愛に生きる。 (original) (raw)

こんばんは。

心理カウンセラーのみらいです。

11月も半ばを過ぎ、年末がちらつく季節となりました。

12月は久しぶりに個人カウンセリングの初回モニター様を募集しようと思います。

さらに今回は、年末ということで特別に無料での募集とさせていただきます。

2024年が終わるまでに今抱えているお悩みについて向き合ってみたいという方や、自分のこと、自分自身の心のことがもっと知りたいという方は、是非一度、お話しにきていただければと思います。

※以下、募集日時

・2024/12/01 11:00-12:00 ←予約済み

・2024/12/04 21:00-22:00 ←予約済み

・2024/12/11 21:00-22:00 ←予約済み

・2024/12/14 11:00-12:00 ←予約済み

・2024/12/18 21:00-22:00 ←予約済み

プロフィール

はじめまして。

心理カウンセラーのみらいと申します。

根本裕幸さんのお弟子8期生です。

以下に簡単にではございますが、プロフィールがありますのでご一読ください。

lit.link

こんな方におすすめ

・長年抱えてきた悩みの原因を突き止めていきたい方。

・ずっとひとりで悩みを抱え続けてきて頑張ってきた方。

・自分の本当の気持ち(本当はどうしたいなど)が分からない方。

・不足はないはずなのに、満たされている感じもしない方。

・理由はよくわからないけれど、モヤモヤする感情を抱いている方。

・現状をいい加減、打破したいと感じている方。

・自分の人生を見つめ直し、今後の歩むべき道を見つけていきたい方。

・自分のことをより深く知っていきたい方。

・変わりたい、変えたいという気持ちが強くある方。

わたし自身、カウンセリングというものはどこか怪しくて、気軽に飛び込んだり、悩みがあるからといって簡単に利用できるようなイメージではありませんでした。

ですが、周りに相談できる性格でもなく、ずっと一人で悩みや苦しさを抱え続けて燃え尽きてしまった経験があり、カウンセリングを利用するようになりました。

実際にカウンセリングを利用してみると、想像していたようなものではなく、自分自身を見つめ直すきっかけになっていたり、自分自身を覆っていた”こうあるべき””こうしなければ””どうせ自分には無理だ”といった思考に気が付くことでそれにとらわれずに日々の選択を自由にできるようになったり、理由のわからなかった感情の原因が見えてきたりと、「自分自身の解像度があがる」ことでの日々の変化を感じるようになりました。

そしてそこから「本当に自分がやりたかったこと」がみえてきたり、「自分が本当に在りたかった在り方」が分かったりして、それまでとは違う、本当に自分がやりたかったことを選択することができるようになっていきました。

誰かに自分の悩みや感情をアウトプットするだけでも感情は癒されていきますし、一人ではなかなか気付けない無意識下での思い込みや、知らない間に植え込まれたルールや”常識”があったりします。

一人で向き合うには難しいところを、カウンセリングを受けていただくことで、是非少しでもお力添えできればと思っています。

また、クライアント様の中には、初めてカウンセリングを受ける方もいらっしゃれば、既に10年以上様々なカウンセリングを受けてこられた方もいらっしゃいます。

また、ご相談内容も、恋愛のこともあれば、仕事やお金、家族関係、ライフワークなど、本当に多岐に渡りますし、カウンセリングを受けていく中で悩みの深さや内容が少しずつ変わっていくことも珍しくはありません。

どんな方でも、どんなご相談内容でも、お話しにきていただければと思います。

カウンセリングの特徴

わたしのカウンセリングでは、傾聴はもちろんのこと、”対話”を大切にしています。

クライアント様からのお話を聴き、その後質問をしながら対話を繰り返していくことで、改めて気が付いた感情や揺れ動いた感情を探り、深く掘り下げていきます。

そうしていく中で、忘れていたけれど確かにそこにあった傷ついた感情や、今の自分の行動を生み出している心理が見えて来ることがあり、そこをまたクライアント様と共に扱っていくことで、それらから解放されていき「本当に自分がやりたかったこと」や「本当の自分が在りたかった在り方」が見えて来るようになります。

そして、これからは、行動や選択の動機が「自分がこれ以上傷つかないようにするため」ではなく、「自分が幸せを感じられるものを選択する」ことに変えていけることができると思っています。

カウンセリングを通して、クライアント様が抱く、理由がわからないような、逃れられないような苦しみが少しでも和らいで、自分が生きたかった生き方を選択していくことができるようお手伝いできたら幸いです。

日程

12月の個人カウンセリングの日程となります。

1回のセッション時間は60分間です。

・2024/12/01 11:00-12:00 ←予約済み

・2024/12/04 21:00-22:00 ←予約済み

・2024/12/11 21:00-22:00 ←予約済み

・2024/12/14 11:00-12:00 ←予約済み

・2024/12/18 21:00-22:00 ←予約済み

方法・料金・支払方法

・方法:オンラインセッション(Google Meet)

※セッション後の振り返りメール付き。

・料金:オンライン(60分):5000円 (モニター価格) 無料

・支払方法:銀行振込 or Paypal or クレジットカード

お申込みフォーム

以下からお申込みをお願いいたします。

※「カウンセリング規約」「注意事項」については必ずご確認いただき、同意いただけた場合のみご予約をお願いいたします。

form.run

継続セッションについて

・必要な時に、必要な方にお届けできたらと考えております。

・押し売りなどはしませんので、安心してご利用いただければと思います。

・ご希望の方は、カウンセリングの終わりに直接お伝えいただくか、以下の申し込みフォームからお申し込みをお願い致します。

・詳細はお問い合わせいただいた方に、個別でご案内させていただきます。

内容について

・継続カウンセリングでは、優先してご予約を取らせていただきます。

・見返した時により効果が実感できるよう、毎回セッション後には振り返り+必要な場合は個人にあわせた提案のメールを送らせていただきます。

・月1回がベースではありますが、個人に合わせたペース配分でご提供いたします。

・その他、継続期間中に ”こんなメニューがあればやりたい” というものがあれば、適宜ご相談いただきながら対応致します。それにより、より個々人に合わせたメニューをご提供できればと考えております。

メニュー、料金

・オンラインセッション(Google Meet)

※大阪と東京であれば対面セッションも可(日程は限られるため、ご希望の方には候補日についてご案内いたします。ルーム代のみ別途ご負担いただきます。)

・料金については、モニター期間中はモニター価格で提供させていただきます。(定価:60分 25000円)

