「政治を変える」方法を考える選挙・2 (original) (raw)

共産党は2015年以来の実践を通じて、安保条約と自衛隊を堅持する政府に参加することを決断した。以前の「よりまし政府」と異なり、それなりに長く続く政府を想定したのだろう。

なぜそんな決断ができたのか。その背景と要因をもって自分で深める努力をしていたら、現在のような混乱は生じなかったと思う。

共産党がそれまで、安保廃棄は一致点にならない政府構想を提唱したのは、あくまで「一過性」の政府という認識があったからだ。なぜ一過性かというと、安保条約を維持したままの政府では、日本は独立もできないし、平和も保たれないと考えたからだ。「安保があるからアメリカの戦争に巻き込まれる」という認識である。

それなのに、安保条約を基軸だとする政府に参加するし、それが「必然的発展方向」だとまで言い切るには、安保があるだけで戦争になるという認識が変わることが不可欠だ。「共産党は戦争する政府に参加するのか」と問われたときに、「いや、共産党が入っていれば安保条約があっても戦争にはならない」と答えられないと、支持者は納得しないだろう。

さらに、それまでは「安保条約があるから経済もうまくいかない」が公式の答えだったが、そこにも転換が求められた。「安保条約が維持された政府に参加しても、国民のくらしは充実させることができる」という回答が必要だったのだ。

しかし、共産党指導部はそこに踏み込む勇気がなかった。何十年にわたり、安保が諸悪の根源、自衛隊は違憲で解散すべきだという論理を積み重ねてきて、党員や支持者を納得させてきたので、新しいことを言い出して自分が批判を受けるよりも、ぬくぬくと生きる道を選んだわけだ。

せっかく2000年の大会決定があり、2004年の綱領全面改正があり、その変化を全党的に議論することができたのに、その努力はしなかった。それどころか、大会決定と綱領にもとづき自衛隊活用論を維持しようとした私に対して自己批判を強要し、党内議論を封殺する道を進んだのである。

そうやって何十年もやってきて、ようやくその古い路線では共産党の未来はないと自覚し、野党共闘路線に立ったけれども、「なぜ安保条約堅持の政府に参加するのか」への回答はないままだった。いちばん大事な問題を党員に提起しないどころか、それが大事な問題であるという自覚さえない党指導部。

田村委員長は「政治を変える」と言う。しかしそれが共産党主導の民主連合政府で変えるのか、野党共闘の政府でも政治は変わるのか、そこは未整理のままである。(続)