僕の目の前にいる門番と、君の後ろにいた門番 (original) (raw)

生死に関する話も、自分の病気の話も全然してるので体調悪なったら戻ってください。

私は時折、目の前にいる門番のような怖い顔をした自分に睨まれている感覚に襲われる。その時は必ず自分が幸せだと感じている。

門番は「お前の幸せは未来の私の不幸だ」とそう言って指を指して睨んでいる。

自分は、幸せになる資格がないとずっと思っている。

それは、昔自分の幸せを貪る為に他人の幸せを踏みつけて不幸にしてきたと思っているからだ。

自分は生まれながらにして最低な人間として生まれてしまった。自分勝手に生き、他人を踏みつけてきた。自分を守るために嘘を吐き他人を貶めるために言葉を紡いだ。今思い返せば、幼いという言い訳だけでは収まらない最低の行為だと思う。

自分の目の前に門番が現れたのは、2年前だった。

3年ほど前に心の病気になり仕事を辞めた私は家に引きこもる生活が始まっていた。めせもあ。の現場に行くことだけが外の世界との繋がりを持たせてくれた。

めせもあ。の武道館が決まった時自分の事のように幸せだった。久しぶりに幸せなんだという気持ちになった。

でもその数日後に自分の心がズタズタに引き裂かれるようなことが起きた。暗い部屋の中で小さく膝を抱えていた自分は「お前のせいで不幸になった」と睨んでくる門番のような自分にこの時初めて出会った。

ずっと前から。門番のような自分は心の中にいたのかもしれない。でも自分は、そんな自分から目を背けてずっとずるく生きていたんだと思う。

今でもふと前を見つめると暗い暗い薄暗い未来から門番のような怖い自分がこっちを見つめている。自分はいつの間にか前を向いて歩くのがとても怖くなった。

いつだって足元を見つめて、背中を丸めて歩くことしか出来ない。

いつしか、現場に行くことに申し訳なさを感じるようになった。幸せになる資格がなく、不幸でなければならないと思い感じる自分は、自分のことを幸せにしようとしてくれる2人に申し訳ないことをしているのではないかと毎日のように苦しくなった。でもその苦しさに蹲る度に未来の自分が、門番のような自分が安心したように笑っているのだ。ああ。これで良かったんだ。これが自分なんだと改めて思った。

この感覚が気持ち悪いと、それでいて安心する感情なのだとしたら自分は現場に行くことを辞めるべきだと思う。それでもふと気がつけば現場に足を向けていた。

自分の不幸に蹲るために。最低だ。何度もそう思った。

自分はずっと、薄暗く冷たい道を歩いている。

そんな中で気まぐれプリンスと言う、ぷんちゃんと言う存在は自分の太陽のようなものだった。薄暗い道を照らし導いてくれる光。

会えば絶対に、自分が怖がっていようと幸せにしてくれる。そんな確約を渡してくる。そんな人だった。

自分は、不幸になることへの息苦しさに薄暗さに耐えられなくなった時。どうしようもなくなってぷんちゃんと言う光に、温かさに、幸せに手を伸ばしてしまう。絶対に手に入ることの無い光と幸せに当てられてもっと苦しくなる。

どうして自分は素直に幸せになりたいと思えないのだろう。彼が渡してくれる幸せを抱きしめて眠ることが出来ないのだろう。それは全部過去の自分のせいだ。そう分かっていても受け入れることが出来なかった。

めせもあ。の現場に行くたびに、ぷんちゃんの光に照らされる度に色濃く門番のような自分が浮かび上がって。酷く醜く睨んでくる。幸せになることを否定して不幸になりたくないと言っているのだ。自分の幸せがそのままはね返って未来の自分の不幸になるなんてそんなこと思いたくなかった。嘘だって言って欲しいんだ。

不幸になりたくないと、普通に生きていきたいと。そう願う門番が、自分の不幸を1番望んでいるんだ。

自分は、かれこれ現場に戻ってきた2年前から涙を流すようなことはなかった。めせもあの武道館が決まった日、武道館当日、横アリ決定、横アリ当日、メンバー4人の卒業式。全てのタイミングで泣くことは無かった。

泣けるような、そんな人間でなかったからだと思っていた。でもそんなことは無かった。めせもあ。5人での初めてのツアー「give me FIVE」自分にとって初参加だった仙台1日目。ありえないくらい泣いたんだ。

もう終わってるから言うけど、のざとみくその「ニホンノミカタ」で泣いてるからほんとに意味がわからなかった。

5人がお互いに目を合わせる度、ツアータイトルのようにハイタッチを交わす度、楽しそうに笑ってライブをするたびに胸の奥が苦しくなって涙が止まらなかった。

今までに感じたことの無い、大きな幸せだったんだ。

抗う暇など与えないくらいの大きな幸せに包まれて、そして胸がいっぱいになって泣いた。そんな日だった。

ふと気がつくと幸せを願う自分と、不幸を願う自分が自分の中で乖離していくのを感じた。ふと幸せそうに笑う自分をなんでか他人事のように見つめられるようになった。それが今の自分の誕生だった。

