『復活はもう起こった?』テモテへの手紙二2:14~26 (original) (raw)

聖書研究祈祷会 2024年10月16日

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案 内

華陽教会では、讃美歌委員会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

讃美歌

讃美歌21の551番「朝の光 闇をはらい」を歌いしょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆愛と恵みの神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。先週の土曜日には、芽含幼稚園の運動会が行われ、雲一つない青空の下で、子どもたちの成長を受けとめることができました。どうか今、一生懸命準備と練習をしてきた子どもたち、保護者、先生がたの上に、あなたの祝福が豊かにありますように。

◆私たちの神様。家族の介護や治療の付き添いをしている人に、あなたの励ましがありますように。手術を受ける人や療養生活を送る人に、あなたの癒しの御手が差し伸べられ、家族の健康と体調も守られますように。

◆私たちの神様。来週の日曜日には、小牧教会との交換講壇として、田中郷史先生がメッセージをしてくださいます。どうか今、田中先生の心身が守られ、小牧教会の会衆に、豊かな恵みがありますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。テモテへの手紙二2:14~26の新共同訳を朗読します。

これらのことを人々に思い起こさせ、言葉をあげつらわないようにと、神の御前で厳かに命じなさい。そのようなことは、何の役にも立たず、聞く者を破滅させるのです。あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい。俗悪な無駄話を避けなさい。そのような話をする者はますます不信心になっていき、その言葉は悪いはれ物のように広がります。その中には、ヒメナイとフィレトがいます。彼らは真理の道を踏み外し、復活はもう起こったと言って、ある人々の信仰を覆しています。しかし、神が据えられた堅固な基礎は揺るぎません。そこには、「主は御自分の者たちを知っておられる」と、また「主の名を呼ぶ者は皆、不義から身を引くべきである」と刻まれています。さて、大きな家には金や銀の器だけではなく、木や土の器もあります。一方は貴いことに、他方は普通のことに用いられます。だから、今述べた諸悪から自分を清める人は、貴いことに用いられる器になり、聖なるもの、主人に役立つもの、あらゆる善い業のために備えられたものとなるのです。若いころの情欲から遠ざかり、清い心で主を呼び求める人々と共に、正義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。愚かで無知な議論を避けなさい。あなたも知っているとおり、そのような議論は争いのもとになります。主の僕たる者は争わず、すべての人に柔和に接し、教えることができ、よく忍び、反抗する者を優しく教え導かねばなりません。神は彼らを悔い改めさせ、真理を認識させてくださるかもしれないのです。こうして彼らは、悪魔に生け捕りにされてその意のままになっていても、いつか目覚めてその罠から逃れるようになるでしょう。

同じく、テモテへの手紙二2:14~26の聖書協会共同訳を朗読します。

これらのことを人々に思い起こさせ、言い争いなどしないようにと、神の前で厳しく命じなさい。そのようなことは、何の役にも立たず、聞く者を破滅させるのです。あなたは、適格な者、恥じることのない働き手、真理の言葉をまっすぐに語る者として、自分を神に献げるよう努めなさい。俗悪な無駄話を避けなさい。それによって人々は、ますます不敬虔に陥り、彼らの言葉が悪性の腫れ物のように広がるからです。ヒメナイやフィレトはその一味です。彼らは真理の道を踏み外し、復活はすでに起こったなどと言って、一部の者たちの信仰を覆しています。しかし、神の堅固な土台は揺るぎません。そこには、こう刻まれています。「主はご自分の者たちを知っておられる。」また「主の名を呼ぶ者は皆、不正から離れよ。」大きな家には、金や銀の器だけでなく、木や土の器もあります。一方は貴いことに、他方は卑しいことに用いられます。それゆえ、卑しいことから離れて自分を清める人は、貴いことに用いられる器になり、聖なるもの、主人に役立つもの、あらゆる善い行いのために備えられたものとなるのです。若い頃の情欲を避け、清い心で主を呼び求める人々と共に、正義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。愚かで無知な議論を避けなさい。それが争いの元であることは、あなたも知っているとおりです。主の僕たる者は争わず、すべての人に優しくし、教えることができ、よく忍び、反対する者を柔和な心で教え導かねばなりません。もしかすると、神は彼らを悔い改めさせ、真理を認識させてくださるかもしれません。こうして彼らは、悪魔に捕らえられて意のままにされていても、目覚めてその罠から逃れることもあるでしょう。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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メッセージ

テモテへの手紙には、名指しで批判されている人たちが、複数人でてきます。今回は、ヒメナイとフィレトが出てきました。フィレトは、聖書の中でここ以外名前が出てこないので、どんな人物か、詳細を知ることはできません。一方、ヒメナイは、テモテへの手紙一1章20節にも出てきました。

「ある人々は正しい良心を捨て、その信仰は挫折してしまいました。その中には、ヒメナイとアレクサンドロがいます。わたしは、神を冒瀆してはならないことを学ばせるために、彼らをサタンに引き渡しました」……手紙の著者から厳しい言葉が語られています。どちらの手紙も、パウロの後世の弟子たちが、パウロの名前で書き残したと言われますが、名指しで出てきた人物は、弟子たちの間でも、よく知られた存在だったんでしょう。

単なる個人の、道徳的なつまずきであれば、殊更名前を挙げられる必要はありません。おそらく、これらの人々、もしくはその考え方が、当時の教会に依然として、影響を及ぼしていたんでしょう。一つ目の手紙でも、二つ目の手紙でも、「俗悪な無駄話を避けなさい」という警告が繰り返されるので、パウロとは異なる教えが流布されていたんだと思います。

