パラレル通信 (original) (raw)

サリンジャーのハプワースを読み切る。文が良いので読めるが面白くはない。グラースサーガをきちんと追ってきた人であれば時系列を変えて読むと、はじまりの物語という点で面白いのかもしれないが、かなりサリンジャー自身のために書かれたような話に思える。(この時点でもう隠居しているのだからある意味読者が読むものではないのかもしれないが)

積み本がなくなったのでホセドノソの境界なき土地を購入して読む。カルロス・フエンテスに捧げられた本であり、読みやすくはあるがあらゆる人の内面にある地獄が少しずつ広がって闇の中で混ざり合っていくような不安感に持っていかれる。

三好銀氏の海辺へ行く道が映画化すると知っておろどく。あれを映画化できるのは大林宣彦監督だけだと思っていたがどうなるのだろう。流れで原作を読み直す、"冬"が一番すごくて"どこかに穴でもできたのかい"の絵の凄さに改めて驚く。三好銀的な後ろ姿が本当に好きで、書き割りのように配置されパースがないような風景の中に現れる時、平面の中でどこに目線を持ってゆけば良いのかわからなくなるあの感覚はこの人の漫画でしか味わったことがない。"そして、また夏"は描かれた時期のこともあって(2011年の後)これまでのような現実感との乖離が少なくてちょっと残念ではあったがそれ以降に出た2冊の新作はどれも素晴らしかった。

昔、中央線沿線の引越そうと計画していた時に西荻窪あたりを探して見たがその理由は"三好さんとこの日曜日"”いるのにいない日曜日"の中で書かれるあの街が本当に好きだからだ。

実際に歩いた西荻は少し都会化されていてあの高架を走る電車の音が、夜の低層住宅に響いて、高架下のトンネルに反響して、家々に広がっていくようなあの孤独な連帯感はなくて、結局引っ越しはしなかった。

あの感じは今三鷹とか西国分寺、青砥あたりにはまだ残っているように思うので引っ越すならその辺だな。青砥は東東京だけど。

売野機子の"ありす、宇宙までも"を読む。これはなかなか面白いのではないか。この人の漫画は"薔薇だって書けるよ"から読んでいるが結構絵柄が変わったりして、色々とやってみたい人なんだろうなと思っていて、逆に言えば作品ごとに質が違うので新作が出たら必ず買う人ではなかったのだけど、1話を読んで宇宙モノということで購入。"ふたつのスピカ"という自分にとっての心の漫画がある影響で宇宙ものは大体買ってしまうのだけれど、ほとんどが宇宙に挑戦しますよみたいな感じのヒューマンドラマ的なものに集結するので、何だか違うなとなってしまうことが多い。"ありす、宇宙までも"は当然ふたつのスピカとは全然違うのだけれど、宇宙もので宇宙ではないところに美を見つけようとしているところにすごく惹かれる。今後専門学校に進む展開になったらいいなーと個人的に思う。

先週なぜかギャング映画を見たくなってデパルマアンタッチャブルを観る。タランティーノが惹かれるのがすごくわかるというか、ストーリーではなく、カメラの位置や音楽やテンポを変える編集によっていくらでも映画は面白くなるのだということを見せつけられる。人物もテンポ良く死ぬし、キャラも別に立っていない(というか感傷的に掘り下げるつもりがない)のにドキドキしながら見てしまう。例えば主人公の家族が結局全くマフィアから危害を加えられないのは、そういった方向で映画の起承転結を作らないという意志を感じる。あくまで動きだけで見せたいのだと。

流れでデパルマの作品をいくつか見直す。ミッドナイトクロス。大傑作。

ラストあたりのシーンはションベンライダーのあのめちゃくちゃな花火シーンと比べて冷静ではあるが効果的でわかっていてもグッとくる。最後のオチもずっと息抜きとして配置されていたネタを最後に反転させる様は映画として(動きだけで)結を作るという意味でお手本みたいなところまで至っているのかもしれない。ある意味古典になっていることで現在のデパルマの評価はそこまで高くないようにも感じるが、ヒッチコックのように、きちんとした批評を持って評価されるべき映画監督だと思う。

そしてゴダールの"はなればなれに"が配信されているのを知って見る。デパルマの流れで見たのでゴダールがこの映画の中であえて人物たちの心象をゴダール自身が語ったり、語らなかったりする様は映画が感傷的になり始めた時代に対する換骨奪胎のようにも思う。

