『日本人が終戦まで「特攻」を止められなかった、驚きの理由(栗原 俊雄) @gendai_biz』へのコメント (original) (raw)

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記事へのコメント131件

filinion

filinion 戦後日本の平和と繁栄を築いたのは、「尊い犠牲」の方じゃねーよ。生き残って、血反吐を吐く思いで生き延びて、働いて働いて働き続けた人たちの方だろ。特攻なんかしなければ、もっと多くの人が生き延びられたんだ。

haha64

haha64 要は旧軍がバカだったからだろ。戦術レベルでも不透明な見通しで技術職であるパイロットを消費していくことに合理性は見いだせない。第一、「記憶遺産」を子孫に残すのがなんで未来ある若者なんだよ。舐めてんのか。

masa_bob

masa_bob ゴミくず以下の精神性を残すために死んでいった方々がかわいそうです/むしろ、この精神性をゲロ以下って言い続けるの、アンチナチスと同じぐらいの使命ですらあると本気で思う

theatrical

theatrical ちゃんと天皇の無能さに言及しているのは良いな。戦争に関しては、「配慮」によって天皇の責任や能力に一切言及が無いことが多いからな。

inumash

inumash 「この戦争で若者達が国のためにこれだけのことをやったということを子孫に残すことは有意義だと思う」←このような思想を否定するために、我々はそれが如何に無駄で愚かな選択だったかを徹底して語らねばならない。

questiontime

questiontime どんなに実効性がなくても国の犠牲になった形で人が死ねば、国は顕彰せざるを得なくなり、死に至る原因の究明はおろそかになる。「特攻」は見事にその目的を果たし、現在のブラック企業に至る戦後の礎となった。

rider250

rider250 id:kaidaoさん越南があれ程戦えたのは「米国に匹敵する軍事大国=ソ連と中共の絶大な支援があり陸続きだったので海上封鎖などもできないし」「冷戦中」「米国に反戦機運が高まった」からで本邦とは条件が違うのです。

cardamom

cardamom もうそろそろ特攻とそれを強要した旧日本軍は、ナチと並列に語ったほうがいいんじゃないかな?戦犯を明確にして、二度と間違いを起こさない、と決めるべき。

REV

REV 『上層部が、国でなく』 「立場」を守るのに最適だった、ってことでは。 //『』内追加。

cabinotier

cabinotier 政府による自国民の若者の虐殺が糾弾されるどころか美化されて後世に受け継がれるってホントに凄いよな。

kiku72

kiku72 昭和天皇が止めるだろーと予想していたら止めなかったと

anqmb

anqmb 精神主義に基づく無理心中攻撃、本人の意志に関わらずやらされたのに忘れられた人々もたくさんいる。まあ自分の命が脅かされなければエモい部分をつまみ食いして感銘を受ける人もいるでしょうね。

honobonne

honobonne 過去に起こしてしまったことを批判して今も変わらないと嘆くだけじゃなく、今どうすれば同じ轍を踏まずに済むかを考えたい。あえて知らされてない情報があることを常に忘れず一人一人が関心を持ち続けなきゃと思う。

sink_kanpf

sink_kanpf ジム・ジョーンズとかカルトにハマったトップの人たちの考える事は、だいたい万国共通なんだなあと思ったり。

kodebuya1968

kodebuya1968 有利な講和をするための一撃だったといいたいのだろうけど、どちらかの殲滅以外講和の道がない戦争だったんだから無駄死に以外の何物でもない。

blueribbon

blueribbon 「後世において、われわれの子孫が、先祖はかく戦えりという歴史を記憶するかぎりは、大和民族は断じて滅亡することはないであろう。われわれはここに全軍捨て身、敗れて悔いなき戦いを決行する」(大西瀧治郎中将)

yotinakk

chuunenh

n_y_a_n_t_a

n_y_a_n_t_a 全ては精神論。必勝の精神があれば神の国日本が負けるわけはない、必勝の精神の最たるものは特攻。そんな頑張りが評価されるのは敵の寛容さありきなんだよね。その覚悟に免じて、とならず特攻は成立しなかった。

dekigawarui

popoi

popoi 《本当に死者達を悼むならば以下の事を考えるべき/#戦争 を始めたのは誰なのか/どの組織なのか。敗戦が決定的になっても降伏しなかった/なぜだったのか。#特攻 /を始めたのは誰だったのか。責任者は責任をとったのか》

