『肥料争奪戦の時代:希少資源リンの枯渇に脅える世界』(原書房) - 著者:ダン・イーガン 翻訳:阿部 将大 - 阿部 将大による後書き (original) (raw)

異常気象が連日ニュースで騒がれるなか、この気候変動よりも「リスクが高い」と評価されている地球環境問題が存在するのをご存じだろうか? いわゆる「リン問題」だ。今や肥料としても欠かせない元素のリンが、人類による濫用のせいで枯渇しかけ、いっぽうで海や川に垂れ流すことで水質汚染や健康被害の原因にもなっているという。世界は過去どのようにリンと向き合ってきたのか、近い将来、食糧危機を回避するには何をすべきか。
地球温暖化よりも深刻として注目される世界の問題を、ピューリッツァー賞ファイナリストであるジャーナリストが追及した書籍『肥料争奪戦の時代』の「訳者あとがき」を抜粋して公開する。

人類の未来を左右する肥料問題

原題のThe Devil's Element(悪魔の元素)とは、リン元素のことだ。リンはDNAの構成要素になるなど、生命に不可欠の要素であることは言うまでもないが、肥料として農業を支え、増加する人口を養うという点でも人類に欠かせない資源になっている。一方で、「悪魔の元素」と呼ばれるリンには、自然発火したり、藻類の大発生を引き起こしたりといったおそろしい一面もある。人間にとって不可欠でありながら、大問題を引き起こして悩みのたねにもなっているリンという不思議な元素の真の姿に迫ろうとしたのが、本書である。

著者のダン・イーガンについて簡単に紹介すると、『ミルウォーキー・ジャーナル・センティネル』紙で活躍してきたジャーナリストで、執筆した記事で過去に二度ピューリッツァー賞の最終候補に選ばれている。環境問題に詳しく、五大湖の生態系の危機について書いた第一作の『The Death and Life of the Great Lakes(五大湖の生と死)』はニューヨーク・タイムズのベストセラー・リストに入り、ロサンゼルス・タイムズ・ブック賞、J・アンソニー・ルーカス賞を受賞した。続いて発表された第二作が本書である。

環境問題に対する意識の強いジャーナリストらしく、イーガンは、リンを多量に用いた化学肥料によって藻類の大発生の最大の原因をつくっているアメリカ合衆国の農業の責任を追及する。また、リン鉱山を目的に西サハラを占領し続けているモロッコについても厳しい視線を向ける。どういうわけか石油などに比べて一般には注目を集めていないようだが、リン資源の枯渇とリン肥料をめぐる国際的な争いは、人類の未来を左右するほど重大な問題になっているのだ。

海で拾った小石が発火。その正体は

硬派な主張が込められた本ではあるが、その筆致はスリリングだ。「はじめに」の冒頭から読者をとらえて離さない。ある若者がスピード違反(および規制薬物所持)で逮捕されることを恐れ、車を乗り捨てて水路に飛び込んだものの、彼を待ち受けていた運命は逮捕されるよりひどいものだった。飛び込んだ水路に有毒な藻類が大発生しており、半死半生の目にあったのだ。この藻類の大発生を引き起こしているのがリンだった。本編の1章も謎めいたエピソードで幕を開ける。退職後にバルト海沿岸で漂流物を集めることを趣味にしていたドイツ人が、ある日、小石のようなものを拾ってポケットに入れたが、それが発火して左脚を中心に全身の三分の一におよぶ大やけどを負ったのだ。こちらの犯人もリンだった。害のない小石と思われたものは、第二次世界大戦中にイギリス空軍の爆撃機によって投じられたリン爆弾のかけらだったのだ。

イーガンは時間と空間を駆けめぐり、錬金術師ヘニッヒ・ブラントによる1669年のリンの発見を起点に、西洋から北アフリカ、南米からアジアまで、リンにまつわる興味深いエピソードを次々に提示していく。古生物学の世界で女性が活躍することなど考えられなかった時代に、化石の発見・研究で大きな業績を上げたメアリー・アニング、ペルー沖の島でグアノを発見してグアノ肥料がヨーロッパで使われるきっかけをつくった探検家アレクサンダー・フォン・フンボルト、第一次世界大戦で毒ガスを使用して戦争犯罪人として告発されながらも、窒素肥料の発明によってノーベル化学賞を受賞したフリッツ・ハーバー。イーガンはこれらの歴史に名を残す人物を紹介するばかりでなく、藻類の大発生によって苦しむ現代の一般市民や、湖の汚染の改善に懸命に取り組む人々に直接取材し、貴重な体験談を引き出している。

リンという矛盾に満ちた不思議な元素について楽しみながら知っていただくとともに、現代が直面するリンに関する諸問題について考えるきっかけになれば、訳者としてこれほどうれしいことはない。

[書き手]阿部将大(翻訳者)