愛知県一宮市真清田1丁目 真清田神社 再訪 (original) (raw)

過去に「神社めぐり」に掲載するため作成した文章です。現在ではリンク切れとなっている箇所や、すでに情報が古い部分もありますが、再取材はせず当時のまま掲載します(注記:2024.08.25)

大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )

真清田神社

一宮市真清田 真清田神社 - 美風庵だより

4年ぶりの再訪でした。

現在、真清田神社の祭神は上記の通り天火明命とされるが、かつては国常立尊祭神説や大己貴命祭神説など複数説が存在した。これらのうち国常立尊祭神説は、『真清田神社縁起(古縁起)』(室町時代末期頃成立)に記される説で、最も古い時代に遡る。国常立尊は神話では天地開闢の時に最初に現れた神とされ、『古縁起』では崇神天皇の時に国常立尊を勧請して祀ったとする。しかし近年では、同書が続けて真清田神社を日本中の一宮と主張していることから、伊勢神宮と比肩するために天照大神より古い国常立尊が持ちだされたものと考えられている。一方、大己貴命祭神説は『大日本国一宮記』に見える説で、出現は室町時代末期から江戸時代初期頃に遡り、諸文献に散見される。
これらに対して天火明命祭神説は、江戸時代に吉見幸和や栗田寛により唱えられたものである。天火明命は、『日本書紀』『古事記』の神話では天照大神の孫神(天忍穂耳命の子神)とされ、『先代旧事本紀』では饒速日命と同一視される神である。

(略)

なお、『真清田神社史』では国常立尊祭神説を荒唐無稽としながらも、天火明命と大己貴命については、それぞれ尾張氏の祖先神と奉斎神(土地神)であった可能性を指摘する。

真清田神社 - Wikipedia

九枚笹紋にかぎらず、笹紋(竹紋)は、大幡主(国常立命、神皇産霊神、速玉男)や大国主(大己貴)を祀る神社でよくみかけます。

現在は天火明命を祭神としていますが、そこに至るまでの経緯は複雑です。生き残りをかけて記紀神話との整合性のために苦労した形跡がみてとれます。

神社としては荒唐無稽と排除していますが、祭神が大幡主(国常立命)や大国主(大己貴)の可能性はあるでしょう。4年前にも神明社でサンドイッチされ、封じ込められている可能性について書きましたが、感想はかわりません。

前回訪問したときにも気になっていた、立派なさざれ石と再会です。

立派な楼門です。

本殿の背後には森がひろがり、裏手は大宮公園となっています。

真清田神社正面向かって右手に、服織神社があります。

服織神社(はとりじんじゃ)

祭神:萬幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)
例祭:11月2日、月次祭:毎月15日
本殿東方に鎮座。
祭神は別名を「栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)」ともいい、天火明命(本宮主祭神)の母神にあたる。一宮市が織物産業で栄えたことから、昭和40年(1965年)に織物の神社として創建された。7月第4日曜前後の5日間の織物感謝祭は、昭和31年(1956年)に始まるもので、現在は「一宮七夕まつり」として知られる。

真清田神社 - Wikipedia

九州王朝説を採ると、高木大神(高皇産霊神)と天照大神の娘として萬幡豊秋津姫と栲幡千千姫はそれぞれ別に存在し、古代史のスターである天之忍穂耳と豊玉彦をそれぞれ婿として迎え、現皇室につながる最大勢力にのし上がる役目を果たします。

織物の神様というより、商売柄どうしても政略結婚のキーマンとしてみてしまいます。

むしろ中国伝来の織姫彦星神話にかさねて語られたのは、天之忍穂耳と市杵嶋姫命の関係でした。

小郡市大崎 媛社神社(七夕神社) 再訪 - 美風庵だより

佐賀県鳥栖市姫方町 姫古曽神社 - 美風庵だより

小郡市大崎 媛社神社(七夕神社) - 美風庵だより

どこか不思議な印象を受けますが、戦後に町のシンボルとして創建されたのであればこの取り扱いにもなっとくがいきます。

正面向かって左側に、三八稲荷神社があります。

この「三八(さんぱち)」の社号は、むかし真清田神社のまえで行われていた織物市「三八市」を由来とします。九州北部では蕃塀をみることはありませんし、しかもそれがお稲荷さんというのがめずらしく、つい撮影してしいます。

過去の訪問記録

一宮市真清田 真清田神社 - 美風庵だより

(2023.07.15訪問)

訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

2023年7月15日の日録 - 美風庵だより