第5回WBC2023宮崎キャンプ (original) (raw)

Amazon Kindle『WBC 球春のマイアミ』より一部を抜粋。WBCで侍ジャパンの礎を築いた宮崎キャンプを振り返る。

宮崎キャンプ(2月17〜27日)

2月17日(始動)

球春は神話の郷・宮崎からはじまった。第2回WBCのフィーバーを超える熱狂とともに、侍ジャパンは新たな野球神話を築いていく。昨日の敵が今日と明日の友になる。春に出逢い春に別れる。桜のような刹那が愛おしい。

寒さが残る2月17日(金)。宮崎キャンプ初日。咲き誇る河津桜を背に、日本代表30人のうち26人が集まった。少しずつ蕾が萌芽していく。夜明け前のビフォア・サンライズ。パームツリーが南国感を醸し出す宮崎には、お祭りのはじまりを待つ高揚感があった。真新しい「JAPAN」のユニホームに袖を通した選手たちがグラウンドを跳ね回り、活気ある声を爽やかな風に乗せる。ユニホームには日の丸の重みと日本代表としての喜びが映射していた。

今回のWBCが開幕前から楽しめるのは3月6日までメジャーリーガーが出られないからだ。本来なら宮崎合宿に全選手が合流し、開幕まで調整を行う。しかし、今年はRPGのように徐々に仲間が増えていく。現段階では"選手の集まり"。これからユニホームを泥だらけにしながら侍戦士たちは"チーム"になっていく。

第1回大会の2006年2月21日、福岡ドームで行われた合宿ではイチローが先頭を走り背中で牽引。多くの選手がオープン戦に参加する雰囲気を醸し出すなか、オリンピックの出場要請を頑なに断り続けたイチローはWBCの重みを理解していた。

野球の真の世界一を決める。

そこは憧れの舞台ではなく、世界で最も厳しい戦場。春なのに10月の状態に仕上げなければ栄冠は輝かない。ファンも贔屓球団や選手への好き嫌いの枠を越え、全員で日本代表という鍋をつつく。選手は12球団分、12倍以上の期待、普段は野球を観ない国民のプレッシャーまでも背負う。冬眠をせず、厳しい寒さのなか自主トレを行い、2月の時点で調子をピークに持ってきた。

2月17日の初日は9時に宿舎を出発し、ひなたサンマリンスタジアム宮崎へ。9時半すぎからチームミーティング。東京の原宿にある東郷神社で必勝祈願を済ませた栗山監督は世界一奪還、そして"野球発祥の地"アメリカを倒そうと檄を飛ばす。チームにリーダーを設置しないことも宣言。オフを潰して調整してきた選手たち全員がリーダーである。

2009年に優勝した際、イチローは言った。「チームには強いリーダーが必要という安易な発想があるが、今回のチームにはまったく必要がなかった。それぞれが強い向上心を持っていれば必要ない。むしろ、そんなものはいないほうがいい」

イチローが描く究極のチーム像。14年の時を経て、令和の侍ジャパンが体現しようとしている。10時前に選手たちが、ひなたサンマリンスタジアム宮崎のグラウンドへ出ると、集まった18,541人のファンから大きな拍手。

2月の宮崎は寒い。15時を過ぎれば霧島おろしが吹き気温は一気に下がる。10時45分からキャッチボールを行い、シートノック。村上宗隆のミズノ製のグラブはおろしたて、カチカチの状態。WBC公式球を受け止めながら、ほぐして手に馴染ませていく。使い慣れないコスタリカ製のボールは守備陣の送球にも大きく影響する。守備練習は優勝へ向けて最重要。

11時30分からは打撃練習。1組目の山田哲人、牧秀悟などに続き、2組目には村上、岡本和真、山川穂高がフリー打撃。日本の4番である村上はキャンプ初日からフリー打撃で11本の柵越えを披露。WBCに向けてしっかり調整してきた。令和の三冠王は宮崎の隣国・熊本県の出身。九州学院高等学校で「肥後のベーブ・ルース」と呼ばれた。第1回WBCの4番で平成の三冠王、松中信彦も同郷。

村上のWBC体験は第2回大会、9歳の春。決勝戦は熊本市内の公園で携帯電話で見た。小学校の卒業文集には「WBCに選ばれて世界で活躍したい」と書いた侍キッズ。今回のWBCがジャスト・ミートのタイミングで実施されたのは大谷翔平だけではない。村上もまた最高の実績を引っ提げてWBCに挑む。