たとえば、テモテへの手紙一では、ヒメナイの名前が出てくる少し前に、「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します」という言葉が出てきます。もしかしたら、これをそのまま受け入れず、否定してしまう言説が、ヒメナイやアレクサンドロによって語られていたのかもしれません。

たとえば、「キリスト・イエスは、罪人を救うために来たのではなく、正しい知識に目覚めた者を救いに来た」「霊的な知恵、霊的な知識に目覚めていない者は救われない」……というような教えでしょうか? 一方、テモテへの手紙二では、ヒメナイの名前が出てくる前に、キリストが死者の中から復活されたことが語られていました。

「わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです」「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる」……このような復活についての教えも、そのまま受け入れることなく、否定してしまう言説が、ヒメナイやフィレトによって、語られていたのかもしれません。

たとえば、「キリストが十字架につけられて死んだ出来事は、本当の死ではなく、肉体を捨てただけである」「3日目に甦ったのも、肉体を伴った復活ではなく、霊的な存在になったという意味である」というような教えでしょうか? 「キリスト教徒の復活も、死んだら霊的な存在になるという意味で、亡くなった信者は既に復活している!」と語っていたのかもしれません。

このように、初期のキリスト教会では、霊肉二元論や霊的な知識を追求するグノーシス主義の傾向が、度々見え隠れしていました。神の子なのに死んでしまう……死んでしまったのに生き返る……救い主なのに苦しんで、正しい方なのに処刑される……頭で納得し切れない、受け入れ切れない現実を前に、自分にとって納得できる、辻褄の合う話を作り、それらを「隠された真理」「霊的な知恵」として、教えていた人がいたのかもしれません。

現代でも、家庭や仕事を蔑ろにし、霊的なステージを高めることに熱中させ、お金を取って、人間関係を壊してしまうグループが、あちこちで被害を出しています。残念ながらキリスト教会の一部でも、日々の生活が破綻することも厭わない態度で伝道させ、熱狂的に様々な集会へ参加させ、陰謀論と親和性の高い言説を広めているところがあります。

「他の教会は9割異端です」「隠された真理を教えられるのは私たちだけです」「ここで学べば、あなたも霊性が高められ、預言や啓示を受けられるようになります」……そんなふうに、自分たちの地位を高く見せ、現代の使徒や預言者を装って、誘惑、罠、金銭の欲に陥って、真理の道を踏み外す者が、今でも後を絶ちません。

しかし、手紙の著者は、「神が据えられた堅固な基礎は揺るぎません」と力強く語ります。「今述べた諸悪から自分を清める人は、貴いことに用いられる器になり、聖なるもの、主人に役立つもの、あらゆる善い業のために備えられたものとなる」と励まし、喚起し、力付けます。

最初の手紙で、「神を冒瀆してはならないことを学ばせるために」「サタンに引き渡しました」と言われたヒメナイら、「道を踏み外した」者たちも、「神は彼らを悔い改めさせ、真理を認識させてくださるかもしれないのです」「悪魔に生け捕りにされてその意のままになっていても、いつか目覚めてその罠から逃れるようになるでしょう」と告げられます。

教会は、万人がすぐさま納得できる、受け入れられる話を提供できる場所ではありません。しかし、信じた者、理解したと感じた者が、優越感と選民思想に浸る場所でもありません。「主の僕たる者は争わず、すべての人に柔和に接し、教えることができ、よく忍び、反抗する者を優しく教え導かねばなりません」と勧められているように、私たちは、互いに出てきた問いと向き合い、一緒に、目を開いていく必要があります。

複雑に絡み合った聖書の言葉を、すぐさま納得させてくれるシンプルな教えに飛びつくことも、あらゆる問題を終わらせる便利な方法に飛びつくことも、世界情勢や未来を教える魅惑的な解釈に飛びつくことも、私たちが、距離を置くべき事柄です。安易に答えへ飛びつかない忍耐と、誠実な信仰生活が養われるよう、祈りを合わせていきましょう。

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている高知県南国市の南国教会のために、芽含幼稚園のために、済美高校のために、中部学院大学のために、祈りを合わせましょう。

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆高知県南国市の南国教会のために祈ります。会衆一人一人に、喜びと祈りと感謝がもたらされますように。それぞれの信仰生活が支えられ、健康と体調が整えられ、健やかな生活を送ることができますように。

◆芽含幼稚園のために祈ります。運動会で、一生懸命、競技やダンスを披露してくれた子どもたちに、あなたの祝福が豊かにありますように。芋掘り、焼き芋、収穫感謝、クリスマスなど、この後も続いていく行事が、一つ一つ守られますように。

◆済美高校のために祈ります。事故や怪我、感染症から、生徒と職員が守られますように。進路に悩んでいる子や、授業についていくのが大変な子、指導の仕方に葛藤している先生がたに、あなたの導きが豊かにありますように。

◆中部学院大学のために祈ります。海外から日本へ来ている留学生、日本から海外へ行っている学生たちに、あなたの守りと支えがありますように。クリスマスに華陽教会へ来てくれる聖歌隊の学生、OG、OBの方々も、心身の健康が守られますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

讃美歌

オンライン賛美歌26番「あなたが共にいること」(©️柳本和良)を歌います。

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。

よかったらぜひ、ご参加ください。来週の水曜日は、『信仰の失格者?』と題してテモテへの手紙二3:1~9のお話しをします。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。