茨城交通の炭鉱鉄道出身車 (original) (raw)

このように、炭鉱閉山に翻弄された鉄道車輌はまだ製造後10年未満のものも多く、ほとんどが本州内の私鉄に引き取られていきました。主に関東鉄道(鹿島鉄道、筑波鉄道含む)や茨城交通に移籍し、ディーゼル機関車も東北や北海道の専用鉄道を中心に新たな活躍の場を見つけました。

本州の非電化私鉄が国鉄が戦前に製造した旧型のディーゼルカーの払下げを受けていた中で、北海道の炭鉱鉄道では何れも右肩上がりな経営状況を反映して最新鋭のトルクコンバータ付のディーゼルカーが続々投入されていきました。

そのなかで茨城交通に引き取られたもと北海道の炭鉱鉄道出身車についてまとめてみました。

○茨城交通キハ22(221~223)←羽幌炭礦鉄道キハ221~223

羽幌炭礦鉄道が1960年から自社発注した国鉄キハ22の同型車で製造は富士重工業です。
1960年7月に221,1962年6月に火災で廃車となったキハ1001(もと国鉄キハ42015)の廃車代替としてキハ222、1966年10月にキハ223が投入されました。

一時期は茨城交通の標準色となったワインレッドに白帯(朱に白帯?)は羽幌炭礦鉄道当時の塗装で好評だったので留萠鉄道等からの転属車や在来者にも波及したとの由です。

バッテリーカバーに温水暖房が付いたりタイフォンにシャッターが付いたり、温水暖房器の電源AC/DC切替スイッチ(バッテリーの自然放電防止の為、コンセントから給電してバッテリーの浪費を防いでいた)など防寒対策も施されておりトイレも付いていました。
製造当初、旋回窓は付いていませんでしたがキハ1001で取り付けた旋回窓が冬季の厳しい環境下では効果的でしたので1960年に導入した富士重工製のレールバス:キハ11(南部縦貫鉄道のレールバスと類似)にも付いていました。
エンジンは標準的なDMH17C(180ps/1500rpm)を搭載していました。

羽幌炭礦鉄道時代には古典客車に変わり旅客輸送のサービス改善(近代化)に努め、朝一往復運行されていた羽幌線乗入れ列車にも使われていました。なお、羽幌線内は国鉄列車へ併結して運行されたので写真のようにD61牽引の混合列車やキハ22,国鉄レールバス(キハ03)にも連結したこともありました。

◆羽幌炭礦鉄道時代のキハ221
1960年11月28日
羽幌線羽幌

茨城交通入線に際してトイレ撤去とタイフォン移動を行い、先述の通り塗装はそのまま茨城交通色として定着しました。特徴だった旋回窓はそのまま残りました。

キハ221は1997年5月に羽幌炭礦鉄道カラーに復元し、社名や社紋も復元されファンを喜ばせましたが1998年10月廃車となりました。
撮影後、阿字ヶ浦へ回送し更衣室としてレールの上に鎮座したまま再利用されましたがそのまま解体されました。
残ったキハ222,223は1994年7月にワンマン化され活躍を続けてきましたがキハ223は羽幌炭礦鉄道
時代の姿に復元されて廃車となり、現在眼科の待合室として活用されています。

キハ222は2004年に国鉄キハ20登場時のスカ色を纏っています。

◆茨城交通キハ22
寸法
長20,000×高3,925×幅2,927(mm)
車輌重量 32.7㌧
定員 88名(座席74名)
エンジン DMH17C(180ps/1500rpm)
台車 DT22A/TR51A

○茨城交通キハ1001
←留萠鉄道キハ1001

1955年に日立製作所で製造された液体式ディーゼルカーです。

日立製作所製のディーゼルカーは尾小屋鉄道キハ2と定山渓鉄道のキハ7500しかなく大変珍しいものです。車体は当時流行の湘南形スタイルで国鉄キハ10系に似た側面の独特な車輌で定員138(座席86)名と収容力がありました。雪中での視界向上を図るため前面窓下に取り付けられた前照灯が特徴です。

茨城交通へは1970年に譲渡され、特徴だったヘソライトもそのままで羽幌炭礦鉄道色を纏い活躍しました。その後アイボリーと青帯の新塗装になりましたが老朽化により1001は1986年に廃車となり機関は1002に移されたものの1989年に廃車となって姿を消しました。

◆茨城交通キハ1000
寸法
長20,100×高3,715×幅2,728(mm)
車輌重量 34.0㌧
定員 138名(座席86名)
エンジン
・キハ1001 DMH17C(180ps/1500rpm)
・キハ1002 LX8X(180ps/1500rpm)
台車 DT19A/TR49A

○茨城交通キハ1103←留萌鉄道キハ1103
中根付近

1959年に新潟鉄工所で製造されたもと留萌鉄道キハ1103です。キハ1001・1002の続番となりましたがキハ1100として別番号で増備として登場しましたが別形式です。国鉄キハ21に準じた設計ながら正面は湘南スタイルです。
1970年に茨城交通へ転入しましたが鉄道が運転休止になると北海道の極寒地から、夏には海水浴客で賑わう茨城交通へ転出しました。
以来、単行運転を中心に運用され、写真のように臨時急行にも起用されましたが、1991年に廃車されました。

廃車後も機関区に留置されて倉庫代用として使われていたようです。最後まで青白塗装が見られました。

◆茨城交通キハ1103
寸法
長20,100×高3,835×幅2,908(mm)
車輌重量 31.0㌧
定員 130名(座席80名)
エンジン DMH17C(180ps/1500rpm)
台車 NP-1/ND-1

○茨城交通キハ2004←留萌鉄道キハ2004
那珂湊

1966年にキハ2004・2005の2輌が其々新潟鉄工所・東急車輌にて自社発注されました。
やはり国鉄キハ22の同型車で羽幌炭鉄道外寸は同一ながら座席定員は2名少ないですが定員は104名と留萌鉄道中古車は収容人数が多いのも特徴でした。
外観は前照灯横にタイフォンがありキハ55を両運転台式としたような外観です(当然、エンジンは1基のみ搭載ですが)。

塗色は2004が国鉄準急色、キハ2005は2010年に国鉄急行色に変更され、2013年には運転窓下にヒゲ状の帯を配して島原鉄道塗装にもなりました。

◆留萌鉄道時代、昭和で出発を待つキハ2004・2005 1967年2月

◆茨城交通キハ2004
寸法
長20,000×高3,925×幅2,927(mm)
車輌重量 32.5㌧
定員 104名(座席72名)
エンジン DMH17C(180ps/1500rpm)
台車 DT22A/TR51A