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竹内好 - Wikipedia

1949年に慶應義塾大学講師となり、1955年までつとめた[10]。『展望』1950年4月号に「日共産党に与う」... 1949年に慶應義塾大学講師となり、1955年までつとめた[10]。『展望』1950年4月号に「日共産党に与う」を発表し、日共産党を批判した[11]。1952年から1年間、東京大学非常勤講師を兼任[10]。 1953年、思想の科学研究会会長となった[10]。雑誌『思想の科学』編集長もつとめた[12]。1953年、東京都立大学人文学部教授に着任[10]。 1960年5月20日、新安保条約の承認が衆議院会議で強行採決される。翌5月21日、竹内は強行採決に抗議して東京都立大学に辞表を提出[13]。「憲法の眼目の一つである議会主義が失われた」「内閣総理大臣による憲法無視の状態の下で、東京都立大学教授の職に止まることは、公務員として憲法を尊重し擁護する旨の就職の際の誓約にそむき、かつ教育者としての良心にそむく」と述べた。竹内に翻意を求めた人文学部教授会は最終的に6月27日に辞表を受理した[14

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