松竹伸幸に悪口する(2024年9/11日分)(副題:そんなに立民が好きなら松竹は紙屋と一緒に立民に入党しろ) (original) (raw)

共産党は連合に会談を呼びかけるべきだ | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba
「例は何でもいい」のですが、例えば「ゼレンスキー(ウクライナ大統領)はプーチン(ロシア大統領)と和平会談をすべきだ」と言う人はあまりいないでしょう。
「ゼレンスキーとプーチンの主張があまりに違いすぎて会談が成立しそうにないから」です(実際、現時点ではゼレンスキーもプーチンも少なくとも表向きは交渉の可能性を否定)。
松竹の言う「日本労働組合総連合会(以下、連合)との会談」も話は同じです。大体「(プーチンは、ではなく)ゼレンスキーは対話しろ」と言ったら「反ウクライナ、親ロシア」と疑われるのと同様「(連合は、ではなく)共産は対話しろ」という松竹は「連合シンパ、反共」と疑われても仕方が無いでしょう。というか実際「連合シンパ、反共」なのでしょうが。これでよくもまあ「共産を愛してる」と抜かせたもんです。
そもそも何のために会談するのか。
どうせ松竹のことだから「立民との野党共闘のため」云々言うのでしょうが、野党共闘は「手段」であってそれ自体は目的ではない。小渕内閣(1998年)から25年以上続く自公連立ですら建前は「手段であって目的ではない」でしょう(建前上はいつでも自公連立も解消がありうる)。
そもそも過去にも「羽田政権からの社民党、さきがけの離脱(細川政権では社会党委員長の山花氏(政治改革担当相)、さきがけ代表の武村氏(官房長官→後に村山内閣で蔵相)などが入閣していたが、羽田政権では入閣せず)」「鳩山政権からの社民党の離脱(沖縄基地問題での対立と、それによる福島党首の少子化担当相からの更迭への抗議)」など「共闘の解消」は過去にいくらでも例がある。
大体「立民との野党共闘」が進展しないことについて「共産だけが一方的に悪くて、立民や連合は悪くないか」のような松竹の物言いには呆れます。以前も書きましたがそんなに立民が好きなら松竹は「紙屋など類友を引き連れて」立民に入党すべきです。
それにしても「連合(自治労日教組などの左派はともかく、少なくとも電力労組、UAゼンセンなど旧同盟系のウヨ執行部)」が、敵視してるのは共産だけではなく「社民党やれいわ、あるいは立民党内のリベラル派議員(元社民党の辻元代表代行、元社民連の菅最高顧問など)、市民連合も同じ扱い」なんですけどね。連合が「野党共闘破壊」の「希望の党」計画に乗ったのはそういうことです。アレで「希望の党の計画者達(当時の前原民進党代表(現在の無償会代表)ら)」に排除されそうになったのは共産だけでなく、「社民党やれいわ、あるいは立民党内のリベラル派議員(元社民党の辻元代表代行、元社民連の菅最高顧問など)、市民連合」もそうでした。
連合(少なくとも旧同盟系のウヨ執行部)にとって大事なのは国民民主党のような「右派」だけでしょう。松竹ですら、連合(少なくとも旧同盟系のウヨ執行部)は恐らく「あんな共産党上がりの野郎なんか相手にできるか」と敵視してるでしょう。
そんな連中と共産で対話なんか成り立つと思ってるのか。
大体、自分は「党執行部との対話を拒否」して反党行為に暴走し、除名されたあげく「除名無効裁判」まで起こしてるくせによくもふざけたことが抜かせたモンです。だったら今からでも「訴訟を取り下げ、共産との対話」をしたらどうか(勿論、松竹への皮肉、嫌みですが)
あるいは松竹自身が「連合との対話」に努力したらどうか。まあ松竹が「国会、地方議会に議席がある共産党ならともかく、チンピラの俺が連合に対話を申し入れても無視されるだけ」というならそれまでですが、だったらその程度の人間が偉そうにほざくなと言いたい。
大体、こんなことを言っても共産どころか、連合も「野党各党(自民補完勢力でしかないインチキ野党の維新、国民民主も、それ以外の立民、社民、れいわ新選組なども)」も市民連合も全く相手にしないのが松竹なんですが。松竹を相手してるのはごく少数の松竹シンパだけです。
松竹が「共産執行部は連合と対話しろ」と抜かすだけで「どのような方法なら共産と連合の対話が成り立つと思うのか」説明もしなければ創共協定を仲介したとされる松本清張などのように「私の人脈で連合と共産の対話の場を用意したい」とも言わないのが滑稽です。そんなんで対話が成り立つわけもない。まあ、どうせ反党分子として「対話しない党執行部は狭量」等と誹謗するだけでしょうが。

2001年、志位氏は連合のイベントに招かれて講演したことがある。
(2001年8月3日(金)「しんぶん赤旗」、見出し)
連合サマー・トップセミナー志位委員長が講演
講演後、志位委員長は連合の鷲尾悦也会長、笹森清事務局長らとなごやかに懇談し、当面の経済問題や「小泉改革」に対決する姿勢などについて意見交換しました。
会談では「小泉政権構造改革は弱者切り捨てになる」との認識で一致しました。
講演で志位氏は冒頭、日本共産党が初めて連合の催しに招待されたことについて、「連合と私たちとの間には、一致点も不一致点もありますが、労働運動の全国中央組織の一つである連合と、野党の一つである日本共産党が、胸襟を開いて率直に意見交換し、相互理解をすることは日本の社会にとって有益と思います」とあいさつ。
「労働者の要求に基づく一致点があり、共同する意思があるなら、どういう労働組合とも誠実に協力・共同をすすめるのが日本共産党の立場です」と表明しました。

「だから何?」ですね。「23年前の2001年」とは「連合執行部の顔ぶれ(例えば、今は会長は芳野友子*1、2001年当時は鷲尾悦也*2笹森清*3)」(2001年の途中で鷲尾から笹森に交代)も違えば、政治状況(例えば、2001年当時は小泉内閣、最大野党は民主党で代表は鳩山由紀夫)も違う。
実際、松竹と同様に「2001年の講演」を取り上げた以下の記事は

◎連合のサマー・トップセミナーで志位委員長が講演 2001年 トヨタで生きる2022.1.13
連合が結成(1989年)されて30年余になりますが、日本共産党志位和夫委員長が2001年の連合のサマー・トップセミナーに招待されて講演したことがあります。
当時の鷲尾悦也会長、笹森清事務局長*4は、日本共産党委員長を招待するという大きな器、度量を持っていました。芳野会長の節度を失った(ボーガス注:反共)態度と対照的です。

として松竹とは逆に「2001年当時の連合執行部(鷲尾、笹森)」を好意的に評価する一方で、芳野を「反共右翼」として批判しています。
大体、松竹も書くように「2001年に連合が招いた」のに、「2001年当時のように連合から共産にアプローチしてはどうか?」ではなく「志位氏らが連合に会談と申し入れよ(松竹)」とは「はあ?」ですね。
なお、上記のコメントを投稿しますが恐らくいつも通り掲載拒否でしょう。賛同コメントしか載せない松竹にはいつもながら呆れます。