Arisanのノート (original) (raw)

目的への抵抗―シリーズ哲学講話―(新潮新書)

私事だが、僕が常々自分のことを恵まれていると思うのは、A「自分がやるべきだと思うこと」とB「自分がしたいこと」とが、ほぼ合致していることである。

しかも、これに加えて、しばしばC「やっていて楽しいこと」も上記二つに合致しているのだ。これは非常に幸運なことだと思う。

これは、社会運動に関して言っているのだが、政治哲学を論じたこの本では、このうち特にCについて掘り下げて考えられていると言えよう。この点をどう位置づけるかは、僕自身少し気になってたので、その意味でも面白く読めた。

さて、本書では、2020年10月と2022年8月という、「コロナ禍」をはさんだ二つの時点で行なわれた「講話」と質疑応答の内容が収められているのだが、その1回目の方では、イタリアの哲学者アガンベンが、同国の厳しいコロナ対策に対して向けた批判の発言が取り上げられている。

アガンベンの批判は、コロナ禍において進行していた主に次の二つの事柄を問題としているようだ。

① 死者が葬儀されることなく埋葬されていく、「死者の権利」の侵害。

② 「移動の自由」の制限。

アガンベンにとっては、この二つは、いずれも人間が人間であることの根幹に関わる事柄だと考えられたようである。そのことは、巻頭に掲げられた「生存以外にいかなる価値をももたない社会とはいったい何なのか?」というアガンベンの言葉に示されている。

だが僕からすると、ここである疑問が生じる。

①は、人文主義的、あるいは人間中心主義的な主張だと思える。動物は、葬儀や埋葬をしないからである。つまり、人間(文化・社会を持つ者)の生存と、そうではない生存との間に、ここでは強い線引きがされている。それは、文化という秩序を重視する考え方に思える。

一方、②は、僕にはアナーキーな、つまり反秩序的な自由の価値の主張であるように思える。

①と②、秩序(文化)と反秩序、この両者がアガンベンのなかでどう接合しているのか、ちょっと不思議なのだ。

このうち①に関して、著者の国分は質疑応答の中で、『(アガンベンは)なぜ「死者の権利」と言うのか?「死者に対する敬意」では駄目なのか?』という風に問うている。また、硫黄島の戦闘で生き残った人が戦友の死の様子を語った様子に触れて、「追悼」とは異なる「供養」という言葉、死者に寄り添うかのような姿勢について述べる。それらは、キリスト教的・人文主義的・人間中心主義的ではない、死者との関係性を示唆するものかもしれない。

ただ、それが本当に人間中心主義のようなものを脱しているのかどうかは分からないが。

②のアナーキズム的な自由の主題の方は、2回目の「講話」のテーマにつながっていく。

ここでは、ベンヤミンの「暴力批判論」が参照されている。この論考ではどうしても「神話的暴力」と「神的暴力」の有名な区別を思い浮かべがちだが、国分はここで、それよりも手前のところの、「政治的ゼネスト」と「プロレタリア的ゼネスト」の区別に着目する。

何らかの(政治的)な「目的」のための「手段」として行われる前者に対して、そうではなく「純粋な手段」、「目的なき手段」としての後者を言挙げしたベンヤミンアナーキスト的な(国分はこの言葉は使っていない)発想に注目するのである。

そしてこれを、アーレントの公共的な「自由」の議論に結びつけていく。こうした論の展開の結論として、次のように言われているが、素晴らしい言葉だと思う。

『しかし、重要なのは人間の活動には目的に奉仕する以上の要素があり、活動が目的によって駆動されるとしても、その目的を超え出ることを経験できるところに人間の自由があるということです。それは政治においても、食事においても変わりません。

目的のために手段や犠牲を正当化するという論理から離れることができる限りで、人間は自由である。人間の自由は、必要を超え出たり、目的からはみ出たりすることを求める。その意味で、人間の自由は広い意味での贅沢と不可分だと言ってもよいかもしれません。そこに人間が人間らしく生きる喜びと楽しみがあるのだと思います。(p195~196)』

ただ、ここで文頭に戻るのだが、僕は自分が確かに感じている「楽しさ」に、ある留保を付け加えたい気もする。というのは、この「楽しさ」は、なるほど「自由」というものに近い気はするのだが、同時に、リビドーに関係している危惧も棄てきれないからだ。だから直ちに悪いというわけではないが、それは「自由」とは少し違う気もする。その違うということを大事にしたい。むしろ、この違いの中にこそ、本当の自由につながる道があるのではないだろうか。