・以下のメニューからお選びください。

①単回オンラインセッション60分+セッション後の振り返りメール付き 9000円

②単回オンラインセッション90分+セッション後の振り返りメール付き 12000円

③3回連続コース(セッション60分+振り返りメール付き) 25000円

④3回連続コース(セッション90分+振り返りメール付き) 33000円

①は一番ベーシックなプランとなっており、おすすめです。

②はじっくり話を聞いて欲しい方、言語化やご自身の心と向き合うのに時間をかけたいと感じる方向けです。

継続(2回目以降)お申し込みフォーム

form.run

カウンセリング規約

・セッションで知り得た内容やプライバシーに関することについて、本人の許可なく第三者に伝えることはありません。

・キャンセルの場合は必ず前日までにご連絡をお願い致します。

・ご連絡のないキャンセルにつきましては、今後のご予約をお断りさせていただく場合がございます。

・事前連絡がない場合、セッション当日 開始時刻を15分過ぎても入室がない場合はキャンセルの扱いとさせていただきます。

Google Meetの不具合で入室できない場合はご連絡ください。ZoomのURLを送らせていただきます。

注意事項

・精神科や心療内科に通院されており、投薬治療を受けている場合、カウンセリングを受けること自体が症状不安定化のリスクとなる可能性があるため、基本的にはご利用はご遠慮いただいております。

※上記をご理解いただいた上でご希望される場合は、事前にご相談の連絡をいただければと思います。カウンセリングの可否、適切なタイミングでのご案内をいたします。

・個人セッションをご利用いただくのは、原則ご予約いただいたご本様のみとさせていただきます。

・セッション終了後にアンケートをお送りしております。今後の活動の参考と、個人的な励みになりますので、 もしよろしければご回答をお願い致します。

・その他、何かご不明な点などございましたら、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

お問い合わせ

なにかご質問などありましたら、こちらからご連絡ください。

form.run

こんばんは。

心理カウンセラーのみらいです。

*個人カウンセリングについて

12月から個人カウンセリング初回モニターの募集を再開します。

今回は年末ということで、特別に無料での募集とさせていただきます!

11月末にブログにて募集ページを公開しますので、ご興味のある方は是非お申し込みください。

*11月からYoutubeチャンネルを開設します!

毎週月曜日(できたら)に公開していこうと思います。

ラジオ形式でお届けする予定ですが、心理学とは関係があったりなかったり、内容はその時々の雰囲気で決めようと思っています。

ただ日常の様子をお話しするときもあると思いますので、気軽な気持ちで、なにかの作業の合間だったり、寝る前の暇つぶしだったりと、ご興味のある方は是非聞いていただければと思います。

またアップしたら(主にXにて)通知させていただきますので、よろしくお願いします。

今日は、心理学を通して自分の中で起きた「変化」について、お話しようと思います。

もともと自分や他人の心に興味があったわたしが、想像していたよりも早く心理学を学ぶことになったきっかけは、それまである意味順調だと思っていた人生が(仕事もプライベートも)一気に上手くいかなくなって、どん底に落ちたことでした。

”しんどい”や”苦しい”という言葉だけでは説明がつかないほど、

まさに”言葉にできない”ような、何とも言えず心が抉られるような感情がおさまることなく押し寄せてきて、本当に、この苦しみから逃れられるなら消え去ってしまいたいと思うほど、しんどくなった時期がありました。

ただ、心理学の世界に触れようと思ったきっかけはそれ自体ではなく、どん底に落ちたことをきっかけに、

「思い返せば今までもずっと同じようなことを繰り返してきたな」

ということを思い出したからでした。

今までも似たような生き辛さを抱えてずっと生きてきたのですが、

毎回、小手先のもので”どうにかすり抜けてやれてこれた感じ”があったので、

”喉元すぎれば”という感じで、毎回その場しのぎでなんとかやり過ごせていて、それをすり抜けた後は特に気にせず過ごせてきたのだと思います。

この人生の「どん底」だと思っていた瞬間が実は、ずっと自分の中にあった生き辛さやずっと繰り返してきたしんどさが、遂に今までにないくらいに大きくなって自分に降りかかってきただけなんじゃないかと気が付いた時、

「もうそろそろ、本当に、自分の人生をどうにかしていきたい。」

「もういい加減、自分の生き辛さを変えていきたい。」

そう、強く思うようになり、そこから、怪しいと思って遠ざけていた心理カウンセリングを受けるようになりました。

そしてそこからの流れで根本裕幸さんのことを知り、ご縁があってお弟子制度に入り、今に至る、というわけです。

今から思えば、あそこまでの強い

「もう、なんとしてでも変わりたい。」

という思いが自分をここまで連れてきたのだなと思いますし、

それほどまでに、自分の人生を「もういい加減、変えたい」と思っていたのだと思います。

それまでは何かしら理由をつけて取り組んでこなかったことも、それが良いというのなら、なんだってしてみようという気にさせました。

どうしてそこまで頑張れるの?

忙しくないの?

と言われることがありますが、

わたし自身は頑張っているつもりも、忙しくしているつもりも全くなくて、

ただ、それくらい、”自分が変わりたい”という思いが強いのだと思っています。

「もういい加減、どうにかしたい。」という思いが強いからこそ、

どうにかするために、目の前のことにただ取り組み続けているだけで、自分の中には特に他の理由や目標なんてないですし、

そうやって歩んでいる結果、頑張っているように見えたり、忙しくなっているだけのような気もしています。

そして、それくらい「自分と向き合う」ということが、自分にとっては熱中できるもので、心も時間も割くことができるものなのだなあとも感じています。

今、カウンセリングなどを通して

「何かを変えたくて」自分と向き合い続けている方々の中には、

この先に何か変化はあるのか、

自分が欲しかった未来は手に入るのか、

自分の歩む先が一体どこにつながっていくのかなど、

不安に感じる時がくるように思います。

私自身の話にはなりますが、カウンセリングを受けるようになってから自分の中で起きた変化について、お話しようと思います。

まず、仕事のスタイルが変わりました。

それまでは昼夜・土日問わずずっと職場に籠っていましたし、休みの日もずっと勉強をしていました。それが自分が望む大好きなことだとも思っていました。

休みの日に自分の娯楽のために遊ぶという意識がなかったですし(大きなイベントは別ですが)、そうしないと怖くてやっていけない思いもあったのだと思います。

それが、今では、自分にとって合うやり方が分かってきて、仕事とプライベートの時間を分けられるようになったと思いますし、メリハリがはっきりした分、自分が一息つける時間や、他に自分がやりたいことに使える時間を確保することができるようになってきました。

以前は忙しさやストレスで熱をだしたり体調不良になっていたりしたのが、今はなくなってきているように思いますし、以前は完全に思考とデータでガチガチに理論武装していた仕事のスタイルが、感覚も伴ってより柔軟に対応できるようにもなってきたように思います(これに関しては、年月の関係もあると思います)し、そういった意味では、”無理”なことをしなくなったなあと感じています。

