白蓮庵のブログ (original) (raw)
最近特に思うこと。
それは昔の本当にすごい!と言われるお坊さん達って、一般の人からすればキのつく人なんじゃないかと思うんですよ。
これは結構前から思ってるのですが、まともに人とコミュニケーションを取り円満にかつ、常識的に生きていけるお坊さんって、結局のところ『職業坊主なんじゃないかな』と思ってます。
これを確信した時は自分の御師僧様に、一大決心をして、自分の長らく悩んでいたことを相談した時のこと。
私は話すことも憚られるかな、思い出すのもしんどいな、こんな感じで修行なんてしていけるのかな、色々な思いを踏まえた上で、本当に一大決心でお話をしたのです。
でも多分どうでもいいことだったのでしょうね。
全くどうでもいいことだったのでしょうね。
私は本当に一大決心だったのですよ?
その件に合点が行った時は目からウロコでした。いろんな意味で。
でも、大物のお坊さんっていうのはこういうことなんだろうなと思いました。
自分の信仰のこと以外、全く興味がないのだと思います。
だから、私は自分のお師僧様のことを本当にすごい人だと思っています。
多分毘沙門天王様のこと以外全く興味ないのだと思います。
だから、このお師僧様につけたことは本当に私には良かったと思ってます。
私はいつも気がそぞろで、あれもこれも気になって、あれもこれもやってみたくて。あれもこれもそれもみんな気になる。気になったことは全てやってみないと気に食わない。それであきればすぐに投げ出す、そんな私にぴったりだと思いました。
だからね、今騒がれている大僧正様も何を聞いても知らんぷりしていたわけじゃなくて、気にならなかっただけなんだと思います。
たぶん当事者からしたら一大決心の重要事項の相談だったとしても、どうでも良かったのだと思います。
修行以外の事は何にも気にならない人生、いや僧生を生きていらっしゃるのではないかと推察いたしました。
凡人の悩みが高みの修行を卓越した方にわかるはずがない。
俗世から如何に切り離れていくかを修行されている坊さんに、人の愛欲やら醜悪やらイヤもヨイもわかるはずがない。
何なら分かっているようじゃ修行は半端かもしれない。
人として人らしいのは本当の意味での坊さんとしては、下化衆生としては頼りになるけど、ぶっ飛んでる坊さんとしてはどうも無いんじゃないかと思っています。
だから日本には行者しかいないのだよ、と言う言葉がしっくり来る。
だって昔の名を残すような坊さんってファンキーでしょう?
中でもトップ独走ぶっ飛んでんだな〜と思うのは達磨様。
眠らない修行のためにマブタを切り取るのですよ?
あの睨み顔はマブタ無いからなことを教えてもらってから、ぶっ飛んでる位じゃないと坊さんじゃないんだな。と思い直したものです。
それまでは常識に卓越で、清廉潔白、品行方正で清き正しき行いで他の見本となるのが坊さんの役目だと思っていましたが、間違っていたことに気がつけました。
子供の頃に良く歌った【山寺の和尚さん】なんて見事に修行の合間に猫とっ捕まえて蹴り飛ばす訳でしょ?私には出来ない。
苔と木の実しか食べない坊さんとか心配になるでしょ?
