歩・探・見・感 (original) (raw)

2024年10月9日、早朝から見知らぬ方がスターを付けてくれている。

読者になっていただいた方もいるようだ。

あれか?

やはりそうだった。

久しぶりに「きょうのはてなブログ」に取り上げられた。

取り上げられたのは2024年10月7日に投稿したこちらの記事。

citywalk2020.hatenablog.com

夜こっそりと投稿したほぼ1枚の写真だけの記事だ。

"はてなブログ"の担当者の方の目を引いたのは、いつものようにあまり他の人が取り上げないようなものを題材にしたからだろうか?

当然のことだが、"きょうのはてなブログ"に取り上げてもらえるのではないかと狙って書いた記事ではない。

全然目立つ記事でもないのに、よくぞ見つけてくれた。

前回取り上げられたのが、2024年6月10日なので、約4ヵ月ぶりとなる。

citywalk2020.hatenablog.com

その時取り上げられたのが下記の記事。

citywalk2020.hatenablog.com

何回取り上げられてもうれしいものだ。

地味に地道に活動している自分へのプレゼントだと思っている。

2024年10月9日のお祭り、自分の記録として残しておこう。

アクセス数の合計は354。それほど驚く数字ではないが、今月最高で前日が165だったので倍以上。

時間毎のアクセス数

7時頃に"きょうのはてなブログ"に公開されたのかな。

ピークは11時と17時の27。

"はてなブログトップページ"が19%で2位。普段は"はてなブログ"が1%あるかないかなので、こういう時にしか現れない現象。

単純計算だと約190名の方にアクセスしていただいたようだ。

全然関係ないが、Google からよくアクセスされているページは、こんな感じ。はてなブログとは全然違う。

いつも順位を見てひとりでほくそ笑んでいる。

今回スターを付けてくださった方、新たに読者になっていただいた方、はてなブログの編集部の方に改めて感謝!!

2024年10月7日、約4年振りに山手駅付近から探索を開始する。

この日の最高気温28.9℃、10月なのに暑い!

琺瑯町名看板の現存を確認する。

大和町電停前?

1972年3月31日に廃止された横浜市電の電停のことだった。

ヘディングしているネコ?

たばこ店

あの頃より色々興味の対象が増えているので、期待して行ったのだが、これといって新しい発見はなかった。

本牧通り

木造のアーケード、以前はアーケードが連なっていたのだろうけれど、今は点在。

鷺山竹之丸通り

砂利混じりコンクリートのガードレールが現役で活躍中。

現在地と書かれている辺り

左側に見えている。

土がついていたので靴で払うと文字が浮かんできた。

おそらく道路境界石。

山手町だけにあると思っていたが、こんなところにも。

右側面は何も刻字されていないように見える。

防火用水


たぶん戦前からあるもの。

市電車庫跡地

こういうツルツルしている石は撮りにくいよね。

正面からだと自分が写っちゃうし、斜めからでも前にあるものが写ってしまう。

麦田車庫年表
明治44年12月26日 横浜電気鉄道株式会社の桜道下引込線として発足
大正2年4月1日 横浜市営電車となる
昭和3年3月3日 引込線から市電40両収容の車庫となる
昭和3年10月15日 桜道から麦田と改称
昭和45年7月1日 59年間市民に親しまれた麦田車庫廃止

車庫がこんなところにあったんだ。

左の写真に写っている橋

アーチが美しい。

見た時は何橋が知らず。

橋の上を歩いてみればよかった。

桜道橋

1928年 完成
2004年 横浜市認定歴史的建造物
2015年 土木学会選奨土木遺産

"境"という文字が確認できる。

これはあちこちにあるので、比較的ポピューラのものかもしれない。

2024年10月1日の主な探索を済ませ、大通り公園を関内駅に向かって歩いていた。(2024年10月3日追加の写真を撮るため、関内駅から歩いていく。途中で結構な雨に降られ、サイアク。でも探索途中には止んだ。)

南区から中区へ

大通り公園の案内板

階段を下りていく。

オシップ・ザッキン「働らく女」

水の広場にわたる横断歩道がないようなので、地下に降りた。

そこは、市営地下鉄ブルーライン伊勢佐木長者町駅の改札前だった。

そうしたら、左側の壁に

が展示されていた。

何だ、これは?