だから、アーレントの思想に行く手前で、彼女の親友であったベンヤミンの、暴力についての両義的な考察に近い場所で、僕は「自由」や「抵抗」ということを考え続けたいと思うのである。

この本の最後には、「責任」や「他者」についての問答が書かれているのだが、これはそうした主題にも関わることであろう。

https://www.iwanami.co.jp/book/b629853.html

『黒人奴隷制の廃止は「人権宣言」からの論理必然的な帰結として自動的になされたのではない。一七九一年八月に始まるサン=ドマングの黒人奴隷自身による解放運動の展開が一大転機となった。黒人奴隷制の史上最初の廃止は、ほかならぬ支配と抑圧のもとにおかれた黒人奴隷たちを担い手とする一大民衆革命の所産として実現された。(v)』

『ハイチ革命は「権力」によって「実際にはなかったこと」とされ「沈黙」させられた、ということである。些細な出来事だったからではない。「沈黙」させ封印しなければならないほど重大だったのである。(vii~viii)』

『先駆的な黒人奴隷解放と独立という輝かしい歴史を持つにもかかわらず、ハイチは極度の貧困に喘いでいる、という表現は不的確である。むしろ、そのような先駆的な国であるが故に貧困化へと向かわされた、と言わなければならないであろう。当時の周辺世界は「世界初の黒人共和国」を歓迎しなかった。ハイチは、その先駆性ゆえに、苦難を強いられることになったのである。(p129~130)』

最新の研究動向や国際政治の動きも交えながら、広範な視点で、ハイチという特異的な国の視点から世界史を眼差して書かれている。書名の通りの内容だ。

元々、フランス革命期に、そのフランスから独立を勝ち取ったのだから、フランス植民地主義(現在まで続いている)との関わりが重要なのは当然だが、後半では米国との関わりの深さが強調される。

リンカーンがハイチを承認した理由は、自国の奴隷解放によって急増した「自由黒人」を海外に送り出す(追い出す)「黒人植民」という政策の入植先として期待したからだった。つまり、「自由黒人」が多くなると国情が不安定になって困るので、アフリカにリベリアという独立国を作らせて承認し(アフリカに)「送り返す」と同時に、ハイチにも入植させようとしたのである(結局、これはうまくいかなかったが)。

その後も米国は、(ラテンアメリカ全体に対してと同じく)ハイチを支配下に置き続けようとする。今世紀に入ると、ラテンアメリカの支配を米国とドイツが競い合うという構図になってくる。そのなかで、第一次大戦期(一九一五年)に米軍はハイチを占領し一九三四年まで軍政下に置く。その間に行なった事は、暴力的な産業化・収奪と、抵抗運動の凄まじい弾圧だった。軍事力や借款による経済的支配に加えて、「占領」による制度や人々の内面への破壊(ダメージ)を通して、米国はハイチの「貧困化」の主役を担ってきたと言えるだろう(パレスチナや沖縄のことを想起せずにはおれない)。

実際、この後も米国はハイチの軍事占領を繰り返しており、最近では二〇一〇年の数十万の死者を出した大地震の時が、それにあたる。

遡れば、フランスから独立を勝ち取った後のハイチの政体も、決して平和的だったり平等なものではなかった。それももちろん、過去の植民地支配と奴隷制、そして独立後も続いた帝国主義列強による再侵略の脅威の反映だと言えよう。そうした意味でも、ハイチの歴史と現在は、私たちの世界史の縮図なのだ。

最後に「ハイチ」という国名の由来だが、独立の時よりずっと昔、スペイン領だった時代に絶滅させられた先住民の言葉で「山の多いところ」という意味なのだそうである。史上初めて奴隷制の支配を打ち破り、独立を勝ち取った黒人やクレオールの人々は、自分たちとは無縁な、はるか昔に絶滅させられた民の言葉を国名としたのである。

8月1日に同志社大学で、『黙々』の著者高秉權(コ・ビョングォン)さんを招いての会があり、案内をもらったので行ってきた。

https://arisan-2.hatenadiary.org/archive/2023/12/08

平日だったが、多数の参加者があった。講演やコメント(渡辺琢さん、北川真也さん)だけでなく、会場からの発言も内容の濃いもので、良い会になっていたと思う(通訳、手話通訳の方々はお疲れさまでした)。

