サントリーホール・サマーフェスティバル2024と「祭」<STOP WAR IN UKRAINE> (original) (raw)

▼「祭」(ブログの枕単編)

いよいよ夏の音楽祭シーズンが到来しましたが、昨年も参加したサントリーホール・サマーフェスティバルに参加する予定にしています。過去のブログ記事でも触れたとおり、かつて「祭」は来訪神や祖霊神を慰める神事(宗教儀礼)として人々が集って饗宴(神人共食)を催しましたが、現代では信心が薄くなり音楽祭、映画祭、学園祭などの見世物(羽目を外すお祭り騒ぎ)という意味で「〇〇祭」(それを気取って「〇〇フェス」)が使われるようになりました(祭事から催事へ)。古事記「天の岩戸」には天岩戸に隠れた天照大神(おそらくは皆既日食のこと)を慰めるために天鈿女命(天宇受売命)が裸で踊ったという神話(神楽、巫女、申楽(改め、能楽)やストリッパーなどの元祖)が登場しますが、これが祭りの起源とも言われています。この点、「祭」の本義については柳田国男の名著「日本の祭」や折口信夫の名著「古代研究」の民族学篇などに詳しい考察が加えられていますが、「祭」とは神の憑依(神意の顕現)を意味する「まつ」(待つ)を語源とし(能舞台の鏡板に描かれている春日大社の影向の松や年神様を迎えるための門松など神の依り代である「松」も同じ語源)、その神意を人々に伝えて恵沢をもたらすことを「まつりごと」(政)、それを神に報告し感謝することを「まつり」(祭)と言いますが、これらのほかにも神への供物を意味する「たてまつる」(奉る、献る)、神への服従及び奉仕を意味する「まつろう」(順う)、祭事への参加を意味する「まいる」(参る)などの言葉も語源を同じくしています。この背景には、主に西洋では神の恵みである獲物を追う狩猟社会(神霊を追う脱魂型シャーマニズム)を中心として「為す文化」(過去のブログ記事で触れた「社会」)が発達したのに対し、主に日本では神の恵みである作物の収穫を待つ農耕社会(神霊の憑依を待つ憑依型シャーマニズム)を中心として「成る文化」(過去のブログ記事で触れた「世間」)が発達したことが関係していると考えられます。このことは、日本語の「自ら」という言葉が「みずから」(自律、人間)と「おのずから」(他律、自然)という2とおりの読み方を持っていることにも端的に現れています。過去のブログ記事でも触れたとおり、人間(自律)の「みずから」を起点(人間中心主義)とすると自然(他律)の「おのずから」はあくまでも人間(自律)の「みずから」より「外」(父性社会:支配の論理)に観念されるという西洋的な思想(為す文化)につながり自然(他律)に抗するために科学を発展させて自然(他律)をコントロールしようとする発想(二元論的世界観)が生まれましたが(例えば、旧約聖書の創世記第1章の26節から29節、同第9章の1節から6節やR.デカルトの機械論的自然観など)、これに対して、生老病死に象徴される自然(他律)の「おのずから」を起点(自然尊重主義)とすると自然(他律)に抗し得ない人間(自律)の「みずから」は自然(他律)の「おのずから」の「内」(母性社会:調和の論理)に観念されるという日本的な思想(成る文化)につながって自然(他律)を尊重して自然(他律)と調和しようとする発想(一元論的世界観)が生まれました。さながら音楽祭は音楽家の霊性の発現を待ち焦がれ、その世界観に自らのナラティブを同期(トランス)して調和することで心を充足させて行く、宗教儀礼に似た非日常的な体験と言えるかもしれません。世界で初めて音楽祭のようなものが開催されたのがいつ頃なのかは見当も付きませんが、おそらく「祭」の起源と同じではないかと推測されます。この点、有史以来の記録に残るものとして、上述のとおり、日本では「天の岩戸」(年代不詳)で天岩戸に隠れた天照大神を慰めるために天鈿女命が裸で踊った際に「ひふみ祝詞」を奉唱したと言われていますので、これが日本で初めて開催された音楽祭のようなものと言えるかもしれません。また、西洋では古代ギリシャのピュティア競技会(紀元前582年頃:日本の縄文時代)でスポーツ競技のほかに詩、朗読、スピーチや音楽(ギリシャ神話の神アポロンに捧げるための音楽)なども催されたと言われており、これが西洋で初めて開催された音楽祭のようなものと言えるかもしれません。その後、音楽祭は神事から見世物へと性格を変えながら発展しましたが、前回のブログ記事で触れたとおり、西洋では神の支配から人の支配に移行して階級社会になると宮廷音楽と大衆音楽が分離し、音楽祭は王侯貴族などの上流階級に限定された排他的な性格を持つものに変化しましたが、二度の世界大戦を契機としてヨーロッパの前近代的な社会体制や文化遺産などが崩壊したことに伴って、1954年に米国ロードアイランド州でニューポート・ジャズフェスティバルが開催され、大衆に開かれた音楽祭が甦ったと言われています。このような状況のなか、日本では、1957年に現代作曲家の柴田南雄、入野義朗、黛敏郎、諸井誠らが新しい音楽の流れを実践するための場として「現代音楽祭」を開催しましたが、1959年に開催された第3回から武満徹が参加し、また、1961年に開催された第4回ではアメリカから帰国した現代作曲家の一柳慧が参加してジョン・ケージを中心とするアメリカの実験音楽を紹介した音楽祭(俗にケージ・ショック)が開催されました。さらに、1958年に大阪フェスティバルホールの杮落しとして「大阪国際芸術祭」が開催され、当初、ザルツブルク音楽祭などをモデルにして外貨獲得を視野に入れた国際的な音楽祭を目指していたようですが、朝日新聞を中心とする海外文化路線と毎日新聞を中心とする日本文化路線の対立が表面化して第2回目からは前者のみを引き継ぐ大阪国際フェスティバルとして継続され、1970年に開催された大阪万博では一部公演を共催しています。現在では後者も対象とする音楽祭という触れ込みになっていますが、殆ど前者を対象としたプログラム構成(インバンド観光客へのアピール度は低い)になっており、外貨獲得を視野に入れた国際的な音楽祭を目指すと言う性格は希薄になっています。因みに、現時点で、2025年の大阪万博では大阪国際フェスティバルとの共催ではなく大坂関西国際芸術祭が併催される予定のようです。その後、1961年に東京文化会館(2026年から改修を予定)の柿落として「東京世界音楽祭」が開催され、東西文化の交流を目的として西洋音楽のみならず東洋音楽及び日本の伝統邦楽や現代邦楽などが上演されました。これらが日本における音楽祭の先行事例になって1980年代(バブル景気)以降から音楽祭が急速に増加し、現在では①演奏型と②育成型に大別され、①ー1)ミーハー型(国際的に著名な家を演奏家を招集する演奏会)、①ー2)テーマ型(特定の作曲家や目的のために限定された曲を採り上げる演奏会)、②ー1)コンクール型(コンクールと演奏会が結び付いているもの)、②ー2)セミナー型(セミナーと演奏会が結び付いているもの)など様々なタイプの音楽祭が存在しますが、最近は類似する音楽祭が乱立してマンネリズムに陥りつつある印象を否めず、映画「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」に見られるようなワクワク感(充足感や高揚感など)が不足してきていることが指摘されています。その一方で、音楽祭の中には地元を上手く巻き込んで一過性のフェス・ブームから新しい「祭」として地元の生活文化(ライフ・スタイル)に浸透して根付きつつあるものもあり、従来の音楽祭という枠組みを超えて新しい生活文化(ライフ・スタイル)の実現やソーシャル・エンゲージメントの取組みなど、単なる音楽を提供する場から神事とは異なる趣旨で音楽などを通して何かを実現する場へと深化する潮流もあり、音楽祭の重層的な意義が問われる時代になってきていると言えるかもしれません。

