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ーーーー講義録始めーーーー

自己決定学習は、自分で学習を計画し、実施し、評価するプロセスや、その学習成果を指します。では、自己決定学習で目指されるものは、具体的にどのようなことなのでしょうか。ここでは、自己決定学習の目標として挙げられる3つの点についてお話ししたいと思います。

自己決定学習の目標の第一は、自己決定能力の向上といった個人の成長です。私たちは根源的に「より良い自分になりたい」という自己実現欲求を持つとされています。これは、自己実現に向かって人間は常に成長すると唱えたマズローなどの人間性心理学の考え方に基づいています。自己決定学習の1つの目標は、この自己実現のための個人の成長にあると言えます。ちなみに、成人学習の研究者が自己決定学習について研究する際、多くの場合はこの個人の成長に関するものです。

目標の第二は、学習を通じてものの見方が変容する変容的学習を促すことです。変容的学習については第9回で改めて取り上げますが、代表的な研究者であるジャック・メジローによれば、変容的学習とは、過去に無批判に受け入れていた前提や信念、価値観、ものの見方を問い直し、より解放的で深く内面化された認識へと変わるプロセスを指します。このプロセスにおいて、学習と内省が同時に行われるとき、自己決定学習の最も望ましい形態が生じるとも言われています。つまり、学習を通して個人の自己認識やものの見方が変わることが、自己決定学習の重要な目標の1つなのです。

そして、目標の第三は、自分が属する社会の前提を問い直し、意識化させる解放的学習を行い、社会変革に向けて行動を起こすことです。解放的学習とは、貧困や非識字といった状況、さらには社会の不平等や社会変化に対する生活状況の認識を高め、それに対して行動し、内省を繰り返すことで自己を解放するという考え方に基づく学習です。

成人の発達と学習 (放送大学大学院教材)

ーーーー講義録始めーーーー

それでは、自己決定学習とはどのようなものなのでしょうか。

ノールズは、自己決定学習を、支援の有無にかかわらず、自ら主体的に学習ニーズを診断し、学習目標に基づいて計画を立て、人的・物的資源を特定し、適切な学習方法を選び実行し、学習成果を評価するプロセスであると定義しています。

ところで、自己決定学習という言葉は、英語の"Self-Directed Learning"の日本語訳ですが、その訳語や考え方についても様々な議論があります。先生、この議論についてどのようにお考えですか?

まず第1に、"Self-Directed Learning"の訳語に関する議論です。この訳語については、「自己主導型学習」という言葉を使う研究者もいます。第2に、自分で自律的に学習するという考え方についても、「自律的学習」「独立学習」「独学」「自己教授法」「自己学習」「自己計画学習」「自己調整学習」「学習プロジェクト」といった類似の概念があり、これらの用語が曖昧で混乱を招くこともあります。

なるほど、それは興味深いですね。

第3に、自己決定学習では、自分で学習を計画し、実行し、評価するという点についても議論があります。独学や自己学習と自己決定学習の違いは、独学や自己学習が他者と関わりなく独力で学ぶという意味合いが強いのに対し、自己決定学習は他者からの教育や支援を拒まない点が挙げられます。つまり、自己決定学習は、他者からの教育にも開かれていると言えるのです。

なるほど、自己決定学習は、独学とは異なり、他者からの支援を受け入れつつ自分で学ぶという、より広い概念なのですね。

はい、その通りです。

さて、この講義では「自己決定学習」という言葉を使い、翻訳書で一般的に用いられている用語としてお話を進めていきたいと思います。

成人の発達と学習 (放送大学大学院教材)

ーーーー講義録始めーーーー

自己決定学習とは、自発的に自分の学習を計画・実施・管理・評価を行うという、成人学習の到達目標とされる学習プロセスを指します。今回は、自己決定学習における学習とは何か、そしてその学習支援とはどのようなものかを考えていきたいと思います。
ゲストをお迎えしております。関西大学教授の赤尾勝己先生です。赤尾先生、どうぞよろしくお願いいたします。

「皆さん、こんにちは。赤尾です。どうぞよろしくお願いします。」

赤尾先生は、成人学習の実践を分析する研究をされる一方で、国内外の成人学習理論に関する解説書を多く執筆され、生涯学習に関する理論を日本で広めてこられました。本日は、成人の学習に関する理論の基本である自己決定学習について、赤尾先生とご一緒に考えていきたいと思います。