また、これはかなり大きな変化なのですが、

長年自分の中にあった「消えたい」という思いを感じなくなったように思います。

その思い自体が全く消えて無くなったのかというとそんな感じでもなくて、

その思いが入り込む余地がなくなった、というような感覚です。

ある意味で、無意識のところで満たされてきているのかもしれません。

「どうしてみんなは消えたいって思わずに生きていけるの?」

そう思っていた感覚から、

「どうして消えたいなんて思ったのだろう?」

という感覚に近づいてきているような気がしています。

そんな思いを感じる”すき間が無い”というような感じです。

しんどいさを感じたり、自分の中で未解決な感情に心揺さぶられることはまだありますが、それが「消えたい」という感情に直結しなくなったのは、自分の中では大きな変化だと感じています。

また、これはわかりやすいと思うのですが、

身の回りの生活の中でも、変化が起こるようになりました。

まず、自炊するようになりました。

わたしはもともと自炊する習慣があまりなく(やれば出来るとは思ってはいます)、外食したり配達で頼んだりと、ほぼほぼ”外で食べる”習慣が根付いていました。

何度か自炊にトライしたこともありましたし、料理教室に行こうとしたこともありましたが、興味もわかないし、続かないしで、結局幾日も持たずに断念するということが常でした。

そんな、自炊とは縁が程遠いわたしでしたが、最近になって、

「外で食べるのは疲れるから家で食べたいなあ」とか、多少疲れていても「自炊した方が良いなあ」と感じるようになって、

自然と自炊の方に意識が向くようになりましたし、ほぼ日常的に利用していた配達も頼むことがなくなりました。

そして、運動もするようになりました。

もともとぐうたらした怠け者ですし、しんどいのなんて大嫌いですし、三日も続かないくらいの三日坊主ですし、体力よりも精神的な持久力がなくてやめたくなるのが常で、強制的に連れ出されたりしない限りはとことん動きたくないし運動したくない人だったのですが、

最近になって、毎日筋トレしたり、毎日最低10000歩はウォーキングしたりと、自炊と同じくこれも自分にとっては「一体どうしちゃったんだろう」というくらい大きな変化でした。

なぜか、自然としたくなるんですよね。

しないと気分が鬱々とするというか、した方が気持ちがスッキリして気持ち良いので、自然と気持ちが運動をする方に向くというような感じです。

そして、家も常に掃除をして綺麗な状態に保つようになりました(特に水回り)。

もともと超きれい好きというわけでもなかったですし、面倒くさがり屋で、疲れているときは掃除の優先順位は下の下、という感じで、気になり始め頃に一気に掃除をする「ため込むタイプ」だったのですが(だから急な来客とかは困っていました)、最近は、毎日都度掃除をして、常にきれいな状態を保てています。

これも、「そうしなければ」という強制的な感じというよりは、した方が気持ちよくてスッキリするからしている、という感じで、自然と掃除に意識が向くような感じです。

今はいつ来客があっても大丈夫な状態なので(以前は「外で5-10分待ってね」フェーズがありました)、これも自分の中では大きな変化だと感じています。

また、部屋だけでなく、身支度も毎日よりきちんとするようになり、常に自分でもスッキリした状態を保つことができるようになりました。

あと、これは不思議な話なのですが(確信は得られていません)、最近になって抽選で選ばれる(当選したり、1等を引いたりする)ことが立て続けに起きていて、何か関係があるのかなあ、あったら面白いなあと感じています。

こんなふうに、自分の中では、何か大きな物事での変化というよりは、

「自分自身の、人としての根本的なところ、日常生活での基盤の部分」の変化が起きてきて、より土台がしっかりしてきたというのか、身綺麗にして身をかために来ているような感覚がしてきています。

しかも、今までどれだけ工夫しても変わらなかった日常生活での「習慣」が大きく変わってきているので、とても驚いています。

これらがどういう変化につながるのかはわかりませんが、これからも流れに身を任せていこうと思いますし、なにかご報告できることがあれば、適宜ご報告させていただこうと思っています。

また、11月からYoutubeチャンネルを開設してラジオをやらせていただくことについても、この流れの中で生まれたものだと感じています。

上記の大きな変化を感じる中で、自分のことをより深く知りたいなと思いましたし、ラジオはその足がかりだと思っています。

ラジオや配信は自分の中でどこか苦手でむしろ手を出したくはないと感じていた領域ではあったのですが、この変化の中で周りから提案されて、「やってみよう」という気持ちになれたのでチャレンジしてみる、といった感じです。

(誰かが自分に「やってみるといいよ」と勧めてくれたことは、その領域に自分のなにかしらの要素を感じ取ってくれたからだと思いますし、そこは決して自分では気が付けないところでもあるからこそ、素直に聞き入れてみようと思えました。)

だから、有名になりたいとか、視聴数を稼ぐとか、そういった目標や大義名分があるわけではありません。

自分が「やってみたい」「やってみようかな」と思うものを、無理なく、自分の気持ちが乗れる範囲でやっていこうと思いますし、クリエイティブになにか工夫ができるところがあるのなら、それもいつか挑戦してみようとは思っています。

また、以前に書いた「一番になりたい自分」という意識も今はだいぶ薄れてきていて、競争に意識が向かなくなってきたなあと感じています。

競争するのって大変だなと、少し距離を置いて感じられるようにもなってきましたし(前は血気盛んに競争のど真ん中にいました)、以前よりも大分しおらしくなってきたなあと感じています(自分では)。

こうやって、自分の基盤・土台が変わってきている中で新しい挑戦ができることは嬉しく思いますし、この流れの中で自分はどこに向かっていくのか、楽しみでもあります。

また何か、自分の中でおきた「変化」を思い出したら書いていこうと思いますし、

誰かの「変化」をこうやって知れる機会も少ないので、この記事を読んでくださっている皆さまにも、是非、ご自身の中で起きた「変化」を共有していただけたらなあと思います。

もし、このブログで共有しても良い「変化」があれば、以下からご投稿いただけたらと思います↓

form.run

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

こんばんは。

心理カウンセラーのみらいです。

*個人カウンセリングについて

12月から個人カウンセリング初回モニターの募集を再開します。

今回は年末ということで、特別に無料での募集とさせていただきます!

11月末にブログにて募集ページを公開しますので、ご興味のある方は是非お申し込みください。

*11月からYoutubeチャンネルを開設します!