高さんは、本を読んで想像してた通りの感じの人だった。始まる前、Tシャツを着た小柄な男性が前の方にずっと立っていると思ったら、それが高さんだった。

講演の内容で、特に印象深かったのは、後半の部分だ。そこで高さんは、今の社会が非障害者(「健常者」)をモデルにした「平均的人間」像を前提として成り立っており、その虚構の像にそぐわないものを、あるべきではない存在として無視したり排除している傾向を強く持っていること、しかもその傾向が強まりつつあることを批判している。

配布されたレジュメ(影本剛翻訳)から引用する。

『わたしがノドゥル夜学で学んだ倫理はこれとまったく異なるものです。誰かの言葉を聞き取りたいなら、他の誰とも異なるまさにその人に「注意を向けなければ」なりません。その人の発声と身振りを理解しなくてはならず、さらにはその人の日常、活動、欲望、人生、困りごとに注意を向けなければなりません。多数や平均ではなく固有の差異、特異性(singularity)に注目しなければなりません。「その人の言葉」を待つ人だけが「その人の言葉」を聞くことができます。』

このように述べて、高さんは、現在の社会において障害者の声が『関心のもたれない声、期待されない声、喜ばれない声』とされていることを批判し、そうした「あえて聞こうとしない」社会の『防音壁』を揺るがせる必要を強調する。

個々の特異性を見ようと(聞こうと)せず、あえて『防音壁』の内に閉じこもろうとする社会、その為に他者の必死の声もあえて排除するという態度への苛立ちや怒り。それは、講演でも著書でも述べられているように、高さん自身の体験と反省から出てくる真摯な感情であろう。

僕は、この高さんの「倫理」に強く同意するのだが、少し違うことも言っておきたい。それは、私たちが「注意を向け」るべき対象である「声」とは、必ずしも他者の声に限らないだろうということだ。つまり、私自身の身体の特異的な「声」にもまた、私は耳を傾ける必要がある。そして、そのことが大変難しくもある、ということだ。

もちろん、そのことは高さんもよく分かっておられるだろうが。

ところで、この社会の『防音壁』を揺るがす為の手がかりとして、講演の最後で紹介されているのが、1995年に障害者差別に対する抗議の焼身自殺を遂げたチェ・ジョンファンという人についての話である。この出来事は、韓国の障害者運動の流れを変えるほどの大きな衝撃を与えたという。

その最期の時に遺言を聞き取ったユヒという人がいる。この人は故人と同じく露店を営む貧しい障害者だった。チェ・ジョンファンと同じ境遇で、貧しさと差別と闘ってきた人である。この人が聞き取ったのは「復讐してくれ」という、声にならないメッセージであったという。それは言葉ではなく、最後はアイコンタクトを交えながら、ユヒはこの遺言を確かに聞き取ったのである。

僕は自分の体験からも、こういう事があり得るだろうと想像するのだが、同時に、その「言葉」はユヒ自身の「内なる声」でもあっただろうとも思う。そのことは、ユヒがチェ・ジョンファンの遺言を聞き取ったという事実と矛盾しない。つまり、それでよいのだ。

ただ同時に、それが他ならぬユヒ自身の特異的な声であったということ(可能性)も、常に自覚しておくべきではないかというのが、僕の言いたいことである。

国道3号線: 抵抗の民衆史

この本では、谷川雁のことが多く書かれている。大正行動隊や退職者同盟など、彼が関与した運動のあり方についても随分興味深いのだが、読んでいて最も印象に残るのは、著者の文章以上に、引用された谷川自身の、次のようなユーモラスなほど力の入った言葉である。

『「彼らはどこからも援助を受ける見込みはない遊撃隊として、大衆の沈黙を内的に破壊し、知識人の翻訳法を拒否しなければならぬ。すなわち大衆に向っては断乎たる知識人であり、知識人に対しては鋭い大衆であるところの偽善の道をつらぬく工作者のしかばねの上に萌えるものを、それだけを私は支持する。そして今日、連帯を求めて孤立を恐れないメディアたちの会話があるならば、それこそ明日のために死ぬ言葉であろう。」(p150 谷川雁「工作者の死体に萌えるもの」からの引用)』

