれ無知という砂漠の中で、のどの渇きのために死ぬという危険性が多分にある。
我々が屈せず、負けることのなかった悪というのはすべて、結果的にみれば、逆に我々の恩人ということになるのである。エマソン
在日日数最短記録を作り上げたとして、トラス氏は「政界のナパースです」と評されるのは確実と思われ。
なぜなら、国家には、もちろん、国家には、保護し、弱者を助け、強者、働くことができ、働きたい者を妨げない機能があるからだ。
そして今、次の世代、私たちの子供や孫の世代は、ロシアを泥の中から引き出し、育て、何とかして再建し、私たちは彼らに任せます。
それが自分自身のために設定する不潔なタスクさえも果たすことができない非常に非効率的な腐敗したシステムを扱っています
私の友人のほとんどは、単にこの雰囲気に耐えられず、受動的な共犯者になることに消極的だったために、去りました。
その人物がより大きな害をもたらす不法行為ではなく
むしろ害の小さい不法行為を遂行するように導くことである。
原爆資料館では、日本はこんな悲惨なことをされたとか、可哀そうな日本ていうのを伝えるのではなく、戦争とはこんなひどいもので其れを二度と起こしてはいけないと言うのが伝わってくる、本当にいい資料館。
選挙のときだけ良いことしか言わないし、選挙終わればやりたい放題、国民の大部分の人たちは恨んでます。
メディアですら恐怖を感じて近付かない中、二発目の爆弾をまだ持っている犯人とそれを捕まえた漁師さんを取り囲むようにスマホで動画を撮り続ける民衆、命より記録衝動や承認欲求を優先するのがとても不気味で仕方がない
彼女の悪い面を強調しながら、臣下のために自分の幸福を犠牲にすることをいとわない思いやりのある優しい君主としても彼女を示すことで、すでに素晴らしいワイフをさらにレベルアップしました。
刑罰のもたらす価値は、如何なる場合においても、不法行為によって得られる利益を凌駕するものではなければならない。
デモクラシーと言うのは、「俺は国と生き死にを共にする」というは
かなり特異な政治想念を内面化した市民をデフォルトにして制度設計されているからだ。
ろくでもないやつらの社会的影響力を最小限に抑え込むのは、法律じゃなくて
常識と人情なんだ。
アメーバピグでヤクザと戦った結果・・・⑭「汝の敵を知れ」
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号は、私たちが本当に信じたいことを信じているもう一つの素晴らしい例です。人間よ、私たちは驚くほど悪い人間で、私たちが望む世界と実際に存在する世界とを調和させるのが苦手です。
孤独に対する恐怖は、結婚による束縛に対する恐怖よりもはるかに大きいので、俺達はつい結婚しちまうんだ シリルコロリ
借金があるような親もいる世の中なのだから、ゼロなだけ、何もないぶんだけ、まだマシじゃないか。
自尊心のあるエゴイストが、自分が何に関与しているかをよく考えないときに、起こることです。
夫婦別姓を認めると”家”が崩れて子供が云々とか言ってる奴が卑劣な不同意性交(更に不貞行為)を平然と犯した山口敬之を必死に擁護して「いいね」押しつづけて家族をぶっ壊すことだけに全振りしてて家族の絆とか微塵も大切にしていないバカと自ら証明してて草なんだ
この状況は、社会の全ての個人が武器を所持する権利を持つことが如何に重要であるかを明確に示しています。
自衛と攻撃を区別していない。
私達は、人生の状況を選ぶことはできないかもしれませんが、それにどう立ち向かうかを、確実に選ぶことはできます。
其れは政府が、彼らにした罠を、仕掛けることを可能にし、そして大隊全体が、文字通り吹き飛ばされました。
悪人がいくら実悪を及ぼすからといっても、善人の及ぼす実悪にまさる実悪はない
ロシアがあえて反撃するような侮辱的な振る舞いが大好き
軍事援助を削減し、ウクライナが正義と賠償を得られるよう支援することに集中できるようになります。
本当に悪いのは、怠ける人ではなく、お金を、貯蓄する人である。
iОCが、わたしたちの政府と、其れを行っている政府、そしてそれでいいと言ってるメディアに目を向けてくれることを願っています。
会議とか、打ち合わせというのは、個性的な考え方を消すためにやるんです。
「自分の身内が殺されても、そんなこと言ってられるのか?」といったところで「自分の身内が被害に遭っても、自分のスタンスは変わりません」って答えるんですよ。だって「本当にその立場になったら」バージョンをイメージするのが苦手な子たちなんですもの・・・
ひねくれた方法で子供たちを反ウクライナ的な態度で育て、北朝鮮の人々と同じように祖国に対する戦争に送り込むことさえあります。
彼らの行動や不作為の責任を負わせることを拒否し、権利と自由を継続的に放棄します。
満州の権益を失うことは日本にとって脅威だった。
どんなうまい寿司屋でもトイレ行った後に、手ぇあらってなかったらアウトやん、
私達がみすみす失敗した事業を、バカ者がりっぱに成し遂げるのをみることほど、屈辱感というものを痛切に感じさせられることはない。フロベール
なにが善なのかを知らなければそれ以外のどんな知識も有害でしかないのに。
寡頭制における王子の専制政治は、民主主義における市民の無関心ほど公共の福祉にとって危険ではありません。
いつも適度の賞賛しかできないということは、評者自身が凡庸であることを示す、何よりの証拠である。
剣に生きる者は、必ず剣によって滅ぼされる。
人は、共にして失敗した責任を分かち合うのはよいが、成功した功績は共有しようとしてはならない。共有しようとすると、仲たがいの心が生じてくる。
給付金も布マスクも、すべて家父長制を擬人化したような強権的な世帯主の父親の手にわたります。
生きづらさの原因を、個人の心の問題のみとされ、支援が心理主義化されること。
父のようなひとは、自分が頑張って働いて我慢しながら生きているのに休んでいる人や楽に暮らしてる人を見ると許せなくなるのですね。
愛というのは、執着という醜いものにつけた仮りの、美しい嘘の呼び名かと、私はおよく思います
自己に関する問題を処理するためにあたって、誠実をきわめることのできないような人は、いかなる人であれ、偉大な業績をあげることはできない。
これこそは、人間が病んでいることのすぐれた証拠だと思い知るべきである
悪徳を根絶やしにする為に作られたのに、それを隠し、助長し、そそのかしているのだ。
醜くて、軽蔑に値して、病的であるのは、社会の方よ。
他者に命令されて動くことをいっさい拒否してやろうと決心した人間が。
一見したところで、なんでもやすやすと学べるという事は、
子供にとって、破滅の原因になる。そういうふうにやすやすと学べるということこそ、
子供がなにひとつ学んでいない証拠であることが人にはわからない。
日本人残留孤児の問題など爪跡が如何に深くむごいものであったかを示す証しは枚挙にいとまがない。
一のことばを秤の皿にのせるようなことをせずに、なんでも言いたいことを言うのは、
われわれ青年の特権だね。
老人が支配するのは、奴に力があるからではなく、こちらが大人しく忍従しているからだ。
阿保左翼の人たち「西側は武器援助を止めよ」とか言ってる人いるけど、中立仕草で、武器援助もやめて、ロシアに負けて彼らの領土が、ロシアに編入されたら其の占領地はこういう未来になるの分かってんのかな。子供が国策に従属させられた歴史的反省から彼らは口酸っぱく森友学園批判してたんじゃないのか?