今だって苔の修行とかって、歯も磨かず風呂も入らずただただ動かず1週間も念誦こらすのも、私は歯を磨きたいから無理。
寝ない修行だって70時間超えた位から、見えない物が見えてくる不思議の夢子ちゃんになるのよ?私は地獄も極楽も観た(笑)
だから人が出来ないような修行を超えられる人は人の世の中の憂いや拙さや儚さ、そう言う情緒的な事が凡人と同じように出来てるようじゃ、本物とは言えないと私は解釈しているので、単純に『どうでも良かったんだろうな』と思っています。
今生き死にに直面している訳でもなく、温かく寒くなく食べるものがあり、自身の整容が叶う環境にあるものを救うべく使う霊力は持ち合わせないと言う事なのだと思います。
何と比べ不幸と卑劣な環境にあったのかを問うなら、もう日本に生まれただけで最高地点にいるから見えなくなってしまうのでしょう。
戦地では子供すら性の的となり無残に裂傷を受け殺されている。
日本に生まれただけで、そう言う恐怖からは一番遠くにある平和ボケ。
虎が襲ってくるでなく、キングコブラが飛んでくる訳でなく、ゴリラが後ろから羽交い締めにしてくる訳でなく、寝たと思えばサソリが這う訳でなく、死の恐怖を忘れた平和な環境。
今食べるモノに飢え喉を潤す泥水でなく、汚泥汚物にまみれた寝床でないから、それが当たり前にあることだと思っているから、地獄が怖いと感じるのです。
今が地獄と言う人の方が地球上には遥かに多いのに。
こんな安全で清潔で恵まれた環境で生かされているだけでお徳貯金は湯水の如く浪費されていく、、、
私だって腹いせに言ってやりたい事はある。
でもそれも含めて自分の持てる因縁であり乗り越える必要のある修行なのだと思うのです。
乗り越えられるかなぁ(笑)
閻魔様は観てるからな〜絶対に観てるからな〜
ちょっとした事なのですが、気にしちゃいけないと思うのですが、仕方ないとも思いますが、親の顔が見てみたい。
オバァちゃん顔が見たかったです(笑)
拙母『なんだ割れてるのか』
私『それだって結構するのよ〜』
拙母『噛んだ時にパチンで割れるのが美味しいのにね、割れちゃってる』
私『割れてるのしか買えないよ』
拙母『ふーん、私はピーナッツだって日寝て硬いのパチンって食べるの好きだったのよ〜』
私が買ってきて食べてる【割れカシューナッツお徳用】を見ての一コマ。
えぇー?
あなた入れ歯だから噛むの、オールレーズンすら嫌だって良く言ってない?
割れてないカシューナッツ買ってきてあげるから食べてみなさいよ!って言い返したい気持ちを抑えて『何でもかんでも高くなってるのよ、割れてたって味一緒』って返事したけどイライラがイライラがイライラが(笑)
実母でもイライラするもの。
義母から嫁への発言なら許しがたきポイントアップ間違い無しな発言に、世の中の他人が同居って困難な修行だろうなぁ、、、って思う。
私はこの家庭で修行するのが精一杯ですね。
そんなメチャ我慢するとか忖度するとか無理。
だって〜最初の修行は家庭から。
割れてないカシューナッツが美味しいんですって。意味わかんねーし。中華料理屋かっての。
中華料理屋だって、まかない料理は割れてるカシューナッツだと思うけどね〜。
お徳用しか買えないわよ~主婦だもの。
スーパーで前と同じ感じで買い物してると2割位は高い印象よ?
割れてるの私は買うわよ?
キィーヽ(`Д´#)ノ
しかもちょっと言い返すと『更年期更年期』って言ってくるし、自覚あるからザクロジュース飲んでるけど、私の更年期より自分の更年期の時の方が酷かったと思うけどね〜私は更年期初期で今から酷くなるのよ〜ヽ(`Д´#)ノキィー
猿のほうが平和そう。
チーン。
番外編って言うか食物特集って感じかな(笑)