毎週月曜日(できたら)に公開していこうと思います。

ラジオ形式で、わたし自身のお話をしていく予定ですが、心理学とは関係があったりなかったり、内容はその時々の雰囲気で決めようと思っています。

ただ日常の様子をお話しするときもあると思いますので、気軽な気持ちで、なにかの作業の合間だったり、寝る前の暇つぶしだったりと、ご興味のある方は是非聞いていただければと思います。

またアップしたら(主にXにて)通知させていただきますので、よろしくお願いします。

今日は、「寂しさ」について、お話しようと思います。

「寂しさ」とは。

みなさんにとって「寂しさ」とは、どんな感情でしょうか。

わたしにとって「寂しさ」とは、

思わずそこから目を逸らしたくなるような、

胸がぎゅっとつかまれて苦しくなるような、

思わず涙が溢れてきてしまうような、

そんな感情です。

そして、わたしにとっては

そんな「寂しさ」を感じることで、

自分がみじめで、虚しくなるような、

みんなと比べて存在価値が低いような、

そんな思いにさせるような感情でした。

さみしい自分。

孤独な自分。

みじめな自分。

虚しい自分。

周りは楽しそうに輝いて見えて、

自分だけがこの孤独な世界に取り残されてしまったような、

みんなから切り離されて自分が生きているような、

そんな気持ちにもさせる感情でした。

わたしはきっと、この感情が大嫌いすぎて、

いつも、無意識に目を逸らしてきたのだと思います。

予定を埋めようとしたり、

誰かとつながろうとしたり、

どこかの輪にいる安心感を得ようとしたり。

そうやって無意識に、

自分の中にある”寂しさ”を

何かで埋めようとしてきました。

そうやって自分が、心からの寂しさに気付かなくて済むように行動してきたので、

本当の意味での「寂しさ」に、しっかりと向き合えたことがあまりなかったように感じています。

無意識に、あまりにも自然に目を逸らし続けてきたので、自分では寂しさを埋め合わせているつもりすら、なかったのだと思います。

わたしにとって、「寂しさ」とは、”悪”でした。

だからこそ、わたしを「寂しくさせる」ものは、自分にとって”悪”となりました。

ずっと、自分の中で何かに対して拒絶反応がでたり、攻撃してしまいそうになったりして、それがどうしてなのかうまく説明できない思いに駆られていたのですが、もしかしたらこの「寂しさ」が関係しているのかもしれないなと、最近は感じるようになりました。

自分がずっと目を逸らしたかった「寂しさ」を感じさせるものに対して、

「そんなことしないでよ!」「やめて!」と、無意識に攻撃したくなっていたのかもしれません。

それくらい、自分にとって「寂しさ」とは、

とても苦しくて、不快なものだったのかもしれないなと感じています。

そして、この寂しさを埋めるための行動は、

一時的に埋め合わせているのに過ぎないので、

それを終えた後に、また心の奥底にあった「寂しさ」が顔をだしてきます。

そもそも、そこにある「寂しさ」に耐えられずに埋め合わせたものだったので、その埋め合わせがなくなって再び「寂しさ」が顔を出してくると、やはり耐えられないくらいの痛みを感じるようになります。

きっと、その大きさは、もともとそこにあった「寂しさ」と同じくらいのものなのかもしれませんが、埋め合わせたものが自分の中で楽しかったり、満たされた想いをするものであればあるほど、その反動が大きくなり、そのギャップで、「寂しさがより一層増してしまった」ような感覚になり、

以前よりもより必死にそのぽっかり空いた心を埋めようと、埋め合わせのための行動を繰り返すようになり、やめられなくなる。のだと思います。

そして、その補償行為がやめられなくなっていくと、普段寂しさを感じはしないのだけれど、どこかずっと満たされていないような感覚が底にあって、

満たされているはずなのに、満たされない感覚がある

みんなと一緒にいるはずなのに、なぜか孤独を感じる

一人になった途端に、強い孤独を感じる

一人でいるときに、虚しさを感じる

常に飢餓状態で、何かで埋め合わせようと貪り続けている

補償行為をやめてしまったら押しつぶされてしまいそうで、やめられなくなる

結果的に、そういった状態を招くのかもしれませんし、これすらも目を逸らすための補償行為を、さらに重ねていくのかもしれません。

そして、他の誰でもないわたし自身も、無意識ながらに、この補償行為を重ねてきたのだと思います。

思い返せば、わたしは、とても寂しがり屋な子供でした。

母は専業主婦だったので、ずっと家にいてくれていたのですが、

それでも、母が買い物にでかけてわたしが家で一人になった時には、

あまりの孤独感と寂しさに、ずっと家で一人で泣いているときがありました。

小学校低学年の頃だったと思います。

あの頃は、自分でもどうして泣いているのか、どうしてこんなにも孤独を感じるのか、わかりませんでした。

側にいてくれる人は確かにそこにいるのに、この寂しさはどこから来るのだろうと、不思議にさえ感じていました。

もしかしたら、もともとわたしには孤独感があって、それを母が側にいることで埋めていたのかもしれません。そして、母が外出して一人になったのをきっかけに、それが溢れてきたのかも知れません。

それくらい、きっとわたしの中には強い孤独感があったのかもしれませんし、それくらい小さなころから、うっすらと自分の中にある孤独を感じながら、目を逸らし続けてきたのかもしれません。

今日、この感情について記事を書こうと思ったのは、

最近の流れの中で、自分の中に確かに在る「寂しさ」に気付くことが増えてきたからです。

何か楽しいことがあった後、一人になった時に、なぜか無性に寂しくなってしまって、涙が出てきたり、

日常生活の中でも、ちょっとでも顔をしかめたくなるような「寂しさ」を感じたらそこから目を逸らそうとしたり、

そうやって無意識に補償行為をしようとする自分に気が付いたりと、

もしかしたら、自分の中には大きな孤独感がしめているのかもしれないと思うようになりました。

そして今でも、寂しさから目を逸らそうと、つい埋め合わせをしようとする自分はいるのですが、「寂しさ」があることに気付き始めたからなのか、最近は以前よりも意識して、目を逸らすのでなく、向き合うことができているように思います。

そしてやはり、この感情についても「向き合い」「受け入れていく」ことが大切なようです。

目を逸らし続けるから、「寂しさ」が自分にとってしんどくて、苦しくて、悪のような感情に思えてしまう。そこから目を逸らし続けたいと思ってしまう。

目を逸らすのではなく、在ることを認めて自分の中に落としていくことで、それが自分にとって”苦しい”感情ではなく、もっと何か違った感情になるのだそうです。

「寂しさ」があるからこそ、人は人とつながりたいと思い、人とつながろうとします。

だからこそ、この「寂しさ」とは消えてはいけないものだし、そもそも消せないものだとも思うのです。

そしてだからこそ、「寂しさ」とはきっと、自分の”敵”なのではなく、自分の魅力をより引き出し、そして本当につながりたいところとのつながりを生みだしてくれるもののような気がしています。

