『蘇我氏と物部氏の仏教抗争、日本書紀の説に難あり?:朝日新聞デジタル』へのコメント (original) (raw)
- 世の中
- 蘇我氏と物部氏の仏教抗争、日本書紀の説に難あり?:朝日新聞デジタル
気に入った記事をブックマーク
- 気に入った記事を保存できます
保存した記事の一覧は、はてなブックマークで確認・編集ができます - 記事を読んだ感想やメモを書き残せます
- 非公開でブックマークすることもできます
適切な情報に変更
エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
このページのオーナーなので以下のアクションを実行できます
タイトル、本文などの情報を
再取得することができます
記事へのコメント9件
- 注目コメント
- 新着コメント
mahal この辺りも、太子伝説の影響ではあるのよな。崇仏の聖徳太子が味方したことによって物部との争いに勝ったという物語から敷衍して作られたアングルというか。名前表記以上に、そうした部分の相対化が、多分大事。
mahal この辺りも、太子伝説の影響ではあるのよな。崇仏の聖徳太子が味方したことによって物部との争いに勝ったという物語から敷衍して作られたアングルというか。名前表記以上に、そうした部分の相対化が、多分大事。
vox_populi こういう話は、面白がっても、さらには悪乗りしても、何ら実害がないのがよろしい。こういうどうでも良い話に興味を持てることが、人生をより豊かにする。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
リンクを埋め込む
以下のコードをコピーしてサイトに埋め込むことができます
プレビュー
いまの話題をアプリでチェック!
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
usersに達しました!
さんが1番目にブックマークした記事「蘇我氏と物部氏の...」が注目されています。
蘇我氏と物部氏の仏教抗争、日本書紀の説に難あり?:朝日新聞デジタル
大陸から伝わった仏教を受け入れるかどうかを巡り、反対(排仏)派の物部尾輿(おこし)と、導入(崇仏... 大陸から伝わった仏教を受け入れるかどうかを巡り、反対(排仏)派の物部尾輿(おこし)と、導入(崇仏)派で渡来系の子孫ともいわれる蘇我稲目が争った6世紀の崇仏論争。だが、実際は仏教とは無関係の政争だった可能性が指摘されている。 いわゆる崇仏論争(崇仏排仏論争)は2段階からなる。 「日本書紀」によれば、552年、百済の使者から仏教の説明を受けた欽明天皇は「これほど素晴らしい教えを聞いたことはない」と喜び、群臣に「礼拝すべきか」と問うたところ、蘇我稲目は賛成し、物部尾輿は「外国の神を礼拝すれば国神のたたりを招く」と反発した。そこで天皇が稲目に仏像を預けて礼拝させたところ、疫病が流行したため、尾輿は「仏教を受け入れたせいだ」と主張。寺を燃やし、仏像は難波に流し捨てたという。 第2段階は585年、稲目の息子にあたる馬子は寺院を建立し、仏像を祀(まつ)っていたが、疫病が流行したため、尾輿の息子にあたる守
ブックマークしたユーザー
すべてのユーザーの
詳細を表示します