プロ初打席は2018年9月16日。神宮球場で新人離れしたホームランを放った。本塁打の申し子。それでも国際大会ではホームランより打点が重要と語る。内野ゴロでも決勝点になればいい。下位打線まで各球団の4番が並ぶ侍ジャパンにおいて、出塁の高さは火を見るより明らか。そのランナーを返せる打点力がバッターには求められる。ベンチでは誰よりも声を張り上げ打線を引っ張る男。かつて侍ジャパンの55番をつけるべきだった松井秀喜の幻影を村上宗隆が超える。

投手陣は全体アップのあと、ダルビッシュだけが別メニューで独自調整。トレーニングルームを出たあとは持参した器具でストレッチ。1時間近く筋肉をほぐす。誰よりもコミュニケーションを意識しつつ、自らの調整も貫く。ダルビッシュが動くと、ファンも報道陣もチームメイトも追いかける。

3月末の開幕に調子を合わせる習慣が染みついているプロ野球選手にとって、1ヶ月早く仕上げるのがどれだけ大変か想像に難くない。特に気候も習慣も違う異国の地で調整を続けてきた大ベテランのメジャーリーガーにとって、この決断がどれほどの覚悟があったか。ダルビッシュ有が選んだのは温暖なアリゾナではなく寒冷の宮崎だった。2023年はMLBで大幅なルール変更があり、ピッチクロック(投球の時間制限)やピッチコム(サインを伝達する電子機器)などにアジャストしないといけない。例年よりもスプリング・キャンプが重要になる。それでもダルビッシュは長いシーズンよりも一瞬のWBCを優先した。

WBCは2週間の大会だが、その先に野球界の未来がある。WBCを見て野球をはじめる子どもたちの光がある。この20年間で日本の野球の競技人口は約300万人も減少していると言われる。野球界に恩返しができる最大の舞台がWBC。そして、ダルビッシュ自身も普段は接することのない日本の若手と交わることで、新たな野球を吸収できる。侍ジャパン唯一の昭和生まれ、36歳になってもプロである以上、引退まで進化を止めるつもりはない。

栗山監督から声をかけられたときは、これから新しい子どもが生まれてくるタイミングであり、当初は選手ではなくスコアラーの形でバックアップする予定だった。が、家族の協力もあり、宮崎キャンプから"選手"として参加。

14日にチャーター機で宮崎に入り、2月16日には巨人のキャンプを訪れ岡本、戸郷、大勢、大城と合同練習を行なった。事前にメンバー全員の動画をチェックし、コミュニケーションに備える。食事会場では、誰がどのメニューを選ぶか、どれくらいの量を摂るのかを観察し、食事に対する各人の考えを聞いて回った。栗山監督から日本野球の底上げのため、変化球の投げ方やトレーニング法、食事や睡眠などのアドバイスを大会前に求められていた。

ダルビッシュは言う。「チームの強みは、人と人の距離が近いこと。チーム一丸となった野球ができる。課題はない。全員プロ。このままの状態で大丈夫」と若手の背中を押す。キャンプ中「絶対にこのチームはアメリカの選手だったり、メジャーの選手に負けてない」と言い続け、持てる技術を余すことなく伝授。第1回大会でもメジャーリーガーの大塚晶則が「メジャーといっても凄いのは一握り。大したことはない。日本の投手のほうが技術は上」と初代のメンバーを鼓舞した。

09年の第2回大会でレッドソックスから欠場するよう暗に求められていた松坂大輔が、自らの意志を通して優勝への立役者となったように、世界最高峰のレベルを知るダルビッシュの参加は大きく影響する。侍ジャパンで選手・コーチ含めて唯一、優勝の味と重みを知る戦士。WBCという1ヶ月間の森を抜け、それぞれの球団がある町に帰っていく。そのとき選手たちは見慣れた球場が少し小さく思えるのだろう。優勝を知るダルビッシュは夢先案内人。

そしてダルビッシュが凄いのは聞く力。伝えるより聞くことで若い選手をリードした。かつてイチローは福岡ドームのキャンプの最初のウォーミングアップから全力疾走し、「今日もみんなで気合い入れていこう」と背中でナインを引っ張った。川﨑宗則は「全力で走るなんてありえない」と驚いたが、イチローにとっては「野球が好きだから」が原動力であり、責任感や仕事は二の次。きっとダルビッシュも、行き着く先は”そこ”なのだろう。