今は自分の中にある「寂しさ」をじわじわと感じることでいっぱいで、確信得たことをお伝えすることはできませんが、自分の中ではきっとそうなのだろうと思っています。

「寂しさ」と向き合い続けている皆さまにも、何か届くといいなと感じています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

こんばんは。

心理カウンセラーのみらいです。

気がつけばもう11月で、気温も一気に低くなり、肌身を通して季節の移り変わりを感じるようになりました。

11月の個人カウンセリングも継続の方のみとさせていただいておりますが、12月からは久しぶりに新規モニター募集を再開しようと思っております。

また、12月は年末キャンペーンということで特別に、無料での募集とさせていただきます。

どんなカウンセリングか気になっていたけど手が出せなかった方や、最近知ってくださった方など、ぜひご検討いただけたらと思います。

11月下旬に募集ページを公開しますので、ご希望の方はそちらからのご応募をお願いいたします。

ここ数ヶ月、自分自身を見つめていくうちに大きな変化を感じるようになり、

考え方が変わったり、長年変わらなかった行動パターンが変わってきたりと、自分でも驚くような変化を感じています。

流れの中にいる間は今を生きるのに精一杯で変化には気づけなかったのですが、

後から振り返るとたった数ヶ月前の自分でも、

「そんなことあったなあ」

と思えるくらいの変わりようで、やはり心の世界(特に深層心理)はおもしろく、とても興味深いものだなと感じています。

せっかくこれだけの変化を感じているので、自分の中にある「今」の気付きを記事にしていきたいなとは思っているのですが、

いざ自分から発信して、自分の中にあるものを伝えようとしたときに、うまく言葉にすることができず、もやもやしながら過ごしています。

自分の中で腑に落ちて、解像度があがって、上手に言語化できるようになるまで待とうと思っていますが、

そんな"今の状態の自分"でもお伝えできることがあるかなと思い、今日は記事を書いています。

最近は、やはり人の行動に大きな影響を与えるのは「思考」であり、さらにいえば、もっと深いところにある「無意識下の深層心理」であると感じています。

「思考が行動を作る」「思考を変えれば世界が変わる」とはよく言われますが、

この「思考」という言葉には、とても深い意味があるように感じています。

それは、自分でも認識できる、自分でも意識できる表層の部分から、

自分では意識できない、気づけないような、深い無意識の部分にあるところまで、

様々な深さの心理が思考を形作っている、ということです。

言い方を変えれば、思考の土台・基盤となる部分は無意識の部分がつくっていて(ここは認識できないことも多い印象です)、

その上に、倫理観や常識、経験を通して作られた、わたしたちが意識できる思考が積み重なっているといった印象です。

最初、自分と向き合う時は、自分でも認識できる部分、自分でも意識できるところからスタートします。

自分でも認識できるものなので、そこにアプローチするのは自分一人でもできるかもしれませんし、誰かに指摘されても「確かにそうだな」と、納得・理解できる範疇のものだと思います。

なので、そこにアプローチすることは、ある意味で順当なのだと思いますし、そこの思考を変えることで、"確かに現実は変わってきた"と実感できるものだと思います。

ですが、全てとは言いませんが、時にそれは自分の核の部分というよりは、その周りのところを探っているような感じにもなるので、

確かに楽にはなってきたのだけれども、「どこか生き辛さが残っている」ような、

どこかに行き詰まり感を感じたり、

「変わったと思っていたものが実は変わっていなかった」ことがわかったり、

「頭では分かっているのに」どうしようもない、やめられないというような、

「向き合い続けているのにうまく言えないモヤモヤがそこにある」状態を感じることがあります。

そしてそれは、

それまで必死に自分自身と向き合ってきた方なら特に、

自分が意識できるところよりももっと深くの、自分では認識できないところにある心理に、その理由が隠されていることがあります。

そして、その奥深くにある心理には自分自身ではなかなか気づけないですし、他人から指摘されても、

「でもそんなこと思っていない」

「もう何も気にしてなんかいない」

「寂しさなんて感じていない」

「もう今は怒ってなどいない」

など、今の自分が認識している感情とは別のことだったり、真逆と感じるようなことだってあるからこそ、自分一人の力だけではアプローチするのも取り扱うのも、とても難しいように思います。(かく言うわたしもそうでした。)

だからこそ、半信半疑でも、信頼できる方と一緒にそこを取り扱って行くことで、

案外、感情が大きく動くことがあったり

そういえばそうだったなと思い出したり

後から実感を伴って、"それが間違っていなかった"ということがわかる時がくるかもしれません。

そして、自分でも気づけないような、深くにある部分にアプローチしてそこを扱っていくからこそ、感情の動きも今までよりも遥かに実態に近いものとして感じることができますし、

自分の意識の下で「思考を変えようと思って変えていく」というのとは違って、

自分でも気が付かないうちに、静かに、深い部分で思考が変わっていて、

気付けば「そういえば、そんなことあったかもなあ」というような状況になることだって、あるかもしれません。

そして、そんな深いところへのアプロ―チだからこそ、それまでどれだけ頑張ったり、意識しても変わらなかった行動も、気づいたら自然な形で変わっていって、自分でも驚くような変化を感じるようなことがあるのかもしれませんし、

もしかしたら、その頃にはもうそれが普通になっていて、思っていたほどの感動や驚きはむしろなかったりするのかもしれません。

目に見えない世界のことは、信じることが難しいことも、また、信じることが過剰になりすぎてしまってむしろ本質から離れてしまうこともあります。

だからこそ、慎重になってもいいと思いますし、わたし自身も時に慎重になったりもします。

ですが、実際に変わっていくことを経験したり、後に実感として理解できてきたりすると、意識できないような深いところでの心理の影響というのも大きくあるのだなあと感じますし、そういった目に見えない領域だからこそ、自分が信頼できる人に頼りながら歩んでいくのがいいのかなと思います。

そして、今日は無意識のところのお話をしてきましたが、わたし個人の意見としては、意識できる範囲を扱うことも、とても大切だと考えています。

急に深くまで掘り下げることなんてできませんし、その準備がなければ、その先にあるものを受け入れることも、扱っていくことも難しいと感じています。

物事には段階があって、今の自分が扱えるところ、扱っても良いと思えるところを扱ってプロセスを進めていくことが大切だと感じています。

そうやって、少しずつ、層になっているところをめくっていきながら、いつか自分が触れたかった核の部分にまでたどり着く。

そのプロセスの先に何があるのかも、どうしてそのプロセスをたどる人がいるのかも今のわたしにはわかりませんが、そうやって進んでいった先に、その人が求めるものが待っているような気がしています。

