あら!いいね。 (original) (raw)
人が幸せを感じ る経済社会を目指して!
欲望達成型社会の終焉で、神様と共に生きる社会の始まり
成功とは何か、それは人ぞれぞれの価値観によって違ってきます。なぜ人の価値観が違うのか、それは一人ひとりに与えられた人生のテーマがあるからです。この一人一人に与えられたテーマは一人ひとりが神様と会話をすることでしか得ることができません。
神さまから与えられる価値は、尊敬、長寿、権威、神聖であり、尊敬と長寿、尊敬と権威、尊敬と神聖。この3つのうち自分に与えられたテーマが完成したとき、人は成功の美酒を神様から授けられます。
この一杯の美酒のために人生が用意されているのです。
成功の定義と成功の完成
神さまから与えられた使命を知る方法があります。それは自身の苗字であり、自身の家紋です。菊は長寿を、葵は権威を、桐は神聖を表現しています。これ以外にも麻紋、朝顔紋、葦紋、菖蒲紋、粟紋、虎杖紋、銀杏紋などがあります。
私のメンターである政治家の黒川敦彦さん、経営者の三木谷浩史さん、そして投資家の藤野英人さん。この3人は己に与えられた使命を達成することに命をかけています。
私の投資手法
株式投資の手法にはファンダメンタル手法とテクニカル手法があります。私はファンダメンタル手法を使った株式投資で人生を豊かにする経済を作ります。株式投資の世界は自己責任の世界です。
「わからないことは実践しない」をテーマに、一番怖いのはわからないまま成功することを座右の銘として株式投資の旅に出ます。
私の投資手法は以下の通りです:
1. 自分が応援したい企業に投資
2. PBR(株価純資産倍率)1倍を切っている企業への投資
3. 今後10年は成長が見込めるM&A事業とエネルギー事業へ投資
これらの手法を用いて、投資家としての成功を目指し、人が幸せを感じる経済社会を作り上げていきます。
宗教の罪悪性、犯罪性が問われている。
まさに神なき時代の真っ最中。
神なき時代を生き抜くための処方箋。
神も仏も在るものかという諺があった。この言葉の本位は神や仏は実在して必ず
助けてくださるという確信があった。困った時の神頼みという諺も、いかなる時も
神さまは我々を見放すことはないという確信があった。
いつのころからだろう。
神さま、仏様に願い事はいけない。感謝の言葉を捧げることに変わってきた。
つまり、神様は尊くありがたいもので、いちいち悩みなど聞いていられないというように考えが変わっていた。
が、この考えは何処かで刷り込まれてしまったようだ。
神さまの仏様のもっと身近な存在で、困ったこと、辛いこと、自分では解決できないこと。なんでもござれの万能者が神様、仏様である。
全ての悩み苦しみ、痛みかゆみまで神様に相談しよう。
これを解決することが神様仏様の仕事で、神様仏様の喜びなのだ。
お願いしても解決できないことは、ほっておけということ。
それが神様仏様の問題解決法。
沢山の困ったちゃんが私にはある。すべてを神様仏様に解決してもらうため、下記のリストを作った。どこまで神様仏様が解決してくださるか書き出すことにした。
これが、神なき時代の生き方であろう。
・米離れが生み出したもの
・M&Aビジネスと日本経済の在り方
・投資と神の存在
・対米自力という生き方
・ソーメンという日本の食文化
・そばには神がいるという生活。神とは尊敬、神とは長寿、神とは権威、神とは神聖。
・神のあるべき姿、人のあるべき姿
・旧暦とグレゴリオ暦。
・神の使命と私の使命(私のメンター黒川さん、藤野さん、三木谷さん)
対米自立と家紋:失われた尊敬を取り戻す
対米自立の旅に出る。
始めに 日本の文化は、その独自性と深遠さで世界中から尊敬を集めてきました。しかし、近年、私たちは何か大切なものを失いつつあると感じています。それは、家紋という日本文化の象徴的存在です。
家紋と日本文化 家紋は、家族のアイデンティティと誇りを表現する日本の伝統的なシンボルです。しかし、現代社会では、この重要な文化が忘れ去られつつあります。家紋が失われることで、私たちは日本の文化の一部を失ってしまいます。
家紋の代表:桐、葵、菊
家紋には様々なデザインがありますが、その中でも桐、葵、菊は特に代表的です。これらの家紋は、尊敬というテーマを象徴しています。桐は高貴さを、葵は誠実さを、菊は貴族の象徴とされています。これらの家紋を通じて、日本人の生きがいである尊敬が表現されています。
対米自立と尊敬の回復
対米自立とは、自分自身の力で生きていくことを意味します。これは、尊敬を取り戻すための一つの方法です。家紋を通じて、私たちは自分自身と他人を尊敬することの大切さを再認識します。そして、その尊敬を基に、自分自身の力で生きていく強さと誇りを取り戻すことができます。