ちょっとよく分からないところもあるが、とにかく意気込みだけは伝わってくる。「連帯を求めて孤立を恐れず」というあまりに有名な(「お前はもう死んでいる」ぐらいに)決め台詞よりも、「偽善の道をつらぬく工作者のしかばねの上に」というくだりなどに僕などは「萌える」のだが。

それはともかく、この「意気込みだけは伝わってくる」というのは、村田英雄の歌の歌詞と同じだ。実際、九州の奥深い民衆史を素描的に掘り下げたとも言える本書において、不思議にも欠け落ちている固有名詞を一つ上げるとすれば、それは村田英雄ではないだろうか。

https://www.youtube.com/watch?v=2JdMHj6s-mU

谷川雁に関しては、小野十三郎が谷川と黒田喜夫を比較して論じた文章が引かれているが、僕も以前同じ文章を読んで強い印象を受け、ここに記事を書いたことがあった。

https://arisan-2.hatenadiary.org/entry/20141230/p1

あれは随分マイナーな出処の文章で知ってる人も少ないだろうと思ってたのだが、研究者の人はちゃんと目を通しているのだと感心した。僕の読み方は、著者の森さんとはだいぶ違うのだが。

それから、谷川と石牟礼道子との、ずいぶん力の入った論争というか、言葉の応酬も紹介されていて興味深かった。これについては詳述しないが、僕は(これも以前に書いたが)、石牟礼道子という人は、近代日本の民衆に対しても、前近代に対しても、必ずしも肯定的には見ていなかったと思っている。

本書では、石牟礼の『西南役伝説』のはじめの部分が何度か引用されて論じられており、国家に回収されない民衆の姿を肯定的に見ていた石牟礼が論じられている。それは、僕には読みとれていなかった面で、読んでいてたいへん勉強になったが、同時に石牟礼は、戦争という国家の行為に加担することで利益を確保する民衆の狡賢さもちゃんと書いてたと思う。もちろん、著者の森さんも、それは把握した上で、そういう狡さも含めて民衆の潜勢力のようなものを肯定しようとしているのであるが。

ただ、石牟礼が最も重視したのは、近世(江戸時代)の民衆ではなく、「島原の乱」の民衆、近代をあらかじめ拒否し打倒しようとした(いわば)前近世の民衆の像だったのではないかと思う。その点で、石牟礼に対する谷川の批判とは、すれ違っていたのではないか。「日本の民衆は、あなたが思い描くような理想的なものではありませんよ」と谷川が言った時、そんなことは百も承知で、石牟礼「狐」は真っ赤な舌を出していたような気がするのだ。その同じ舌を、皇后に対しても出していたのか、それとも騙したつもりが尻尾を掴まれたのか(向うの狐の方が上手だったのか)、知る由もないが。

著者の森さんの歴史、あるいは民衆(大衆)に対する考え方が最もよく示されてるのは、半ば神話上の存在である古代の安曇一族と、その始祖とされる「磯良」なる人物について書かれたパートだろう。少し引いておく。

『磯良の存在は、私たち民衆の姿が投影された大変示唆的な象徴として、考えることができるかもしれない。安曇一族が王権に取り込まれようとも、打撃を喰らおうとも、それでもなお安曇一族は生き続け、その伝承は現在もなお続いている。

古代において若松半島をはじめとした北部九州に住まう人々は、国家に蹂躙されることもあれば、国家を下支えすることもあった。(p219)』

『磯良が極めて神話的な存在でありながらも、いっぽうで安曇一族の先祖として、現実世界の象徴的な位相でのモデルとして考察対象になりうるとも考えられる。ときに国家に抗い、ときに国家に利用され、生と死のあわいに、しなやかにその生き方を表現していた存在だ。このしなやかさのなかに安曇一族だけでなく、私たちも私たち自身を見出すことができるのではないか。(p220)』

「おわりに」の章は、ずいぶん思い切って思弁的だが、とりわけベンヤミンの「新しい天使」を引きながら語られた冒頭の部分には、心を打たれるものがあった。

著者はここで、いわば「死者」の視点に立って語っていると思う。これは、なかなか出来ることではない。

『私たちが存在しない未来は、私たちが存在していたことが前提とされる。つまり私たちがかつて存在したことと、私たちが潜在的に存在することとが共に語られることで、未来が語られる。(p225)』