AKIMOTO

AKIMOTO 内から見て誇りということにしちゃえば外からどう見えてるかはどうでもいいの?

bag2b2013

bag2b2013 日本人はもっと第一次世界大戦を知るべきだと思う。欧州における1914年から数年間の愚行を知れば、日本人が何を反省すればいいか100%理解できるだろう。

type-100

uchya_x

uchya_x もしも特攻を断固拒絶し、もはや帝国陸海軍には戦う力は残っていないと言って1945年の早い時期に降伏していれば、民間人の犠牲者は大幅に減っていたはず。これも地獄への道が善意で舗装されたケースなのでは?さ

D_Amon

D_Amon 「「戦争でなくなった人たちの尊い犠牲の上に、今日の繁栄、平和がある」という歴史観」に同意する筆者に同意できない。死者は戦後復興に貢献せずは当然として、仮に正しくてもそれは狂人日記的食人と思う。欺瞞だよ

dub

dub 自民党支持している人っていまだに命をかけること、個人をないがしろにすることを良しとしてるのでは? こういうの許せない人はちゃんと投票して意思表示したほうがいいと思う。

sawaglico

sawaglico “「自分も後から続く」と約束しながら、長い戦後を生き延びた将軍に比べれば、いや比べる意味がないほど、大西は潔かった。”この一言にゾッとした。筆者が特攻と同じ「死して報いる」を肯定してる。

paravola

paravola 二人が残した大西証言がその通りだったとしたら、大西にとって大切だったのは戦果だけではない。後世の人々に、自分たち先祖がどう戦ったかを記憶してもらうこと、いわば「民族的記憶遺産」を託すことであった

hidex7777

tottotto2009

tottotto2009 特攻というと航空特攻というイメージだった。鹿児島の知覧特攻平和会館に父を連れて行ったことで心の整理を付けていたつもりだった。強制されて死んでいった若者たちがたくさんいたんだね。胸が痛い。

midnightseminar

midnightseminar 後世に「民族的記憶遺産を残す」を馬鹿にしてる人が多いけど、後世と言っても平和な時代向けに残したわけじゃないから当然だな。お前らは別に対象者じゃないという感じ。

Ayrtonism

Ayrtonism ちゃんと教訓を得ないと、負け方が下手なこの国の特質は何にも変わらない。まあ、お国柄+全体主義の問題でもあると思うけど。ドイツの負け方も悲惨極まりないからな。

sekiryo

sekiryo 本当に志願制なら若者からじゃなくてまず老人から行くだろうとは思うのだがやっぱりそうならなかったんだよなぁ。どちらにしろ一回やるとまた同じ事になった時にまたやるという想像は当たってそう。

minoton

fatpapa

fatpapa 国の為と信じて死んでいった事は事実だろうしその思いを疑う事は無いが有意義とか美化したり繰り返してはならない。彼らが子孫に残す思いは「こんなバカな死に方をさせられる前になんとかしろ」というメッセージだろ

nora-inuo

nora-inuo 昭和天皇も戦争犯罪者の一人。太平洋戦争をもっと早く終結できる立場だったのに十分な役割を果たさなかった。「いずれ昭和天皇が停戦を指示するだろう、という期待」

ntnajp605

ntnajp605 "特攻はときに祖国愛や同胞愛を語り振り返る文脈のなかで語られ、現代人の感動をよんでいる"特攻精神は、組体操や長時間労働の現場で今も息づいてるよ

adorable

adorable 白虎隊、特攻、そして現代。おらが国に脈々と流れる悪しき伝統ってことはよーくわかった。クソが!

warp9

warp9 【大西は「たとえ特攻の成果が十分に挙がらなかったとしても、この戦争で若者達が国のためにこれだけのことをやったということを子孫に残すことは有意義だと思う」】←事実なら狂ってる。絶対に繰り返してはならない

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