Taro Yokoyama | Atomi University (original) (raw)

My research interests are Japanese theatre arts (especially Noh能), the body and culture, and Japanese philosophy. I received PhD degree from Interdisciplinary Cultural Studies Department, Graduate School of Arts and Sciences at The University of Tokyo. After working for this department as an assistant of Culture and Representation Course for three years, and for UTCP (The University of Tokyo Center for Philosophy) as a postdoctoral fellow for a year, I joined Atomi University, Tokyo, in 2006.

My theoretical concern has been to deconstruct cultural essentialist discourses of the body. This project includes critical analyses of Kyoto School's philosophies, and of their influences on the understanding of the body in Japanese culture and theatre.

On the empirical side, I have worked on the following research projects:
(1) To reveal the changing process of techniques and corporeality in traditional body performances(Noh能, Kyomai京舞, Budo武道).
(2) To examine the rediscovery of Zeami's theory of performance in 1909 and its reception in the intellectual and cultural history of modern Japan.
(3) To create a digital archive for historical documents of Kanze school of Noh, including images of autograph manuscripts of play by Zeami, as a member of the special investigation team of The University of Tokyo (Click on the link to 'Kanze Archive' in the left-hand column, and you can use the interim version).

Alongside these works, I am planning a study on language of drama in Japanese performing arts from Narrative music語り物 and Noh to contemporary theatre. I am particularly interested in examining the language of Mishima Yukio and Okada Toshiki (chelfitsch) from the historical viewpoint.

All my published works are written in Japanese so far, except for translated ones. I hope the presentation of my works would be somewhat useful to you who might be engaged in Japan-related studies or might find my study interesting.

横山太郎。専攻は日本の舞台芸術(特に能楽)、身体をめぐる文化研究、日本哲学。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻にて博士号を取得。同大学院表象文化論研究室助手、東京大学UTCP研究員を経て、2006年より跡見学園女子大学に勤務。現在、同大学文学部現代文化表現学科准教授。

私は「日本文化、特に演劇における身体」というテーマを中心に、演劇史と思想史が交叉する領域で研究をしています。私がこうした研究をスタートしたときに、次のようなタイプの主張がよく聞かれました(未だによく聞きます)。

「西洋近代はデカルト的身体観によって身体性を見失い、ポストモダンの思想がようやくそれを回復しようとした。一方で日本文化(ないし東洋文化)は伝統的に身体についての優れた知恵を備えていて、もとから西洋近代を超えている。伝統的身体によって近代がもたらした人間性の危機と限界を乗りこえよう」

ここでは、ポストモダニズムが文化ナショナリズムに接近してしまうという、近代化の後発国にときおり見られるやっかいな思想状況が、身体を論じることにおいて生じています。このような考え方は、科学的な身体観の弊害に対する批判として一定の有効性を持ちつつも、次のような問題を抱えていると私には思われました。第一に、身体をめぐる事象を全て「文化」に還元して解釈しまうために、実際にそこで生じている複雑・多様な意味作用を見えなくしてしまいます。第二に、身体についてのロマン主義的ないしニューエイジ的理解と安易に結びついて、科学主義批判としてのポテンシャルを自ら損なっています。

日本では1970年代から現象学的身体論が好んで受容され、私自身その影響下で身体論的関心から舞台研究を志したのでした。しかし「好まれること」そのもののうちに潜む上記のような問題に気付いたとき、私は自分自身が「文化と身体」を適切に研究していくために、身体についての文化本質主義を脱構築する作業が必要だと思われました。そこで、身体論自体を歴史化するために、京都学派の身体の哲学がどのように形成されたのか、それが能や禅を参照する身体論にどのような影響を与えたのか、といった問題について、批判的に考察する仕事をしてきました。

こうした理論的な研究と並行して、私は大きく分けて三つの経験的な研究に携わってきました。それらは理論的な研究と相互に補完しあっています。

一つは、日本の伝統芸能(特に能と、それに関連して京舞や武道)の身体技法や演出の歴史的変容を明らかにする研究です。日本の伝統芸能は、技術的に習熟した多くの演者と、数百年にわたって蓄積されてきた膨大な文献資料を抱えています。それらを探求することで、芸能の身体が変わらずに保存されているどころか、むしろ各時代の言説、社会体制、集団内の伝承形態、物理的環境、メディア環境、役者の個性といった諸要素のなかで構築され変容してきたことがわかってきました。身体の変容をめぐるこうした研究の成果を、能や日本演劇の枠を超えて、舞台研究、身体の哲学、身体文化研究などへの貢献として提出することを目指しています。

二つ目は、世阿弥の発見と受容をめぐる研究です。世阿弥は20世紀初頭に伝書が発見されるまで、ほとんどその存在を知られていませんでしたが、その後の受容を通じて世界演劇史上の最重要人物のひとりと目されるまでになりました。近代日本の思想史・文学史・演劇史の文脈の中で、この出来事はいかなるプロセスを辿って展開し、どのような意味を持ったのか。それを考察する研究です。これによって博士の学位を得ました。

最後の一つは、能楽関係文献資料のアーカイブ構築です。東京大学の松岡心平教授を代表者とする研究グループが2003年から続けている観世文庫への調査に参加しています。私は特にデジタル画像データベースの編集と公開を担当しています。「websites」にそのデータベースへのリンクがありますので、ぜひご覧下さい。世阿弥自筆文書を含む貴重な伝書や文書を写真で見ることができます。

以上に加え、最近は、語り物や能から現代演劇に至るまでの舞台芸術における日本語の問題についての研究を構想しています。ひとまず、三島由紀夫とチェルフィッチュを、日本語の構造に演劇が向き合ってきたことの歴史のなかで、なおかつ文化主義に陥らずに考察することに興味があります。

私が公刊した文章は、翻訳してもらったものを除けば、今のところ全て日本語で書かれています。日本に関わる研究者や、あるいは私の研究に興味を持った研究者に、少しでも自分の仕事の紹介がお役に立てればと思っています。
Address: 1-5-2, Ohtsuka, Bunkyo-ku, Tokyo, 112-8687 JAPAN

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