たしかに楽にはなってきたけど、どこか生き辛さが残っている。

なんとなくモヤモヤがとりきれず、行き詰まりな感じがする。

どうしてか抜け出せないパターンがある。

みなさんは、こんな想いを抱いたことはあるでしょうか。

もしあるとするなら、それは、今まで自分と向き合ってきたからこそ、より深くをみていくタイミングが来たことを教えてくれているのかもしれません。

その先はきっと、信頼できる誰かと手を取りながら、歩んでいくプロセスになるのだと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

こんばんは。

心理カウンセラーのみらいです。

久しぶりの投稿となりました。

いくつか書きたいことは思い浮かんでいましたが、上手く言葉にすることが出来ず、時間が経ってしまいました。

今回は、そのうちの一つについて、お話しようと思います。

以前にも書いていますが、「消えたい」という思いについて、今の自分が感じていることをお話します。

※今回は消えたいという感情を主に扱っていますが、死生観についても少し触れていますので、苦手な方はここで戻ることをおすすめします。

以前の記事にもありましたが、

わたしは幼少期からずっと「消えてしまいたい」という思いと共に生きてきました。

「死にたい」とは違うその思いに、

一体なにが違うのだろうと思っていましたが

最近、ようやく、ほんの少しではありますが

実感として掴めたものがあるような気がしています。

わたしが抱えてきた「消えたい」という思いは

「そもそもの存在自体を、なかったことにしたい」

「この世に存在したこと自体を、全てリセットしたい」

そんな思いでした。

「死にたい」が”生”を前提として、それを”止めたい”という思いであるならば、

「消えたい」は前提である”生”そのものを”なかったことにしたい”という、

そんな違いが、二つにはあるような気がしています。

死にたいは現実的で、

消えたいはどこかファンタジーなんです。

消えたいという思いを抱えながら、同時にわたしが思っていたことは、

「消えたいけど、どうせ消えられないのだから、生きるしかない。」

「どうせ生きていくしかないのなら、少しでも前向きに楽しくいられるようにしたほうが良いだろう。」

そんな思いでした。

消えたいという思いを強くもちながらも、

それがファンタジーであることも、

現実的には叶わないことも、

全部、頭では分かっていました。

どうせ消えられないのだから、

どうせ生きるしかないのだから、

自分の人生を明るく楽しいものにしよう。

だから、わたしは自分の人生を、あらゆる手を使って充実させていくことに決めました。

他人から褒められるようなことを、日々選択していきました。

勉強を頑張り、やりたかったことを学びました。

友人も沢山作り、沢山遊びに行きました。

旅行も好きだったので、本当に多くの場所を訪ねました。

本当に大切だと思える出会いも経験しました。

”人生で一度はやってみたいこと”には全て、手を付けました。

きっと、誰から見ても、充実した人生だったのだと思います。

「悩みなんてないでしょ?羨ましい。」

そんな言葉をかけられたこともありました。

でも、そんな言葉をかけられればかけられるほど、

”外側から見えるわたし”と

”内側で感じる自分の気持ち”が

大きく乖離していることに、次第に気が付くようになりました。

今までの自分の行動の根底にあるものが、

「消えたい」という思いに対する”補償行為”だったからこそ、

それらの行動をしているときは見なくて済みますが、

それらの行動をし続けていないと、むしろ、

「消えてしまいたい」という、

自分にとっては苦しすぎる気持ちを感じてしまうような状態でした。

だからこそ止まれなかったし、

その補償行為をして生き続けることをやめることなんて、できませんでした。

「羨ましいと思うなら、一度経験してみたらいいじゃないか」

思わずそう吐き捨てたくなってしまうくらい、

自分にとって「消えたい」という思いは、

しんどかったのだと思います。

そして、その経験をしてきたからこそ、

傍から見てどれだけ満たされた生活を送っていたとしても、

それが補償行為である限りは、

その根底にある「消えたい」という気持ちは

消えてなくならないということも、わかりました。

「消えたい」とは、どこか”ファンタジー”だというお話をしました。

死にたいが、”生きてきた”人生の終着を見ているのだとすれば、

消えたいは、その前提である”生”自体が薄れている状態なのだと思います。

「消えたい」には、

実感としての生きていること、生きてきたことの証が、

どこかないような気がしていました。

わたしはずっと、

自分が生きる意味や意義を探し続けてきましたが、

生きる意味や意義がないと、

自分が生きていることの理由がわからなかったのだと思います。

”消えたい”とは、

そんな生きることとのつながりが薄れているような、

そんなもののような気がしています。

どうして、その気持ちを抱くようになったのか。

そこには様々な要素があると思いますし、

人の数だけ理由や状況はあると思いますが、

その中には、

”自分の感情とつながることの拒絶”や、

”自分が生きる世界からの離脱願望”

があるのかもしれないなと思いました。

”感情を感じることはとてもしんどく、辛いものだからこそ、感じることを拒絶する”

きっと、どこかのタイミングで、そうすることを選んだ自分がいたのだと思います。

そして、そうしたくなるくらい、目の前にある現実が、自分にとってとても辛いものだったのだと思います。

”早く、このしんどくて辛い世界から、逃げ出したい”

”自分がここに生まれてきた意味が、わからない”

そうして、”生”というものから自分自身の心を、切り離したのだと思います。

だからこそ、「消えたい」はどこかファンタジーですし、

生きていることや生身の感情から、どこか離れているような、

そんな感覚が根底にあるものなのだと思います。

そんな人の最大の敵は、

「感情を感じること」です。

かつて自分が相当に苦しみ、

そこから逃れるために感情とのつながりを断ったのに。

再びそれとつながって感じていくということは、

かつての苦しみが大きければ大きいほど、心底嫌悪を感じますし、

当初は相当にしんどくて苦しい気持ちを伴います。

でも、何かがきっかけで、

(例えばカウンセリングや自分と向き合う中でだったり、

周りの人との関わりの中で自分の感情に触れていくことで)

予期していなかったタイミングで、

ずっと固く閉ざしていた感情の蓋が開くことがあります。

そうすると、見たくもない感情も含めて、

様々な感情をダイレクトに感じるようになり、

最初は”こんなはずではなかった”と思うような、

そんな苦しい気持ちを味わうことになるかもしれません。

”どうしてこんなに苦しいんだ”と、

出てくる感情を受け止めるのだけでも必死で、

それだけでも疲弊してしまって何もできないような、

そんな状態になるかもしれません。

自分と向き合っていたはずが、悪い方向に進んでしまったような、

そんな印象も、受けるでしょう。

実際、わたし自身もそうでした。

その頃のわたしは、

”余計に悪くなってしまったのだ”、と思いました。

そして、それまで蓋をしていた感情を次から次へと感じたことで、

それまでファンタジーだった「消えたい」という思いが、

現実的な「死にたい」に変化していきました。

自分の「消えたい」が「死にたい」に変わったとき、

”やはり、道を間違えてしまったのかもしれない”