▼音楽祭へ意義の重層化

祭=神事+饗宴
⇩【近代国家の誕生】土地の単独相続(家長主義)から金銭の分割相続(平等主義)資本主義経済の高度化(一次産業から〇次産業へ)⇩【土地と生活文化の分離】神事の社会的・文化的な基盤崩壊⇩
音楽祭(〇〇祭)=饗宴
演奏型 育成型
ミーハー型 テーマ型 コンクール型 セミナー型

※上記の組合せにより以下のような様々なバリエーションの音楽祭が誕生していますが、現代音楽を積極的に採り上げて日本の音楽シーンを牽引する複合型の音楽祭として、東のサントリーホール・サマーフェスティバルと西の武生国際音楽祭が注目されます。
● 特定地型、移動型:生活文化(ライフ・スタイル)との結び付き(自治体助成との関係などもあり移動型は衰退)
● 都市型、リゾート型:客層(音楽祭への参加目的、参加態様など)の多様化
● 複合型、単一型:ジャンルレスを含む音楽的な嗜好の多様化

ところで、上述のとおり、「祭」の起源と言われている古事記「天の岩戸」では早朝に鳴き声を上げて太陽を呼び覚ます鶏(長鳴鳥)を止まり木で鳴かせたところ、天照大神が天岩戸(おそらくは月影のこと)から出て来られたことから、それ以来、神前には鳥居(=鶏の止まり木)を設けるようになったと言われています。この点、サントリーの名前の由来はサントリーの前身である「寿屋」の礎を築いた名品「赤玉ポートワイン」のトレードマークである「赤玉」から「サン」(=太陽)を採り入れて、これに創業者・鳥井信治郎の名字である「トリイ」(=鳥井)をつなげて「サントリー」とし、日本で音楽祭が開催され始めた時期の1963年から社名として使い始めたそうです。その後、1979年にサントリー文化財団が設立され、日本で音楽祭が急速に増加し始めた時期の1986年にサントリーホールが開館、1987年にサントリーサマーフェスティバルが開催、1990年に芥川也寸志サントリー作曲賞が開始され、正しく飛べない鶏を飛ばす勢いで日本の音楽文化の夜明けが到来したと言えるのではないかと思います。この点、鳥井氏の名字は「鳥居」に由来しているとも言われており、「太陽」と「鳥居」との組合せは古事記「天の岩戸」にも通じる非常に縁起の良いネーミングと言えると思います。因みに、サントリー角瓶のエンブレムには創業者・鳥井信治郎のサインが刻印されていますので、正体が定かでなくなる前にご確認下さい。このような鶏の神聖視は日本や東洋の国々だけではなく、例えば、バッハ「マタイ受難曲」のペテロの否認においてペテロがイエスを「知らない」と三度否認したところで鶏が鳴く声を聞いて我に帰り激しく後悔して落涙する場面(アリアのピッチカートは涙のモチーフ)がありますが、この鶏の鳴き声にはペテロの信仰をひらく役割(夜明け=魂の救済)が与えられており、西洋でも鶏が神聖視されていたことが伺えます。なお、「鳥居」という言葉は天上界から地上界へと光(天照大神)が戻ってきたこと(=通り入る)に由来としていると言われています。この背景には、生殖器信仰(古代ギリシャを初めとして世界各地に広く見られる原始的な信仰形態)に基づいて「生(=光)を司る神社」(これに対して「死(=闇)を司る寺社」)の「鳥居」は女性の生殖器を象徴し、「参道」(=産道)を遡上して「お宮」(=子宮)へと至り、お賽銭箱の上方からぶら下がっている「鈴」及び「紐」は男性の生殖器を象徴し、神社へお参りする度に新しく生まれ直す(安産祈願、お宮参り、七五三、初詣、合格祈願、結婚式等の人生の節目に深く縁のある場所)という意味合いがあると言われています。その意味ではサントリーホールも音楽で心の穢れを洗い流し、新しく生まれ直すことができる有難い場所と言えるのではないかと思います。

▼サントリーホール・サマーフェスティバル2024

毎年開催されているサントリーホールサマーフェスティバルですが、今年はプロデューサーシリーズに現代音楽のスペシャリストであるアルディッティ弦楽四重奏団、テーマ作曲家にライブ・エレクトロニクスの第一人者として知られるフランス人現代作曲家のフィリップ・マヌリさんをお迎えする贅沢なプログラムになっており、また、第34回芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会も併催される予定になっております。全公演を合せると非常に演目数が多く全曲の感想を書くことは困難なので、演奏会を聴いた後に時間を見付けて、存命中の作曲家の作品に限り、いくつかの作品及び芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会をピックアップして簡単に感想を残しておきたいと思います。なお、演奏会の宣伝のために予告投稿しておきます。

--->後日追記

【演題】ザ・プロデューサー・シリーズ アーヴィン・アルディッティがひらく

室内楽コンサート1(8月22日)

【演目】①武満徹

「ア・ウェイ・ア・ローン」弦楽四重奏のための(1980年)

②ジョナサン・ハーヴェイ 弦楽四重奏曲第1番(1977年)

③細川俊夫

「オレクシス」ピアノと弦楽四重奏のための(2023年)

④ヘルムート・ラッヘンマン

弦楽四重奏曲第3番「グリド」(2000/2001年)

【演奏】<Sq>アルディッティ弦楽四重奏団(①~④)

<Pf>北村朋幹(③)

【一言感想】

③細川俊夫 「オレクシス」ピアノと弦楽四重奏のための(日本初演)

