『40年前、お風呂場で小野田寛郎さんがポツリと言った「(終戦を)知っていた」(山田順) - エキスパート - Yahoo!ニュース』へのコメント (original) (raw)
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- 40年前、お風呂場で小野田寛郎さんがポツリと言った「(終戦を)知っていた」(山田順) - エキスパート - Yahoo!ニュース
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wkatu 『いま亡くなられて思うのは、「戦争は人の運命を狂わせる」ということだけ』それでも彼は天寿を全うできた。彼に殺された島民こそまさに運命を狂わされたというべきだろう。
ROYGB 終戦を知っていた話は本人もどこかでしていたような。ただ日本にあるのはアメリカの傀儡政権だと思っていたというような話もしていたような。
megazalrock ん?戦争が終わったことを知ってたってWikipediaにすら書いてあるけど。想像で適当な事いってるだけっぽい。
susahadeth52623 >「(つまり、元上官の任務解除命令、フィリピン軍に投降などの一連の儀式は、フィクションの上に成りたっていたと言える)」当時のフィリピンと日本の経済的結びつきなんかも関係してるんだよなあ。
mikanyama-c 『幻想の英雄』は無茶苦茶面白いよ。山田氏のサイトで全文公開読むべし。「戦争請負い業」の発想とかちょっと驚かされる。
muchonov 『幻想の英雄』は山田氏が全文公開しててネットで読めるけど、彼自身も小野田氏と会ってたとは。/当時の検証報道でも小野田氏が終戦を知ってた可能性は何度も指摘されてたし、赤津勇一氏もそう証言してたんだよね。
Gl17 偶像の旧軍人でなく、人間的な小野田氏像。小心と背中合わせの残忍、みたいなのは何だか現代ネットや政界の「毅然とした対処」好きな面々と通ずるものがある気がする。
okbc99 “小野田さんは戦後、ルバング島で生き残った仲間と住民を襲い、食料を奪いながら生きてきた。村人を何人か射殺している。だから、戦争が終わっていたのを知っていても、報復が恐くてジャングルを出られなかった。”
tanupig “「やっぱり」と思っただけだった。それから、小野田さんは湯船につかりながら、突然、持っていた銃の話をしてくれた。「坊主、銃というのはこうやって構えて、こうやって撃つんだ」みたいな話だった。 あとから知
tohokuaiki 小野田寛郎氏のゴーストライターの息子の話。“「小野田さん、戦争が終わったのを知っていたんですか?」 すると、小野田さんは、なにかに怯えているような目つきになり、「そうだ」とぽつりと言った。”
u4k 「小野田さんは戦後、ルバング島で生き残った仲間と住民を襲い、食料を奪いながら生きてきた。村人を何人か射殺している。銃は肌身離さず持っていた。だから、戦争が終わっていたのを知っていても、報復が恐くて…」
fab-lab “小野田さんは戦後、ルバング島で生き残った仲間と住民を襲い、食料を奪いながら生きてきた。村人を何人か射殺している。だから、戦争が終わっていたのを知っていても、報復が恐くてジャングルを出られなかった。”
mohri “ネットに書き込まれた若い世代の意見を読んだ。また、彼を戦前の強い日本人、誇り高き軍人の象徴と捉えている識者の追悼コメントや追悼記事も読んだ。そうして、なぜかしっくりこない気持ちを、今日も抱えている”
atoh 当時、血気盛んな少年だったオレは“『生きて虜囚のほにゃらら』というのに、任務を全うできんなら特攻しろ、最悪でも自決だろッ”と思っていたので、“小野田△”的なことをいってる同級生を冷めた目で見てたな。
nizimeta “戦争が終わっていたのを知っていても、報復が恐くてジャングルを出られなかった。ただ、最後に残った仲間の小塚一等兵がフィリピン警察軍に殺されたので、観念したのだろう”
tatsunop どこの人が、と思ったら例の手記書いた津田信さんの息子さんでつまり手記をwebに上げてる当人だった。お父さんに当時その話をしたのかだけ気になった。
paravola 小野田さんは生き残った仲間と住民を襲い、食料を奪いながら生きてきた。村人を何人か射殺している。だから報復が恐くてジャングルを出られなかった
yoko-hirom 日本が侵略されたら,皆が小野田さんのように戦わなければならない。それは無理だから,戦う前から負け確定。なので日本は戦争が起きないよう立ち回るのが正解。
gryphon いやド・ゴールと自由フランス軍も「ドイツとフランスの『終戦』は知ってた」でしょ。多分主観的にはそれ/そもあれが演技として『戦争継続を「演技」すれば裁かれない』って多分に偶然で、ほぼ予測・判断不可能では
naya2chan 本文ちゃんと読んでいれば出てこないだろうコメントがスター結構集めてる…。
MermaidSong 「擁護するか否かで他人を党派に」批判先のコメは「この話が事実か否かに関わらず右翼的には擁護できない」なんだから、全く「擁護するか否かで党派分け」なんてしてないという、腐臭さえ漂う強烈な誤読力。
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40年前、お風呂場で小野田寛郎さんがポツリと言った「(終戦を)知っていた」(山田順) - エキスパート - Yahoo!ニュース
小野田寛郎さんが91歳で亡くなってから1週間がたった。じつは、私の父・津田信は、1974年に小野田寛郎さ... 小野田寛郎さんが91歳で亡くなってから1週間がたった。じつは、私の父・津田信は、1974年に小野田寛郎さんがルバング島から帰還したとき、小説を一時的に書かなくなって、『週刊現代』などの週刊誌のアンカー原稿を書いていた。その縁で小野田さんの手記のゴーストライターとなり、『週刊現代』に「わがルバング島の30年戦争」(のちに講談社から出版された)を連載した。そして、それから3年後、小野田手記は小野田さんが話したことを脚色したものであることを、『幻想の英雄』という本で明らかにした。 当時、私は大学生で、世間が小野田さんの帰還に大騒ぎをしているのは知っていたが、まさか父親が手記を代筆しているとは知らなかった。もとより、「最後の日本兵」と言われてもピンと来なかった。 それが、あるとき、父から頼まれて「着替えを持ってきてほしい」ということで、一気に小野田さんが身近な存在になった。というのは、父は手記を書
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