よろしくお願いいたします。


さて、本日取り上げる自己決定学習とは、成人が自発的に自分の学習を計画・実施・管理・評価する学習を指します。成人になってからの学習の多くは、自発的な行動に基づいて行われます。

皆さんも、放送大学に入学して勉強しようと思ったのは、ご自身で学習しようと判断し、決定された結果ではないでしょうか。このように、自分で自己決定的に学習を行えるようになることは、成人学習における1つの到達点とされています。自己決定学習という言葉は、第7回のアンドラゴジーでも紹介しました、アメリカの成人教育学者のノールズによって広まったものです。
ノールズによる代表的仮説の1つは、成人学習者の自己概念は、成熟に伴い、依存的なものから自己決定的なものになるというものでした。

成人の発達と学習 (放送大学大学院教材)

ーーーー講義録始めーーーー

さて、アンドラゴジーの前提には、「人は皆成長欲求があり、自発的に学習活動を志向する」という考え方があると思われます。リンデマンやノールズの成人学習論は、基本的に学習による人間の成長可能性に着目しています。

アンドラゴジーをめぐる諸説は、人それぞれが成長と発達の無限の可能性を持つとする、人間中心主義的な心理学者の理論的前提に立っているように思えますが、いかがでしょうか。

そうですね。確かに、自己実現の欲求に伴う自発的学習志向を持つ人々こそが、アンドラゴジーの想定する成人学習者であると言えます。また、このような考えには、自己実現のニーズを目標とするマズローや、カウンセリング理論において自己の可能性を最大限に開花させようとする成長意欲や自己実現欲求を提唱したロジャーズなどの、人間性心理学の研究者の考えが反映されています。

ノールズの進展は、彼の実務的なセンスからも見て取れます。彼の考え方は、マズローの理論とロジャーズの学習者中心主義が基盤となっており、特に自己決定的な学習者を土台にしていると言えるでしょう。ただし、注意すべきは「自己実現」という言葉を最初に使ったのはマズローであり、ノールズもその考え方に従っています。

一方で、「自己実現」という概念はユングも語っています。ユングとマズローの自己実現の違いは、ユングが心の痛みや葛藤を自己実現のプロセスに含めている点です。これに対して、マズローは欲求階層説の中で、徐々に高次の欲求に向かい、自己実現に到達するという前向きな成長を強調しています。ノールズはユング的な心の全体性という観点も考えていたかもしれませんが、自己決定学習の土台としてはマズローの理論を採用し、学習者中心のロジャーズの考え方を重視していたと思われます。

そうですか。いずれにしても、アンドラゴジーの視点から考えると、すべての学習者が自己実現を求めるわけでもなく、全員が自発的に学習するわけではないことに気づかされます。例えば、アンドラゴジーに対する批判として、白人男性で学歴があり中流階級の人々を基準にしすぎているのではないか、という指摘がありますよね。

はい、その通りです。しかし、アンドラゴジーが登場したことで、大人の学習が子どもとは異なるものであることに光が当たったことも事実です。これにより、成人学習者として見過ごされていた持たざる人々に対して、個別のニーズに応じた学習支援や、経済的な面で参加を促す措置など、学習機会の格差を是正するための社会的介入にも関心が持たれるようになりました。

ノールズの著書『成人学習者』の副題には「見過ごされた人たち」と書かれています。つまり、大人はこれまで教育学の領域で十分に注目されてこなかった存在だということです。この点で、ノールズは新しい学習者像を開発し、成人教育学の前進に大きく貢献したと言えるでしょう。

そうですね。確かに、ノールズの成人教育学への貢献は非常に大きなものでした。さて、もっとお伺いしたいところですが、時間となりました。堀先生、今回は貴重なお話をありがとうございました。

成人の発達と学習 (放送大学大学院教材)

ーーーー講義録始めーーーー

さて、ノールズのアンドラゴジーに話を戻しますが、アンドラゴジーという考えをめぐっていくつか論点が提出されていますね。

そうですね。ノールズのアンドラゴジーは成人学習の一面を的確に捉えており、成人学習の原理として、成人学習の実践者や人材開発部門で働く人々が講座を実施する際に指針として広く用いられています。しかし、一方で様々な疑問点や批判もあります。例えば、アンドラゴジーは一体理論なのか、哲学なのか、教授技法なのか、あるいは学術的専門分野技法的ツールなのか、成人の学習を支援する方法や方略なのか、この点についてのコンセンサスはまだ取れていません。つまり、理論なのか方法なのかという問題です。

アンドラゴジーは、識字教室や余暇活動、専門教育、高等教育、経済産業界に至るまで、成人学習のあらゆる現場で活用され、実践者に大きな魅力を与える力がありますが、それぞれの立場からアンドラゴジーに対する批判もあります。

例えば、どのような批判が挙げられますか?