この曲はアルディッティ弦楽四重奏団の結成50周年の記念作品として作曲されましたが、パンフレットによれば、オレクシスとはギリシャ語で「本能的欲求を意味する。存在の空白(虚空)を埋めたいという宇宙的な本能(内的な促し)に沿って、音楽を生み出したいという願いから、この題名を選んだ。」と作曲意図が解説されています。宇宙の塵やガスから地球や生物が誕生した宇宙進化(生物進化を含む)をイメージさせる非常にスケールの大きな音楽に感じられました。ピアノが柔らかい和音を奏でるなかを弦が幻想的に揺蕩う静かな始まりは原始宇宙(音子)を連想させましたが、やがて宇宙の呼吸を思わせる伸縮を繰り返し次第に密度を増しながら音像がはっきりと立ち上ってくると、エネルギー(音)の放出を連想させる鋭い上行形や下行形の音楽が重ねられてクライマックスを築きました。さながら音の呼吸が連鎖反応しながら音楽が生まれ、その音楽が持つ世界観(音宇宙)が広がりながら、ミクロとマクロ、光と闇、無と有などが絶え間なく交錯している様子をイメージさせる精妙な音響空間を彩る面白い作品に感じられました。アルディッティ弦楽四重奏団は音楽表現の懐が広く、音楽的なイメージを精妙かつ適確に伝える説得力のある演奏を展開していました。最近、現代音楽の分野で精力的に活動する北村さんの今後の活躍にも注目したいです。

④ヘルムート・ラッヘンマン:弦楽四重奏曲第3番「グリド」

H,ラッヘンマンさん(愛妻はラッヘルマン弾きとしても知られるピアニストの菅原幸子さん)は、楽器を伝統の文脈から解放するために特殊奏法などによって楽器から生まれる音を異化する「楽器によるミュージック・コンクレート」に取り組み、そこから紡がれる「個性的な音響のパレット」を使って体現する新しい音楽表現に特徴があります。パンフレットによれば、「「グリッド」とはイタリア語で悲鳴あるいは叫びを意味する。このタイトルと作品そのものは、前2作よりももっと鳴り響く曲を書いて欲しいとリクエストした」ことを受けて「主として通常通りに演奏される音高で構成」され、「スコアにはラッヘンマン的な効果が散りばめられてはいるが、それらはたいてい音高のある響きの背景である。」と解説されています。冒頭から特殊奏法などによる多彩な音(ノイズを含む)で彩られていきますが、単に音を異化するだけに留まらず、その多彩な音から斬新なボキャブラリーを生み出し、これまでに聴いたことがない音楽的な文脈(アンサンブル)を紡ぎ出す非常にユニークな作風に魅了されました。アルディッティ弦楽四重奏団の老練巧みな演奏が秀逸でして、作曲意図が適確に引き出され、この作品の魅力を縦横無尽に浮き彫りにして行く至芸に、会場からも盛大な歓声が飛んでいました。これを生演奏で聴けたことが大収穫でした。

【演題】サントリーホール国際作曲委嘱シリーズNO.46(監修:細川俊夫)

テーマ作曲家:フィリップ・マヌリ

オーケストラ・ポートレート(8月23日)

【演目】①クロード・ドビュッシー

「牧神の午後への前奏曲」(1891/1894年)

②ピエール・ブーレーズ

「ノタシオン」オーケストラのための(1978/2004年)

③クロード・ドビュッシー(フィリップ・マヌリ 編曲)

「夢」(オーケストラ用編曲)(1883/2011年)

④フランチェスカ・ヴェルネッリ

「チューン・アンド・リチューンⅡ」

オーケストラのための(2019/2020年)

⑤フィリップ・マヌリ

「プレザンス」空間化された大オーケストラのための(世界初演)

【演奏】<Cond>ブラッド・ラブマン

<Orch>東京交響楽団

【一言感想】

⑤フィリップ・マヌリ:「プレザンス」空間化された大オーケストラのための(世界初演)

これまでも来日の機会が多く日本に所縁が深いP.マヌリさんですが、パンフレットによれば、「新作「プレザンス」(存在、現在)は、「ケルン3部作」(2013~19)に次ぐ3部作の3作目にあたる。空間配置の実験である「ケルン3部作」に対し、新たな3部作はオーケストラの可能性を探求する点に特徴がある。「プレザンス」では、奏者の演奏中の移動と、「リング」(2016、「ケルン3部作」第一作)などでも試みられていた楽器グループの配置が組み合わされて」おり、「同族の楽器から構成される10の楽器グループが5つずつ、舞台の左右に対照的に配置される。」と解説されています。冒頭、プリペアドピアノの独特な響きが奏でられ、グリッサンドやハーモニクスによる繊細な響きの弦、ハーモンミュートによる滑稽な響きの金管、オーケストラにアクセントを与える眩い響きの鈴、クロタルや鐘などが加わって、それらが織り成す斬新な響きに惹き込まれました。細かく分けられた楽器群が舞台の左右に対照的に配置されたことにより散在的、重層的な響きは音の万華鏡とも言うべき音響空間を生み出し、新しい交響的な魅力を湛えるアンサンブルが白眉でした。その後、弦を土台として管打がリズミカルに飛翔し、時に夢心地に、時に緊迫感のある演奏が劇的に展開され、さながらシンフォニックダンスを聴いているような躍動感のある音楽を楽しめました。やがて舞台上の8人の管楽器奏者が舞台を降りて4人組み(バンダ隊)に分かれて客席の左右に展開して、舞台上のオーケストラと緊密に呼応しながらシアターピースならではの立体的な音響空間を生み出していました。その後、バンダ隊が退場して静かな終曲を迎えましたが、様々なアイディアにより、これまでにない交響的な魅力をオーケストラから惹き出すことに成功した作品に感じられました。文書では上手く伝わらないと思いますが、次代に受け継がれる充実した内容を持った傑作の世界初演に立ち会えた興奮を禁じ得ません。ヴラヴォー!

【演題】第34回芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会(8月24日)

【演目】第32回受賞 波立裕矢委嘱作品演奏

①波立裕矢 「空を飛ぶために˖⋆࿐໋₊ 」

打楽器とオーケストラのための(世界初演)

【演奏】<Perc>安藤巴

<Cond>杉山洋一

<Orch>新日本フィルハーモニー交響楽団

【演目】芥川也寸志サントリー作曲賞候補作品演奏・公開演奏

②石川健人 「ブリコラ-じゅげむ」(2023年)

③河島昌史 「e→e Ⅳ」(2023年)

④山邊光二 「Underscore」(2022年)

【演奏】<Cond>杉山洋一

<Orch>新日本フィルハーモニー交響楽団

<審査>新実徳英、望月京、山本裕之

<司会>白石美雪

【一言感想】

①波立裕矢 「空を飛ぶために˖⋆࿐໋₊ 」 打楽器とオーケストラのための(世界初演)