タルベーラのヴェルクマイスターハーモニーの4Kの盤が出てたので購入。久々に見た。観るたび毎回思うが2000年代に思えない。"プリンス"の移し方とか、主人公が天文学者で新聞配達の仕事をしている所とか、サーカス(お祭り)のために広場に集まる群衆とか、老人の指南者の存在とか、すごくブルカニロ博士編の銀河鉄道の夜を想起する。タルベーラが宮沢賢治を読んでいるのかは全く知らないが、サタンタンゴやニーチェの馬などでも書かれる市井の人間側から捉える神話的な話というところでその源流には同じものがあるのかもしれない。

杉井ギサブロー監督の銀河鉄道の夜も見返したくなってきた。秋だし。

TGSの週なので何かと忙しい。内定が出ていた会社に辞退の連絡を入れる。条件が合わず。今年何回目だ。。

TGSで自社の製品が結構良い方向に進んで一安心。いつでも離れられる。

大江健三郎同時代ゲームを読み切る。傑作。ラストのふしぎの森の辺りは割とまんま百年の孤独のラストに重なるが、文体による時系列の組み替えに痺れる。本来であれば第四の手紙をラストにするのだろうが、なんでもない子供時代の記憶(ただしそれがそれ以降の全てへと偏在していく)というところをラストに持ってくるところにこの小説の真意があるのだろう。(戦争の話ではなく、伝承の話であると)

物語を語るというところで、リョサの密林の語り部を思い出したりするがあれは文化人類学者の視点であり、二元論の世界に立って描かれているので割と理性的である。それに対して同時代ゲーム(あるいは百年の孤独)は、未開の(未知の)思考によって描かれているのでその構造に触れた時の刺激はかなり劇薬だ。

金曜に黒沢清の新作を観る。Cloud。とても良かった。ラストの廃工場の殺し合いが取りたいがための映画とも言えるが、蛇の道とか勝手にしやがれシリーズでよく使われた流れの踏襲にも思えてあの頃のモードがまた戻ってくるのかと思って少し楽しみ。ラストも続きものになりそうな感じもあって期待している。

ただ、蛇の道(オリジナル版、リメイクは見てない)のノンリニアな編集はなく、時間を飛ばす演出はあるけどある程度丁寧に繋がれているから一見すると結構普通の映画のようにも見えるように感じた。だから、娯楽モノとして見ていると人物たちの思考のわからなさに流されてしまうかもしれないが、それでも例えばバスのシーンでほとんどホラー映画のようなカットが突然現れる感じとか、菅田将暉が東京に行ってる間の恋人の感じとか、ある種トラウマ的に頭に残るシーンがいくつかあって、そういったところが引っかかって数年後にまた見かえしてしまえるような変さが挟まれているのがうまい。

本屋に寄ったらヴァージニアウルフの灯台への新調文庫版が出ていて驚く。サリンジャーのグラースサーガの未収録短編も文庫化されていたので購入。あとは島口大樹の新作(何かの映画の小説化らしい)と中沢新一レヴィ=ストロース本を購入。島口大樹の新作は何だか中途半端な佐藤泰志みたいで途中で止めて中沢新一を先に読む。

構造主義神話論理の辺りの捉え直しという感じだが、先の同時代ゲームの二元論のことを考えていたこともあって楽しく読める。音楽を構造主義的に数式まで落とし込んでまっさらな状態にできないものかと少し妄想する。

気温がいい感じなので散歩をしまくる。それで音楽としていままでなぜか避けていたHoSoNoVaを聴いたらすこぶる良くてずっと聴いていた。2011年、細野晴臣はすでに全部聴いてファンであったが当時はムーンライダーズにどハマりしていたのでニューウェーブ的なもの以外は受け付けていなかった。ボサノバ的なコードにワルツやブギウギあたりのリズムにほとんど机の上にある小物を叩いて音をとったみたいなパーカッションが加わってこちらも構造そのものまで簡略化されていてすごい。あの時代、電気も多く使えない時にこの音楽に寄りかかってしまう人がいたのも何となくわかる気がした。

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一生聴いているアーサーラッセルのWorld of EchoとAnother Thoughtをこの季節に聞くと一層染みる。意外とディストーションくらいまで音を歪ませている曲も多くあって、リズムの組み立て方を変えたらバンド音楽にもなるなと思ってアイディアが思いつく。それでいくつかベースラインを歪ませたデモを作成。割と良い。

