ニューヨークでクラフトアート&ヨガを楽しむ (original) (raw)

あらゆる問題にすべきことは、それを許すこと

2012年 01月 28日

長かったNY滞在も終わり、妹はロンドンに無事帰っていきました。
NYよりも温かいそうです。
今回も妹が滞在の間、
沢山の喜び、楽しみ、感動と学びを経験させていただきました。
クラスに参加してくださった皆さんともシェアできた楽しみや喜びもあったし、
妹と二人のんびり過ごした時間も本当に貴重なものでした。
感謝と深い愛で満たされている自分がいます。
そして、最後に体験したことを皆さんともシェアしたいと思います。

それは妹が帰る前日のことでした。
朝起きると、私のいつもの生きる意識がまったくなくて、
なんだか全てがボ~としていました。
「全てが無意味でもあるような、そうでないような。」
「とにかく、どうでもいいですね~という感じ。 そしてその意識の奥に、
もういいよねえ、もういいや!」みたいな感覚があり、
とにかく虚脱感と真っ白な闇にいる感じです。
闇は黒くて真っ暗なのだと今までは思っていたけれど、真っ白な闇なんです。
なぜ急にそんな日が来たのか?わかりませんでした。

それで、妹に「なんだかどうでもいいやみたいな気分になる」と話すと
まるでスイッチが入ったかのように涙がぽたぽた落ちてきました。
泣くという感じで涙がでているのでなくて、何だか涙がただ絶え間なく落ちる。
「大丈夫?」ときかれて、その虚無感を説明すると
妹はそれはわかるというのです。
そうなっちゃうと奇行に走るから
あ、とかいうただのタイミングで死んじゃったりする可能性もあるし、
あとで聞くところの「ヤバい」状態だったりするんだとか。

この投稿をさせていただいているのですから、皆さまご安心ください。
私は今はその状態について受け入れたから、なぜ起こったのか学んだし、
許すこともできたし、もうその体験はが起こることはないとは思いますけれど、
でもそれってうつ状態になる時あるみたいだったんです。
ある意味プチうつだったわけです。
でもそのプチうつな私を励まし、
回復させてくれるように残り少ないNY時間を
私の為に使ってくれた妹でした。

こういう状態の時は運動がとてもいいそうです。
なので、あるワークショップで学んだ全身運動をするように勧めたり、
メイクをしてくれたりと世話を焼き、
そして、戸外を散歩するといいということになり、
買い物する予定もなく、靴屋さんに行ってみました。
するとセール品で自分が気に入った靴に巡り合いました。
そして美味しいものを食べようといわれ、お食事をしました。
ちょっと小さな嬉しいことを体験して落ち着く私。
恵美ちゃんが帰ってしまうからこんな風に思うんだろうか?
ここ数年一人の年末年始だったけど、
あ、もちろん友人にあったりとかイベントはあったのですが、
家族の存在がない孤独みたいなものを受け入れて過ごしていたけれど、
妹とこうして過ごして、やっぱりそれは無理があったのかなとか、
私は私なりに自分を色々観察していました。

主人を亡くした時は、
「どうして急に、そして先に死んじゃったの!」という
怒りとか、哀しみとか、自分の感情が沢山でてきて、
自律神経失調みたいな時期もありましたが、
今回の虚脱感はそれとはまったく違うのでした。
怒りとか哀しみとかそういう感情すら、
沸き起こる力もないし、興味もない。
ただただもういいや~と思って、
何もする気にならないという感じなんです。
初めての体験でした。

最後にセントラルパークを歩いていて、
妹がロンドンに暮していて、
色々な人生で辛いことを一人で体験している時、
やっぱりそういう虚脱感に襲われたそうです。
その時に色々と自分でできる取組をして、
乗り越えたけれどまだ落ち込むこともあるし、
もう死によって解決もしないということがわかっているから、
そうはしないけれど、
それに近づきたい時もあったことなどを話して、
二人で夕焼けの中歩いていきました。
なんかそれは心が揺れたことを知って、
そして優しく受け入れた時間でした。

私も基本天然な人で、人に「あなたは大丈夫!」と思われることも多いですが、
やっぱりだれも浮き沈みする時があり、皆それぞれ大変なんだよね!
みたいな時間を過ごしました。