大きな論点として挙げられるのは、アンドラゴジーは実証的な理論ではないという批判です。アンドラゴジーは、場合によっては理論であったり、技法であったり、方法であったり、あるいは原理であったりと、様々な要素が含まれており、それぞれの立場に応じて異なる分類や表現がされています。特に、アンドラゴジーは実践上認められた「良い実践の原理」を記述しているに過ぎず、学習理論や教育理論としての系統化に問題があるという批判があります。

また、自己決定性に関する前提についても、大人がすべて自己決定的であるとは限らないことも事実です。大人は自己決定的であるべきなのか、それともそうでないのか、その点が曖昧だという批判もあります。成人学習においては、自己決定だけではなく、家族地域社会公民教育などの場での集団学習が重要だという指摘もあります。さらに、アンドラゴジーは学習理論なのか、教育理論なのかという点についても議論があります。

確かにそうですね。その他にも、アンドラゴジーを掲げることで、成人教育学の研究者が教育学の研究者と連携できず、教育研究の蓄積を活用できないという具体的な問題もあります。また、ノールズはペダゴジーとアンドラゴジーを対立的に論じていますが、実際には子供にも成人にも共通する要素があるという批判もあります。

例えば、子供であっても自己決定的に行動できる場合もありますし、大人であっても依存的な人もいます。また、子供であっても、大人以上に貴重な経験を持ち、それが学習資源となる場合もあります。このように、ペダゴジーとアンドラゴジーは必ずしも対立する概念ではないという指摘です。

そうですね。ノールズ自身も後に指摘しているように、小中学校や高校、大学においても、学習者が尊重され、信頼されている環境ではアンドラゴジーの要素を取り入れることが有効な場合があります。また、大人にとって完全に未知な内容を学ぶ場合には、ペダゴジーモデルが有効なこともあります。

つまり、子供にとってアンドラゴジーが有効な場合もあれば、大人にとってペダゴジーが有効な場合もある、ということですね。

ノールズが言うには、学校教育のカリキュラム改革においても、自己決定的な発見のプロセスに生徒を関わらせるアプローチが増えています。これにより、将来の大人たちは生涯にわたる自己開発のプロセスに関わることができるようになるとされています。

このように、子供と成人は連続しており、機械的に二分するものではないと、ノールズも後に気づいているようです。

しかし、やはり課題や批判があるとしても、ノールズが子供と大人の学習の違いを体系的に捉え、成人学習の一つのモデルを提示したということは間違いありません。

それは確かにそう言えるでしょう。

成人の発達と学習 (放送大学大学院教材)

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司会者:しかし、堀先生がノールズに質問されたように、その後「高齢者教育学」、いわゆる「ジェロゴジー」という考えが出てきました。

堀先生:ジェロゴジーという考え方は、アンドラゴジーに対する疑問から生まれたものです。その疑問とは、20代の青年と70代の高齢者を同じ教育原理で説明してよいのか、ということです。高齢者には高齢者独自の学習者特性があり、その特性は成人前期や中期のものとは異なるのではないか、という点が指摘されました。

確かに、アンドラゴジーは成人を一括りにして論じますが、働き盛りの勤労者と定年後の人では、学習に対する目的やニーズ、環境が大きく異なるでしょうし、ジェロゴジーでは加齢、つまりエイジングといった生物学的な変化を考慮する必要があるでしょう。

司会者:成人期の学習をアンドラゴジーとジェロゴジーに分けた場合、その違いはどのようなものになるのでしょうか?