と、本当に心の中では感じていました。

自分と向き合うはずが、悪い方向に向かってしまった。

一体どうすればよかったのかと、思っていました。

そして、なぜか、それに輪をかけるように

自分の負の感情を助長するような出来事が

立て続けに身の回りで起こるようになりました。

もう、しんどい。

次々と起こる負の連鎖に、抗う元気もなく、

起こることをただただ受けて過ごしていくうちに、

本当に、もう、いなくなってしまってもいいかもしれないと思いました。

もう、十分がんばってきた。

そんな風に感じ、実行しようかと思った時。

最後の一歩が、でませんでした。

本当は、生きたいのかもしれないなと、思いました。

そして、その時から、

自分の心の中の状況が大きく変わり、

それまで朝起きてから夜寝るまで感じていた

「消えたい」という思いも、

「死にたい」という思いも、

感じることがなくなりました。

どこか心が少し浮上して軽くなったような、

そんな感じがしました。

感じるべくものをただひたすら感じ切って、

「底打ち」をしたのかもしれません。

そして、当時はわかりませんでしたが、今思い返すと、

自分が切っていた感情とつながるようになって、

自分に途切れていた「生」が戻ってきたのだと思いました。

自分が生きていることの実感というのか、

自分が生きている世界と少しだけつながったのだと思います。

だからこそ、自分の抱く感情が、

ファンタジーだった、生とのつながりのなかった「消えたい」から、

より現実的な、生とのつながりのある「死にたい」に変わっていったのだと思いました。

しんどくて、苦しくて、

間違っていたのかもしれないと思っていたプロセスは、

自分に”生”や”この世界とのつながり”を戻すためのプロセスだったのだと思います。

そして、このプロセスはそれだけの感情を伴うものだからこそ、

他者との関わりの中で行われるものだと思いましたし、

そもそも前提として、感情とつながるというプロセス自体も

他者とのつながりや関わりの中で生まれるものだと思うので、

そういった意味では、”来るべくして来た流れ”だったのかもしれないなあと、今は思っています。

おそらく、このブログの過去記事にも、

”「生きる意味や意義」を探している”

というようなことを、どこかに書いたような気がします。

自分にとってはそれがないと”生きている理由”がわからなかったのだと思いますし、

それくらい満たされるということがわからなかったのだと思います。

いまも自分と向き合っている途中ではありますが、

少しずつ、自分から見える景色や感じることは変わっていっています。

いつか、もう少し自分の中で実感として解像度が上がって、

それを言葉として伝えられるようになったら、

かつての自分が渇望していたその先に導いてくれる手を、

同じ気持ちを感じている方にもそっと差し伸べることができたらと思っています。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

こんばんは。

心理カウンセラーのみらいです。

先週末にイブニング会を行いまして、

初めての企画だったので少しばかり緊張していたのですが、結果、とても楽しい時間を過ごすことができました!

"インターコンチネンタルホテルのバー"という、

普段なら行かないような場所で夜景をみながらみなさまとお話できるのは、とても贅沢で充実した時間だったように思います。

当日は時間を忘れてしまうほど会話が盛り上がり、

改めて、同じものを見てそれを良いと思っている方々とこうやってお話しをするのは、色んな刺激も受けて、とても楽しいなあと感じました。

そんな今回のイブニング会に参加してくださった方から、素敵なご感想をいただきました。

(掲載OKのみ掲載しております)

今回のイブニング会のご感想を、ぜひ教えてください。

開催人数が4人というのは、とても心地良かったです。

初対面の方ばかりでも、みらいさんを通してスムーズに話が進み、そして弾んだように思いました。

ご縁のある方々とお会いできたと感じ、 本当に参加させていただいて良かったと思っています。

楽しい時間をありがとうございました。

第二回目も是非開催してほしいです。

イブニング会については、

「やってみては?」

という後押しから始まりましたが、

実際に会を開くとなったとき「この会を開く意味」というのを、ぼんやりと考えておりました。

もちろん、

"普段ならいけないような空間で、楽しくお話しできる場を作る"

ということも目的の一つではありますが、

"個人カウンセリングではできないこと"を、この会を通して提供できたらいいなあと感じておりました。

基本的に「自分と向き合う」ということは、カウンセラーという伴走者がいることを除くと、(心理的にも)一人になる時間が多いと感じています。

内側に目を向けて深く掘り下げていくので、

時には孤独で、内に篭って、「自分一人だけ」という感覚になりやすい時があります。

こんなに悩んで、苦しんで、自分と向き合い続けているのは自分だけ。

周りと違って、自分は一人で、孤独なんだ。

しんどいときには、そう感じてしまうことも、あると思います。

また、カウンセリング以外では自分の心の内や考えていることを誰かと共有する機会がないからこそ、

どうしても自分の頭の中だけで同じような思考がグルグルとまわってしまい、自分の中の固定観念から抜け出せない、ということも、あると思います。

だからこそ、こういった複数人が集まる機会を通して、

同じように自分と向き合っている方々と出会い、一人ではないことを知ることや、

他の方々との会話を通して、その後の選択のヒントになるような「心に引っかかる言葉」を見つけることができるようにもなるのではと思っております。

また、やはりこういった普段行かないような空間で非日常的な時間を過ごすというのは、自分の内側と濃厚に向き合っている方にとっては特に、息抜きの効果もあるのではと思います。