第32回芥川也寸志サントリー作曲賞を受賞した波立裕矢さんがその受賞記念としてサントリー芸術財団から委嘱された作品を世界初演しました。パンフレットによれば、「加速度的に変化する社会における人々の獰猛なステップと、その社会の行く末を音楽で描くことを構想し」ましたが、「作曲途中の音楽がドビュッシーのとある練習曲と深く共鳴していることに気付い」て「新たに聞こえた極限の神経質な音楽と、同時に眼前に浮かんだ小刻みな震えの印象に、私は「空を飛ぶ」ときと同じ物理的な機運を感じた。」と解説されています。近代の都市モデル(イギリス)や経済モデル(アメリカ)を象徴するような力強いリズムは急速に組織化、高度化した社会を表現したものでしょうか、やがてテンポの緩急(好景、不景)を繰り返しながら次第にリズムが薄弱となり足元が覚束なくなっていく様子はそれらの都市モデルや経済モデルが破綻を迎えている現状をアイロニカルに表現しているようにも感じられ、そのリズム感や諧謔性はどこか社会を風刺したショスタコーヴィチの音楽を彷彿とさせるようにも感じられました。オーケストラは打楽器的に扱われていましたが、ソリストとオーケストラのバランスに優れ、杉山さんと安藤さんの呼吸感もよく、ソリストとオーケストラが緊密に呼応しながら構成感のある演奏を楽しむことができました。カデンツァを挟んで曲想が一変し、神秘的に揺蕩う響きに満たされ、さながらドビュッシーの幻想的な色彩感や浮遊感を思わせる音楽が展開されました。やがてソリストとオーケストラがアンサンブルの密度を増しながらホルンの咆哮と共にクライマックスを築きましたが、このまま大団円に流れて行く古典的なセオリー通りの展開とは異なって徐々に弛緩して諧謔性を帯びながら終曲する現代風のスマートな後味の良さが感じられました。因みに、標題の最後に付されている記号文字は「かわいい」という理由で採用したものだそうですが、未だに「芸術音楽」「絶対音楽」「純音楽」などの死語(認知バイアス)に憑り付かれている昭和世代を滑稽に葬ってしまう時代の風を感じさせます。なお、パンフレットには「今様のダンサブルな音楽を引用しようとは思わなかった。私は好きだが、オーケストラに相応しくないと思われたので。」と注記されていましたが、P.マヌリさんのように近代のメディアであるオーケストラを今様にアップデートしてしまう挑戦にも期待したいです。

▼審査講評

今年の応募作品は約60作品にのぼり過去最高を記録したそうですが、アフターコロナから本格化している現代音楽の台頭を象徴するものと思われます。3人の審査員から各曲毎に以下のとおり講評がありましたので、その要旨を1〜2行でサマったうえで、簡単に僕の感想を付記しておきたいと思います。(以下、敬称略)

②石川健人 「ブリコラ-じゅげむ」(2023年)

【新実】冒頭の繰り返しは「じゅげむ」という心の叫びのように聴こえてくる。その必要な繰り返しには危機的心理が現れているようで面白い。

【望月】オーケストラの編成規模が小さいにも拘らず、音色や要素が多い印象を受けた。これまで提出されていない日本文化の要素を重層的に表現している。

【山本】プリコラージュとじゅげむという要素が重層的に組み合わされていて面白い。その組合せ方を考え抜いている印象だ。後半はカオスの中から秩序が生まれてくるようだ。

【私感】コンセプトは面白いのですが、小編成であったこともあり響きがシンプルで華奢に感じられ、やや音楽的な面白味に欠ける印象を否めませんでした。もう少し楽器編成にもプリコラージュ感を出せれば、更に面白かったかもしれません。

③河島昌史 「e→e Ⅳ」(2023年)

【山本】Eの音を軸にして繰り返しに拘りを感じる。その繰り返しは感覚的なものなのか、設計されたものなのか分からないが、音楽で表現できない言い知れぬ何かが魅力に感じられる。

【新実】Eの音を中心に執拗に繰り返す集中力。繰り返しの意味は市井の人々の日常を表現したものであり、ゲネラルパウゼの多用が良い意味で観客の期待を裏切っていたと思う。

【望月】バーゼルでは残響がなく、ゲネラルパウゼの沈黙が長く続いていたはずだ。サントリーホールは残響よく、それがこの曲を違った印象にしているのかもしれない。

【私感】「円の形」の微細な変化を表現するという拘りのコンセプトは興味深いものがありましたが、その一方で、些か音楽が単調な印象を否めず、どうしても飽きが来てしまう憾みがありました。

④山邊光二 「Underscore」(2022年)

【新実】非常にさわやか、あざやかな印象で色彩感があり美しい作品。シンプルな作品である点に魅力がある。

【望月】オーケストレーションが精緻で、色彩を重ねても透明感が損なわれていない。

【山本】無駄な音が書かれていない。空間的な音を意識させる。特殊奏法などに逃げることなく正統的な書法。

【私感】山本さんが指摘されていましたが、洗練されたアンサンブルの中に「不具合(バグやグリッチ)」を遊ぶというコンセプトをもう少し明瞭に表現する工夫があれば、更に面白い作品になっていたように感じます。

▼審査結果

【新実】一位:山邊、二位:石川、三位:河島

【望月】一位:石川、順位なし:河島、山邊

【山本】一位:河島、二位:石川、三位:山邊

【私感】聴衆賞:該当なし(昨年との対比において)

芥川也寸志サントリー作曲賞の運営上の課題として、今回のように3人の審査員の審査結果が分かれた場合は、3人の審査員の協議によって無理に1曲に集約しようとする昭和的なやり方ではなく、例えば、聴衆賞を1票として芥川也寸志サントリー作曲賞を選ぶ方法などに改善した方が「マシ」ではないかと思います。それぞれの審査員がお互いに忖度し、妥協して、無理に1曲に集約して行く過程を見せられると芥川也寸志サントリー作曲賞は妥協の産物のような印象しか受けず(審査基準の透明性などの問題も含む。)、それに権威を認めろと言われても当惑してしまいます。なお、音楽に国籍や国境はないと信じたいので、武満徹作曲賞のように日本人作曲家の作品だけではなく外国人作曲家の作品も幅広く選考対象に含めるのが望ましいと思いますが、運営面や費用面などから難しいということであれば、少なくとも、審査に「しがらみ」などが可能な限り影響しないように、(費用面が許すのであれば)外国人作曲家や外国人指揮者などを審査員として招聘することを考えてみても良いかもしれません。

▼審査結果

芥川也寸志サントリー作曲賞:石川健人 「ブリコラ-じゅげむ」(2023年)

聴衆賞:山邊光二 「Underscore」(2022年)

【演題】ザ・プロデューサー・シリーズ アーヴィン・アルディッティがひらく

室内楽コンサート2(8月25日)

【演目】①エリオット・カーター 弦楽四重奏曲第5番(1995年)

②坂田直樹 「無限の河」弦楽四重奏のための(世界初演)

③西村朗 弦楽四重奏曲第5番「シェーシャ」(2013年)