吉祥院での夕食。
同じく朝食。
こちらが美味しい料理を作ってくださる堀田さん、
御茶の先生らしいですので、器や盛り付けなどもセンスが光ります。
佐々木先生と二人三脚で修行者のお世話をしてくださる方です。
なんだか実家に帰ってきたようなホッコリする感じがたまらないのと、物価高でどこも宿泊費の高騰に悩みますが、健康的で美味しいご飯に安全な環境、お値段据置きのまま頑張ってくれていて、本当にありがたいです。
朝の勤行を終え信貴山へ。
だいたい1時間見ておけば移動出来ます。
柴燈護摩の準備が進められてました。
まずは奉賛会の催しでの大般若祈祷と毘沙門護摩を受け、ありがたいお話を聞いて御接待のランチへ。
これで腹ごしらえして柴燈護摩〜火渡でした。
信貴山千手院の夕食はこちら。
私はいくつか食べられないものがありましたので、ゆかりをもらってたべてました。
肉はほとんど無いけれど魚系がけっこうあり、皆さんたまたま魚が苦手とのことで、次回は【生き物なし】て頼んだ方が良いみたいでした。
朝食は撮影忘れちゃったかな、写真が無かったです(笑)食い気が勝ったのかも〜
お昼はウドンを出してくれました。
これ空鉢さんで『千手院のウドン美味しいから食べたいよね』と話していたの聞かれていたみたいです。
千手院の一角に【甘露庵】というランダムに開く喫茶があるのですが、そちらのウドンの話、、、空鉢さんで願ったことは即時叶う、、、、一願成就の空鉢さん、、、、ウドンの話してしまった(笑)あはははは〜
腹ごしらえして山内散策へ。
こちらは開運橋近くの屋台、草餅のみたらし団子。写真の前に一つパクッ。
あまり甘くなくてさっぱり系です。
こちらは焼きたて寅マン乗せアイス。今回は贅沢に双子ちゃんにしてもらいました。
もちろんご修行なのですが、昔の女子は美味しい食事があってこそですもの〜
ありがたやありがたや〜
先日所用があり近くのとある公的な機関に訪ねた時のお話です。
みごとなウチワサボテンがあり実がなり、赤と緑の美しいコントラストで写真を撮っていました。
すると外国人の男性が近づいてきて、『この実おいしい私ほしい、食べられるいつもたべてた、おいしいくれる?』と聞いてきたので、私はここの人ではない見ていただけの人だと説明すると、たまたま中から蜂駆除のためのスプレーとゴミ袋を持ったスーツ姿の、職員らしき人が出てきました。
私は『この方に聞いてみたら?ここの人っぽいですよ』と教え立ち去ろうとした時に、、、、、
外国人の方が『この赤いのおいしい、国ではよくおじいちゃんとか食べていた、くれない?』
職員の方はすかさず『よく聞かれるのですがお腹壊されても困るのであげられません』と断られていたようです。
まぁ仕方ないですね。今現在木についていてキレイで皆様が見て楽しんでいますもの。
きっと懐かしくて一つ持ち帰り家族や友人と故郷の話に花咲く種となったかもしれませんが、もいでしまえば無くなってしまいますもの。
次に外国人の方が『これくれない?植えとく』と指さしていたのは折れて落ちている一枚の葉っぱ。
私はそれくらいならもらえると思いきや、職員の方は『ダメです』
えっ?それ折れて落ちているゴミだよね?
妙な感じに思い、私は振り返り『その落ちて枯れていくだけの葉っぱもダメなんですか?(笑)』と思わず口を挟んでしまいましたが、職員の方は真面目な顔して『ダメです』
あー、なんか融通が利かないっていうか、世知辛いっていうか、つまらないなーって思っちゃう。
落ちてる葉っぱがダメならドングリも銀杏も誰も拾えん。
なんだか田舎のくせに田舎らしくないっていうか、落ちた葉っぱくらい外国人の方が欲しいっていうならあげちゃダメなの?
そういうものかしらね?