『そう、未来とは、過去と現在がなければ潜在的ではないのだ。私たちは現実に生き、そして死ぬ。死んだとしても瓦礫となり、未来の行く末を方向づけることができる。過去は現在に生き、未来に生きるのだ。だから過去は死なない。価値は今ここ、そして過去の出来事を知ることからしか生まれない。(p226)』

(見えない)欲望へ向けて ――クィア批評との対話 (ちくま学芸文庫)

僕は、この本の存在も、著者(2006年に、まだ30代で亡くなっている)のことも、ごく最近知った。僕が読んだのは文庫本だが、単行本は2006年頃に出たようだ。90年代終わりから書かれたいくつかの文章からなっているのだが、率直に言っておそろしくハイブロウである。僕はほとんど理解できてないと思う。

今は、これだけ難しい文章が、思想誌(『現代思想』など)に載ったり、本として広く読まれたりということもあまりないのではないかと思う。そういう意味で隔世の感さえある。ところが「あとがき」を読むと、この本の全体が元々は学位請求論文として書かれたとあって、二度驚いた。

第5章で、E・M・フォースターについて論じられる。ここを読んでいて、あることを思った。それは、今では「PC」(ポリティカル・コレクトネス)という言葉は、「正義」を小うるさく主張することのように言われるが、元来は、むしろ逆だったのだ。そんなこともすっかり忘れられている(僕も忘れている)のだ。

次のように書いてある。

『ローティを参照することで、フォースターの小説からも、明確な政治理論が引き出せる。リベラリズムとはアイロニーをたえず生産する機械であり、文学的な多義性は、そのままリベラル・ポリティクスという、あらゆる偏狭な主義主張の上に立つポリティクスの直接的な言明となる。いいかえれば小説は、けっして明晰な政治的決断を下さず、あらゆる教義の強制から超然として、永遠の交渉という中性的/中立的無菌空間を保持することによって、政治的に正しいもの(ポリティカル・コレクト)になる。小説というブルジョワ的ジャンルを賛美するローティは、教養としての文学教育という文化制度を支えている暗黙の前提を、これみよがしに口にしているともいえる。さあ皆さん、文学は偏ったものの見かたはいけないんだと教えてくれますね・・・・。(p160~161)』

つまり、「PC」(政治的正しさ)というのは元来、「あらゆる偏狭な主義主張」を超然と見下ろし、絶対的な正義など存在しないとする、取り澄ましたような態度のことを指すものだったのだ。そうした態度(アイロニー)が、リベラリズムと呼ばれ、当時(90年代後半前後)流行しはじめていたクィア批評では、それは批判の対象となったのである。

ところが、本書の著者は、その最先鋭のクィア批評(ここではベルサーニ)をも、次のように切ってしまう。

『しかしフォースターを通じてみえてくることは、このようないわば単独的で自閉的な欲動の情念が、植民地の他者を性的に搾取することと矛盾しないばかりか、そのような他者をリベラルな個人の原型に据えることとも矛盾しないという事態だ。(中略)抑圧のメカニズムと歴史的な契機を退けることで、いつしか本質主義的な主体が呼び戻されているのだ。われわれが見ているのは、考えうるもっともラディカルなクィア批評が、本質主義を振り切るどころかそれに寄り添っていること、もっともリベラルな友愛から遠い単独者の思想が、しかし「個」を核としている点ではリベラリズムの正道とつながっているという事態である。(p181~182)』

いやー、これはすごい。この章の文章の全体が(そして、もちろん本書の全体が)すごくて、かっこいいのだが、そのかっこよさがよく出ている箇所だ。

まるで月影兵庫の「上段霞切り」のようにかっこいいのである。

エリザベス・コステロ

この本の原著の出版は、今から21年前の2003年。この邦訳書は19年前の2005年となっている。だが、今年書かれたものだと言われても違和感がない内容だ。自分の生きる時代を見とおす作者の力量に、あらためて驚かされる。

主人公は高齢の女性作家である。クッツエーの小説で女性を主人公にしたものとしては、僕が読んだことがあるものにはリアリズム手法の力作『鉄の時代』がある。

そちらのヒロインは、アパルトヘイト政権末期の南アフリカで内戦の混乱の中に投げ出される末期癌の高齢独居白人女性という何ともハードな設定だったが、本作の主人公エリザベス・コステロは、同じく高齢の白人単身(別れた夫たちとの間に子どもたちが居る)女性ながら、故国のオーストラリアを拠点として世界中を講演や授賞式のために旅して回っている有名作家という余裕のある境遇だ。