ポレポレ東中野でやっている"石がある”という映画を見に行きたいのだが、土曜日に空席を見たら結構空いてて日曜日に行こうと計画していたが日曜がほぼ満杯で諦める。平日に会社帰りに行こうと思う。

はやり病に犯されてこの一週間の記憶がほとんど定かでない。

とりあえずcho co pa co cho co quin quinのライブに熱で行けなくて悔しい。一緒に行くはずだった友達から音源をもらって聞く。めちゃくちゃ良い。cho co paを聴くと旋律からウリチパン郡を思い出してしまうが、生演奏になるとより肉体的に感じてよい。新曲もあってなんだか2000年あたりのwilcoみたいなアレンジで素晴らしい。次のアルバムは是非このバンド形態で録音してほしいな。

流れでまたウリチパン郡を聞き直す。本当に素晴らしいバンド。あの時代に同時代的にAnimal Collectiveへの回答として日本にこのバンドがいたことがすごい。ライブ映像を見ると本当に全員が生演奏をしていて(しかも同期じゃなくて多分タップテンポでライブで合わせている)イカれてる。

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ジャイアントクラブが出たあたりはまだZAZEN BOYS的なポストロックの変拍子が有効で、アルバムの中でもアトランティスがリードトラックみたいな扱いに見えたが、自分は圧倒的にテルマという曲が好きで、日本の畦道のフィールド感の上に神楽的な音階のシンセとリズム。それらがAnimal Collective的なアルぺジエーターと絡めたグルーヴに乗るというのが奇跡みたいだ。オオルタイチ氏のその後の活動も素晴らしいし、ソロもずっと追っているがいつかまたウリチパン郡も復活してほしいなと思う。

なぜか思いつきで大江健三郎同時代ゲームを読み出す。めっちゃおもろい。M/Tの方で満足してしまっていたがやっぱりこちらの方も面白い。ホセ・ドノソを超えたあたりからもう文の難解さみたいなところで挫折することはないが、そもそも大江健三郎は文が難解なのではなく純文学として読もうとすると想像力が天井を突破してしまっていてうまく乗れないという方が大きいのかなと思った。第四の手紙の章の50日戦争の最初から最後まで、特に村=国家=小宇宙側の心理描写、視点を全くなくして語られる(それは歴史として残っていないのだから語られようがない)その戦争の圧倒的な描写に痺れる。ラストの処刑のシーンも含めてああ、すげえと思いながら読む。

石井岳龍のユメノ銀河を観る。初めて見たがとても良い。夢野久作の少女地獄を映画化できると気づいたことがすごいが、ほぼシーンのかっこよさだけで繋いでいく様は見ていて気持ちが良い。流れで狂い咲きサンダーロードも見る。ラスト20分本当に最高。

一週間ほどずっと寝込んでいたが結構本を読んだり映画は見てるものだな。

WilcoのYankee Hotek Foxtrotを聞き直していて再構築によるギリギリまで削ったアレンジを今聞くとフランクオーシャンにもつながるアレンジだなと思う。ほとんど止まってしまうのではないかというところまで解体されたビート、ドラムはそれでも破壊されないまま繋がって合わさってアンサンブルが立ち上がってくる。Poor Placeの最後の最後に出てくるメインリフとその後のカオス的なところまで混乱していくアレンジはポストロックから宅録的なSE、そしてロックバンドの演奏へと回帰していく流れがその後の音楽界におけるバンド音楽の衰退を思うと何かの暗示のようにも感じるが、最新作のcousinを聴いてもその意志は未だ続いているようにも思う。

そういえば今年のWilco来日の時にメンバーがシャッポのライブを見にきていたようでそこにつながるのかとちょっと面白かった。シャッポもすみだジャズフェスに出るようなので楽しみ。

月曜日に諸々の処理をする。うまくいく。

火曜日に出社したついでに日本橋へ映画を見に。上映まで時間があったので三越前駅の地下にあるタロー書店へ行ってみた。結構好きな品揃えだが何も買わず。ルーリードが序文を書いていたデルモア・シュワルツというアメリカ文学の作家が少し気になった。

