オートファジー1142日目とウラル・アルタイ民族とツラン民族 (original) (raw)

2024/10/28月曜日

5時に起床し長女の朝食とお弁当のおかず、次男のおにぎり作り。

雨なので畑と洗濯はお休み。

7時10分に長女と次男を駅まで送迎。

帰宅後、中華麹を仕込み麻炭クッキーをオーブンへセット。

焼いている間にシャワー。

9時半に孫達と買い物へ。

11時に帰宅後、食材を収納し終えると11時半。

12時まで読書。

昨日に引き続き海野弘著「陰謀と幻想の大アジア」

アメリカの中国研究者オウエン・ラティモアは「モンゴルー遊牧民と人民委員」(磯野富士子訳岩波書店1966)の「日本版への序文」で次のように書いた。1920年代及び1930年代に中国、東北諸省(マンチュリア)及びモンゴルについての専門的知識を持っていた多くの日本人が自分達の知識を日本帝国主義の為に役立てようとした。彼等の大義名分は日本はアジアに於いて「ボリシェヴィズムに対する唯一の砦である」と考えた。中国に対しては「大東亜共栄圏」の政策を支持。マンチュリアに対しては「満州国」は中国とは異なる国家意識を持っているという信念を作り上げようとした。モンゴリアに対してはモンゴル人と中国人とは言語、歴史、経済活動、社会組織に於いて全く相違していると強調。モンゴル人を使って中国人に対抗させようとした。

満州国」を作るために日本はその大義名分を考えることを迫られ、←誰に?侵略に大義名分無し。

満州国の官僚であった武藤富男の「私と満州国」(文藝春秋1988)の始めに法務庁長官星野直樹満州を訪れた賀川豊彦にこの国の成り立ちを熱く語るシーンがある。「満州の地は漢民族専有の地ではない。この地に興ったのはウラル・アルタイ民族に属するツングース族の国々、高句麗渤海、金、遼であった。この地を征服支配した元もまたウラル・アルタイ民族に属するモンゴル族であった」元は漢民族の明に代わる。満州族が明を滅ぼして清を建てた。星野はこの地がウラル・アルタイ民族の地であり日本もそれに属するツングース族である事を前提として次のように言った。

満州はウラル・アルタイ民族の地であり日本はそれに属している。だからこの地に進出しても不当ではない。ここは先祖の地である。←めちゃくちゃ無理がある。誰も納得しない。

著者が「ウラル・アルタイ」に興味を持ったのはH・ウィンクレル「ウラルアルタイ民族の人類学的考察」(今岡十一郎訳審美社1970)がきっかけ。今岡は1888年松江生まれでアメリカに渡りヨーロッパを放浪し特にブダペスト大学で学びハンガリーと日本の文化交流に力を尽くした。第二次世界大戦前に「ウラル・アルタイ民族双書」を企画。「ハンガリーのツラン運動」(1933)、「ツラン民族圏」(1842)を出している。この「ツラン」とはウラル・アルタイとほぼ同義語。

ウラル・アルタイ語圏、或いはツラン民族圏はウラル山脈を中心として極東の日本からヨーロッパのハンガリーフィンランドまで繋がる雄大な民族圏。これを最初に考えたのはフィンランドのM・A・カストレーン。19世紀半ば、彼はフィン、サモイェード、チュルク、モンゴル、ツングースの間に血族関係があると述べた。

この考えは民族の起源を求め、やがて民族独立運動へと繋がる。ハンガリーに於いてはツラン民族運動としてオーストリア・ハンガリー帝国からの独立運動として展開された。そして、ハンガリー第二次世界大戦前、極東の日本へツラン民族としての連帯を求めた。

私見だが、ハンガリーにはハザール王国からもハザール人が多数流れ着いているしモンゴルにも蹂躙された歴史もあるから、多民族国家なのでは。

ツランの名はカスピ海に接するタルタリアから来ているがウラル・アルタイ民族全体を指すようになった。更にアーリア民族以外を全てツラン民族と象徴的に呼ぶようにさえなった。

四王天延孝著「猶太思想及運動」でユダヤフリーメーソンとインターナショナル(国際共産主義)を三位一体として捉えている。この3つが不可分であることによって世界陰謀説が成立する。

今日はここまで。

12時に昨夜以来の食事。

午後も読書と調べ物。

16時から洗濯と夕食作り。

その途中、長男宅へ子守の手伝いに行っていた夫が上の孫を連れて帰宅。

ばあばんちに行きたい、と泣いたそうだ。

嫁が持たせたおにぎりを頬張りながらうちの晩御飯のなめこの味噌汁をあげると喜んで食べていた。

食べ終わったあと、自分は夕食作りの続きをしていると嫁と下の孫が迎えに来た。

19時まで遊んで帰って行った。

秋刀魚と大根おろしなめこの味噌汁、ほうれん草とベーコンのバター炒め、牛蒡と蒟蒻と豚肉の炒め煮、サラダ、ウォッカ梅酒ロック。

孫達を送って行った夫が帰ってきたら食べる事に。

歩数計は5995。

充実した一日だった。