この主人公は作者の分身のようにも見えるし、批判者もしくは敵のようにも見える。そのことは、後年の作品で彼女が登場する『遅い男』になると、よりはっきりするだろう。ともかく、男性作家クッツエーは、女性作家コステロを単純な他者として描いているわけではないのである。

幾つかの章を紹介しよう。

「悪の問題」で扱われるのは、創作において、作家(表現者)はこの世界の絶対的な悪というものを探り出して表出することが許されるか否か、という問題である。コステロは、この問いには否定的だ。作者自身の魂が、そのような絶対的な悪には耐えられず、悪に呑み込まれてしまう、作家の魂は無傷では帰ってこれないと彼女は考える。ここで実例として挙げられているのは、実在の作家ポール・ウエストが書いたとされる小説の一節で、そこではナチスの死刑執行人による極めて「悪魔的」な振る舞いの描写が迫真的になされている。それを読んだコステロは、いやらしい(obscene)としか表現しようのない感覚に襲われる。

『“いやらしい!”そう叫びたかったが、誰にこのことばをぶつけるべきかわからないのでやめた。自分自身にか、ウエストにか、こんなことが起きるのを一部始終平然と眺めていた天使の監視団にか。こんなことはあってはならないから、“いやらしい”のだが、起きてしまったなら、人の正気を保つには、世界中のその手の場所でそうしているように、事を白日にさらすことなく、しっかりくるんで、こんりんざい地の奥に隠しておくべきだから、二重に“いやらしい”のである。(p127)』

このような事柄は、実際にあったことであり、あるいは人間と歴史にとっての真実と呼べるものであり、作家がそれを表現しなければ、その真実は伏せられたままになってしまうだろう。それでも、それは隠されておくべき事柄だと、コステロは考えるのだ(それが出来るのならば)。

その当否は、僕には判断しようがないのだが、ここには現在の世界に対する作者の危惧が表明されていると見ることができるだろう。

また、クッツエーにとっての「他者」が姿を現すのは、たとえばこの章の終わり近くの次のような一節だと思う。

『処刑後に彼らの体を洗う者もない。それは、遠い昔から女の仕事だ。地下室での活動に、女っ気はない。女子禁制。男子のみ。とはいえ、すべてが済んだのち、夜明けがばら色の指で東の空を染めるころ、女たちがやってくるのだろう。ブレヒトの戯曲から抜け出てきたような、あくなきドイツの清掃婦たちが仕事にとりかかり、汚れものの後片づけをし、壁を水洗いし、床をみがき、何から何まできれいにする。仕事が終わるころには、ゆうべ男の子たちがどんな遊びをしていたかなど、思いもよらぬ状態になっている。(p154)』

ここを読んで、クッツエーが最も似ている先輩作家はブレヒトかも知れないと思った。

また、「エロス」で考究されるのは、神と人間とのセックスはいかにして可能かという、一風変わったテーマだ。

『神は人に死を運命づけることで、自分たちより優位に立たせることになった。不死の神と死すべき人間の二者のうち、どちらがより切実に生き、より激しく感じているかといえば、それは人間のほうだ。だから、神々は人間のことが頭を離れない。人間なしにはやっていけず、ひっきりなしに人間を観察して餌食にする。だから、結局は、人間とのセックス禁止を宣言せず、どこで、どんな姿で、どれぐらいの頻度で、というルールを決めるにとどまったのだ。死の発明者は、セックス観光の発明者ともなった。人間の性的エクスタシーの中には、死への戦慄があり、その倒錯、その安らぎがある。飲みすぎた神々はそれについてえんえんと話をする―最初に経験した人間の相手は誰か、どんな感じだったか。あの真似のできない小さな震えが、神同士のセックス・レパートリーにもあれば、交わりにもピリッとした味わいが出るのに。ところが、その代償は彼らには大きすぎる。死、消滅。復活がなかったらどうなるんだろう?神々は考えて不安になる。(p162)』

