与謝野への怒りを吉川教授にぶつけた尾辻秀久 (original) (raw)
昨日のこと、自民党参院議員会長、尾辻秀久氏が突っ立ったまま怒り狂っていた。
「いいかげんにしろ、どの面下げて出てきたんじゃ、ばかもの」、「いやいや、言わないかん、絶対言わないかんよ、こいつには」
目の前に座っているのは東大大学院教授、吉川洋氏と、自民党の与謝野馨氏だ。与謝野が会長になっている自民党の安心社会研究会の初会合。会場に入った尾辻が彼らの前に歩み寄り、いきなり罵声を浴びせると、会場を後にした。
一瞬流れたテレビ映像。普段、温厚そうな尾辻がいったいどうしたんだろう。与謝野は右手をあげて「まあ、まあ」となだめるような仕草を見せていた。
この出来事についての産経新聞の解説はこうだ。
「吉川氏は小泉内閣の経済財政諮問会議のメンバーで当時、社会保障費の毎年2200億円の抑制をとりまとめた。尾辻氏は厚生労働相経験者として社会保障費抑制に反対してきた経緯から、主張が相いれない吉川氏を研究会に招いたことに、怒りを爆発させたとみられる」
主張が相容れない吉川氏を「招いたこと」に怒ったという。だとすれば、「誰が」招いたのかということになる。いまさら、吉川氏と意見が違うからと言って、いい大人が失礼千万な怒声を発することはない。
つまり、尾辻の怒りの根っこには「吉川氏を招いた人」への激しい憎悪があったとみるべきだろう。
その人とは、むろん与謝野馨だ。ノーベル賞経済学者ポール・クルーグマンと昨年、対談したとき、与謝野の横にぴったり寄り添っていたのが吉川だった。
与謝野に対する尾辻の怒りが、吉川にぶつけられたと筆者は感じる。吉川を招いたことよりも、文芸春秋誌上で執行部批判を展開し、新党結成をちらつかせる与謝野のやり方に憤っているのではないか。
少なくとも、与謝野は財務相として麻生政権の中枢にあり、自民党大敗北の責任を自覚すべき人物である。しばらくは静かに自らを顧みて政治哲学の涵養の時を過ごすことがあってもいい。
ところが、そんな反省の姿勢はかけらもなく、麻生首相に退陣を迫ったが聞き入れられず惨敗につながったという趣旨のことを著書に書いて、平気でいる。
そればかりか文芸春秋では「この半年間、本気で鳩山政権を倒そうという気概が見えなかった」と、谷垣執行部をこきおろし、あたかも「平成の脱税王」と鳩山首相を追及した自分を見習えといわんばかりの傲慢さである。
参院選を間近に控え、党の参院会長をつとめる尾辻にしてみれば、「なぜ、一致団結しなければならない今、党内をかき乱すような言動をとるのか」という思いがふつふつと湧き上がったことだろう。
尾辻は昨年7月14日、大型地方選連敗について「古賀誠選対委員長だけの責任ではない。私にも責任がある」と辞意を表明したほど、スジを通す男だ。
ジャーナリスト、松田賢弥氏が言う「参院のドン、青木幹雄の前では直立不動」なのは、生真面目さの証明でもあろう。
昨年1月、尾辻は参院本会議の代表質問で次のような言葉を麻生首相に投げかけた。
「野に下るのは恥ずかしくない。恥ずべきは政権にあらんとして、いたずらに迎合すること。毅然と進む首相にご一緒します」
尾辻の目には、与謝野の利己的な野心が見えているのではないか。そして、隣に座る吉川氏は、尾辻が力を入れる社会保障の予算抑制を推進してきた人物であり、二人の姿を見たとたんに、怒りがこみ上げたのではないか。
2008年1月23日、尾辻は「癌対策」の党派をこえた“戦友”、民主党の山本孝史議員を胸腺ガンで失い、参院本会議場で追悼演説を行った。
今日のテーマとは関係のない演説だが、尾辻の人物像をつかむ一助にはなるだろう。そこで、この演説を取り上げた拙ブログの一節を引用して締めくくりたい。
遺族が直立して見守るなか、尾辻は山本議員の演説を紹介した。山本議員は2006年5月22日の参院本会議で、自ら「がん患者」であることを告白したうえ、こう語っていた。
「ガン患者は進行や再発の不安、先のことが考えられない辛さなどと向き合あって一日一日を生きています。私は命を守るのが政治家の仕事だと思ってきました。ガンも自殺もともに救える命がいっぱいあるのに次々と失われているのは政治や行政の対策が遅れているからです。なにとぞ議場の皆様のご協力とご理解をお願いいたします」
尾辻は、山本のことを「最も手ごわい政策論争の相手であった」という。厚労相時代、山本は「助太刀無用、一対一の真剣勝負」と質問通告して、尾辻に挑んだ。このときのことを、尾辻は追悼演説で振り返った。
「私が明らかに役所の用意した答弁を読みますと、先生は激しく反発されました。私が思いを率直に述べますと、相槌を打ってくださいました。自分の言葉で自分の考えを誠実に説明する大切さを教えていただきました」
この日の追悼演説は、生前の山本が指名して尾辻がおこなった。与野党の立場の違いから、政治的に対立することもあったが、「癌対策基本法」「自殺対策基本法」などの成立に向け、たがいに心が通い合う、党派を超えた“戦友”だったのだろう。
「先生は抗がん剤の副作用に耐えながら渾身の力をふりしぼられ、全ての人の魂を揺さぶりました。議場は温かい拍手で包まれました。今、同じ議場でその光景を思い浮かべながら一言一句を振り返るとき万感胸に迫るものがあります」。
尾辻はあふれる涙をハンカチでぬぐいながら、演説を続けた。「先生、きょうは外は雪です。痩せておられましたから、寒くありませんか」。
議場の席は半数ほどしか満たしていなかったが、その言葉にこもる、切々として透明な魂の叫びと祈りは、故人を偲んで党派を超え議場に集まった議員の胸を打ち鳴らしたに違いない。(2009年2月1日当ブログ より)
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