ワイン好きの料理おたく 雑記帳 (original) (raw)
2022年 11月 24日
今日の詩 陀田勘助「二人の子持ちになった労働者のおッ母あに贈る」
吉田美和子著「ダダ・カンスケという詩人がいた 評伝陀田勘助」を読みました。
陀田勘助の短い鮮烈な人生と詩を知りました。
激動の時代を全速力で駆け抜けました。
獄中から知人に宛てて送られた詩を紹介します。
獄に繋がれながらも、自分を信じ、明るく未来を見つめている陀田勘助の言葉です。
陀田勘助(1902-1931)
1902 年(明治35)生。大正~昭和前期の詩人、労働運動家。
アナーキズム詩人として活躍、詩人としての活動期間は短い。ごくわずかである。ダダイズムに傾斜し、アナーキズムに転じ、ボルシェヴィズムへと突進していった。昭和3年共産党にはいり、東京地方委員長となるが検挙され、1931年(昭和6)8月22日豊多摩刑務所で獄死。30歳。栃木県出身、開成中学中退、本名は山本忠平。
二人の子持ちになった労働者のおッ母あに贈る
子持ちとなった労働者のおッ母あよ!
数万の大軍を率いてアルプスの険を突破した若いナポレオンには
不可能がなかった。
エルバの孤島で不可能の浪に弄(もてあそ)ばれつつさびしく憤死した
だがプロレタリアートには不可能がない
労働者のおッ母あが絶えず子供を生んで育てているから――乳を
のませ、めしを喰わせ、おしめを洗い、内職をして親父を
元気づける
労働者のおッ母あはこの上なく忙しい
――合理化の中の機械のように
過労の疲れから失望するな!
日一日とプロレタリアートの子供は力強く生長しているんだ!
労働者のおッ母あが子供を持ったと聞いたとき
牢獄に投げ込まれているおれは
骨を削られるような苦しさを想像しつつも新しい力を加えられた
二人の子供を持った労働者のおッ母あよ!
おれは元気で失望しない
地球がまるく、太陽の周囲で楕円形の弧を描きつつ有限の宇宙を
進行している限り
おれは日一日と希望を喰って失望を便器の中に投げ込んでいる
(獄中から松田解子宛書簡1931年1月28日付
次男作人君の出生にたいするお祝いの手紙
『戦旗』1931年9月号に発表 『陀田勘助詩集』を底本)
松田 解子(まつだときこ、本名:大沼 ハナ、1905年〈明治38年〉7月18日 - 2004年〈平成16年〉12月26日)は、日本の女流小説家。
日露戦争の年(一九〇五年)に秋田県荒川鉱山の鉱夫の娘として生まれ、秋田女子師範二部卒業後、小学校に勤務。一九二六年上京。二八年「産む」が読売新聞新人短編募集に入選し、執筆活動に入りました。プロレタリア作家同盟に加盟し、小林多喜二とともに活動。二九年「乳を売る」「全女性進出行進曲」(山田耕筰曲)を発表。処女詩集『辛抱づよい者へ』は発禁処分。
関東大震災 1923年、大正12年9月1日。
小林多喜二、1903- 1933年、昭和8年2月20日獄死。
by hitoshi-kobayashi | 2022-11-24 08:00 |Comments(0)
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