④ハリソン・バートウィッスル

弦楽四重奏曲「弦の木」(2017年)

【演奏】<Sq>アルディッティ弦楽四重奏団

【一言感想】

坂田直樹 「無限の河」弦楽四重奏のための(世界初演)

この曲は室内楽コンサートで世界初演される予定の2つの委嘱新作のうちの1曲ですが、パンフレットによれば、「華厳思想から得られた二つの着想をもとに書かれている。一つ目のアイディアは、「一つの個体は全体のなかにあり、個体のなかにまた全体があり、個体と全体とは互いに即している」とする「一切即一」の世界観。二つ目の発想は、「一切の事象が対立することなく互いに溶け合い、調和する関係を保っている」とする「相即相入」の考え方。これらの観念にふさわしい音響とはどのようなものだろうか?まず、私にイメージされたのは尺八の複雑な響き。(中略)尺八のたったひと吹きのなかで宇宙全体が表現されているようでもあり、この伝統楽器の音を拠り所としつつ、作品を書き進めた。」と解説されています。西洋のアコースティック楽器は整数次倍音を美しく響かせるために改良が加えられてきた歴史があり、その反面として非整数次倍音を抑制してきたと言えると思われますが(父性原理)、尺八は整数次倍音と非整数次倍音が混在する自然の音を奏でる楽器で(母性原理)、西洋音楽のように音の連なり重なりで描く音世界とは異なる一音で描き切る音世界(一音成仏)に特徴があると思われます。この尺八(1本の管)の音世界を西洋音楽のメディアである弦楽四重奏(4挺の弦)で表現する野心的な試みに感じられました。弦の特殊奏法などを使って整数次倍音と共に非整数次倍音を多く含んだ音が多用され、また、息の楽器である尺八の特徴を捉えた音(音の立ち上がりは強く、息が続く限り音が持続して、息が切れると減衰する息の音)が表現されていたと思います。さらに、ニュアンス豊かなビブラートなどを使って尺八のユリを多様に表現するなど尺八の風情が随所に感じられ、弦が尺八の音世界を体現する面白い作品に感じられました。なお、演目数が多いので存命中の作曲家の一部の作品に限り感想を書くことにしていますが、昨年他界された西村朗さんがI.アルディッティさんの還暦祝いに献呈された弦楽四重奏曲第5番「シェーシャ」では、そのユニークで精緻な書法に瑞々しい生命が吹き込まれる構築感のある名演奏を堪能できたことを特記しておきたいと思います。

【演題】ザ・プロデューサー・シリーズ アーヴィン・アルディッティがひらく

室内楽コンサート3(8月25日)

【演目】①ブライアン・ファーニホウ

弦楽四重奏曲第3番(1986/1987年)

②ジェームズ・クラーク 弦楽四重奏曲第5番(2020年)

③ロジャー・レイノルズ 「アリアドネの糸」(1994年)

④イルダ・パレデス 「ソブレ・ディアロゴス・アポクリフォス」

ピアノ五重奏のための(世界初演)

⑤ヤニス・クセナキス

「テトラス」弦楽四重奏のための(1983年)

【演奏】<Sq>アルディッティ弦楽四重奏団

<Elc>有馬純寿(④)

<Pf>北村朋幹(⑤)

【一言感想】

ロジャー・レイノルズ 「アリアドネの糸」(1994年)

日本との所縁が深く武満徹さんとも親交が厚かったロジャー・レイノルズさんですが、この曲はアルディッティ弦楽四重奏団に献呈した4曲の弦楽四重奏曲のうちの1曲で、パンフレットによれば、「コンピュータ生成による音響が、弦楽四重奏に遂行可能なことの幅を拡張しながら、弦楽四重奏の音響を支え、増強し、それと交替し、時にはそれに取って代わる」ものとして機能し、「アリアドネは線をめぐる抽象的な主題となり、そのことからマティスや仙厓、クレーやレンブラントなどの創造力をかき立てるドローイングを、この楽曲で使用される音の輪郭線の着想源として用いることになった。」と解説されています。冒頭で弦が清澄な響きのロングトーンにより美しいドローイングを描いて見せた後、ライブ・エレクトロニクスが時に弦の音とシンクロしてシームレスにその音を拡張し、時に弦の音と異質な音で拮抗して緊張関係を作っていましたが、さながら様々な線種や線色で描かれる3次元的に交錯するドローイングをイメージさせる面白い音響空間を楽しめました。アコースティックの演奏と異なりライブ・エレクトロニクスの演奏ではどの位置の席に座るのかによって聴え方に大きな差が生じるように感じますが、(良席はスポンサーや業界関係者に割り当てられており)僕はスピーカーが設置してある会場隅の席に座っていた関係で、弦の音とライブ・エレクトロニクスの音がバランス良くブレンドされず、常に後方のスピーカーから聞こえてくるライブ・エレクトロニクスの音が弦の音をマウントしてくるような聴え方がしていた点が残念でした。この点、ライブ・エレクトロニクスの公演は、ホールで聴くよりも、マイクで拾った最適音をヘッドフォンで聴く方が作品の魅力を体感し易いのかもしれません。

イルダ・パレデス 「ソブレ・ディアロゴス・アポクリフォス」ピアノ五重奏のための(世界初演)

イルダ・パレデスさん(I.アルディッティさんの愛妻)はメキシコを代表する現代作曲家ですが、パンフレットによれば、「スペイン語による題名は、「創り上げられた対話について」という意味で、私がアルディッティ弦楽四重奏団のメンバーによるものとして創作した音楽的な対話のこと指し」ており、「アルディッティ弦楽四重奏団のことを知ることで、私はいつもインスピレーションをかき立てられる。というのも、彼らを知ることで、詩的・音楽的なドラマトゥルギーを構成しながら、音楽の進むべき方向を理解することができるからだ。」と解説されています。冒頭でピアノが閃きに満ちたパッセージをダイナミックに奏でましたが、その後、弦はハーモニクスや細かい刻みなどによるセンシティブな演奏を展開し、ピアノも内部奏法(指のほかにスティックなどを使用)による精妙な響きを紡ぎ出す思索的な演奏が展開されました。やがてピアノが奔放なリズムを奏でると、弦もピッチカートやスピッカートなどでリズミカルに応え、シャープな音によるアグレッシブな演奏が展開されましたが、さながらアイディアを音楽にして行く創作過程そのものをイメージしながら興味深く聴いていました。北村さんは内部奏法のために殆ど立ちっ放しの状態でしたが、内部奏法から紡ぎ出される独特な響きが随所で効果的に使用され、音楽に吸引力を生むアクセントになっていたように感じられ、表情豊かな演奏を楽しめました。

【演題】サントリーホール国際作曲委嘱シリーズNO.46(監修:細川俊夫)

テーマ作曲家:フィリップ・マヌリ

作曲ワークショップXトークセッション(8月26日)