ダルビッシュはアドバイザーとしてだけでなく、日本の投手から積極的に教わった。これは第1回大会で唯一のメジャーリーガー投手だった大塚晶則も同じ。初対面の和田毅や杉内俊哉に身体の使い方やコントロールの秘訣を質問し、すぐに真似した。ダルビッシュや大谷翔平といったメジャーリーガーが逆輸入するのは技術ではなく、野球への貪欲な姿勢。

キャンプ初日を終えた栗山監督。「年齢も実績も関係なく選手一人ひとりが“自分が主将なんだ。引っ張らないといけない”と思えば行動が変わる。会社員でも“自分が作った会社だ”と思えば仕事のやり方も変わる。雰囲気については取材していた第1回や第2回大会の時はものすごい緊張感が練習から感じたけれど、今は時代なのか、選手たちからワクワク・キラキラしたものを感じて、プレッシャーを楽しんでくれているように感じる」

2月18日(ブルペン練習)

キャンプ2日目の土曜日。初日の18,541人を超える19,421人のファンが「ひなたサンマリンスタジアム宮崎」に詰めかけた。朝5時の時点で良い席を取ろうとファンが行列を作る。ゆっくりと始動するはずの春に、日本シリーズを超えるトップギアの選手たちが見られるから無理もない。海の向こうアリゾナでは大谷がブルペン練習を行っている。フロリダでは吉田正尚がフリー打撃で柵越えを連発。

ビジター用のユニホームを着たダルビッシュは、ひなた木の花ドームの室内練習場で戸郷とキャッチボールを行い、カーブの投げ方をレクチャー。木の花ドームは宮崎県産の杉を7,400本使用した単層アーチ構造。木の温もりと純白の天井が清々しい気分にさせてくれる。ミニ東京ドームといった雰囲気。サンマリンスタジアムからクロガネモチの並木を2キロ歩く。侍ジャパンが羽ばたくWBCの滑走路。秋には鮮やかなオレンジのストレリチアの花も咲く。

木の花ドームでは日本の投手もスポンジのようにメジャーリーガーの教えを吸収していく。ダルビッシュも日本人投手の器用さに感心する。第1回WBCから日本代表のトレーナーとして参加している河野徳良氏は日本人が幼少期より箸を使うため、手先や指先が器用になるという。そして、チームの雰囲気も過去の大会に比べて飛び抜けて良いと語る。

ダルビッシュは午前11時にブルペン入り。投球練習を開始すると吉井投手コーチ、佐々木、山本、宮城、戸郷、大勢、湯浅、高橋奎二が捕手の後ろから投球を見つめる。ブルペン捕手は甲斐拓也が務め、オフに一緒に自主トレを行った伊藤大海と並んで7種類の球種を35球投じた。伊藤とダルビッシュはロッカーも隣。ダルビッシュとの会話を全部ノートに記録する。WBCが終わったあとも野球人生は続く。かけがえのない時間もWBCのモチベーションと団結力につながる。

後ろで見ていた大勢は「ツーシームが見たことないくらい曲がっていた。次元が違う」と驚愕。数々のツーシームを受けてきた甲斐拓也も「これがツーシームだとわかった。回転数や景色が全然違った。やっぱりモノが違う。トラックマン(計測器)でもすごい数値が出ていた」と感嘆。

野茂英雄も訪れ、投球後に会話を交わした。前日に睡眠の質の悪さを相談した湯浅京己はダルビッシュからもらった睡眠の質を高めるグミのおかげで昨夜はぐっすり眠れたと感謝。

2月19日(ダルビッシュ塾)

合宿3日目の日曜日。佐々木朗希、山本由伸、髙橋宏斗がブルペン入り。佐々木はダルビッシュから教わったスライダーを早速試す。球を受けた甲斐は「こんな凄いスライダーがあるんだと思った。曲がり方がキュッとしていて、いきなりブレーキがかかって曲がる」と驚嘆。今回の宮崎キャンプでは3人のブルペン捕手がいた。日本ハムから梶原有司、広島カープから長田勝、そしてもう一人の鶴岡慎也は、かつてダルビッシュの専属捕手。それでも久しぶりに受けるスライダーは"人間の反射神経の限界"と評する。曲がりが大きすぎて捕れないこともあるほどだった。

