西東京まちかどニュース (original) (raw)

1台で3種目ができるトレーニングマシン。1種目で交代がルールだ=住吉会

西東京市が高齢者の介護予防などの目的で住吉老人福祉センター住吉会ルピナス)と下保谷福祉会館に設置したトレーニングマシンが老朽化し、10月から新型マシンに入れ替わった。

住吉老人福祉センターは機器の設置が2008年と最も早く、1日当たりの利用者数も多かったことから、8台のうち2台が故障しても修理できず2年以上撤去されたままの状態が続いた。

更新された台数はこれまでと同じ6台だが、1台で3種目できるものや、サドルに腰を掛けてペダルをこぐ自転車そっくりのバイクから背もたれ付きで腰に負担がかからないものに代わるなど進化がうかがえる。

10月の1週目はすべて利用者の実技講習に充てられ、指導スタッフが使い方の手本を見せた後、利用者が1人数回同じ動作を試みた。

次週から利用できるのはバイク(同じもの2台)を除き各マシン20回2セットとこれまでと同じだが、回数や休み時間が表示される画面はなくなり、自分で回数を数えなければならない。

バイクは5分こいだ後に1分間のクーリングダウンを知らせる機能を持たず、4分30秒ごろで負荷レベルを下げなければならない。

ほぼすべてのマシンは運動を始めるまでの手順がこれまでと違うため、当分はスタッフを駆けずりまわすことになりそうだ。

市は今回の入れ替えを機に機器を買い上げからリースに変更した。老人福祉センターと新町福祉会館についても交換部品がないため順次リースにする方針という。

猛暑が去って秋らしい気温となり、外を歩くのが苦でなくなった。9月28日の土曜日は「行事」も立て込んで1万歩を達成した。

歩数の内訳はわからないが、痛風の継続診療による病院通いと、映画鑑賞に伴うバス乗車を徒歩に切り替えたことの合計だ。

上映会には夏期は自宅―三鷹駅間が西武バス、三鷹駅―上映施設間が小田急バスとバスを乗り継いで行く。今日はこのうち小田急バスの停留所3つ分を歩き、帰りの西武バスも停留所2つ分を歩いた。

今日は歩くぞと強い意志を持って積み上げた1万歩は、まち歩きなどのウォーキングイベントで「歩き回った」のとは違う誇らしさを感じる。

そうは言っても内幕を話すと、この日病院で歩行時にふらつき感があることを医師に相談したところ、「歩くのが一番(の良策)」と勧められた。この後押しは大きい。

そして肝心の映画は断続的に睡魔に襲われ、全体の流れがわからないまま終わった。映画はチャップリンの代表作の一つ『独裁者』。上映時間が2時間5分と長いところに歩き疲れが忍び込んだ。

6分間に及ぶという演説シーンもしかり。わが国の新政権の行方を見ていくうえで参考になるに違いない、との当初の意気込みを思うと、情けない気持ちがぬぐいきれない。

墳丘や横穴式石室を復元整備した猪方小川塚古墳公園

狛江古墳群の中では円墳の形がよく残されている兜塚古墳

東京都狛江市の古墳をめぐるウォーキングイベントが9月26日にあり、8人が参加した。

小田急狛江駅に午前10時集合し、経塚古墳、兜塚(かぶとづか)古墳、亀塚古墳、猪方(いのがた)小川塚古墳公園、土屋塚古墳の順で回り、最後に市役所で記念の「古墳カード」をもらって狛江駅で解散する約5.5キロのコース。

狛江市は全国で2番目に面積の小さい市だが、郷土史家が「狛江百塚」と呼んだほど古墳が多く、市教委によると開発などで消失したものを含めて69基が確認されている。

多くは5~6世紀、古墳時代中期から後期にかけての約100年間に造られた円墳で、多摩川を往来する舟から見上げる場所にあるという。最大のものは直径約45メートル、高さ約5メートルの兜塚古墳。

最初に訪れた経塚古墳は、両側のマンションに挟まれた、普通の緑地のよう。樹木や草に隠れて墳丘の形が見えない。泉龍寺に近く、中世には供養の場として再利用されたり、経典が埋められたりしたようだ。寺かマンション管理組合に頼んでかぎを借りないと門扉を開けられない。

兜塚古墳は古墳全体の形がよく残されていた。円墳でなくホタテ貝形の可能性もあるが、本格的な調査は行われていないという。都指定の史跡。

亀塚古墳は住宅地の小公園といったたたずまい。かつては狛江屈指の大きなホタテ貝形の前方後円墳で、戦後の発掘調査では高句麗と結びつく馬具などの副葬品が見つかった。今はかろうじて残る前方部の上に徳富蘇峰が揮毫(きごう)した「狛江亀塚」の碑が建つ。

これら3基は小田急線の北側にある。亀塚古墳と次に訪れた猪方小川塚古墳は公園として整備され2020年に開園した。

猪方小川塚古墳公園は墳丘(円墳)を復元し、覆屋(おおいや)を設けて横穴式石室の内部を前からガラス越しに観察できるようにしてある。狛江古墳群の築造時期より遅い7世紀半ばごろに造られたとみられるが、それがなぜかの定説はないようだ。