【演目】第1部 フィリップ・マヌリX細川俊夫トークセッション

<対談>フィリップ・マヌリ

野平一郎

細川俊夫

<通訳>今井貴子

第2部 若手作曲家からの公募作品クリニック/実演付き

①杉本能 「Earth, Water & 」Air」

②鷹羽咲 「エマルション」クラリネットとヴァイオリンのための

③浦野真珠 「BAT and CACTAS」弦楽三重奏のための

<レクチャー>フィリップ・マヌリ、細川俊夫

<通訳>今井貴子

【演奏】<Fl>山本英(①)

<Cl>東紗衣(②)

<Vn>迫田圭(②③)

<Va>甲斐史子(③)

<Vc>細井唯(③)

【一言感想】

〇第1部 フィリップ・マヌリX細川俊夫トークセッション

P.マヌリさんの日本の印象やプレザンスのワールドプレミエの感想などが語られた後に、IRCAMの活動についてトークが展開されました。そのなかで、ライブ・エレクトロニクスが十分に普及していない現状の課題について、クラシック音楽とエレクトロニクスの素養を兼ね備えた人材の不足が指摘されており、そのような環境がライブ・エレクトロニクスに興味を示す作曲家が少ない現状を生んでいるという問題意識が示されました。芸術界に限らず、どの分野でも「文理融合」が社会課題であることが浮き彫りにされました。P.マヌリさんの音楽家のスタンスとして、音楽からヒエラルキーな構造を取り払うことに取り組まれているそうですが(革新)、その一方でグレゴリオ聖歌に遡る伝統的な作曲技法を踏まえたエクリチュールの重要性を唱えられていたのが印象的でした(伝統)。これは映画「ター」でも採り上げられていた問題ですが、若い世代の音楽家には伝統的な作曲技法を踏まえたエクリチュールに興味を示さず、コンセプトのみを重視して無手勝流(型無し)に流れる人もいるようです。個人的には「型を学んで、型を追わず」(映画「ドラゴン・キングダム」より)という名言のとおり、いつまでも型通りでは花(世阿弥曰く「花と面白きとめづらしきと、これ三つは同じ心なり」)がなくつまりませんが、(100年に1人の天才を除いて)基本を洗練させたうえに一流や革新(型破り)は成立するものであり、これは芸術界に限らず、どの分野にも妥当することではないかと感じます。

〇第2部 若手作曲家からの公募作品クリニック/実演付き

冒頭、サントリーホールのスタッフから挨拶があり、この作曲ワークショップには27作品の応募があり、そのうち3作品が採り上げられることになったそうです。因みに、武満徹作曲賞は約100作品、芥川也寸志サントリー作曲賞は60作品の応募がありましたが、この作曲ワークショップを含めて応募数は増加傾向にあるようです。最近の現代音楽ブームを背景として、年々競争率は上がって行くことになるかもしれませんが、競争率だけではなく作品の質の向上にも期待したいです。

杉本能 「Earth, Water & 」Air」

この作品はパール・クレーのスケッチブックにある3つのテーマ「重力」「水面(波打つ)」「浮力」に焦点を当て作曲したものだそうで、キー・ノイズ、息の音、掠れた音、口笛のような音など特殊奏法が駆使して様々な線形が表現されていました。P.マヌリさんから音楽的な作品だが同じことを繰り返している点が残念に思われるので、どれか1つのテーマを重視するか又は3つのテーマを1つとして扱うと音楽的にまとまりが生まれて良い作品になるのではないかという趣旨のアドヴァイスがありました。

鷹羽咲 「エマルション」クラリネットとヴァイオリンのための

この作品は水と油の乳化を表現したものだそうで、冒頭では衝突していたヴァイオリンとクラリネットがやがて反応しながら乳化して行く様子が音楽的に表現されていました。P.マヌリさんから曲の終止感が弱く宙ぶらりんな印象を受けるので、終曲を工夫する必要があるという趣旨のアドヴァイスがありました。

浦野真珠 「BAT and CACTAS」弦楽三重奏のための

この作品はコウモリがサボテン「ゲッカビジン」を受粉する過程を表現したものだそうです。コウモリは耳で見る動物で超音波を使って花と対話しながら位置関係を把握しますが、3つの弦楽器の明確な性格付けと多彩なコンビネーションが面白い作品に感じられました。P,マヌリさんからドラマチックな心理変化や音響設計が面白く、想定外の終わり方が聴き手のイマジネーションをかき立てるものであり素晴らしかったという趣旨の高評価が示されました。次の武満徹作曲賞に応募してみてはいかがでしょうか。期待しています。

【演題】サントリーホール国際作曲委嘱シリーズNO.46(監修:細川俊夫)

テーマ作曲家:フィリップ・マヌリ

室内楽ポートレート(8月27日)

【演目】①フィリップ・マヌリ

弦楽四重奏曲第4番「フラグメンティ」(2015年)

②フィリップ・マヌリ

「六重奏の仮説」6楽器のための(2011年)

③フィリップ・マヌリ

「イッルド・エティアム」ソプラノと

リアルタイム・エレクトロニクスのための(2012年)

④フィリップ・マヌリ

「ウェルプリペアド・ピアノ(第3ソナタ)」ピアノと

ライブ・エレクトロニクスのための(2020年)

【演奏】<Sq>タレイア・クァルテット(①)

<Fl>今井貴子(②)

<Cl>田中香織(②)

<Mb>西久保友広(②)

<Pf>永野英樹(②)

<Vn>松岡麻衣子(②)

<Vc>山澤慧(②)

<Sop>溝淵加奈枝(③)

<Elc>今井慎太郎(③)

<Pf>永野英樹(④)

<Elc>今井慎太郎(④)

【一言感想】

①フィリップ・マヌリ 弦楽四重奏曲第4番「フラグメンティ」(2015年)

パンフレットによれば、「「フラグメンティ」の名の通り、全体は、ごく短い11の断片から構成され、それぞれが、ひとつのアイディア、ひとつの身振りを音楽的に示す。すなわち、この作品においては、何らかの根本的アイディアが連続的に展開されるのではなく、性格の異なる断片どうしが大きな星座を形成していくのである。またマヌリは、弦楽四重奏曲というアンサンブルの同質性を活用して、その全体を16本の弦をもつ一つの大きな楽器のように扱ったという。」と解説されています。急~緩~Pizzなどの性格が異なる短いフラグメントが組み合わされていましたが、密度濃く硬質な響きで空間を満たす急~揺蕩うような淡い響きが空間を漂う緩~緊張関係にある点描が空間を彩るPizzなどを基本的なキャラクターとし、様々な奏法から生み出される多彩な音色やボキャブラリーなどを使ってメリハリのある音楽が展開されていました。従来の弦楽四重奏は4人の登場人物が1つの音楽的な物語を紡ぐ小説のようなものであるとすれば、この曲は1句1句が異なる世界観を持つ俳句集のような風合いを持った面白い作品に感じられました。