日本人として生きるということ
家紋と対米自立は、私たちが失いつつある尊敬を取り戻すための重要な要素です。私たちは、家紋の価値を再評価し、自分自身の力で生きていくことの大切さを再認識することで、失われた尊敬を取り戻すことができます。それは、私たちが真の日本人として生きるための第一歩です。
私の使命である尊敬と長寿に満ちた生活者であるために、旧暦で生きることを選ぶ。
今使っている暦はグレゴリ暦である。グレゴリ暦は明治に入ってから使用が始まった。それまでは旧暦であった。
明治に大きな文化の破壊があった。
グレゴリ暦を使っていない国には中国は中国暦、イスラム国はヒジュラ暦、ユダヤはユダヤ暦、台湾は中華民国暦、北朝鮮は北朝鮮主体暦を使っている。対米自立のためには、旧暦を使うこと。
日本には家紋という文化がある。
家紋は平安時代に始まり、江戸時代に入ってから町人も使い始めた。三万種以上の家紋があり、家系や地位を象徴している。
家紋は、日本の歴史や文化をものがったっている貴重な文化遺産であると言える。
桐の家紋は尊敬と神聖、葵の家紋は尊敬と権威、菊の家紋は尊敬と長寿を表現した家紋で、その他に麻紋、朝顔紋、葦紋、菖蒲紋、粟紋、虎杖紋、銀杏紋など多種多様の紋が作られている。
家紋の研究は、民族の誇りを取り戻し、自分らしい生き方、自分に対して誠実に生きることへの回帰。これが、対米自立、反グローバル主義の生き方への一歩を踏み出す。
お米を食べることから、パン(小麦)への主食の変化は、身体だけではなく心までも変えていく。
人の体は、食べたものでできていると言われる。
お米を食べて、お米でできている体に戻った時、我々は本来の人としての生き方が可能になる。
お米を食べよう。日本文化を取り戻そう。
対米自立。反グローバリズムで生きるという覚悟。
人生で一番大切にしていることは「祈り」。
私が達成したい人生の目標は「柳は緑、花は紅。真面木」(中国の詩人蘇東坡作)
人生の目標が達成できた時の私の誇りは「尊敬と長寿」
その根拠は菊の紋にあり。
陰丸に一文字。覗き菊。菊は尊敬と長寿の象徴。
家紋には、桐の紋章、葵の紋章、麻、朝顔、葦、菖蒲、粟、虎杖、銀杏などの紋章がある。
戦後日本が失った文化に、お米、お酒、塩、水、大麻、旧暦、日本語、純正律の音楽がある。これらの文化を失った結果、調和が失われ、争いの文化が育ってしまった。
これらの文化の復活は、日本人の魂の活動(祈り、生きる、人助け)が復活する。
まずは、お米文化を大切にしよう。
昨日は、住友化学の経営陣のあまりの不甲斐なさに住友化学の応援は止めて、さようならをした。
なぜ、経営陣に不甲斐なさを感じたのだろうか?
そもそも住友化学に投資を行った動機は、故郷愛媛発祥の企業で、業績が振るわないことが支援をしようと考えた動機であった。
これが、いつの間にか、株で損をさせられている。
損をさせているのは、経営陣であるという考えに切り替わっていた。
なぜだ?
株式投資を企業の支援から儲けさせてくれる企業への投資に切り替わっている。
確かに株式投資は、人に働かせて、儲けをピンハネするというあまり褒められた行為ではない。プラスかマイナスか。中間がない。
この世界に浸かってしまっていた。
私が損をするということは、誰かが得をするということ。行って来いでチャラ。
投資したお金が有効に生かされれば全体として豊かな社会になる。
プラスマイナス。白か黒か。善か悪か。この中には愛がない。
愛がない社会に浸ろうとしているところを住友化学が私を救い上げてくれた。
お金では損をしたが、何よりも愛が大切なことを教えてくれた。
確かに今の社会、お金が最優先されている。お金があれば何でもできるという風潮である。違うということを心では感じながら、どこかにお金を儲けられない劣等感のようなものがこびりついている。
故郷発祥の企業の業績が振るわない、何とか支援したいという人としての気持ち。これな間違いではなく、人としての素直な感情である。
この素直な感情に、儲からない、損しているという不安の感情が襲い掛かったとき、経営陣批判を自分の不安解消の材料としている。
私は私の素直な感情で支援を考えたのだから、支援が出来るまで支援することが私の不安を解消することを教えてくれた。
住友生命は必ず立ち直り、国民の生活を豊かにする。この信念を固めること、これが愛であり、昨晩失った大きな宝物であった。
愛は信念無くしては成就しない。
私の愛の信念が住友化学がV時の業績を回復することを祈る。