侍ジャパンにはレーダー技術を使った弾道測定器「トラックマン」の責任者である星川太輔氏が帯同している。日本の投手の多くは一通り球数を投げ終えてからチェックするが、ダルビッシュは1球1球チェック。前者は投げたあとに「どうすればもっと球が良くなるか」を考えるが、ダルビッシュは先に仮説を立て、一球投げたらすぐに検証に入る。この光景を見た侍ジャパンのほぼすべての投手が1球1球データを見るようになった。ダルビッシュがキャンプ初日から参加することで、日本プロ野球に早速、化学反応が起きる。

ピッチャー陣の練習を見つめた栗山監督は「大爆発する雰囲気が出ている」と髙橋宏斗に期待を寄せた。

野手陣は12時40分からタイブレークを想定したゲーム形式の練習。6人ずつ2組に分け、攻守で2イニング同じ状況で実践。結局、大会を通じてタイブレークは無かったが、この入念な準備が侍ジャパンの強さ。白井ヘッドコーチは「あらゆる場面を想定した中で、いろんなケースがあると確認できたので良かった」

野球は運に左右されることが多いスポーツ。バッターにとって完璧に捉えた打球が守備の正面に飛んでしまうことがある。逆に打ち損じたボテボテの当たりが守備の間を抜けることもある。ピッチャーにとってやられた!と思った打球を守備がファインプレーしてくれることもあれば、完璧に打ち取ったあたりをエラーすることもある。栗山監督は高校野球のキャスター時代、1回負けたら終わりのトーナメントを徹底的に取材してきた。たった1つのプレーが天国と地獄を左右する。だからこそ、どんな結果になろうと後悔することなく準備を徹底する。その時間が大ききな意味を持つことを甲子園から学んだ。

「来てくれた方への思いを考えるようにしています」とダルビッシュはファンにも快くサイン対応。栗山監督は「僕以上に野球の今、将来、子どもたちのことを考えてやってくれている」と感謝。宮崎合宿に訪れた多くの野球少年たちは、かつて村上宗隆がそうであったように、小学校の卒業文集に「WBCに出たい」と書くだろう。

2月20日(宇田川会)

休養日はダルビッシュと宮城大弥が、ひなたサンマリンスタジアム宮崎で休日返上の自主練習。沖縄の興南高校時代、Twitterで「興南の宮城投手、俺あんなピッチャーになりたかった。投げ方、球筋、総合的に好きすぎる」と絶賛された縁を持つ。そしてついに、侍ジャパンのトップチームでチームメイトとなった。

ダルビッシュは左投げでもキャッチボールを行い、大谷顔負けの二刀流を披露。宮城はダルビッシュからフォークを教わる。ダルビッシュが投げるスライダーやスラーブは想像以上だった。最後の最後で手元で曲がる。グローブ1個分、先に構えなければ捕れない。

夜には宮崎市の橘通の東に佇む焼肉店「犇(ひしめき)」で投手会を実施。手配をしたのは都城市出身の戸郷。投手14人で宮崎牛を堪能、約50人前を平らげた。チョレギサラダ、炙り牛トロ握り、馬刺し、ユッケ、タン元、厚切りタン、上ハラミ、サガリ。牛一頭分の内臓を食べた。若い投手は追加で石焼ビビンパも注文。

まるで野球部の球児たちがワイワイガヤガヤする雰囲気で行われた食事会は気疲れをしていた宇田川優希を囲む「宇田川会」と命名。この気遣いが宇田川本人はもちろん、侍ジャパン全体の士気上げにつながった。厚澤ブルペンコーチから「人見知りの宇田川を頼むね」とお願いされ急遽、機転を効かせたダルビッシュ。さらには栗山監督の部屋を訪ね「宇田川を褒めてやってください。前に進みますから」と指揮官にお願いした。

「犇(ひしめき)」の入り口には14人の投手陣の写真とサインが飾られている。偶然かもしれないが、この店を予約した戸郷翔征と宇田川優希のサインが真ん中にあるところに、メンバーの関係性を感じる。