②フィリップ・マヌリ 「六重奏の仮説」6楽器のための(2011年)

パンフレットによれば、「室内楽を書くとは、つまるところ、人間の会話を思い描くことである。人間の会話は、ひとびとの間を往復し、新しいアイディア次第で増殖し、まとまるかと思えば散り散りになり、停止して沈黙し、再び出発点に戻る。室内楽も、同じようなものだ。」と解説されていますが、これはP.マヌリさんの作品が持つ特徴の1つになっていると言えるかもしれません。ピアノが跳躍音をダイナミックに奏で、これにマリンバが機敏に呼応しますが、これとは対照的に管弦は微細音を奏で静観している様子がユーモラスに感じられました。その後、ピアノが内部奏法によりハーモニクスを変化させながらドビュッシーの「雪の上の足跡」のモチーフを奏で、マリンバ(クロタルをアクセントとして効果的に使用)と音楽的なフレームを作ると、これに呼応して管弦が様々な音楽的なボキャブラリーで多彩な対話を重ねるユニークな音楽に感じられました。多様な奏法、音色、ボキャブラリーなどを使って織り上げられて行く豊かな物語性が飽きさせず、グルーブ感や即興感すら感じさせる熱量の高いアンサンブルは聴き応えがありました。音楽的な文脈が明瞭に伝わってくる演奏も素晴らしかったと思います。

③フィリップ・マヌリ 「イッルド・エティアム」ソプラノとリアルタイム・エレクトロニクスのための(2012年)

ライブ・エレクトロニクスの第一人者の真髄を堪能しました。パンフレットによれば、「この作品が主題とするんは、中世の魔術であり、その着想の源は、魔術が中心的問題のほとつになっているイングマール・ベルイマンの映画「第七の封印」にある。わたしは2つのテキストを利用していて、そのひとつはカルロ・ギンズブルグの著書「魔女たちのサバト」に掲載されているラテン語のテキストであり、もうひとつは、女声の詩人、ルイーズ・ラベによるとされる、古フランス語のテキストである。」と解説されています。ソプラノが異端審問官と魔女の2役を歌い分けましたが、異端審問官が冷徹な声で魔女を断罪しますが、ライブ・エレクトロニクスの硬質な金属音がこの世ならざるものの存在を予感させるもので、冒頭からインパクトのある世界観に惹き込まれました。その後、魔女がこの世ならざるものに心を囚われて霊感を帯びた言葉を歌い始め、その声をライブ・エレクトロニクスが拡張しながら反芻し魔女の心に宿るもう一つの闇の世界が不気味に描写されましたが、これまでに聴いたことがない強烈な世界観を持った声楽作品に鼻血が止まりませんでした。オモシロイ!その後、ライヴ・エレクトロニクスから教会の鐘の音が鳴ると、魔女の肉声(光)とライブ・エレクトロニクスの心の声(闇)が拮抗し、やがてライブ・エレクトロニクスの心の声が圧倒して魔女の内心を支配するハイブリッドな世界観が強烈なインパクトで表現されていました。魔女の肉声(光)は叫びに変って切り裂かれ、ライヴ・エレクトロニクスの心の声(闇)と共に教会の鐘の音(光のメタファー)が崩壊すると、炎に包まれた魔女の姿がいびつに歪み、最後は照明が落ちて深い闇に包まれるという悪魔的な展開に興奮を禁じ得ませんでした。ヴラヴォー!この作品は、映画の世界観を声楽作品として昇華したものに感じられ、単にライブ・エレクトロニクスの斬新な音響を使って現代音楽をサブカルチャー化したものとは異なり、サブカルチャーの要素を現代音楽に上手く採り入れなら声楽作品として確立することで新しい芸術体験を可能にしたという意味で、この分野の新しい表現可能性を感じさせる大変に意義深い作品に感じられました。どの分野でもそうですが、先達の成果を受け継ぎながら一人の天才の登場が道を切り拓くということかもしれません。是非、声楽家の皆さんは、この作品をレパートリーに加えて頂きたいと願って止みません。なお、この曲はあまりオペラのように芝居掛ると鼻に付き、聴衆のイマジネーションを阻害するのではないかと思われますが、ソプラノの溝渕さんは音以外の要素は抑制的で声質を上手く使いながらライブ・エレクトロニクスの音響効果を使って闇の世界を深めて行く演奏で、それが聴衆のイマジネーションを上手く引き出していたと思います。

④フィリップ・マヌリ 「ウェルプリペアド・ピアノ(第3ソナタ)」ピアノとライブ・エレクトロニクスのための(2020年)

前掲の声楽作品に続いて、この器楽作品でもライブ・エレクトロニクスの第一人者の真髄を存分に堪能できました。パンフレットによれば、「この曲のタイトルは、一方でバッハを仄めかしている。バッハの時代の調律論争(その痕跡はよく調律された(すなわち平均律)クラヴィーア曲集に現れている)は、楽器それ自体の響きを調整しようとする現代に通じるように思われたからだ。このタイトルは、一方で、ケージをアイロニカルに仄めかしている。参考にしたのは、ケージの「ソナタとインターリュード」だが、私の曲におけるピアノは、もはやボトルやナットではなく、電子的手段によって「プリペアド」され」、「ソリストが、あらかじめ作成された電子音楽に従うのではなく、機械のほうが、ソリストの演奏に合わせていく。」と解説されています。冒頭はピアノとライブ・エレクトロニクスが異なる音質で対話を続けてハイブリッドな世界観が印象付けられていましたが、やがてピアノの音がライブ・エレクトロニクスでプリペアド音に変換され、ピアノとライヴ・エレクトロニクスがシームレスに融合する音響空間が出現しました。この技術を使えば、プリペアドはもちろんのこと、ピアノの調律を変えなくても四分音ピアノに変換することも可能であり、さらに、1台のピアノで平均律ピアノと四分音ピアノの2台分(176鍵盤)の演奏をすることも可能ではないかと思われ、非常に興味深かったです。その後、ピアノとライヴ・エレクトロニクスのデュオが展開され、さながらジャズの即興演奏のようなグルーブ感のある完成度の高い演奏に興奮を禁じ得ませんでした。オモシロイ!ライヴ・エレクトロニクスが演奏を主導するのではなくピアノ(人間)が演奏を主導するデュオなので、人間の閃きがエレクトロニクスを主導しながら、更にライブ・エレクトロニクスが人間にインスピレーションを与える相乗効果が感じられ、単にピアノ(人間)をライブ・エレクトロニクスに置き換えてしまうよりも熱量が高い面白い演奏が聴けるような気がしています。ライブ・エレクトロニクスからガムランのような音が聴こえてくるなど、様々な意味で意外性のある音楽を楽しむことができ、優れて満足度が高い芸術体験になりました。ヴラヴォー!日本ではライヴ・エレクトロニクスの有馬純寿さんのほかにもヴァイオリニストの河村絢音さんとライヴ・エレクトロニクスの佐原洸さんなどもヴァイオリンとライヴ・エレクトロニクスの可能性を追求する活動を続けられていますが、今後、この分野の作品が革新されて行くことになるかもしれません。室内楽ポートレートで採り上げられた4作品はすべて日本初演になりますが、日本ではこれらの傑作群と出会う機会に恵まれていなかったのかと思うと歯痒い思いを禁じ得ず、これらの傑作群を発掘して紹介するプロデュース力の重要性を感じますし、このような機会を設けて頂いたサントリー芸術財団のスタッフの皆さんとこのシリーズを監修された現代作曲家の細川俊夫さんに大いに感謝したいと思います。是非、演奏家の皆さんにはP.マヌリさんの傑作群を採り上げる機会を増やして欲しいと切に願って止みません。

