映画感想「若き見知らぬ者たち」「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」「リトル・ダンサー」(デジタルリマスター版) (original) (raw)

「若き見知らぬ者たち」風間彩人、壮平、日向、大和

非常にクオリティの高い作品ですが、いかんせん物語がとにかく暗い。特に前半は見ている私たちが辛くなってくるほどに打ちのめされていきます。巧みに過去と現在の映像を交錯させて、長回しと細かいカットを繰り返し全体像を見せていく演出は見事だし、後半に入る構成も上手いから全く退屈はしない。ラストに僅かに見える希望、未来が若干救われるものの、どうにもならなかったのかとさえ思える作品だった。監督は内田拓也。

ベッドの上で、パンチングミットで認知症の母麻美のパンチを受ける彩人の姿から映画は幕を開ける。その母は気象情報をぶつぶつ呟いている。食卓に移った二人、弟の壮平は格闘技の選手で近々チャンピオン戦のチャレンジャーとしてタイトルマッチを控えていて練習に励んでいる。彩人の恋人で看護師の日向がこの家で一緒に生活をし、片付けなどをしている。この日も四人揃っての食事だが、母は異常な行動で食べ物を食べている。

彩人がバイト先の帰り道、松浦、瀬戸ら二人の横暴な警官に職質されている青年に関わって捕まってしまい、日向に助けてもらう。母は、スーパーで万引きしたり近所の畑を荒らしたりしてその度に彩人が対処する。彩人らの父は、脱サラしてバーを開業したが、何かにつまずいて失敗して、借金を残して自殺したらしい。彩人の父が、壮平が幼い頃ボクシングを教えている場面が何度か挿入され、どうやら父がボクサーだったのかもしれない。

彩人や壮平の高校時代のサッカー部の仲間大和が結婚式を控えていて、彩人のバーに立ち寄ってはのろけたりする。同じ仲間に派出所勤務の警官をしている友達治虫もいる。大和の結婚披露パーティーの日、日向は彩人の家を訪れるが、麻美が散らかした室内に呆然とし、彩人を送り出して片付けを始める。大和の披露宴に行く前にバーの片付けをしていた彩人だが、チンピラ三人が酔っ払って入ってきて絡んだ末、彩人を瓶で殴りそのまま外に連れ出す。そして駐車場でリンチにするが、そこへ松浦らが通りかかれ、チンピラと一緒にいる彩人を見つける。瀬戸と松浦は彩人をパトカーに乗せて搬送するが、途中で、彩人が瀕死な状態だと気がつき病院に担ぎ込む。大和、日向、壮平、治虫らも駆けつけるが彩人は死んでしまう。

大和は、この事件に不信をいだき、瀬戸を問い詰めにいくが埒があかない。麻美が治虫に派出所に前に来て何やら訴える目を向ける。間も無く壮平の試合が近づく。日向は、彩人の母麻美と食事をして、麻美がそれとなく普通になった姿に微笑んでしまう。松浦は、彩人がリンチされた駐車場に佇む。治虫は辞職願を出す。やがて試合が始まり壮平は見事タイトルを手にれる。リング上に壮平が父に鍛えられる幻覚が見えたりする。壮平は彩人のバーに行き、一人飲んでいる姿で映画は終わる。

ラストの細かいカットの中で何がしかの希望が見えなくもないが、途中、彩人が銃で自身のこめかみを撃って死ぬ幻覚や、松浦が後ろから銃で撃たれて殺される幻覚シーンなどを挿入するシュールな演出も面白いし、平凡なサスペンス的に描かず、日常に存在する暴力に襲われかねないことに備えるべきだという彩人の父のセリフに映画のメッセージが語られている気がします。映像演出が秀逸で、映像のリズムも実にクオリティが高いが、全体がちょっと暗すぎるのがしんどい、ラストの希望をもうちょっと力を入れて膨らませた方が良かった気がしました。

「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」

前作での成功で調子に乗りすぎた感満載の作品。ジョーカーのカリスマ性も薄れてしまったし、ミュージカル仕立てで幻覚場面を描くというのもそれほどインパクトがなく、リーの存在感にも迫力が弱いために映画全体が淡々と裁判シーンを繰り返すだけになった気がします。ジョーカーの狂気が拡散していくというメッセージが今ひとつ伝わりきらなかった。期待が大きかったというのもありますが、もっと毒のある映画であって欲しかった。映像も冒頭のアニメシーンからに実写への転換や、雨の中、カラフルな傘を俯瞰で見せる場面など美しいショットも見えるものに、息切れした感じもあって、ちょっと物足りない映画だった。監督はトッド・フィリップス

アニメで、アーサー=ジョーカーが逮捕され、独房に収監される場面が実写に繋がって映画は幕を開ける。今や民衆の代弁者として祭り上げられたジョーカーだが、この日弁護士の面談を受けることになって、担当の看守ジャッキーらに連れられ雨の中面会室へ向かう。ジャッキーらはカラフルな傘をさし、カメラは俯瞰で捉えて、真ん中にアーサーを捉えるショットが美しい。犯行時責任能力があったかどうかの診断が要点だったが、責任能力があったことは覆せそうになかった。

世間で注目されるアーサーを、ジャッキーは軽犯罪棟で行われる合唱グループに参加させ、マスコミの取材も受け入れて話題に乗ろうとする。そんなアーサーの前にリーという謎の女性が接触してくる。リーはアーサーの幼い頃近所に住んでいて、自宅に放火したことで、母によって病院に入院させられたと告白してアーサーに近づく。リーは映画の上映会でわざと火事を起こして騒ぎにしてアーサーと脱獄まがいのことをしたりする。そして看守を買収して懲罰房にいるアーサーのところへきて体を重ねたりする。映画は、この二人がミュージカル仕立てで歌い踊る幻覚シーンと現実のアーサーの場面を交互に描きながら、やがて、アーサーの裁判シーンへ流れていく。