第1回は個人的にもとても楽しませていただきまして、ありがとうございました。

また機会とお声があれば、第2回もやりたいなあと感じておりますので、ご興味がある方はぜひ、その機会にご参加いただければと思います。

近々また、ブログを更新しようと思いますので、もしよければまた、覗きにきていただければと思います。

こんばんは。

心理カウンセラーのみらいです。

久しぶりの更新となります。

最近は、自分でも想像していなかったスピードで、様々なことが立て続けに起こって、正直、かなり疲弊していました。笑

それも、

嬉しいことや楽しいことだったら良いのですが、

過去の自分の見たくもなかったような感情や、気付きたくもなかった未消化な部分が急に溢れかえってきて、

それを感じるだけでも精一杯で、他のことには手もつけられず、心身共にやられていました。

その後も、

私生活では廃人のようになりながらも、

ただ、なされるがまま、出てくる感情に抗わず

まわりに助けを求めながらすごしていたら、

どうやら底打ちをしたようで、

以前とは気分も感じ方も変わってきていて、

今は少しずつ浮上してきている感じがします。

今回は、そんな流れの中で感じたことを、言葉にして残しておこうと思います。

同じ経験をされている方にとって、なにか一つのヒントになれば嬉しいです。

心理学など通して自分を見つめ癒していくと、

ずっと自分に禁じていた「感情を感じる」ということを、許すことができるようになる時がきます。

それは、「過去の自分が閉じ込めてきたトラウマの感情を感じることを許す」ということなので、

蓋をしていた、見たくも感じたくもなかった負の感情が堰を切ったように溢れ出してきて、

かえって苦しくなってしまうことだってあります。

そして、蓋をして自分の中に溜め続けていたモノだからこそ、

溢れかえってきた負の感情とはきっと、

「どこか懐かしい」ものであり、

「そういえばそんなこと、感じていたなあ」と思い出すものでもあり、

実際に傷ついた過去とリンクしている感情だからこそ、過去の痛みをリアルに再現するような、

そんなモノなのだと思います。

苦しい、寂しい、悲しい、やるせない、怒り、虚無感、諦め

そこには、どんな感情があるでしょうか。

全て、でしょうか。

簡単に言葉にはできないような、感情でしょうか。

そして、そんな負の感情が溢れかえってくると、

少しでも楽になるために心理学を通して自分と向き合ってきたのに、

かえって焦りや後悔の気持ちがでてきたり、

「もしかしたら道を間違えてしまったかもしれない」と感じることだって、あるかもしれません。

もし、今、同じようなプロセスを辿ってる方がいらっしゃるのなら、

それは今まで、一生懸命自分と向き合い癒し続けてきたからこそ開かれた「次の段階」なんだと思いますし、

ずっと見ないように溜め込んできた負の感情を感じることを、ようやく、

「自分に許すことができるようになった」

瞬間でもあるのかもしれません。

渦中にいる間は、そんなことは思えなくても、思おうとしなくても構いません。

きっと今は、自分の本当に嫌だった感情を感じることだけで手一杯だと思いますし、それでいいと思います。

今のその状況は、道を間違えたわけでも、失敗したわけでもなく、

「今までのプロセスがあったからこそ開かれた流れ」なのかもしれないということを、

いつか、心のどこかで思い出していただけたらと思います。

そして、このプロセスを経ていく中で、ぜひやっていただきたいことがあります。

感情は感じるだけでも癒されていくというので、ただなされるがまま、溢れてくるがままに感情を感じ続けることでも、徐々に自分の中に溜まっていたものが癒されていくと思います。

ですが、わたしはここで「育て直し」というものを、ぜひやっていただきたいなあと思っています。

それは、

「過去の自分が本当にして欲しかったことを通して、自分を救ってあげる」

ということです。

その痛みや苦しみを感じていた過去のあなたはきっと、誰にも助けを求めず、誰にも話さず、心の中にその感情を閉じ込めたまま、一人きりで立ち向かおうとしたのではないでしょうか。

一人で耐えて、一人でなんとかしようとして、きっと、一人で頑張り続けてきたのではないでしょうか。

いま、あなたが感じている、閉じ込めていた痛みや負の感情は、自分が自立するに至った感情だとも思います。

だからこそ、その感情を感じると、また、どうしても、過去と同じように、自立したくなってしまいます。

過去の傷が疼くから、もうこれ以上自分が傷つかなくて済むように、過去と同じように、鎧を身に纏ったり、また一人内側に篭ろうとしてしまいます。

だからこそ、今度は、過去とは違う方法で、自分を助けてあげてください。

今度は「過去の自分が本当はして欲しかったこと」を通して、あの時と同じ感情を感じている自分自身を、助けてあげるのです。

そしてそれができるのは、それまで一生懸命、自分自身と向き合い続けてきたプロセスがあるからこそだと思っています。

だから、決して、今まで自分と向き合ってきた時間は、無駄なプロセスでも、失敗でもないのだと思っています。

これまでのプロセスを経てきたからこそ、

"過去の自分が本当に望むことを通して自分自身を救ってあげることができる自分"

になっているのだと思いますし、

"その勇気をもつこと"

ができるようになっているのだと思います。

過去の自分は、本当はどうして欲しかったのでしょうか。

周りの人に、ただ話、を聞いて欲しかったのでしょうか。

自分のことを、理解して欲しかったのでしょうか。

こんなふうに感じている自分がここにいるということを、分かって欲しかったのでしょうか。

もっと自分のことを、知っていて欲しかったのでしょうか。

もっと、自分のことを、みていて欲しかったのでしょうか。

ただただ、側にいて欲しかったのでしょうか。

耳を澄ませてみてください。

本当はあのとき、一人で戦うのではなく、どうして欲しかったのでしょうか。

そして、今度は、過去の自分とは違って、

周りの人に助けを求めて、寄りかかって、聞いてもらって、手を差し伸べてもらって、

自分一人ではなく、周りの人の力で、支えてもらって、助けてもらってください。

みんなに、助けさせてあげましょう。

差し伸べてもらう手は、ほんの些細な手で構いません。

「救ってもらう」というほど大々的なものでなくても構いません。

ただご飯に行くでも、

ただ側にいてもらうでも、

ただ話を聞いてもらうでも、

ただ一緒にどこか行ってもらうでも、

直接会わなくても、

ただなにか反応をもらうでも、

大小問わず、内容は何でも構いません。

ただ、時を変え、人を変え、いろんな場面でちょこちょこっと差し伸べてくれる手をとって、そうやって、少しずつ"今"生き延びていく。

そうして、気がついたら自然と乗り越えられている。

そんなイメージで、いていただけたらと思います。

そして、そこには、少しの"勇気"が必要です。

先ほども言ったように、

"過去と同じ痛み"だからこそ、"過去と同じように"自分の内側に篭りたくなります。

過去そうしたように、これ以上傷つかないために、自立したくなります。

でも、たくさんのプロセスを乗り越えてきたあなただからこそ、きっと、その小さな勇気も、だせるようになるかもしれません。

きっと、過去とは違うあなただからこそ、次に歩むのは異なったプロセスなのだと思います。

一人になりきらず、

過去の自分が本当に望んでいた方法で、

過去の自分を救ってあげる。

そんなふうにして、「育て直し」をしてみてください。

そして、その手を差し伸べてくれる人は、きっと周りにいると思いますし、カウンセラーをその役目として頼っていただくのも、ひとつだと感じています。

文章を書くのも久しぶりでしたが、

あまり無理せず、

自分の伝えたいことをいつかまた言葉にできたらいいなと感じています。

10月の初回カウンセリングはおやすみで、継続の方のみとしております。

10月は今週末のイブニング会のみ行う予定ですので、残り1枠、ご自分のための枠だと感じられた方は是非、ご応募ください。