【横浜 金蔵寺・日吉不動尊】極彩色の彫り物が見応えあり!関東三十六不動霊場第5番 (original) (raw)
こんにちは。横浜市港北区にある『金蔵寺・日吉不動尊』に行ってきました。
川崎市に隣接する「港北区日吉」は慶応義塾大学日吉キャンパスがある事でも知られる学生の街で、東京都心、横浜みなとみらいにも抜群のアクセスです。
今回は、そんな日吉の閑静な住宅街に佇むお寺を散策します。
概要
・山号:清林山
・院号:佛乗院
・宗派:天台宗
・創建:貞観年間(859~876年)伝
・本尊:大聖不動明王
見どころ
入口付近
入口に至るまでの参道の両側には桜の木が植樹されており、桜の花の咲く頃は風情がありそう。「関東三十六不動霊場」の他に、「横浜七福神」の寿老人としても知られています。
山門
扁額の文字の色が群青色っぽいのがいい雰囲気。
水盤舎
水盤舎の中華風のデザインが目を引きます。
柱に絡みつく龍の彫り物。
象や鬼?など、色々なものが彫り込まれており見ていて飽きません。こうした極彩色の彫り物を施した建造物が境内随所にあるのが『金蔵寺・日吉不動尊』の特徴かと。
本堂
境内は綺麗に整備されており、本堂前には芝生が広がっています。
灯篭
極彩色の装飾が施されたかなり派手な灯篭ですね。灯篭には「一隅を照らす」との字が書かれています。この言葉、天台宗を開いた最澄の言葉「一隅(いちぐう)を照らす、これすなわち国宝なり」との事。たとえ注目されないような状況においても、ちゃんと取り組む事こそ尊いとの意味があるようです。
扁額
大きな数珠
本堂の上から吊り下げられた大きな数珠。数珠を回してお参りするようですが、コロナ禍の今は使えない為?、柱に括りつけられているのかも知れませんね。
六地蔵堂
六地蔵堂も極彩色路線を継承したつくりになっていますね。
お堂の内外随所に興味深い彫刻が施されています。なかなか豪華な六地蔵堂です。
観音堂
阿弥陀如来坐像
六地蔵堂近くの石仏。ちょっと気になった存在なので写真を一枚。
辯天堂
本堂の裏手にある「辨天堂」。『日吉不動尊』の最大の見どころかも知れません。
堂内至るところに施されたカラフルな彫り物や絵の装飾に圧倒されます。非常に興味深い建造物です。
高台から見た「辨天堂」。
辨天堂の装飾
「辨天堂」正面入り口の上にある天女と龍の彫り物。
正面入り口の右上及び左上に施された彫り物。これは神話か何かの一場面なのでしょうか。
「辨天堂」1階内部の彫り物。”見ざる聞かざる言わざる”がありますね。
「辨天堂」1階内部の彫り物。壁面の至るところに彫り物がされているので見応え十分。
天女?でしょうか。
「辨天堂」2階部分へ向かう階段付近に書かれた”天女たち”。
「辨天堂」内にある階段を上がっていくと、寺院の裏山にある奥之院へ続く道に辿り着きます。階段を上り切ったところには、まず稲荷大明神が御鎮座。それにしても壁面、天井の彫り物と絵がスゴイですね。
階段上の天井に描かれた”龍”。
階段の壁面に施された彫り物。筆者個人的には一番気に入った作品です。
日吉山王権現
「日吉山王権現」の由来として、境内石碑に書かれてる説明文。
『幕末から明治前半にかけてこの地には駒林、駒ヶ橋、矢上、箕輪、鹿島田、小倉、北加瀬、南加瀬、苅宿、木月の十部落があった。明治廿二年町村制実施で一つの村名をきめかねた末、東の三井寺といわれた駒林金藏寺の裏山に霊験あらたかな日吉山王権現が鎮座され、当寺第三十一代漢学者岩村眞道師により日吉村と名づけられた。 昭和十四年横浜市神奈川区に編入。昭和十六年港北区となり日吉村名は消えたが碑は現存して居る』
やはり「日吉」と言う地名は、日吉山王権現から来ており、日吉村の名前は無くなったものの、地名としては、また復活して現在に至っているのですね。
ここから1分程上ったところにある「奥之院不動堂」を目指して、さらに道を上がって行きます。
「日吉山王権現」の近くあった祠。不動明王?
不動明王
「奥之院不動堂」に行く道の途中にある不動明王。
奥之院弁天
同じく、「奥之院不動堂」に行く道の途中にある「奥之院弁天」。
奥之院不動堂
裏山の頂上?にある「奥之院不動堂」に到着。「辨天堂」の入口からでもすぐなので、忘れずに立ち寄る事をお勧めします。
基本情報
・名称:金蔵寺・日吉不動尊
・住所:横浜市港北区日吉本町2-41-2
・電話:045-561-2037
アクセス
〇横浜市営地下鉄
『日吉本町駅』より徒歩5分
〇東急東横線・目黒線
『日吉駅』より徒歩15分
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