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AREKORE
ヴェルサイユ宮殿
あまりに広く、どこをどう歩いたのか。ともかくヴェルサイユ宮殿の風景です。
まさに太陽王の宮殿と思わせる装飾。
鏡の間。全長73m。
鏡の間から望むラトナの噴水、さらには大運河などの庭園。
噴水を上げるにはそれ相応の水圧と水量が必要になる。ヴェルサイユは平地である。これを実現するにはルイ14世の執念と技術者の努力があったのだが(水道橋、導水管、川から水をくみ上げる揚水装置、特にマルリーの機械など)、この景色を眺めているとそんな苦労を微塵も感じさせない。ただ壮大で美しい。
軸線を中心にしたシンメトリーで幾何学的な構成。これぞフランス式庭園。ガイドブックによれば17世紀にフランスの造園家ル・ノートルが太陽王ルイ14世のために設計した。広い公園をゆっくり歩きたかったのですが、ある宮殿を訪れた際、庭ばかり歩いていて宮殿の中を観る時間がほとんど無くなった苦い経験あり。庭歩きはそこそこにして宮殿に戻った。
参考1:ヴェルサイユ宮殿の歴史
1624年、ルイ13世が余暇を楽しむ簡素な狩猟の館として建築。
1643年、ルイ14世即位、太陽王の異名、在1643-1715年。
1661年、ルイ14世(22歳)、臣下のニコラ・フーケのヴォー・ル・ヴィコント城で開かれたいとも豪華な宴会に出席。美しい建物と庭に嫉妬。同城を設計した建築家・ル・ヴォー、作庭家・ル・ノートルを引き抜きヴェルサイユ宮殿の増改築、作庭に取り掛かった。
1661年~ 宮殿の増改築開始
1675-82年、セーヌ河から揚水装置、水道橋などで水を引き入れた。セーヌ河とヴェルサイユの間には約160mの丘があった。
1682年、ルイ14世により政府本拠地、宮廷の公式住居となる。
1684年、鏡の間完成
1770年、ルイ16世とマリーアントアネットがヴェルサイユ宮殿で結婚
1789年、フランス革命勃発
1914-1918年、第一次世界大戦
1919年、6月、ベルサイユ条約調印(連合国とドイツ間で締結された第一次世界大戦の講和条約)の場となった。以後、第二次世界大戦勃発までの世界の体制をヴェルサイユ体制という。
参考2:戴冠の間「ナポレオンの戴冠式」
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by bonjinan | 2010-10-06 20:18 | 旅、散歩
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