"きみの色"という映画を見る。日本橋のTOHOや平日夜は結構空いていて快適に見る。アニメ映画はあまり見ないのだが化け猫あんずちゃんから連続してみている気がする。

この映画は知り合いに勧められてみたのだが見ていた時は高野文子の"おともだち"を思い出していた。あらすじではなく、正面から人物を捉える構図や人物でなくその向こうの校舎を中心としたカットなどに。主人公は割とトリックスター的な位置にいてギターの"きみちゃん"の話なのだろう。ただしそこの心理描写を丸々省いて、動きと目線と(切り返しによる目線のすれ違い)それらの組み合わせによってその心情が確かに"ある"状況が映画として立ち上がっていく感じはとても丁寧だなと思った。すごく良い映画。

ポールベンジャミン(ポールオースターの変名)のスクイズプレーを読み切る。前半の本当に冒頭で元野球選手から探偵へ依頼が来るあたりの流れで、事件の奥に何か陰謀めいた巨大なものがあって、でもその陰謀自体は空虚なような感覚が立ち上がっていたのがすごく良くてこのままいけば"幽霊たち"よりも良いのではと思ったのだが最終的には綺麗にオチがつく探偵ものに至って少し残念。ただ、この作品の前半の感じを推し進めると"幽霊たち"になるという流れも感じた。

休日に新宿LOFT台風クラブのライブを見る。対バンは真心ブラザーズで演奏力で見れば勝ち目はない感じではあったがそれでも台風クラブの演奏に揺さぶられた。声も飛んでいるしドラムもとちっているが曲がいいし、京都の鴨川を歩いている情景が浮かんで幸せな気持ちでライブを見た。ラストのひとつ前に"下宿屋ゆうれい"という一番好きな曲をやってくれて嬉しかった。歌詞がいい。

あと新曲(もうyoutubeに上がってるトラックの運転をしながら作ったというやつ)はライブで聞くと結構明確にハイロウズだなと思ってそういう素直にリスペクトを示す感じが好ましいなと思って聴いていた。

来週は月曜の用事の続き。うまくいくといい。

保坂和幸の遠い触覚を読む。デヴィッドリンチの映画について語りつつフィクションが立ち現れる感覚についてのエッセイ。とても面白くてなかなか理解できなくて何度も反芻してゆっくり読む。

それで、本の中で中心として描かれるリンチのインランドエンパイアも観る。この映画だけはなんだか大変そうだなという印象で一度も見ていなかったが、本を読んだことでそのめんどくささも含めて楽しく見る。というか全てのシーンで興奮しっぱなしで、特に謎のモーテルからいつの間にか少女たちがいる空間につながるあたりのシークエンスがすごくて興奮する。

スタジオの非常階段から見た景色

自分がフィクションの中で興奮するのはこういうシーンなんだなと改めて認識する。そのわからなさとかストーリーや時系列の解読ではなく、リンチが何かを起こそうとしていて、そのシーンを撮ったこと自体、その時間や作り出すこと、作り出せなかったこと、それらを含めて感動する。(なんだか保坂和幸みたいな文だが)

自分の中には、原風景というかずっと残っている景色がいくつかあって。

地元のその辺の景色や木々の角度の感じとか、学校の廊下の匂いとか直線の感じ、少し汚れた窓ガラス越しに見る景色とか。そういった文にすると全く伝わらない自分だけの感覚がいくつかあってそれらを何かに表したいと思ってはいるのだが、それはほとんど無理で、ただ曲のあるフレーズとかある歌詞に一瞬だけ立ち現れたりする。そういったものができると自分としてはもう満足なので、バンドのメンバーにはなかなか説明も難しいのだが、たとえばそういった瞬間がメンバー側にもあったりしたら面白いし、そういうものが起こりうる可能性があるというのがバンドのわからなさ/楽しさなのかもしれない。

ある時期のナンバーガールを聞くとほんとに最強で、これ以上ないと思うのだけれど、それは若さとか勢いだけでなく、それぞれのメンバーがそれぞれに何かを掴んでいてそれは共有されていないのだけれど噛み合っている。そういう状態は再結成ではほとんど見られなかったけれど(一度だけライブも見れて、すっごい良かったが、最強だとまではいかなかった)それも再結成のラストライブの最後になるにつれてほんの少しだけ戻ってきた感覚があって良かったのを覚えている。(映画館でラストライブを見たがあれ以来見ていない)

だからあの最強な感覚というものはナンバーガールの解散とは関係なく常にどこかに偏在していていつか誰か(それはナンバーガールでなくたっていい)につながるという確信が持てた。

