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大岡昇平『再会』

しかし経験とは、そもそも「書く」に価するだろうか。この身で経験したからといって、私がすべてを知っているとは限らない。経験したため、却って見えなくなったことも、多々あるはずである。帰還以来日本の現実が、いかに私に見えにくいことか。

大岡昇平『成城だより』

いっしょに芝居をしたことあり、富永次郎、Kに惚れてしまった。貰った手紙を見込があるか、と鑑定を頼まれたことあり。「髪をすいていると、だんだん緑色に光って来て、気が静まって来ます」とあり。「この女は、ちょっと気をつけろ。ナルシシズムを見せつけるのは、お前さんに気があるのではなく、気を持たせてるだけだから」と忠告す。果たしてその通りとなる。「白痴群」に次郎の失恋詩の多きはそのためなり。しかしこの手紙の文句悪くなかったから、拙作中に二度使った。

大岡昇平『文学表現の特質』

作家の性格、記憶、志向、経験、要するにその生活史のすべてが、彼の文体を形づくるのである。それは他人はもちろん、当人も、厳密にいえば、変えようのないものである。しかし作品はもちろん文体だけから成り立っているものではない。その選ぶ素材、テーマ、モチーフにおいて、彼が生きている社会の、それが書かれた時点における、現象の諸相、歴史が参加しているのである。それはいかにオリジナルであろうとも、彼が使う言語を条件づけている。戦後の日本における「民主主義」という言葉の多義性を例にとってもよい。もっと日常的な言語においけも認められることである。

大岡昇平『文学の可能性』

まず小説が人間の願望の物語による実現である、という前提から出発したい。(略)

わが国におけるそのはじまりを(略)一応『源氏物語』あたりにおくとすると、すぐほかの書かれたもの(詩、論文)にはない、一つの作用が認められます。それは読者に物語中の人物のように生きてみたい、という願望を起こさせることです。

大岡昇平「悲しい老人」

実は私は去る11日、新宿に出て、下りの階段を踏みはずし、腰骨を打ち、以来十日間、寝たきりになった。食事もベッドで取ることが多くなり、それだけ老妻に世話をかけることが多かったので、看病疲れの老女の自殺にショックを受けたらしい。

心やさしき子供がいることだし、わが家にそんなことは起こらない、と信じている。しかし敬老の日に自殺する老人のニュースばかり聞くのはつらい。国家が世界一の長寿国になろう、としている日本の老人の世話を家族におしつけるつもりなら、敬老の日なんて偽善的な祝日はやめてしまうーというわけには行かないか。おしつけのため作った祝日かも知れないのだから。

大岡昇平「三十八年目の八月に」

丸谷才一

拙作『事件』や『ながい旅』の中に、言論で戦う人間を御注目下さり、光栄です。日本の政治家は、文学者も同じですが、「勘」とか「眼力」とか「腹芸」ですべてを処理し、のらりくらり言を左右して、自分の都合のいい結論へ持って行く。この民族的特性はいつから形成されたのか知りません。みながそうだとは申しませんが、悲しいことです。

大岡昇平「わが師わが友」

泰子の不安は小林への憎悪になって現われることもあった。走って来るバスの前へ、いきなり突き飛ばした。ある夜、

「出て行けっ」

と怒鳴ったら、小林は命令通り出て行った。東中野と中野の間の長谷戸という湿地の、バラックのような家である。玄関から、通りの方へ廻って行く前かがみの後姿は、窓から見ると、いつものようにすぐあやまって戻って来る恰好だったそうである。しかし小林はそれっきり戻らなかった。(略)

翌日から中原の活躍がはじまった。中原は一体もめごとが好きなたちである。石の根を掘りかえしても(?)探し出すという勢いだった。河上徹太郎のところへ行ったら、玄関で、

「来なかったよ」と言ったが、

「今いないのはたしからしい。しかしあの顔は一晩は泊めた顔だ」

という判定だったが、これは無論誤りである。