神奈川県二宮町富士見ヶ丘の歴史 (original) (raw)

自分(湯一路)が生まれたのは山口県宇部市だが、育ったのは神奈川県中郡二宮町である。
4歳から22歳までの約18年間は二宮町に住んでいたので、二宮町出身と言って過言ではないはず。

で、自分が住んでいた地域は二宮町富士見が丘という場所。
富士見が丘はいわゆる新興住宅地で、70年代に開発されてそれ以前は沼地だったという話を聞いたことがある。マイナーすぎてネット上でも情報はあまりない。

富士見が丘ができる前はどんな感じだったんだろうか……と以前から気になっていたが、あるとき、国土地理院のホームページで過去の衛星写真を観られることを思い出した。

チェックしてみるとビンゴ! 富士見が丘ができる直前の衛星写真が残されていたのだ!

というわけで、まずは現在の富士見が丘の地図。

一丁目から三丁目まであって、さらには松根という地区もできている。東側の石神台は大磯町。二丁目と三丁目の間にある鉄道は東海道新幹線。上の緑の道路は小田原厚木道路(おだあつ)。

もっとも古い衛星写真は1961年から1969年ころの写真。かなり貴重で興味深い。まったく宅地はないが、すべて森林というわけではないので田畑だったのだろうか? 一部段々畑風の場所もある。
東海道新幹線のラインがうっすら見えるがまだ全然開通していないので1964年以前であることは間違いない。仮に1961年の写真だとしても、ここから1964年に新幹線を開通させるのはすごい。

1974年~1978年の写真。この写真が残っていたのはすごい。まさに富士見ヶ丘の黎明期! 一丁目はすでに8割がた住宅で埋まっている。一方で、二丁目と三丁目はまだまだ。そして、大磯町石神台の整地も完了している!

1979年から1983年の写真。性格な場所は秘密だが、実家が完成している。三丁目はほぼ埋まり、二丁目にはまだ空きがある感じ。石神台には家がびっしり! すごい開発速度。松根はまだなく、ヒシエム産業が持つ通称「ヒシエム広場」と野山が子供の頃の遊び場だった。

1987年~1990年。松根地区の整地がほぼ完成している。新しい住宅地区の誕生前夜。

石神台西側エリアは以外なことにまだ住宅がない。なんでここだけ遅れたのだろうか?

ここらへんはかなり激坂なのが問題だったのだろうか?

最新である2021年の写真。松根も住宅で埋まり、住宅街が完成している。

というわけで、富士見が丘の歴史を写真で振り返ってみた。

それにしても国土地理院、60年代の航空写真があるのはすごい。地域によってはもっと古い写真もあるので、自分の地域の成り立ちを見てみると楽しいのでおすすめしたい。

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