近所の本屋でコクヨが出してるworksightという雑誌を買う。鳥類学特集。

自分の生活圏内に最近鳥が近しい存在としてあり、特に先日青鷺がカエルを丸呑みにするシーンを目撃してしまってなんだかショックを受けたので気になって買っていた。

雑誌の中で鳥に関する本の紹介があったので他にも読んでみたいと思う。

ティーブンギルの写真に関するインタビューが載っていて面白く読む。

定点カメラで撮られる鳥たちは撮影者の自己を離れているようでただしそこにカメラを置くという選択によって写真として成立する様はフィクションとドキュメンタリーの狭間のようで不安定な面白さがある。

imaonline.jp

そういえば地元には小学生が近所の燕の巣の場所を記録するツバメ調査というイベントがあってすごく面白かったのを覚えている。本当に普通の家の車庫とか玄関に巣を作っているツバメたちを街の中から探し出して記録するというのはこれまであった街の地図が別の層で書き換えられる感覚で(よくいえば燕の視点で、正確にいえばツバメを探す小学生の視点で)

だから、大人になった今でもあの家には過去に燕の巣があったといった見方で地元の街を見ることがある。

週末にサッと雨が降って気づいたら雨が上がっていた。

ちょうどいいやと思って深夜だったが散歩に出てみた。雨上がりで夜なので人もいなくて

木々も水に濡れて密林のようだった。木々の下を通ると水が滴る。レインツリーを思い出す。

木々の隙間で眠る鳥たちのことを考える。そして今週の英語の授業で散歩についての講義のことを思い出す。散歩をすることは、ある種の拘束性があって作業を中断して頭だけで何かを考える時間になる。そしてある地点から別の地点へと移動するその制約から、いくつかの考えを遂行する。つまり実行に移す前にある考えをボツにしたり、考えと考えを折衷したりする。そういった行為の中で景色や記憶が影響してなんだかよくわからないアイディアが思いついたりするというのはとてもよくわかる感覚だ。

深夜の散歩道は鳥という媒介者を経由して小学生の自分の体を目線を思い出す。

昔、自分は、木々の中の鳥を想像して畏れつつも楽しんでいたのだ。それはヒッチコックの鳥を見たことで一旦ストーリー化されたがその根源にあった怖さ、わからなさは実はいまだに解決されていはいのだと思い知った。そこにまだフィクションの可能性がある。

連日甲子園を見る日々。今年はいい試合が多かったな。

甲子園のない日は映画。侯孝賢の憂鬱な楽園を観る。傑作。

週末はバンド練なので曲のデモを詰める。結構いい感じになって嬉しい。この間買ったコーラスエフェクターもかなり良くて曲のアイディアに繋がる。この間のフジロックでキムゴードンのライブを見て生演奏でのベースの低音も一段階違うところに来ているのかもと思っていて、そういったアレンジをできないかと探る。

夏にシドニー=ガブリエル・コレットを読んでしまったのでなんだか清々しい気分で過ごす。バカンスものではあるがロメールとも少し違う心象を通した風景描写が良い。

米澤穂信の"栞と嘘の季節"を買って読む。最近の新しいシリーズはあんまピンとこなくてこの季節シリーズも前のものはあまり良い印象がなかったが、どこかで"栞と嘘の季節"でミルハウザーの夜の姉妹団を参照していると知って興味が湧いたので読んでいる。今のところ結構ホラーちっくでおもろい。

先週から読んでいた野崎まどのバビロンシリーズを読み切る。"2"の時も思ったがこの人は長編になればなるほどスパっと終わる感じがする。話としては面白いけどもっと書けるだろうとは思ってしまう。(読む側で考えてという切り方だと思うがそれにしては行き着く先が限定的すぎる)

最近は短時間の豪雨が多くて、さっきまで晴れてたのに外に出たら周りが水浸しになっていたりしてなんだか並行世界へのシフトが起こっている感覚(脱走と追跡のサンバだ)。生活の中でこういった違和感をみかけるのは結構楽しいので散歩も楽しくなったりする。その時にした散歩でもビオトープにいた青鷺が牛蛙を丸呑みする瞬間を見てしまったり、やばい世界に入り込んでしまったイメージの中歩いたりした。