アーサーの裁判では、リーも傍聴してアーサーの成り行きを見つめ、アーサーはすっかりリーに惚れてしまって、パフォーマンスさながらに受け答えを続けていく。そんなアーサーにリーは惹かれていくが、アーサーが弁護士から、リーはアーサーの近所に住んでいたことも、母に病院に入院させられたことも嘘だと告げられる。現実と幻覚の区別、さらに人を信頼することもままならなくなっていったアーサーは弁護士を解任し、自らピエロの化粧と衣装で弁護士を兼任して裁判を続けていく。そんなアーサーにリーはさらに惹かれていく。社会の注目を浴びていくアーサーにジャッキーは留置所でリンチをして痛めつける。

ところが最終弁論でアーサーは、過去に犯した殺人を全て陪審員の前で素直に告白するにあたって、リーらは愛想を尽かして裁判所を出て行ってしまう。呆然とするアーサーだが、直後、裁判所は爆弾テロで破壊されてしまう。街頭に出たアーサーは彼のファンの車で逃走する。そして、かつて狂気が目覚めた階段に佇むリーを発見したアーサーは彼女の元へ行くが、リーはあっさりとアーサーの元を去っていく。

逮捕され留置所に戻されたアーサーに、面会の通知が来る。廊下を進むアーサーに、アーサーに憧れるリッキーという男が近づき、ジョークを聞いてもらいたいと呼び止める。ジョークを言い終わったリッキーはいきなりアーサーを刺し、アーサーはその場で息を引き取ってしまう。こうして映画は終わる。結局、冒頭の面談とラストに面談は同じで、映画全てはアーサーの幻覚だったのではないか。死の直前に蘇る彼の思考映像だったのではないかというラストだった。

前作同様、アーサーの見る妄想の世界という作品ですが、前作の続編という設定なので、ちょっとやりすぎ感がないで感がないでもありません。リーを演じたレディガガが今ひとつカリスマ性が弱いために、映画全体に迫力がなくなった感じです。

リトル・ダンサー

いつまでも残る名作というのはこういう厚みのある作品を言うのでしょう。三十数年ぶりの再見でしたが、単純な少年の成長の物語ではなく、家族の物語、社会問題、友情、様々なドラマが重なり合って展開する様は素晴らしいです。そのそれぞれに胸が熱くなり、涙が自然と頬を濡らす。これが名作の貫禄と言える一本でした。監督はスティーブン・ダルドリー。初監督作品。

主人公ビリーがレコードに針を乗せ、マットレスの上で飛び跳ねるタイトルバックから映画は幕を開ける。祖母の朝食の準備をして部屋に入ると祖母は勝手に外に出ている。祖母を連れ戻し、ボクシングジムに向かう。母は幼い頃に亡くなっていて、父と兄トニーと三人暮らし。父は地元の炭鉱で働いているが、今はストで仕事に出ていない。トニーは組合のリーダー的存在である。

ジムに行っても今ひとつ身が入らないビリーはコーチに居残り練習を命ぜられる。ストでいつものジムが使えず、バレエ教室の隣で練習をしていたビリーだが、隣が気になって、ついバレエの練習に加わってしまう。女子だけのバレエ教室だが、指導をするウィルキンソン先生は快くビリーを受け入れ、一緒に練習を始める。ウィルキンソン先生はビリーに才能を感じていた。

その後も、ビリーはボクシングジムに行くふりをしてバレエ教室に通い始めるが、ビリーがバレエをやりたいと言っても、バレエは女のするものだと考える父はビリーに大反対だった。ウィルキンソン先生はビリーに、ロンドンのロイヤルバレエ学校のオーディションを受けることを薦める。しかしオーディションの日、組合と警官隊の衝突でトニーが逮捕され、オーディションに行けなくなってしまう。ウィルキンソン先生ははビリーの家に直接行き、ビリーの父やトニーと大喧嘩をする。

やがてクリスマスがやってくる。この日ビリーは親友のマイケルと講堂で踊っていた。それを観たビリーの父は、ビリーの夢を叶えさせるべくウィルキンソン先生の家を訪ねる。翌日、ビリーのためにストを辞めて仕事のバスに乗る父の姿があった。それを見たトニーは父を引き留め、お金を出し合ってビリーをオーディションに向かわせる。オーディション会場では、自分のレベルの稚拙さに自暴自棄になりながらも一生懸命ビリーは踊るが、とても合格する見込みもなく父と帰ってくる。

間も無くして、合否の通知が届き、ビリーは見事に合格、家族に見送られて一人ロンドンへ旅立っていく。時が流れ、この日、ビリーの舞台を見るために父とトニーはロンドンへやってきた。客席には女装するマイケルの姿もあった。やがて主役を演じるビリーがステージに颯爽と登場して映画は幕を閉じる。

どちらかというと低所得者層のビリーの家庭とウィルキンソン先生の中流家庭という設定や、さびれゆく炭鉱という時代の流れ、そんな中で一生懸命生きるビリーの家族、そして、息子の未来を守ろうと必死になる父の姿、さりげなく見守る祖母、自分がオカマであることに悩む親友の存在など、様々な所に事細かく描かれる脚本が見事で、さらに街の雰囲気も実に映像的に美しい。やはり名作でした。