第2回WBCで投手陣のリーダーを担った松坂大輔が取り組んだことがチーム内の壁を取り除くことだった。前年にレッドソックスで18勝を挙げ、ワールドシリーズを制覇した偉人に対して若手の投手陣は萎縮し、特別視した。投手力は世界一なのにオリンピックなどの国際大会になると、その力を出せないのが日本代表。従来のパフォーマンスを発揮するには、もっと伸び伸びとプレーし、互いをフォローし合う。そのために松坂は時間を見つけて投手陣を食事に連れ出し、若手から遠慮を取り除き、壁を壊していった。その姿に誰よりも感銘を受けたのがダルビッシュであり「僕らと同じ目線で語ってくれる。壁を作らない態度が人間的に素晴らしい」と感謝した。結果、第2回大会で侍ジャパンの投手陣は9試合で防御率1・71と、準優勝の韓国の3・00を遥かに下回る防御率で大会連覇を果たした。

ダルビッシュは当日の夜にTwitterで「宇田川さんを囲む会に参加させていただきました!宇田川さん、ご馳走様でした!」と投稿。自己PRのためではなく、宇田川を励ますために日本中から元気玉を集めた。栗山監督が「ダルビッシュ・ジャパン」と形容したように、リーダーを置かない今大会でも、ダルビッシュには大きなリーダーシップがあった。

今大会のWBCでは選手たちがSNSで自主的に情報を発信していく。特にダルビッシュは野球選手の中でも積極的。Instagram、Twitter、Facebookだけでなく、YouTube、TikTok、noteでブログも書く。目的は収益の寄付であったり、世界の文化や価値観を把握したりと様々だが、日本に合流できないヌートバーがInstagramに反応するなど、チームの輪を作った。

メディアに頼るのではなく、広報活動も選手が率先してやる。SNSという拡声器を活用し、日本中に「侍ジャパン」のシュプレヒコールを起こした。東京五輪ではソーシャル・ディスタンスが色濃くあったが、WBCではソーシャル・ネットワークによって野球熱が全国に聖火リレーしていく。

2月21日(村上宗隆vs.ダルビッシュ有)

キャンプ5日目。第2クール初日。火曜でも18,356人の観客。球場外に設置された「SAMURAI PARK」の飲食ブースには地元宮崎の名産・チキン南蛮や宮崎牛丼、肉巻きおにぎりなどの屋台が並ぶ。

野手陣は実戦形式の打撃練習「ライブBP」を行い、村上宗隆がダルビッシュからバックスクリーンへのホームラン。

絶好調の村上に対し、岡本は空振りの三振。他にも牧秀悟や大城も対戦するが、ヒット性の当たりは近藤健介のみ。

ダルビッシュは4人の打者陣と対戦を終えると公開処刑を受けた村上との再戦を要求。一ゴロのあと「外からのスライダーが来るかと思った」と左安打で村上の勝利。ダルビッシュも三冠王の野球脳に舌を巻いた。ただし、打席に立ったとき、最も威圧感を感じたのは岡本和真だったという。

14時からは子どもサイン会。貴重な機会だからこそファンを育てる。ダルビッシュが14年ぶりにWBC出場を決めたのも、子どもの野球離れを憂い、少しでも野球をはじめるトリガーになればという想いから。それはイチローがこのWBCという大会を少しでも日本で育てたいという想いで参加した第1回大会に似ている。世界一を目指す過程において、ダルビッシュは体育会系の殺伐した雰囲気ではなく野球を楽しむエンジョイ・ベースボールをファンに見せようとした。

2月22日(岡本和真の献身)

第2クール2日目。高橋奎二はダルビッシュとキャッチボール。ダルビッシュは一流のピッチャーをキャッチボールだけで感動させた。ダルビッシュからはスライダーを教わり、逆に高橋からはチェンジアップを教える。

岡本和真がレフトの守備を行う。清水守備コーチは「普通に試合に出して大丈夫」と太鼓判。2023年、侍ジャパンへの想いが特に強いのは岡本和真。「なんでもするからWBCだけは選んでくれ」と願っていたように、本職サードで使う内野手グラブの他に、ファーストミット、外野手グラブと3種類を持参。誰もが認めるサードの守備日本一にも関わらず、令和の三冠王にポジションを譲り、ファーストにはパリーグの本塁打王・山川穂高がいる。スタート地点では控え選手。それでも侍ジャパンの一員であることに誇りを抱き、どのポジション、どの場面でも日本の勝利に貢献できるよう、プライドをかなぐり捨てて献身的な姿勢で望んだ。

