2度目のリタイア後のライフ (original) (raw)

4月28日

今週は比較的暖かい。夫がバルコニーへのドアを開けた。

気持ちの良い春の新鮮な空気がキッチンへ流れ込む。冬の間、隙間風が入らない様にしっかりとシールしていたのだった。

かっての私の同僚と結婚して日本から渡加して来たN子ちゃん、

彼女のサバサバした性格が好きで、時折一緒の時間を持ったりしていた。

カナダへ来ると決めたときは、きっとここに骨を埋めるつもりだったはず。

"人生色々〜"と、あの島倉千代子の歌の文句がふっと頭に浮かんで来た。

娘は日本〜カナダ〜バハマ〜そしてカナダへ戻って来たし、

亡き母だって、70歳を過ぎてから言葉も通じないカナダへ移住して来たんですものね。

昭和2年生まれ、この世代の人間にしては、勇気ある決断だっただろう。

きっと我が家族はこの母のたくましい気質を受け継いだのかも知れない。

> fsnoteakさん
fさん、今晩は🎵

仰るとおりですねっ。
fさんの人生模様はどんな織り模様なんでしょうね。(^^)

お母様 気持ちのしっかりなさった方だったのですね
そのお歳で 海外へ とは
でも 娘のそばに居たかったのかもしれません
私に置き換えたら 行くかも…と思います

ほんとに人生いろいろですね
自分の人生だから
楽しく悔いなくと思います
そうも行かない事もありますが
前を向いて暮らしていたいです(^^)v

私もね、色々考えました。
離婚したほうがいいのか、留まった方がいいのか?
でも、やっぱりそれぞれの決断で、次の人生を選ぶ。現在も、お嬢さんが高校卒業したら離婚を考えているという友人がいます。
人生は決断した後の責任が伴いますから、
友人と言えども迂闊には立ち入ることが出来ません。

私の母も昭和2年生まれ。
最近になってようやくショートステイに慣れました。ここまで来るのに大騒ぎ。母に振り回され、共に暮らす義妹の辛い思いになやまされ。
長寿がもたらす色々な不都合を、娘としては
どう受け止めればいいのか?
既に高齢になった自分の人生のこれからを
考えると、時々頭の中が混乱するのです。

> blue721bさん
おはよう御座います。
戦争をくぐり抜け、空襲で母(祖母)を亡くし、戦後、兄や姉を次々に亡くし、それでも逞しく生きた母でした。夫(父)には苦労させられ、何度も乳飲み子だった私を抱えて家出をしたそうです。
ドサグレの父でした。(笑)
苦労苦労の人生だった母の一生。それでも子供達を愛して止まない、茶目っ気一杯の強い女性でしたねぇ。今、我々姉妹があるのも母のお陰です。

blueさんもやはり娘さんの側で暮らしたい、と思われるのですね。
人生様々、どんな模様を織りだすかは本当に自分次第、悔いなく生きたいですね。

> unjakuさん
hibariさん、おはよう御座います。
N子ちゃんの15年間のカナダでの経験が、日本へ帰国してからの生活に役立っていくことを願うのみです。彼女の愚痴を聞いてあげることは出来るけど、下手なアドバイスはもってのほか、夫婦の事は当人にしか分かりませんからねぇ。

hibariさんのお母様もそうでした。昭和2年生まれでしたね。
私の母は娘達ばかりだったせいか、子供達が結婚したら自分は一人で暮らす、世話にはならない、と早くから覚悟を決めていたようです。
カナダでは、年金だけでも充分に生活できると知って移住を決意、資格が出来るまでは同居しましたが、その後はシニアホームへサッサと入居しました。(笑)

我々も自分の身の振り方を考える時期に来ましたね。
コンドミニアムでの生活が出来なくなったら、私達はシニアホームへ入る事にしています。
今は夫婦で助け合って出来ていますが、あと10年くらいかなぁ〜。

リタイアしてからの日々の暮らしを綴っています

by 黄葉(もみじ)

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