狛江駅近くのイタリア料理店で昼食をとり、最終の土屋塚古墳へ。ここもマンションに囲まれていたが、墳丘がよく残っており、市の史跡に指定されている。出土した円筒埴輪(はにわ)から群馬とのつながりがうかがわれるという。

名物の「ハギのトンネル」は開花が遅れ、見ごろは月末になりそう=9月20日午後

老人週間中は都立公園の入場が無料とあり、9月20日、妻と一緒に向島百花園墨田区)に出かけた。

数ある都立公園から向島百花園を選んだのは数日前に新聞の地域版に取り上げられており、私自身、6年前に地元の歩く会で訪れたことがあったからだ。

都心は最高気温36度の猛暑日が予想されていたので、歩く距離が曳舟駅よりも短い東向島駅から向かうことにした。

東向島駅の改札口付近で駅員さんに道を尋ねると、なんと簡単。唯一の曲がり角には「720メートル」の案内表示板もあって迷う心配はない。カンカン照りの暑さには閉口したが、園のサービスセンターまで年寄りの足で10分といったところか。

運転免許証を見せて入場。ヒョウタンやヘビウリ、カボチャ似のフクロクジュウリなどウリ類の実に興味をひかれる。

だが、向島百花園の名物と言えば、「ハギのトンネル」。竹で編んだ長さ30メートルのトンネルにハギを沿わせて仕立てている。

新聞記事では取材時点で花の見ごろが遅れているようだった。あれから日にちがたって少しは咲き具合も進んだはずと期待していたが、咲き始めの個所を見つけるのさえ難しいほどの開花状況だった。

帰り際にサービスセンターで聞くと、見ごろは「今月末ごろになるかも」ということだった。それでも遊歩道脇のハギは薄紅色の小さな花をちりばめてきており、妻は東京スカイツリーの上部を真ん中に置くアングルで写真を撮っていた。

この時期はオミナエシヒガンバナなどを除くと目に付く花が少ないうえ、日傘をさしていても蒸し暑さからは逃れられず、歌碑を眺める余裕もなく1時間ほどで園を出た。花を目当ての庭園めぐりは、いつの場合も難しい。

9月14日、三鷹市での桃月庵白酒独演会に行った。

会場でプログラムをもらって見ると、白酒以外の出演者は前座さんだけ。これぞ、独演会。

前半は『代脈』と『転宅』の2席。先生(医者)の忠告を往診先でベラベラしゃべってしまう間抜けな弟子、旦那に囲われる女の色香に完璧に取り込まれてしまう間抜けな泥棒がそれぞれの主人公。

笑う側に少しも「差別」という後ろめたさを持たせない巧みな話芸。

後半の1席もバカバカしい噺(はなし)。怪談話を真に受ける人がいれば、ツッコミを入れる人もいて、どちらも笑えるのだが、与太郎と婆さんが登場していよいよ大団円で聴くサゲが理解できなかったのは残念。近くの人からも「サゲ、わかった?」と問う、やはり消化不良の声。

演者によってサゲが違うらしいこのお題は『お化け長屋』。

市民会館跡地に建設中の官民複合施設。12月オープンへ向けて工事は順調という=9月2日

第3回定例会は9月2日開会し、会期を10月2日までの31日間と決めた。

池沢隆史市長が今年度の市一般会計など5件の補正予算案と条例の一部改正案など6件の議案について提案理由を説明。予算関係は予算特別委員会に、他の議案は3件の陳情とともに所管の常任委員会に付託された。

一般会計は42億6千万円を追加し、総額867億6千万円となっている。

市民会館跡地に建設中の官民複合施設「ONE FOR ALL 西東京」のうち市が賃借して運営する「西東京市民文化プラザ」は12月のオープン予定が近づき、公共文化施設の運営業務を専門とする「ケイミックスパブリックビジネス」(東京都千代田区)を指定管理者に指定することが提案されている。

3日から6日まで一般質問が行われる。

8月16日は「非常に強い」台風7号が関東地方に接近していて、東京-名古屋間で東海道新幹線が終日運休するなど大きなニュースになっていた。

東京郊外の武蔵野地方北部は予想暴風圏の外縁部に入っていたが、2カ月前から決まっていた武蔵野赤十字病院武蔵野市)に行かなければならない。出がけは大雨だった。

脳の血管の手術を受けた患者は、体調の変化の有無を担当医に報告し、1週間前に受けたMRIの検査結果を聞くのだ。新たな疾患が見つからなかったことを喜び、帰りのコミュニティーバスに乗った。

武蔵境駅でバスを降りると、雨はやみ、風もおさまっていた。駅前の歩道を八百屋に向かっていたところ、一瞬「ザワ」と街路樹が鳴り、背中に水を浴びた。

生い茂った葉が雨をたくわえ、一気に身震いしたのだ。ずぶぬれというほどではなかったが、街路樹のはずれを歩くべきだったと自分の不明を恥じながら、行き着いた店は休みだった。定休日なのかお盆休みなのか、いずれにしても店側を責める理由はない。

運の悪いことは続くものだと、少々くじけて駅に戻り、西武バスで家路に就いた。

しかし、待てよ。記録にとどめるほどの出来事だったのだろうか。いや、「老後」とは、こんなものかもしれない。