特に甲子園のスターからプロ野球選手になると、スポットライトを浴びることが当たり前になり、チームプレーに徹することが難しい。侍ジャパンの中で甲子園のスーパースターだったのは大谷翔平、ダルビッシュ有、松井裕樹くらいで、甲子園に出ても脚光を浴びていない選手も多い。侍ジャパンでは誰もプライドなど持ち合わせない。そこがWBCの凄さでもある。

大勢の球を受けた甲斐拓也は「この真っ直ぐ何?直球を受けるのが怖いかもって思ったのは初めて」と興奮気味に語った。

2月23日(ダルビッシュのサイン会)

キャンプ7日目。25日に行われるソフトバンクとの練習試合に向け、多くの投手陣がブルペン入り。MLBの規定で投げられないダルビッシュを除く全投手が登板。山本由伸の球を中村が、佐々木朗希の球を大城が受ける。

ここでもダルビッシュの男気が一層光る。アメリカでの調整もなく来日し、宮崎合宿でも自身の調整より若手とのコミュニケーションに時間を割く。MLBの調整方法も多く伝授した。これまで日本のプロ野球ではブルペン入り前のマッサージが当たり前だったが、MLBでは試合前のマッサージはしない。また、日本では投球後は肩や肘をアイシングするのが日常で、戦前の日本代表の沢村栄治などは肩の炎症に馬肉を当てて熱をとったが、MLBではアイシングに疲労回復の効果はないと言われる。ダルビッシュの影響で今大会、侍ジャパンのアイシングの消費量がこれまでより極端に少なかった。

TBSの取材で「世界一になるために必要なこと」を訊かれ「世界一を考えないこと」と答えたダルビッシュ。09年に優勝した大会の直前にメジャーリーガーだった岩村明憲も同様の回答をした。世界一を目指さないこと。かつて第1回大会の福岡キャンプでイチローは松坂大輔に「お前、深いところで舐めてるだろう」と声をかけた。WBCという大会を舐めてるという意味ではなく、メジャー志向の松坂が日本の打者を少し甘く見ているという意味だ。目標を高く掲げることは大事だが、頂上ばかり見上げたまま進むと山登りでは大怪我につながる。しっかり自分の足元を見て歩むことが結果的に登頂につながる。ダルビッシュが言いたかったことは、イチローと同じ意味ではないか。25日と26日の練習試合はチケットが既に完売の大盛況。侍ジャパンにとって輝かしい船出を迎える。

2月24日(雨天の自主練習)

休養日の2月24日、ちょうど宮崎は雨。ダルビッシュ、今永、髙橋宏斗などの投手が室内練習場でキャッチボール等の自主練習を行い、野手では山川が、ひなた木の花ドームで打撃練習と吉村禎章コーチのノックで汗を流した。前夜には野手陣とダルビッシュで5時間の寿司会を開催。「ダルビッシュが全員に話を振って、しゃべってなかった人はいない」と先輩のコミュ力と鮨に舌鼓を打った。村上いわくバッティング練習で一番の怪物はアグー。仕上げは順調で山川はスタメン当確に思われた。前夜は近藤健介が選んだ鮨屋でダルビッシュと野手陣で5時間の決起集会。ダルビッシュが全員均等に話せるようパスを回しアグーも感動。後半はメジャーで進化するデータ野球について徹底的に話し合った。

2/25(練習試合)

2月25日(土)。昨日と打って変わって宮崎の天気は晴れ。最低気温4度、最高気温16度の予報。09年以来の世界一奪還を目指す侍ジャパンにとって不死鳥の国・宮崎は縁起のいい場所。まずはソフトバンクとの練習試合から実戦が始まる。ひなたサンマリンスタジアム宮崎は天然芝。決勝ラウンドのマイアミの球場は人工芝だが、日本よりは天然芝に近い質なので予備練習になる。3月に入ると侍ジャパンは練習試合を含めて、すべてドーム球場での戦い。その前に太陽の祝福をたっぷりと浴びておく。河津桜が白のホームユニホームを照らしていた。

チケットは完売で26,212人。JR日南線の2両編成のディーゼルカーに乗り、希望という名の電車に乗った観客が木花駅(きばなえき)に詰めかけた。歩いて15分ほどでスタジアムに着く。

今回はメジャー組が試合に出られないため、サポートメンバーとして巨人の松原聖弥と重信慎之介 、西武の西川愛也の外野手3人が参加。日本が一丸となって世界一を目指す姿はうれしい。

