『辺野古移設問題の「源流」はどこにあるのか――大田昌秀元沖縄県知事インタビュー(堀潤)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題』へのコメント (original) (raw)
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lololo 「米軍より日本軍の方が怖かった」という沖縄県民の声を、自衛隊関係者や軍事オタクはどう受け止める?本土が沖縄に冷たいのは、もともと「別の国だったから」という間隔があるのではないかと思えてくる。
fuldagap 自分たちで声を上げないと、国際環境がどうなろうと(中国や北朝鮮の問題が解決されても)米軍は居座り続けるだろうというのが沖縄の少なからぬ人の皮膚感覚なんだろうなあ
deep_one 防空壕で日本軍兵士に刺し殺された人を見たところまでさかのぼっていた。まぁその前に琉球処分があるはずだけどな。
sampaguita "戦争中、沖縄には12の男子中等学校と、10の女学校があったんです。それらすべての学校で、10代の生徒たちが戦場に出されました" "法的な根拠もないまま戦場に送り出されて、犠牲に"
lololo 「米軍より日本軍の方が怖かった」という沖縄県民の声を、自衛隊関係者や軍事オタクはどう受け止める?本土が沖縄に冷たいのは、もともと「別の国だったから」という間隔があるのではないかと思えてくる。
yoteihyou 沖縄の人たちに僕らが言っているのは「次に戦争があったときも、君たちには犠牲になってもらう。君たちを守るためにはしょうがないことなのだ。君たちがここで生きている以上変えようのない、決まったことなのだ。」
fuldagap 自分たちで声を上げないと、国際環境がどうなろうと(中国や北朝鮮の問題が解決されても)米軍は居座り続けるだろうというのが沖縄の少なからぬ人の皮膚感覚なんだろうなあ
deep_one 防空壕で日本軍兵士に刺し殺された人を見たところまでさかのぼっていた。まぁその前に琉球処分があるはずだけどな。
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辺野古移設問題の「源流」はどこにあるのか――大田昌秀元沖縄県知事インタビュー(堀潤)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題
私たちは「敗戦」を迎えたあの時代から続く一本のタイムラインの上をいまも変わらず歩き続けている。振... 私たちは「敗戦」を迎えたあの時代から続く一本のタイムラインの上をいまも変わらず歩き続けている。振り返れば戦前、戦中、戦後に隔たりはなく、かつての日常の連続の上に私たちの日々の暮らしがあるのだ。多くの犠牲と惨禍をもたらしたあの不条理な戦争の記憶は時の経過と共に薄れ、風化が進んでいる。しかし、ひとたび沖縄へ目を向けると、私たちが「風化」という言葉によって、いかに冷たい目線の投げかけに加担してしまっているか気づかされ、強い自戒の念を感じざるを得ない。なぜ、沖縄にあれだけの数の米軍基地が集中しているのか、私たちは知っているだろうか。報道で伝えられる「沖縄の怒り」という言葉の源流に想いを馳せることができているだろうか。 私は米軍基地問題と向き合い続けてきた沖縄の歴史を知るために、先日、元沖縄県知事の大田昌秀氏をはじめ沖縄戦を体験した方々の元を訪ねた。 大田氏は1925年生まれの90歳。学徒兵として沖
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