堀先生:興味深いことに、ジェロゴジーの原理は、ノールズが提唱するアンドラゴジーの原理よりも、むしろペダゴジーの原理に近いところがあるように思われます。例えば、学習者の自己概念に関して、ノールズは「自発性」を強調していますが、高齢期になると「依存性」が再び強くなる場合があります。

また、学習者の経験についても、高齢者になれば確かに経験の量は増えますが、それを学習内容に反映させたり活用したりするのが難しくなることもあります。アンドラゴジーでは、学習成果の即時的な応用や課題中心のカリキュラムを強調しますが、高齢期には社会的役割が減少し、課題から離れた学習、例えば人生や死といった哲学的な問いや、古典、芸術などの学習を望む高齢者が増えてきます。これにより、学校教育や教科中心の学習に近いものになってくるのではないかという議論があります。

司会者:なるほど。確かに高齢期には、人生の統合という発達課題があり、死を含む哲学的な問いに関する学習が適しているかもしれませんね。

堀先生:そうですね。ただ、留意しておきたいのは、ジェロゴジーという言葉は今ではあまり使われていないということです。高齢期の学習を考える際、単に高齢期になってからではなく、中年期や前期高齢期から徐々に変化として学習を捉える方が現実的だという考えが広まっています。そのため、今日では「教育老年学」という形で高齢期の学習を捉えることが多くなっています。

また、高齢期の開始年齢についても議論があります。かつては60代が高齢者の基準とされましたが、今では60代はまだアンドラゴジーの原理が続くべき時期ではないかと考えられることもあります。

司会者:なるほど。

成人の発達と学習 (放送大学大学院教材)

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堀先生:さて、ノールズの仮説に基づいて、子どもの学習における教授法であるペダゴジーと、成人の学習における教授法であるアンドラゴジーの違いについて具体的に考えてみましょう。

私たちが小学校時代の教室風景を思い浮かべるとわかるように、子どもへの教育は、社会の構成員として自立した大人を育てるために、同年齢集団に対して教師が教科書や教材を用い、標準化されたカリキュラムに基づいて行われます。ここでの学習は、社会による将来への投資と言えるでしょう。

一方、成人の場合は、現実生活の課題や問題に対応するために自発的に学習します。その学習資源は個々の経験であり、それを生かすために討論、問題解決、事例学習、シミュレーション、ワークショップなどが用いられます。子どもと大人の学習は異なり、当然、教授法も異なるものになるということです。ノールズは、このように子どもと大人の学習が異なる点を強調しました。

司会者:ところで、成人教育学をアメリカで広めたノールズに関するエピソードをお話ししたいと思います。堀先生は、ノールズと直接お会いになったことがあると伺いましたが、その時のことを教えていただけますか。

堀先生:はい、よく覚えています。1984年12月に東京大学教育学部でノールズが招聘され、講演会が開かれました。私もその講演会に出席し、そこでノールズに質問しました。私の質問は、「成人教育学と高齢者教育学を分けて考えるべきではないか」というものでした。それに対して、ノールズは少し感情的になりました。

司会者:どうして感情的になったのでしょうか。

堀先生:英語では「高齢者」を"older adults"と言いますが、ノールズは「高齢者もまた成人であり、別に分けるべきではない」と主張したかったのだと思います。高齢者も含めてアンドラゴジーの範疇に入れるべきだという考え方ですね。一方で、ジャック・ルヴェルという人は、「高齢者には高齢者の特有の学習者特性があり、分けるべきだ」と主張し、それを「高齢者教育学(ジェロゴジー)」と呼びました。つまり、教育学はペダゴジー、アンドラゴジー、ジェロゴジーの3つだというわけです。ただし、その内容はまだ完全には整理されていない部分があります。

その後、発達段階理論で有名な心理学者、ロバート・ハヴィガーストに会う機会がありました。

司会者:堀先生は多くの著名な研究者に直接お会いされているのですね。

堀先生:そうですね。当時はこのような研究者を日本に招聘し、講演会を開くことがよくありました。ハヴィガーストに会った際にも、ノールズにしたのと同じ質問をしました。「成人と高齢者を区別するべきではないか」と。

ハヴィガーストは即座に「それは良い考えだ」と賛同してくれました。ハヴィガーストは、発達段階や発達課題を提唱し、人生の各節目ごとに学ぶべき課題があると考えていました。高齢期も明確に区分しており、その考え方に基づけば、成人と高齢者を分けるのは自然なことだというわけです。ノールズは、教育学を過度に細分化することに警戒していたのかもしれませんが、ハヴィガーストは「それでいい」と言ってくれました。

成人の発達と学習 (放送大学大学院教材)