試合前の円陣の掛け声はアグー山川。「全員安打めざして頑張りましょう。初球からガンガン行きましょうね」と鼓舞。この掛け声は「ペップトーク」と呼ばれ、スポーツにおいて試合前の短い激励のスピーチを指す。今大会の侍ジャパンにおいて、ペップトークは大きな言魂となる。

打線のオーダーは吉村禎章バッティングコーチに一任。試合前にダルビッシュ有がコールされたときは悲鳴に近い歓声に包まれた。

バックスクリーンの頭上に太陽、広大なファウルゾーン、海から吹く風がグラウンドの芝の匂いを連れてきてくれる。13時30分、先陣を切ったのは令和のミスター・パーフェクト佐々木朗希。先頭打者は牧原大成。初球161キロのストレート。初回から162キロを叩き出したときは、サンマリンスタジアムにどよめきが起きる。順調な調整とWBCにかける意気込みを数字で示した。

牧原は二塁内野安打。3回には源田壮亮のフライをダイビングキャッチするファインプレー。このあと侍ジャパンの一員になると誰が予想しただろうか。牧原は盗塁を仕掛けるが、同期でチームメイトの甲斐キャノンが炸裂。阿部慎之助の10番を受け継ぐ侍が球場を大いに沸かせる。

調整試合とはいえ、春うららの雰囲気はなくレギュラー争いが熾烈。2月の寒空に白球が高々と舞い上がる。そこには選手だけでなく多くの日本の熱が乗っている。ノーヒットに終わった山川と違い、7番・一塁で先発フル出場した岡本和真は先制点を含む2安打3打点と爆発。

バッティングはもちろん、4回に前進守備を敷いていたにも関わらず、周東のショートゴロの間にホームを陥れた走塁もアピール。「今日はあれが一番。打者にも打点がつくので走塁もしっかりやりたい」と話した。

5回には伊藤大海が3番手で登板。背番号は17。13年の第3回大会では田中将大が着用した。今大会で代表に選出されなかった分、伊藤の活躍が期待される。「状態が良かったので、そんなに遊び球いらない」と全8球ストライクで気合の投球。1イニングを2三振で三者凡退。本戦でのパーフェクト伝説はここから始まった。

誤算は4番手の宮城大弥。WBC球への適応が間に合わなかったのかコントロールが定まらず、まさかの4失点。牧原大成にもタイムリーを浴びる。三塁の守備についた周東やショートの中野にも連続エラー。投手も守備もWBC球の感触を確かめながら修正していく。あとから調子を落とすより、本番に向けて調子を上げていくほうがいい。

宮城のあとを受けてマウンドに上がった宇田川は2アウト一、三塁の場面で4球すべて直球を叩きみ零封。物おじしない評価のとおり、見事にピンチを救った。ダルビッシュが見守る前で下手なピッチングはできない。

エラーをした周東、中野が安打を放ち得点に繋げる。試合中に挽回する強さ。最後は地元・宮崎出身の戸郷翔征が締めて8-4の勝利。

試合後にはノーアウト二塁からはじまるタイブレークでの試合。髙橋宏斗が1点を失うも、裏の攻撃で中野拓夢がタイムリーを放ち、1-1の引き分け。ひなたサンマリンスタジアム宮崎には美しい西陽が差し込んでいた。

2/26(練習試合2日目)

2月26日の日曜日。2日連続の晴れ、最低気温2度、最高気温12度と昨日より少し寒くなる予報。試合前にはダルビッシュが2度目のライブBPに登板。打者10人を相手に32球を投じた。

MLB所属の選手が3月6日より早めに試合に出るには、日割りに基づいた保険料を支払わなければいけない。今回、参加する日本人メジャーリーガーの年俸は全員20億円を超える。仮に1日前倒したところで莫大な保険料が発生する。そのため、ダルビッシュは試合に出られず、試合前の実戦登板のみの調整となった。

チケットは2日連続の完売で26,382人。3万人を収容できるサンマリンスタジアムはファウルゾーンがとてつもなく広い。それでも両翼100m、センター122mある。普段は地元住民の人たちが朝の散歩やジョギングに使うのどかな球場だが、WBCでは聖地巡礼と化した。スタジアム近くのハンバーガーチェーンも大盛況。それでも当初は大谷翔平が来ると噂されていたので観客は減った。もし大谷が宮崎合宿から参加していれば、もっと大変な人になった。

満員御礼の吉報と逆にバッドニュースも飛び込んでくる。鈴木誠也が左脇腹を負傷。欠場はほぼ確実。鈴木はイチローの背番号51を背負う侍。17年WBC、19年プレミア12、東京五輪に出場。18試合で打率・305、4本塁打、プレミア12は大会MVPと国際大会の申し子。打撃、守備ともに替えがきかない鈴木の離脱は大打撃。彗星が墜ちたあとのような空洞を誰が埋めるのか?

