ウソでも恥じることなく堂々と。どのようにして安倍晋三という人間はつくられたのか? - 思索の日記 (クリックで全体が表示されます) (original) (raw)
安倍少年と祖父の岸信介
東条英機と共に国家神道(天皇教)に基づく政治家の代表者であった岸信介の孫が安倍晋三ですが、彼は、幼いころから両親の愛情に飢え、お爺さんの岸信介を敬愛して育ち、小学校からエスカレーターで成蹊大学へ進みましたが、小学生のころから勉強嫌いで宿題はお手伝いさんに任せていたとのこと。
宿題はお手伝いさんがやってくれる、という幼いころの経験は、ズルしても平気、黙っていれば分からないという心をつくります。進学もエスカレーターですから気楽です。大学に赤いアルファ・ロメオで乗りつける、とは学友たちの話ですが、複数の成蹊大学教授は、彼の勉強嫌いを困ったものと話しています。ただし、鼻っ柱だけは強く、お爺さんの岸の話を信じて(母が岸の崇拝者)他者をやり込める攻撃性は幼いころから。
加藤節成蹊大学名誉教授が公言しているように、ほとんど授業に出ず「不可」となりましたが、それでも留年することなく裏口卒業で、大学を出ました。家系に権力があれば、なんでもOKという体験を繰り返せば、ウソもウソとは思わず、堂々としていられる人間が誕生するのは当然です。
周りの人が自分に気をつかって、なんでもやってくれる、そういうものだ、という心。忖度されるのは慣れっこですから、何か不都合なことが起きれば、それは忖度した人間が悪いのであり、自分は関係ない、となるのです。非を認めず【情】がないと、お父さんの晋太郎さんはいつも嘆いていたとのこと。
彼は、多くの人は、中身・内容を検討するのではなく、顔つきや態度で物事を判断すること(内容ではなく形式が大事)を育ちの中で学びましたので、しゃべり方で乗り切る、相手を恫喝しつつも好感の得られる態度はどういうものかを学び、論敵には形式上の言い方や態度を問題にすることで優位に立とうとします。悪しき日本人文化の見本です。日本人は精神的自立のない人が多数ですから、エリート家系の人間や上位者に恫喝されると手もなく従うのです。哀しき性。
民主政とは本質的に相いれない「戦前思想」(=国家神道)への傾倒から、戦前思想を流布するお友達、八木秀次麗澤大学教授を各種諮問委員に任命して活躍させているのは安倍首相の本質をよくあらわしています。八木は「日本国憲法」を否定し、「明治憲法」を称揚します(『明治憲法の思想』PHP新書)。また、戦後日本をダメにしたのは、欧米がつくった人権思想であり、われわれ日本人は「人権」という言葉に怯えず「国民の伝統と常識」に戻るべきとして『反人権宣言』(ちくま新書)を書いています。
また、今年1月に自殺したウヨクの論客・西部邁に傾倒し、大きな影響を受けましたが、当の西部は遺言で対米追随主義の安倍首相を痛烈に批判しています(余談ですが、29年前=1989年に彼が我孫子に来たとき、200人の聴衆の前でわたしが西部さんを論難し立往生させたのは、よい思い出ですーこの直後に日本オラクル初代社長となった友人の佐野力さんは一部始終を見ていた証人)。
中曽根康弘首相時代に官房長官を務め、カミソリとあだ名された後藤田は、「安倍君だけは総理にしてはいけない」と周囲に明言していたと言われていますが、それが至言であったことは、いま、誰の目にも明らかになっています。民主政治にとって最悪の首相がいまもなおその座にいます。彼がウヨク思想に学び身に付けた「日本の伝統」というアナクロニズムの思想を自分の宗教として政治を行うのは、個々人の対等性と自由の相互承認に基づく「近代民主政社会の原理」に反する悪行であり、これを許すなら、日本は民主国家をやめて神道国家へ逆戻りするほかありません。文科省がその意向を受けて進めている愛国思想に基づく道徳教育により、幼いころからの馴致(洗脳)教育が進んでしまいます。日本人の個人としての精神の自立はますます得られなくなります。
武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員)