『【写真あり】 衝撃!幕末の偉人・吉田松陰は相当クレイジーな人だった【教科書に載ってない】』へのコメント (original) (raw)

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記事へのコメント138件

tommy5954

Yoshitada

Yoshitada まぁ、アルカイーダのビン・ラディンみたいなものですわな。違うのは弟子さえどん引きしてたってことで。でも萩市民は全部承知で彼を愛してるのです。

namawakari

minaminoani

tyokorata

tyokorata さよう、立派なきちがい! ザ・グレート・きちがいの松蔭だけど、自分から暗殺作戦を暴露するあたり劇場(激情)型タイプとしか。目立ちたがりのこの人が60年代にタイムスリップしたら連合赤軍と共闘しそうではある

kohgethu

kohgethu 吉田松陰に関しては、「お~い!竜馬」が割と史実に近いのかもしれんね。気狂いだからこそ、当時の常識の殻を壊そうとしたという。

mahal

mahal 吉田松陰とか久坂玄瑞とか、才能があって尊敬された過激派が適度に間引きされたのは、爾後の維新における本朝の幸運ではあったかもと思うことはあり。

misomico

takisok

takisok 歴史に名を残すような人が単なる「穏やかで人が良い聖人君子」なわけがない。吉田松陰は、その時代に成すべきことを考え、実行し、本当に殺されるまで活動を続けた、とんでもない偉人だと思う

X-key

X-key テロリストのお師匠さん。尊敬する人=吉田松陰という人はひくよねw

akizuki_b

akizuki_b 山口に行ったときに観光したはずなんだけど、こんなにやばい人だったとは思わんかったw「諸君、狂いたまえ」とかインパクトがありすぎる。

paravola

paravola 幕府の役人に取り調べを受けた時のこと。疑い自体は軽微で、何事もなく終わるはずでした。しかしそこは松陰。聞かれてもいない老中暗殺計画を自ら暴露して役人の度肝を抜きます

n0n0nka

n0n0nka 吉田松陰先生の描き方が凄いww 本物の実践主義者だったんですね!/【写真あり】 衝撃!幕末の偉人・吉田松陰は相当クレイジーな人だった【教科書に載ってない】 | 幕末ガイド

masato611

shantihtown

chlono

bakumatsu0

locked_dog

kast

kast 時代劇とかでメインで活躍しているイメージないが、こういう実像だから?

tsukamotch

amsoat

affable_noise

kabiy

kabiy “【写真あり】 衝撃!幕末の偉人・吉田松陰は相当クレイジーな人だった【教科書に載ってない】 | 幕末ガイド”

daichiman

seikenn

traverse

G_Kizm

G_Kizm 【写真あり】 衝撃!幕末の偉人・吉田松陰は相当クレイジーな人だった【教科書に載ってない】 | 幕末ガイド

rkpg

rkpg 【写真あり】 衝撃!幕末の偉人・吉田松陰は相当クレイジーな人だった【教科書に載ってない】

darklord-118

xlc

xlc 損得を考えない信念の人。こういう人を素直に尊敬できる時代がすばらしいと思う。

Purunga

horsetail

sbtqe

BRITAN

katchin

usamyu56

n986121

tunakichi

tripleshot

tripleshot 斜め上コメですが、中学・高校時代の歴史の授業がこういう内容だったら、もっと歴史というものに興味を持っていたかもしれないなあ。ひたすら年表に赤線引いて暗記させられるだけの授業でしたから……。

shintokeimail

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【写真あり】 衝撃!幕末の偉人・吉田松陰は相当クレイジーな人だった【教科書に載ってない】

授業で習った吉田松陰は、松下村塾を開いた聖人君子のイメージかもしれないですが、とんでもない。彼は... 授業で習った吉田松陰は、松下村塾を開いた聖人君子のイメージかもしれないですが、とんでもない。彼は相当クレイジーな人間だったんです。 吉田松陰はこの人。 多少厳しそうな眼差しをしつつも、偉人らしく穏やかに見えますが、この人の人生は無茶の連続でした。 たとえば、21歳の時、松陰は親友と東北旅行を計画します。しかし、自藩の長州藩に申請した通行手形がなかなかもらえず、友と約束していた旅行日に間に合いそうにありません。 そこで彼はどうしたか? しょうがないので、松陰は死罪覚悟で脱藩します。 いくら目的が東北の海防調査という意義深いものとはいえ…。 旅行の約束をした親友・宮部鼎蔵(みやべていぞう)も正直ドン引きしたと思います。 ちなみにこの方、後に池田屋事件で新選組に襲われ自害します。 さて。吉田松陰 23歳の時、黒船が来航しました。 当時は鎖国まっただ中。武士も農民も、畏敬と好奇の目でアメリカ艦隊を

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