ビジターユニホームの侍ジャパンは山本由伸が先発。ソフトバンクに先制点を許すと、村上の送球エラーもあり2点を失う。

しかし、周東佑京が夕焼けを浴びながら2盗塁。土煙を巻き上げて爆走する。父親も俊足、親戚は陸上の110メートルハードルの元日本記録保持者。周東も幼少期から神速で、鬼ごっこは捕まったことがないと言う。ベースランニングの速度は陸上400メートル世界王者の平均速度と遜色ない。育成ドラフト2位でソフトバンクに入団した若鷹は、19年のプレミア12では7試合に出場し4盗塁。06年決勝「神の右手」川﨑宗則の走塁、13年大会の鳥谷敬「伝説の盗塁」、WBCに刻まれた足攻の伝説を受け継ぐ。

外野の守備が良い周東は鈴木誠也の代わりもあり得たが、凄いのは近藤健介。この日も安打を放ち2日間で4打数4安打2四球、驚異の出塁率10割。日本の右翼を守るのは近藤健介。

1993年8月9日生まれの29歳。千葉県千葉市出身。人呼んで「出塁の鬼」。プロ入り後11年で通算打率は.307、出塁率.413の怪物スタッツ。本人曰く、ストライクとボールを見極め流のではなく、自分が打てる球だけを打つ。「打てない球は捨てる」というシンプルな野球脳。栗山監督が絶大な信頼を寄せる。名門・横浜高校で4番キャッチャーを務めたが軟式野球出身の近藤はスポーツ推薦ではなく一般入試組のひとり。寮の合宿所でチャーハンやスパゲティを作るほど料理上手で、将来は料理人を目指していたという。高校時代は練習がオフの日もグラウンドで練習してから仲間と遊びに行く。

今年の侍ジャパンは沈まぬ太陽。ホームランは2日間とも出なかったが、試合は4-2で勝利。一方で村上宗隆、山川穂高、山田哲人の主力が沈黙。もしWBCがシーズン終了後に行われるなら活躍は計算できる。現に昨年の11月に行われた強化試合では村上も山田も活躍。ペナントレースのパワーをそのまま出力した。しかし、年を越し春を迎えると去年の調子はリセットされる。ここにもWBCの面白さがある。一方、投手では佐々木、今永、宇多川、伊藤、大勢が無双。投手力の侍ジャパンを見せつける強化合宿となった。

2月27日(キャンプ最終日)

キャンプ最終日。快晴。ダルビッシュ劇場だった宮崎のラストを月曜ながら16,865人の観衆が見守る。侍戦士たちは大きな怪我なく乗り切った。11日間、最高の盛り上がりを見せたキャンプ。世界一奪還への準備は万端。締めの挨拶は昨日の試合中に指名された野手最年長の中村悠平。

昨季は12球団でトップの盗塁阻止率.364。甲斐キャノンの.343を大きく上回る。

多くの選手がダルビッシュの存在の大きさを挙げた。ダルビッシュは「同じに目線に立つというより、もともと同じ立場。友達と思って接していた」と語る。今回のWBCで世界中の選手の共通点となる「エンジョイ・ベースボール」を強調。「楽しい」はWBCを因数分解する重要な要素となった。

11日間、練習日は大半が快晴。栗山監督は進化する侍ジャパンを示唆。「いろんな化学反応があった。今後もどんな化学反応が起こるか楽しみ」

2年前の2021年12月2日。侍ジャパンの監督就任会見で、大谷翔平は招集するのかを訊かれ、「必要ですか?翔平」と逆に問い返した。大谷翔平の到着を誰よりも心待ちにしているの指揮官に他ならない。だが、その大谷なしでも侍ジャパンは強いことを宮崎合宿で披露してみせた。日本を背負うの渡り鳥たちは、明日から春風に乗って東へサーキットしていく。いよいよ空前絶後の3月が幕を開けようとしていた。

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