燃えるゴミなら、まだ。 (original) (raw)

仕事漬けの20代と30代。

その頃はまだ「働き方改革」なんて言葉もなく、たくさん働く美徳がまだ蔓延っていた。

忘れたいことがたくさんありすぎて、仕事にかまけていたかった時期。

仕事に集中すれば、少なくとも考えなくて済むし、会わなくて済む。

婚約破棄も親からの搾取も、自分の不甲斐なさも全部忘れたかった。隙間時間にイヤなことを思い出したりして、さらに落胆したくなかった。

私、本当に頑張ったと思う。早朝から晩まで働き詰め。朝、月を見ながら出勤して、夜も月を見ながら帰る。それでも、その方が良かった。慢性的に疲れれば、仕事以外の思考は、全て停止するから。

一番可愛がってくれていた祖母が他界した。

だから、もうこれで、両親と繋がっている理由がなくなった。

犬も祖父も祖母もいない家。もう、他人の家同然。毎回は行かれなかったけど、あの町の空気感が好きなのは、可愛がってくれた人たちが住んでいる町だったからだ。

墓参りしよう。もう、関わらないと決めたことを報告しに行こう。

葬式には、行かない。

参列すらしない。喪主なんて冗談じゃない。

喪主の挨拶なんて、話すことない。

2人とも大嫌い。

死んでもまだ迷惑かけてくるとか、本当に無理。

わたしの人生に関わらないでほしい。

父は、帰ってこなくなった。

単身赴任をいいことに。最初は、土日だけ帰ってきてたけど、だんだん帰ってこなくなった。

だから、あまり一緒にいた記憶がない。

「なんで帰ってこないのかな」と思っていた小学生の頃。次第に、「帰って来ても何を話したらいいかわからないし、話すことないし、気を使うだけ。なにより気まずい。」と感じていた思春期。

そりゃそうだよね、今、この歳になってわかる。

仕事を頑張って自宅に帰って来て、どうでも良いことで喧嘩ふっかけられたり、ヒステリックに子どもを泣かしている嫁を見て、うんざりしてたんじゃないかな。

子どもは、一向に懐かない。

だって、父親の悪口をさんざん母親から聞かされている子ども。

立場ないよね。

かと言って、父も思い通りにならないと大声で怒るから、どうしようもない。

週末に父が帰って来ていたあの頃。「明日からまた仕事だから」と、日曜の夕方に父は出て行く。

玄関のドアがしまった瞬間、「帰ってこなくていいのに。本当に迷惑。」と母。

大嫌いな日曜の午後。

気持ちが休まらない休日。

そうか。

そんなに喋らなくてもいいんだ。

自分の意見を全て言う必要、ないんだよね。

もともと私は、のんびりした性格だった。自分のことより、人の話を聞くほうが圧倒的に多かった。いつから、こんなに主張が強くなってしまったんだろう。ガツガツすることが、普通になっている。

いやいや、私、こんなんじゃない。

本当の私は、もっと、人を受け入れられていたはず。おかしいな、どこから狂っていってしまったのかな。

虚勢をはらないと、生きていけない。しっかり自分の足でたたないと。そう思えば思うほど、自立できている気がしていたのかな。

でも、それは作られた私。

もう肩肘張らなくていいよね。

あなたの話を聞いていると、とっても穏やかになれる。もともとの自分に戻れる。

全身に入ってた力が、抜けていく。

こんな日が来るなんて。

気づかせてくれて、ありがとう。

本当にありがとう。心から感謝してる。

寂しいって思ったことがない。

今思えば、子どもの時が一番寂しかったのかもしれない。でも、あの頃は、麻痺しててわからなかった。

1人でいることなんて、全然寂しくない。むしろ快適。最高。

本当の寂しさって、周りに人がいるのに、誰とも心が通えない状態のことなんじゃないかな。

そこに物理的には存在するのに、いないように扱われるというか。

それを本当に寂しいって言うんだと思う。

誰かといて、寂しかったら、それは本物。

職場の男の人を残業終わりに、家の近くまで車で送った。そしたら翌日、上司から、

「駅とかで降ろして良いんだよ。男だから大丈夫だよ。遠回りだったんじゃない?」

え?、、、あれ?

たしかに。たしかにそうだ。

でも我が家は違った。弟はいつも、母に車で送迎される。私は、同じ道を何時だろうと、大雨だろうと「歩いていけ。」と。

帰りも同じ。

「送って。」「迎えに来て。」

頼んだこともあったけど、電話でキレられたり、「歩いていけよ、こっちはいそがしいの!!!!」と怒鳴られたり。

もう、いい。

雨の中歩いてて、駅付近で、我が家の車に追い抜かれることも。よくあった。

車の中には、弟が乗っている。

それが普通だった。

上司との何気ない会話から、おかしいことに気付く。

私は、やっぱり邪魔だったんだ。