時間の不可逆性を超えられる映画や音楽に自分は惹かれる。例えばBeach BoysのGod Only Knowsを初めて聞いた時は普通に良い曲だと思ったが、数年後に突然ラストの展開の凄さ(解体されたドラムとはねたピアノのフレーズによってリズムが成り立つ仕組み、そこに入れ子になって絡み合ってくるコーラス)に気づいてこれまでの時間が逆行する感覚になった。曲自体はそこにずっとあって、自分の感覚が変わったということではあるのだが、その瞬間に過去に固定されていたある曲が未来と過去の双方向に向けて放射して広がっていく感じが不可逆とは正反対に感じて自分の中に強く残る。ある地点で価値観が変わってしまうのではなく、過去から現在までの感覚が裏返り、そしてその感覚がさらに裏返る可能性がひらけているという状況が心地よいのだろうと思う。

週末は髪を切ってスタジオでバンド練。新曲を試す。いい感じ。

最近The Whoにハマっていて、これまではWho's nextしかあまり聞いていなかったのだが最初のmy generationを聞いて破壊の人たちなのだと気づいてその曲の壊し方にすごく惹かれる。キースムーンはドラムのフレーズを解体しながら曲中で再構築している感じでやばい。

のでバンドでThe Whoをやろうと持ちかける。OKが出たのでアレンジを考えよう。

朝の神保町

2回目のお盆休み。(なんか知らんが8月の半分は休み)

先週買ったエレハモのコーラスが結構良くてストライモンと交換する。その流れでボードも整理。ストライモンは結構優等生というかソツがないので使いやすいがその分個性もないので性に合わない感じだった。コーラスの定石に逆らってプリアンプの次というかなり上流の方に繋ぐ。かなり良い。

そんで、あまったエフェクターだったりBD-2が壊れたりしたのでハードオフへ機材を売りに。郊外千葉の行きつけのハードオフに朝イチで行くが暑すぎて散歩まではする気になれず、少し離れたとこにあるブックオフによって帰宅。ハイロウズピカソのCDを買う。どちらも結構良い。

電車の中ではConjureのbad mouthを聴いていたがこれが名盤で読んでいたホセ・ドノソや暑さと相まって頭がこんがらがる。

先週買った岩館真理子の"まだ八月の美術館"があまりに傑作なので何度も読む。モノローグの使い方が大島弓子とはまた別の方向に発展していて、それでいて文学の方には行かずに絵で見せるというところが素晴らしい。少し志村志保子のミシンとナイフを思い出すが影響受けてるのだろうか。

毎日映画館に行こうかと思ってたが甲子園が面白すぎるので見たいやつだけ選んでいく。

チェン・ユーシュンの熱帯魚を新宿で見る。そもそも新宿に来るのが記憶にないくらい久々。映画上映中にケンカしているおっさんがいたり、爆睡でいびきをかいてる輩がいたりしてテンションが上がる。ありし日の楽天地の映画館を思い出す。映画は結構普通だった。(というか予告でストレンジな映像をピックアップされていたのでもっと大林宣彦のハウスみたいなのを想像していた)

"夜のみらだな鳥"を読み終わったので軽いものを読みたいなと思い、野崎まどのバビロン、コレット-青い麦、ポールベンジャミン(ポールオースターの変名)-スクイズプレーを購入。スラスラ読める。

本を追加しようと出掛ける準備をしていたら大社-早実の甲子園の試合が凄すぎて張り付いて観る。すごい試合だった。

終わって時間も遅くなってしまってブックオフしか行けず。ただそこで侯孝賢のミレニアムマンボを見つけて購入。家帰って早速観る。傑作。

時系列が微妙にノンリニアになってるが画面の良さと日本の景色に引っ張られて心地よく観れる。微妙に辛気臭い感じは世紀末の(エヴァ的な)呪いを感じるが(バーのシーンでエヴァのポスターあったし)それでもソフィアコッポラとかの金持ちの憂鬱ではなく、冷静な視点で人物を捉えていてしかもその画面がキレキレなので興奮しながら観れた。岩井俊二とかはこの辺をやりたくて失敗したんだろうかと思ったり。

2000年前後の侯孝賢ってあまり観れていなかったので他のもきちんと観たい。

いやはや熱海くんの3巻が良すぎたので最初から読み返したり、短編をまた読んだりする。

この人の漫画は短編集の段階でほとんど完成している感じだが、文脈が分からないというか何をどうするとこういうすごい漫画を思いつくのだろうと思う。コミティア関係から出てきている人なのかな。あえていうなら"よしもとよしとも"とかあの辺の空気感ではあるのだが、きちんと芯があってストーリー漫画としても成り立っているのがすごい(よしもとよしともはその空虚さがすごいと思うが)