自国では食べていたっていうんだからお腹なんか壊さないでしょうに。
ゆるみの無い生き方って寂しいなぁ、って思います。
姉弟子てある吉祥院の佐々木先生の前世療法はとても誘導がスムーズで、私とは相性が良く今までも何度も何度もお世話になっています。
今回の療法では、とある方と私との前世での関係性と、何をどう後悔したりやり残した事や、今生の宿題となっている事を読み解く旅に焦点を絞り込み、誘導して頂きました結果に驚愕(笑)
実際は私の前世の記憶なのか、私をお世話してくださっている守護霊様の記憶なのか、ただのイメージや妄想なのか思い込みなのかまではわかりませんが、なかなかやらかしてるみたいな感じでした(笑)
早い話ずるいし人を罠にはめるし汚れ仕事と、使えなくなったら切り捨てる容赦のない無慈悲なダメ人間が私?私の護法様?(笑)の記憶のようなのですね。
もちろんただのストーリーなのかもしれませんが、前世療法で視えたズルい人の話です(笑)
以下長文。
場所 ★ プラネタリウムより派手な星空と砂漠とちょっとした森
時間 ★ ほとんどが星空のキレイな夜
服装 ★ 縄みたいなワラジ? クリーム色の綿ぽいズボン
シチュエーション ★ 木で出来た大きな箱を8人ずつ位の男で棒を引き押し、担ぎ引き摺りしながら夜の砂漠を複数の同じようなグループいくつかあり、星空を見ながら皆で運んでいる。
森がある時は身体を休めこの先に続く道を共にする新たな者を探す。
時には人買いのように何か書かれた木の棒の目録のような物と人を交換したり、袋の中に入っているコインのような物や、時には豆のようなものと担ぎ手となる人を勧誘とか購入?とかしている。
なかば騙すようにして現地やその周辺の貧しい暮らしの人を誘い、不等な労働を強いられている本来は護ってやらなければならない人々を買い受け?または騙して勧誘する。なんてこった。
基本的には【運び終えたその後の不自由無い人生を約束】して運んでもらうのだが、その大半は旅の途中に息絶えれば、そのへんに放下すしかない旅であった。
星を頼りに砂漠を大きな荷物を運ぶ。
疲れて休んでいると干からびたゾンビのような集団が、うらめしそうに近づいてくる。
いわゆる亡者の集団というか、オバケのたぐいの集団が毎夜ではないが、けっこう夜な夜なやってくる。
近づいてくるが特に何かは出来ないが、すぐそばまでやってきては消えて行き、それらが来る度にみんなで震え上がる。
何度もそういう恐怖にあうが寸前のところには入ってこれない。
見えない境界線みたいなものがあるのか、その一団の中には入ってこれないバリア機能みたいなものがある。
箱の中身が光を放つこともある。
夜には進み昼には身体を休ませるが、途方も無い空虚な絶望に似た気持ちの中に『戻らなければならない』と言う強い気持ちが進行を助け前に進む。
前のグループの人が行き倒れていると、死体を少し離れた所に捨てて、後ろのグループから少しずつ人を借り出し運ばせる司令を伝達する。
見張りと報告、担ぎ手の買付や勧誘をする役人?のような立場のように思う。
旅には最初から参加している。
実際に人手が足りないときは荷物も運ぶ。
言わなくて良い事まで報告し、言わなければならない善良の行いを報告しない、ずるい人間、でもそうしなければ生きていくのが大変な状況。
筋骨隆々の仁王像のような男が一人、他は普通の男たち、全員男の集団。この男の人が仁王像のモデルなのでは?と思うほど、髪型やガタイなどそっくりで驚く。
出発する時、行きは15〜16人位の小さな旅支度で、商人の隊のような、色とりどりの派手な布がかけられた馬車?人力車?みたいな旅団みたいな人達に案内されながら途中まで進む。
帰りは入れ替わりなから最終のメインは40〜50人の一団で、その中のうち行きは4人僧侶がいるが途中1人の僧侶が崖?谷へ落ちてしまい、帰りは3人の僧侶が街まで帰着する。
旅の終始僧侶達だけはものすごく丁重に扱われている。
私は帰着後このうちの2人の僧侶に別々に、こっそり女性やら食物、おそらくお酒などの席に招き失脚させる手伝い?首謀者にかなり近いか?結果、還俗させる手伝いをしてしまう。いや。ほぼ私が進んでそうした。はめたのだね。
何故そうしたのかはわからないが旅から戻った僧侶2人を陥れ、その後2人の僧侶から僧侶としての道を断ったのは間違いなく私だった。またはその一員だった。
しかもその2人の僧侶の末路は悲惨なものであり、見に行ってしまったことを後悔したほど落ちぶれてしまい、汚い小屋のような所で過ごさせてしまったようであった。
旅より戻ってからの生活は別の30〜50人の人達がいる部屋で私も書物をしている。
その人達が着ている服は全体が白く、青縁の襟が特徴的なアオザイだかパンジャビみたいな服を着ている人々が、大きな部屋で一斉に、忙しそうに何かを書いている。
私も文字を書いているが彼らとは異なり、かなり暗い色の板に文字を書いている。
白青服の集団とは違う何かを書いているが、悲しみや悔しさが襲ってくる瞬間があり、その気持ちを抑えながら書くが、ひとつひとつに集中すると、どうやら旅の途中に死んで行った者達の死に方や、名前のわかる者は名前、名前のわからない現地人などは地名や特徴などを書き記した。
この街の名前、、、今いる場所、、、『長安』あー、長細く長安と書いてある。
中国にいた事あったんだねー、と思う。
その後の人生?