ここでもやはり、テーマは非常に現代的なもの、現代における生と死といった事柄だと思える。

「門前にて」は、題名から想像されるようにカフカ作品の戯画のような不条理な状況(夢、あるいは死に際なのか?)に置かれたコステロが、超自然的ながら威厳に欠ける審判者(裁判官)たちから「おまえの生涯の信条を述べよ」と問い詰められる話だ。そう問われてコステロは、作家である自分は「目に見えざるものの秘書」であり、どんな信念とも信条とも無縁に、ただ自分が聞き取ったものを言葉にしてきただけだと主張する。これは、一切のイデオロギーの拒絶とも、あるいはロゴスの否定とも捉えられるだろう。だが、話の終盤になって、ある登場人物(ポーランドの清掃婦を思わせる女性)から、信じないという態度がとれるのは贅沢だと言われ、裁判官たちの前では何かを信じているという演出をする「情熱」を見せるだけで納得してもらえるのだと、アドバイスされる。

そう聞かされたコステロが、自分の幼少期の思い出、オーストラリアの干潟に生息するちっぽけな蛙たちのことを弁論する場面は、感動的である。

『なぜでしょう?なぜなら、本日みなさんの前に立つわたしは、作家ではなく、かつては子どもであったひとりの老女だからです。そういうわたしが、幼いころをすごしたダルガノン河の干潟と、そこに住む蛙の思い出を語っているのです。わたしの小指ほどしかない小さな蛙もおりました。あまりにちっぽけで、あなた方の高尚な関心事からはあまりに遠く、ふつうなら耳になさることもない生き物です。わたしの話につたない点が多々あるのはご勘弁いただくとして、蛙の生涯などと言うと、寓意的に聞こえるかもしれませんが、蛙にとってみれば、これは寓話でもなんでもなく、自身の生涯そのものなのです。唯一の。(p197)』

ここには、西洋にとっての「他者」が見出されているように感じるのは、僕だけだろうか。

エリザベス・コステロ

この本の原著の出版は、今から21年前の2003年。この邦訳書は19年前の2005年となっている。だが、今年書かれたものだと言われても違和感がない内容だ。自分の生きる時代を見とおす作者の力量に、あらためて驚かされる。

主人公は高齢の女性作家である。クッツエーの小説で女性を主人公にしたものとしては、僕が読んだことがあるものにはリアリズム手法の力作『鉄の時代』がある。

そちらのヒロインは、アパルトヘイト政権末期の南アフリカで内戦の混乱の中に投げ出される末期癌の高齢独居白人女性という何ともハードな設定だったが、本作の主人公エリザベス・コステロは、同じく高齢の白人単身(別れた夫たちとの間に子どもたちが居る)女性ながら、故国のオーストラリアを拠点として世界中を講演や授賞式のために旅して回っている有名作家という余裕のある境遇だ。

この主人公は作者の分身のようにも見えるし、批判者もしくは敵のようにも見える。そのことは、後年の作品で彼女が登場する『遅い男』になると、よりはっきりするだろう。ともかく、男性作家クッツエーは、女性作家コステロを単純な他者として描いているわけではないのである。

幾つかの章を紹介しよう。

「悪の問題」で扱われるのは、創作において、作家(表現者)はこの世界の絶対的な悪というものを探り出して表出することが許されるか否か、という問題である。コステロは、この問いには否定的だ。作者自身の魂が、そのような絶対的な悪には耐えられず、悪に呑み込まれてしまう、作家の魂は無傷では帰ってこれないと彼女は考える。ここで実例として挙げられているのは、実在の作家ポール・ウエストが書いたとされる小説の一節で、そこではナチスの死刑執行人による極めて「悪魔的」な振る舞いの描写が迫真的になされている。それを読んだコステロは、いやらしい(obscene)としか表現しようのない感覚に襲われる。

『“いやらしい!”そう叫びたかったが、誰にこのことばをぶつけるべきかわからないのでやめた。自分自身にか、ウエストにか、こんなことが起きるのを一部始終平然と眺めていた天使の監視団にか。こんなことはあってはならないから、“いやらしい”のだが、起きてしまったなら、人の正気を保つには、世界中のその手の場所でそうしているように、事を白日にさらすことなく、しっかりくるんで、こんりんざい地の奥に隠しておくべきだから、二重に“いやらしい”のである。(p127)』