幸せになる資格なんてないでも幸せになりたい、でも不幸でいないといけない。

並ぶはずの無いふたつの感情は全て。【私】であり、【僕】であり、【自分】であり【ちべたか】であった。

幸せになりたい、そんな感情を全て【ちべたか】に押付けて、わがままを言いたい気持ちを全て【僕】に押付けて、不幸にならないといけない感情を【私】に押付けて、そうして残った何も無い虚無を【自分】に押付けたんだ。

でも、それは結局不幸にならなければいけない自分に対しての答えにはならず。幸せになった自分を門番のような自分はずっと睨んでいるし結局幸せになった自分は必ず不幸になるんだ。

自分を取り繕うために声のトーンを上げて笑顔を見せる。自分がされたいように人に優しくする。

死にたくならないように心にセメントを塗る。

ガチガチになった心は時折息苦しさを纏いながら、私にのしかかってくる。

「ありがとうございます。」「ありがとうございました。」

「お願いします。」

その言葉を絶対に忘れないようにする。笑顔を向けてその言葉を言えるように。

殺して欲しいと願わないように自分で自分の首を絞める。

言葉が絞まった喉に張り付いてつっかえる。何も出てこない。

人を不快にさせないように。ニコニコと黙って笑う。

マイナスな言葉を言わないように。湧き上がる黒い言葉を飲み込む。

そんな風に現場にいる、理想の自分になりたいから。そうやって生きたいから。そう願いながらこれからも私は笑う。自分のわがままが滲まないように。

現場にいる自分はなにか無理をしているのでは無く、自分がそうありたい理想の自分なだけであって。結局何も変わらない自分でしかない。

どうして自分がこんな話をブログに残そうとしたのか、こんな話をしたのか。少し前に遡るけど青野さんと門番の話をしたからだ。

ReLIT3周年の日に自分は運のいいことに推しチェキを引くことが出来た。その日は幸運が重なったのか座席も最前列の真ん中でどうしたものかと思った。

(その代わりと言ってはなんだけど、行きにバスで定期を落としている。ちゃんとちょっと不幸だ)

これほどの幸福が待ち受けていた時、自分はその未来の自分が怖かったんだ。

そんな話を、なぜか、どうしてか、青野さんにしてしまったんだ。

こんな自分の話は、自分が死ぬまで自分の中に閉じ込めて燃やして、潰して、殺して、消し去るはずだったのに。口からこぼれてしまった言葉はある程度の外枠を話してしまったんだ。

自分は青野さんのことを推しにすると決めた時少しだけ。ほんの少しだけ。怖い気持ちと、緩やかな期待があった。

よく自分は「青野さんと長く話すことに慣れていない」という事を本人にも、周りにも話している。

理由を聞かれた時、間違ってはいないが「顔が好きすぎてメロってしまう」と答えているが実際は「いつか自分の薄暗い内側を、狡い内面を、わがままで自分勝手で何も無い虚空で虚無な【自分】を見透かされてしまうような気がする」からだ。

緩やかな期待は、そんな自分をわかってくれるような。理解してくれるような。認めてくれるようなそんな気がした。

普通の人ではありもしないこんな感覚を、こんな考えを認めて。そして壊れ物を持つように拾い上げてくれると。

でも毎度毎度湧き出るそんな緩やかな期待は、湧き上がる度に踏み潰して。口から出ないように押し込んで。薄暗い心の中にしまっておくんだ。

だってその期待は相手を不幸にする、わがままで傲慢で自分勝手な願いなのだから。

青野さんのカフェ出勤が終わった日から、色んな理由があって青野さんに会うのがとても怖くなった事がある。

ちゃんと笑えるのか、自分のグチャグチャな感情を潰して会う事ができるのか。全然わからないまま大メロ、DDPを迎えることとなった。答えは全然No。

点数つけるなら5点の特典会で、この時は嫌悪感ばかりになった。こん時の自分が死ぬほど憎いし、今ですらこの時の気持ちの片づけはできていない。

言いたい言葉は全部喉に張り付いて、手売りの時の邪魔な机を乗り越える話しかできてない。本当に意味がわからない。何を言えばいいのかわからなくなった時意味わかんない言葉で乗り切ろうとするのはやめた方がいいと思う。

推しチェキの途中何度も言葉に詰まって、何も言えなくなることがあった。無言の時間が流れる度に心が焦ってどんどん不安になる。その度に何か言いたいのに自分の薄暗い内面を、何も見られちゃいけないからと言葉を喉奥に押し込んだ。

