「政治を変える」方法を考える選挙・1 (original) (raw)

総選挙が公示された。この大事な日だから「赤旗」はどんな声明、スローガンを掲げているのかと思って電子版にアクセスしたら、そうか新聞休刊日なんですね。がっかりというか、調子が狂う感じがする。除名までは公示日には真っ先に読むものだったからね。

それはさておき、今回の選挙の意義はどこにあるだろうか。共産党の田村委員長は、日本記者クラブの討論会で「政治を変える」ことを掲げた。それを否定するものではないが、私としてはそれよりも、「政治を変えるとは何か」を考えることができれば、大きな意義があると考える。

というか、独自路線から野党共闘路線へ、そして再び独自路線へという振り幅の大きさ付いていけないような気がする。どんな路線でも決定だから従えというのでは、意欲も削がれるだろう。

何回もくり返すけれど、2015年の共産党による野党の国民連合政府の提案は、きわめて大事なものだった。過去のその種の提案は、いわば一過性の政府の提案であり、実際76年のロッキード事件究明などの課題での暫定政府提案も、89年の消費税廃止などの課題での暫定政府提案も、選挙終了とともに役目を終えた。その後も消費税は続いていて、税率も上がっているのだが、それを課題にして政府をつくろうという提案がされることもなかった。まさに「一過性」だったのである。

なぜそうなったかというと、共産党にとっては、安保条約廃棄の民主連合政府こそが基本的な目標だったからかだ。安保廃棄を掲げない政府は「一過性」の政府で、役目を終えれば民主連合政府を追及するのが綱領の精神だと考えられたからだ。

しかし、2015年以来提唱された野党共闘の政府は、そこを大きく変えた。なぜなら志位和夫氏がこの政府を「必然的発展方向」(『新・綱領教室』)と位置づけたからである。

「必然」とは何か。辞書(大辞林)によると、「必ずそうなると決まっていること。それ以外になりようのないこと」とされる。つまり、野党共闘の政府を樹立することを通じる以外は、その次(民主連合政府)には進めないという方針なのである。

現在の共産党の方針は、そこがどうなっているのかが読めない。一方では、「共闘の基盤が失われた」と宣言して独自候補者を大量擁立しているのだから、独自路線に舵を切ったようにも見える。

他方、立憲の代表選挙で枝野氏が地方の実情に応じた共闘を打ち出した際、小池晃書記局長が中央での合意で進める以外にあり得ないと猛批判したのに、実際には70ほどの選挙区では立候補せず、立憲に自主投票するところもある。田村氏は記者クラブで、「中央の協議にならなくても、私たちはそれぞれの地域のこれまでの経緯をふまえた対応をしている」と述べた。小池発言とは正反対である。

立候補しない選挙区を見ても違いがあるし、動揺がある。共産党は立てないと決めたけれど、当初は立憲の候補を支援するわけではないと説明していたのに、選挙区内の党員の反発があって支援すると決めたところもある。

共産党にとって政権に少しでも関わる選挙をするというのは、100年を超える歴史で初めてのことなので、混乱するのは仕方がない。私だって適切な判断ができるわけではない。

しかし、「必然的」とまで言いきった野党共闘なのだから、何かを判断したときにその合理的な根拠を示せないと、党員は混乱する。対立候補を立てるか立てないかというのは、真逆の対応なのだから、どちらも判断が正しいと言われても、そう簡単に納得できないだろう。(続)