このような事柄は、実際にあったことであり、あるいは人間と歴史にとっての真実と呼べるものであり、作家がそれを表現しなければ、その真実は伏せられたままになってしまうだろう。それでも、それは隠されておくべき事柄だと、コステロは考えるのだ(それが出来るのならば)。

その当否は、僕には判断しようがないのだが、ここには現在の世界に対する作者の危惧が表明されていると見ることができるだろう。

また、クッツエーにとっての「他者」が姿を現すのは、たとえばこの章の終わり近くの次のような一節だと思う。

『処刑後に彼らの体を洗う者もない。それは、遠い昔から女の仕事だ。地下室での活動に、女っ気はない。女子禁制。男子のみ。とはいえ、すべてが済んだのち、夜明けがばら色の指で東の空を染めるころ、女たちがやってくるのだろう。ブレヒトの戯曲から抜け出てきたような、あくなきドイツの清掃婦たちが仕事にとりかかり、汚れものの後片づけをし、壁を水洗いし、床をみがき、何から何まできれいにする。仕事が終わるころには、ゆうべ男の子たちがどんな遊びをしていたかなど、思いもよらぬ状態になっている。(p154)』

ここを読んで、クッツエーが最も似ている先輩作家はブレヒトかも知れないと思った。

また、「エロス」で考究されるのは、神と人間とのセックスはいかにして可能かという、一風変わったテーマだ。

『神は人に死を運命づけることで、自分たちより優位に立たせることになった。不死の神と死すべき人間の二者のうち、どちらがより切実に生き、より激しく感じているかといえば、それは人間のほうだ。だから、神々は人間のことが頭を離れない。人間なしにはやっていけず、ひっきりなしに人間を観察して餌食にする。だから、結局は、人間とのセックス禁止を宣言せず、どこで、どんな姿で、どれぐらいの頻度で、というルールを決めるにとどまったのだ。死の発明者は、セックス観光の発明者ともなった。人間の性的エクスタシーの中には、死への戦慄があり、その倒錯、その安らぎがある。飲みすぎた神々はそれについてえんえんと話をする―最初に経験した人間の相手は誰か、どんな感じだったか。あの真似のできない小さな震えが、神同士のセックス・レパートリーにもあれば、交わりにもピリッとした味わいが出るのに。ところが、その代償は彼らには大きすぎる。死、消滅。復活がなかったらどうなるんだろう?神々は考えて不安になる。(p162)』

ここでもやはり、テーマは非常に現代的なもの、現代における生と死といった事柄だと思える。

「門前にて」は、題名から想像されるようにカフカ作品の戯画のような不条理な状況(夢、あるいは死に際なのか?)に置かれたコステロが、超自然的ながら威厳に欠ける審判者(裁判官)たちから「おまえの生涯の信条を述べよ」と問い詰められる話だ。そう問われてコステロは、作家である自分は「目に見えざるものの秘書」であり、どんな信念とも信条とも無縁に、ただ自分が聞き取ったものを言葉にしてきただけだと主張する。これは、一切のイデオロギーの拒絶とも、あるいはロゴスの否定とも捉えられるだろう。だが、話の終盤になって、ある登場人物(ポーランドの清掃婦を思わせる女性)から、信じないという態度がとれるのは贅沢だと言われ、裁判官たちの前では何かを信じているという演出をする「情熱」を見せるだけで納得してもらえるのだと、アドバイスされる。

そう聞かされたコステロが、自分の幼少期の思い出、オーストラリアの干潟に生息するちっぽけな蛙たちのことを弁論する場面は、感動的である。

『なぜでしょう?なぜなら、本日みなさんの前に立つわたしは、作家ではなく、かつては子どもであったひとりの老女だからです。そういうわたしが、幼いころをすごしたダルガノン河の干潟と、そこに住む蛙の思い出を語っているのです。わたしの小指ほどしかない小さな蛙もおりました。あまりにちっぽけで、あなた方の高尚な関心事からはあまりに遠く、ふつうなら耳になさることもない生き物です。わたしの話につたない点が多々あるのはご勘弁いただくとして、蛙の生涯などと言うと、寓意的に聞こえるかもしれませんが、蛙にとってみれば、これは寓話でもなんでもなく、自身の生涯そのものなのです。唯一の。(p197)』

ここには、西洋にとっての「他者」が見出されているように感じるのは、僕だけだろうか。