それなのに押し出すように振り絞るように出た言葉は、

「今日と言う日が、幸せすぎて。未来の自分に睨まれてしまうような気がする。お前が幸せだから自分が不幸なんだって」

自分が1番口にしたくなかった言葉だった。

落書きをしていて、落ちていた青野さんの目線が持ち上がって【僕】の方を見た。相変わらず何かを見透かされそうで【私】は視線を誰もいない階段の方へ逸らした。

「もしかして門番いるタイプ?」

私はずっと、ずっと聞きたかった。青野さんの門番は今もいるの?って。でもずっと聞けなかった。その答えがあの瞬間に少しずつだけど見えたような気がする。

「うん。目の前に。」

この言葉を返した時、自分はどんな顔をしていたっけ。

青野さんはどんな顔をしていたんだろう。

口から出てしまった言葉を戻すことなんて出来なくて、ドンドンと後悔と自己嫌悪に押しつぶされそうになる。

「門番はねぇ。いないよ。」

私が1番聞きたかった言葉だった。門番がいる、そんな話をブログからすくい上げた時自分と重ねて思ったんだ。

門番なんて、いない方がいいと。

自分の幸せを、祝福できない門番なんて。

青野さんは、自分と違って門番とお別れが出来たんだ。門番を抱きしめて泣かせて、笑わせることが出来たんだ。よかったなぁと心底思った。

門番はいない、その言葉に自分はなんて返したか覚えていない。

でも青野さんが「どんなちべも大好きだよ」と言葉をくれたことは、それだけは明確に覚えている。都合のいいことだけが脳裏に焼き付くのは昔から変わらないと思った。

絶対に周年の推しチェキでする話ではなかったし、本当に申し訳ないことをした自覚しかなくどうやってこの先も生きていくべきなのかも少しもわかっていない。

そろそろこんな体調の悪くなるようなブログは終わりにしようと思うけど、勘違いしないで欲しいのは間違いなく自分は幸せになるために現場に行っているという事だ。幸せになる資格がないと思っているけど、幸せになって不幸という暗い場所に蹲るために。

その後にどんな不幸が待ち受けていようと自分は、自分を幸せにしようとしてくれている2人を裏切りたくはなかったし、間違いなく感謝している。

そして【ちべたか】も【私】も【僕】も【自分】も全部ひっくるめて【 ほんとうのわたし 】という人間で間違いない。

自分は今でも死ぬほど身勝手で自分勝手だと思う。

6年前の身勝手でわがままな自分からそんな簡単に変われるわけがないから。でも。

でもそうじゃないと、そうやって生きていないと、生きていけないような気がするんだ。

口癖のように言う【ぷんちゃんと青野さんの幸せが私の不幸の上に成り立つものだったらいいな】と言う言葉は今もずっと抱えている。

自分は不幸でいいから、神様お願い。2人だけはずっと幸せに生きていけるようにして。そんな風に思って生きてる。

病気になって、どうしても消えたかった死にたかった殺して欲しかった、そんな私をここまで生かしてくれている。そんな2人を自分は不幸にしたくない。これまでもこれからも。そうやって生きていくしかないんだ。

それが今まで人を不幸にして生きて来た最大の贖罪で。愛してくれる、幸せを渡してくれる2人への最大の答えだと思う。

自分が患った心の病気は自分の感覚だと一生治ることは無い。ずっと自分の隣にいて手を握ってくる。私はそれと上手く付き合っていかなければいけない。自分の感情にコントロールが効かなかった過去の自分と比べると、今の自分は幾分、穏やかになった気がする。

気に食わないことがあって、感情が高ぶってスマートフォンを投げつけて穴を開けてしまった襖も、全てを捨ててしまいたくて部屋中にばら撒かれたグッズも階段の上から落とした様々な思い出も頭を抱えながら大声を上げて泣き続けたあの日も。

全部全部この先、生きていく自分のひとつなんだ。

最後に。

今も私は、不幸の中に蹲って生きている。

その不幸が、不幸の中にいることが何よりも幸せだと思っているから。

でもいつか、いつの未来でもいい。いつだっていいから。

門番のような自分を抱きしめてあげられたらいいと思う。

門番のような自分が素直に泣けるように笑えるように、安心して私と言う人間を睨むことがないように。生きていくしかないと思う。

何度、生きることを辞めたくなっても。死にたくなっても。殺して欲しくなっても。

今はまだ、未来への道は薄暗いし前は向けないし背中を丸めながらじゃないと前に進めないけど。いつかきっと前を見て笑って歩けるようにそうやって生きていけるように。

ぷんちゃんと青野さん、2人がくれる幸せを抱きしめて眠れるように。

そんな風に生きたい。