翌日は、
「あれ?どうして昨日はあんなふうだったんだろうねえ?」という回復ぶり。
昨日のあのプチうつ体験はなんだったんだろう?と考えてみました。
でもまあ妹が帰る日だし、KIJXのクラスもあるしで、
あっという間に一日が過ぎていきました。

その翌日、私が今通っているACIMのクラスがありました。
そのクラスに参加している時、
まさになぜそうだったのか!
という理解と理由をもらった気づきの体験をしました。

全ての問題は許すことから始まるという話をしている時に
体験をシェアする大切さに触れていました。
最初は受取ったメッセージを相手に伝えるべきか迷っている話でしたが、
そのメッセージを受取った人は、
相手に伝えるだけでなく、その人自身がそのメッセージを知る必要が一番あり、
その意識があることで、相手に伝えなくとも、それは伝わるというのです。

またエゴを意識しているから、問題だと思うから問題で、
限りがあるからものには限界があると思う、
全ての意識のリミットを開放して、ふっと思った時、
「あ!私のあの虚無感の体験は、
私が妹を受け入れてそして理解したから体験できた!」と
思いましたし、
妹が体験していた辛さというのはこういうことなのか!という理解を
本当に受け入れたような気がして、
そしてあいまいでなくて深い魂の認識で
「あ~こういう風に思っていたのか、でも大丈夫なんだよ~」とか
「あ~こんな意識を受け入れて、そして妹は成長したんだなあ」とか
もういろんなことがわかったような感激で
その時クラスで、辛いことや哀しみの体験を
ちゃんと見つめて感じてみるとその向こうに
深い感動がある、厳粛さを感じると話していた時、
まさしくそうだ!と感じました。
そして、このクラスで皆さんにその自分の意識的な話をさせていただいている間も
わ~わ~と泣いておりました。
泣きながら支離滅裂な意識を話しているものだから、
本当にもう何をいっているのかわかりませんが、
クラスにいる人達はその意識、波動を見つめてくれているので、
本当に温かい心を感じて、委ねてお話することができました。
以前私は、「そんなことで悩んでも仕方ないよ」とか
強い意思で回復しなさい!みたいな、相手を自分の意識につれこんで、
その中で改善させるような相手に対する話し方があった時もありましたが、
それはまったくの間違いで、相手の気持ちを意識を本当に体験すると
それはそのいつくしむ心で共感して、
共にその意識を乗り越えるために観察すること。
そしてそうなることで、許しがうまれて、
問題はもう問題ではないんだ。
ただ許し、それをそうやって体験することなんだ!
そしてそれを皆とシェアすることで
生きている喜びも悲しみも本当に観察し、
感動できるのかなあと思いました。
まさにその意識を皆さんと分かち合うことで、
お互いが実は突き詰めて一つの愛につながっていく。
そんな深い気づきのあった、とてもいいクラスでした。

そのあとも、私が体験した虚無感がさらに妹だけでなくて、
シェアして、そしてその人の辛さを心から寄り添うことができる。
そんな体験を次の日もまた次の日も相手は違うのに、
寄り添うことができた、許しあう体験をしています。
ああ、だからなんだなあと、私のプチうつ体験は、
そこで大切な有難い体験となり、輝いています。
だから、今もし私のこの長い投稿を読んでくださっている優しいあなたにも
同じように辛いこと、心にとどまっている哀しみがあると思いますが、
それは相手に伝える必要もなく、ただ自分がしっかりと蓋をしないで見つめて
そして許してあげることで、きっと奇跡の体験をするのだなあと思いました。

なかなかうまく表現できない体験ですが、
どうか私の投稿にも皆さんの「許し」を頂いて、
文面でなくて、深い魂の中で受取っていただけたら幸いです。
ありがとうございます。

あらゆる問題にすべきことは、それを許すこと_f0095325_1113358.jpg

メトロポリタン美術館のティファニーステンドグラス。
心が優しくなると、
あなたの心の窓はきっと開いていますね。

by artofnature | 2012-01-28 13:28 | 思うこと

ニューヨーク在住のマクロビオティックインストラクター&カウンセラーのKiyomiです♪ 私のマクロビオティック講座やお教室のお知らせ、陶芸やクラフト活動、またヨガなどNYライフをお伝えします☆

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