【演題】ザ・プロデューサー・シリーズ アーヴィン・アルディッティがひらく

オーケストラ・プログラム(8月29日)

【演目】①細川俊夫 「フルス(河)」~私はあなたに流れ込む河になる~

弦楽四重奏とオーケストラのための(2014年)

②ヤニス・クセナキス 「トゥオラケムス」

90人の奏者のための(1990年)

③ヤニス・クセナキス 「ドクス・オーク」

ヴァイオリン独奏と89人の奏者のための(1991年)

<Vn>アーヴィン・アルディッティ

④フィリップ・マヌリ 「メランコリア・フィグーレン」

弦楽四重奏とオーケストラのための(2013年)

【演奏】<Sq>アルディッティ弦楽四重奏団

<Cond>ブラッド・ラブマン

<Orch>東京都交響楽団

【一言感想】

①細川俊夫 「フルス(河)」~私はあなたに流れ込む河になる~

弦楽四重奏とオーケストラのための(2014年)

パンフレットによれば、「東洋の道教(タオイズム)の考え方では、世界の根底には、気(宇宙の根源を生み出すエネルギー)が流れており、その流れの変化が天地宇宙を形作る」と考えられていますが、「弦楽四重奏が人、そしてオーケストラはその人の内と外に拡がる自然、宇宙と捉え」て、「音楽を、世界の奥に流れる気の河(音の河)と捉え、それを陰陽の原理によって生成させたい。西洋音楽の音を素材として構築するという考え方ではなくて、世界の奥に流れている気の流れを聴きだし、それを陰陽の宇宙観によって紡ぎ出」したと解説されています。オーケストラは8形2管編成をベースにしていましたが、弦楽四重奏とオーケストラのバランスが絶妙で、それぞれの世界観がシームレスに繋がりながら、決して弦楽四重奏がオーケストラに埋もれてしまうことがないプレゼンスを感じさせる見事な協奏曲になっていました。冒頭はオーケストラから宇宙の気の流れを体現するように微細なロングトーンが聴こえ、銅鑼の音が柔らかく澄み渡り雄大な宇宙の調和をイメージさせるものに感じられました。徐々にオーケストラに陰の気の流れと陽の気の流れが交錯し、それが弦楽四重奏に伝播して、オーケストラと弦楽四重奏が相互に連鎖反応しながら脈打ち、これに管打が加わって大きなエネルギーの発散を感じさせるクライマックスを迎え、最後はPizzで静かに音楽を締め括られましたが、その静寂に拡がる圧倒的なものを何かを印象付ける終曲になっていました。なお、ブラッド・ラブマンさんは細部まで配慮に行き届いた指揮振りで、アルディッティ弦楽四重奏団と東京都京響楽団から精妙なアンサンブルを紡ぎ出すことに成功していたと思います。この作品は、ピアノ五重奏曲「オレクシス」の世界観に通底する宇宙の万物(生物を含む。)の根源にある未だ物理学が十分に記述できない宇宙の法則に迫真する非常にスケールの大きな音楽に感じれる傑作です。ヴラヴォー!

▼メトロポリタン歌劇場の2024/2025シーズン

メトロポリタン歌劇場の2024/2025シーズンが発表され、シーズン全17公演(特別公演を除く)のうち、現代オペラは以下の4作品(シリーズ全公演のうち約1/4)が採り上げられるそうで、メト総裁P.ゲルブさんの揺るぎない攻めの姿勢には心からの敬意を表したいと思います。大好き💘 その一方で、「Metropolitan Opera Live in HD」(日本の配信名:METライブビューイング)について、昨年は現代オペラ3作品を採り上げていて鼻血が止まりませんでしたが、今年は現代オペラは1作品のみで馴染みのある定番オペラばかりが並んでおり、METライブビューイングに関する限り些か拍子抜けの印象を否めません。これには映画館という敷居の低いメディアを使って普段はオペラを鑑賞しない客層をオペラハウスに呼び込むための誘客ツールとして活用したいという思惑があるのでしょうか?前回のブログ記事でも触れたとおり、どんな名画(リメイクを含む)でも何十回も観れば観飽きてしまうのと同様に、定番オペラ(新制作を含む)を観飽きている客層は僕の回りでも非常に多く、常に劇場では新作の話題が飛び交うワクワクするような状況にならないものとか夢想しています。いずれにしても、以下の4作品をメトのプロダクションで鑑賞してみたく、海外向けや遠隔地向け(アメリカ大陸は広大)にオンライン定期会員なんて作ってくれないかしら。

▼東劇アンコール上映2024

METライブビューイングの東劇アンコール上映2024が発表され、現代オペラは以下の4作品が採り上げられるそうです。このうち、3作品については感想を書きましたので、オペラ「ドクター・アトミック」を鑑賞後に簡単に感想を残してみたいと思います。先日、映画「オッペンハイマー」が公開されて話題になっていましたが、オペラも神話、歴史、文学や映画などを題材にしたものが多く、このオペラもR.オッペンハイマーによる原爆開発の史実を題材にしたもので、既にオペラ版及びシンフォニー版共に日本初演されています。戦後70年以上を経過して、再び、ウクライナ戦争で核兵器の脅威が取り沙汰されていますが、現代人が核兵器の不使用、不拡散、廃絶を促進するために必要な教養を育むうえで芸術に期待される役割は益々大きなものがあると思います。

▼夏休みの自由研究課題

小中学校の夏休みの自由研究課題をどうしようかと悩んでいるちびっ子の皆さんも少なくないと思いますが、現在、民音音楽博物館(JR信濃町駅前)で企画展「こどものための世界民族楽器店」が無料開催されています。世界の民族楽器と日本の民族楽器の似ている点や異なっている点などを比較してみると、それらが各国の交流の歴史や各国の社会的又は文化的な違いに根差していることなども分かって面白いかもしれません。