白い石の家に住んでいて60歳位まで生きたみたいだが、たくさんの人を陥れたり騙して遠い地まで連れてきたのに満足な歓迎した人生を提供出来なかった事を悔やみながら死んでゆく。
現地や途中から連れてきた人々には小さな、白と焦げ茶の壁の小屋のような住処が提供され、特有の村のような集落を与えられたが、けして裕福な暮らしではなく一箇所に監視されるような、その集落で暮らす程度になってしまった。
とても申し訳なく思いながら死んでゆく。
あー私ズルい人間だったなー、あー今もそう変わらない人生かもな、、、
と、妙に納得。
そう言えば、、、小学生位の時は何故か『将来は中国人と結婚する』と思っていたし、10代から20代前半は断続的だけれど中国語を習っていたり、若い時は中国からの留学生の交流会などに積極的に参加をしていた時期があり、知らず知らずに中国への憧れのようなものがあったのかもしれないです。
今も漢字をくれた中国への尊敬と感謝の気持ちを忘れたことはない。
何よりも弘法大師様のお師匠様の国でもある。
だから今の中国の皆様にはコピー商品などで商売したり、己を貶めるような事はやめて頂き、本来の立派な大国らしさを見せて頂きたいと常日頃からおもっています。
私の前世の記憶なのか護法さんの記憶なのか、ただのストーリーなのか解りませんがメチャ面白かったですわ〜!!!
私ずーっとズルくてダメなやつなんだな(笑)
これ乗り越えるの大変そうね。
『この地では昔に大きな災害があり家屋などの様々な物が倒れ、壊れし多くの人々や動物たちが犠牲となりました。』
こんなふうにガイドさんが案内しながら資料館のような所を見て廻っている。
私達も複数の人々でついて廻っている。
中でも印象的だったのは小学生が寄る雰囲気の駄菓子屋が再現され、そこではヤキソバが食べられるようになっているのですが食べ終わったら、隣にもう一つ同じ建物が再現されその下から地割れして、地が盛り上がり中の物が散乱しどんな激しい地殻変動があったのかを、リアルに感じられるように建物の中がぺしゃんこに、横から押し潰されたかのように畳まれたようになっていて、一斉にため息をつくしかありませんでした。
次の部屋に行くと大きな洞窟のような昔の防空壕みたいな、暗い岩の坑道のような所が再現されていました。
『ここでは小学校の全員299名が亡くなりました』ガイドさんは顔色一つ変えずに淡々と説明します。
模型のような物が展示されておりこの洞窟のような坑道のような物の真上に、大きな大きな高圧電線の鉄塔が上手に覆うように倒れ、中にいた全員が亡くなったそうです。
またしても全員で溜息、一部の人は声を圧し殺し泣いていますが、鼻水をすする音と耐えきれず嗚咽をあげて泣く人、私も堪えきれずに涙が落ちます。
『それ以来この丘は【みささげの丘】と呼ばれています。』とガイドさんが言うと私は『《陵の丘》かぁ』と思うが『?陵?身捧?みささげ?えっ?身捧って?』そう思うとガイドのおじさんは私の目を見たまま大きく頷き、その瞬間ゴーっと大きな地鳴りのような音がして床が揺れ出し、一緒にいた人々はパニックになり右往左往し散り散りに八方へ走り出す。
私はその場で『身捧げってまた生贄かぁ?』と思った所で、おしまい。
やべー夢だな。
だいぶゆっくり目覚ましかけずに寝坊した寝起きの夢がハード過ぎて!めちゃくちゃ疲れているのは気の所為だろうか?(笑)
陵も身捧もとっちも墓か生贄かってアッチの話たから、そう遠くはないけど重たい夢からスタートの私の今日。