大通り公園は、昭和48年まで吉田川・新吉田川と呼ばれた一本の運河でした。昔をしのぶ多くの市民の方々から、かつての運河にかかっていた10の橋名板を保存し、公園内への設置を望む声がありました。
そこで、これらの橋銘板を含む記念レリーフとして設置することにいたしました。
こうした歴史的、文化的遺産を身近なものとして残し、人間性あふれる街づくりのシンボルとしたいと思います。

昭和56年10月31日
横浜市長 細郷道一

旧吉田川・新吉田川


大通り公園周辺は、江戸時代初期まで南北を山に囲まれた入り海でした。明暦2年(1656年)に吉田勘兵衛が、 江戸幕府の新田開発奨励に応え、この地の埋め立てを行ない、ここを吉田新田と呼びました。
横浜開港の明治時代になると、水陸の交通の便をよくするために、運河の開削事業が行われました。明治3年(1870年)に堀割川が開削され、その時の土砂によって吉田新田の沼地の一部が埋め立てられました。そこが、現在の蓬莱町、万代町、不老町などの町であり、その中央を貫いて吉田川(蓬萊橋―千秋橋間)が築かれました。 さらに、明治29年(1896年)に、吉田新田の残された部分が埋め立てられ、その際、吉田川が延長されて新吉田川と名付けられました。
吉田川の4つの橋(蓬萊橋、権三橋、鶴之橋、千秋橋)は、明治5、6年に、また、新吉田川の橋のうち、山吹橋、武蔵橋、長島橋、横浜橋、日本橋は、運河完成直後(明治30年頃)に架けられましたが、阪東橋だけは遅く、関東大震災後の大正15年の架橋です。

大通り公園


大通り公園は、吉田川・新吉田川を埋め立てたのち、総延長1.200m、平均幅30m、面積3.6haの帯状の公園と して、昭和53年9月9日に開園しました。 新しい「ヨコハマ」を築く為の都心部緑地整備事業の中で、大通り公園は中心的役制を果しており、この公園の完成により、山下公園日本大通り横浜公園・くすのき広場・大通り公園・蒔田公園と続く、続の軸線がほぼ完成しました。
公園は、野外ステージのある「石の広場」、水の一生をテーマとした「水の広場」、地下鉄駅につながる「サンク・ ガーデン」、「みどりの森」の4つの部分から構成されています。また、公園内各所には、ロダン、ムーア、ザッキンらの彫刻が設置されています。

タイトル「橋の詩」

橋名板

蓬莱橋 – 権三橋 – 鶴之橋

千秋橋

山吹橋 – 武蔵橋

昭和3年頃(武蔵橋付近)

長島橋 – 横浜橋

明治45年頃(長島橋付近)

阪東橋 – 日本橋

昭和30年頃

ムーア「3つの部分からなるオブジェ」

水の広場

さりげなく名作が並んでいた。

電柱の随分高いところに暴力団追放宣言地区のポスターが貼られていた。

発見日 2024年10月5日

発見場所 神奈川県横浜市中区福富町仲通

強面の暴力団風の顔をしたサソリ。

おっ、左手が切られている。

どういう意味だ?

ハサミには毒や物を切る力はなく、尻尾に毒針を持っているのだから、尻尾を切った方が効果がありそうだが。

最近、何度か探索のために中華街を訪問しているが、調査しているといくつかの境界石が存在していることを知った。

近くを歩いたことがあるのに、うかつなことに気が付いていなかった。

境界石があると聞いたら、行かないわけにはいかない。

石川町駅北口に降りて、探索を開始する。

発見日 2024年10月3日

発見場所 神奈川県横浜市中区山下町

逓信省の境界石

右の横浜飛栄ビルと左のザ・ライオンズ横濱山下町の間

神奈川県横浜市中区山下町163付近 長安道沿い

横浜飛栄ビル側

ザ・ライオンズ横濱山下町側

正面


逓信省用地の刻字

右側面


逓信省用地の刻字

左側面

裏面

上面

郵政省の境界石

ザ・ライオンズ横濱山下町と駐車場の間

神奈川県横浜市中区山下町163付近 太平道沿い

正面


郵政省用の刻字

右側面


郵政省用の刻字

左側面

裏面

上面

インド商館の境界石

①工事現場

神奈川県横浜市中区山下町95付近 開港道沿い

南西角


KCの刻字

KCはKishinchand Chellaram(キシンチャンド チェララム)の略称

右側

左側面

上面

②中華食材専門店源豊行と中華街パーキングの間

神奈川県横浜市中区山下町94付近 開港道沿い

正面

右:インド商館の境界石 左:電電公社

右側面

左側面

上面

③工事現場

神奈川県横浜市中区山下町95付近 シルク通り沿い 北東の角

右奥に休憩中の職人が何人かいて、こちらを見ているので、撮りずらく、これしか撮れず。

KCの刻字は確認できた。

右側のものは半円の窪みを確認できるので、電電公社のものかもしれない。

シルク通り沿いの南東の角には見当たらず。

工事中のここにはビルが建つようだ。

かつてここには旧インド商館があった。横浜市が1952 年に建造し、インド系のキシンチャンド・チェララム商会が入居。同商会が横浜を撤退する際に同發が購入し、事務所として使用していたそうだ。

マンション広告に写っていた境界石?

マンションの広告の右下に境界石らしきものを発見。

違うかもしれないが、こういうものも気になってしまうのだ。

ここからは、中華街以外で発見した境界石を見ていくことにしよう。

ホテルニューグランド

発見日 2024年9月24日

発見場所 神奈川県横浜市中区山下町10番地

結構目立つ境界石が壁と一体化していた。

居留地境界石」ではなさそうだが、「道路境界石」「敷地境界石 」のいずれかの境界石ではないかと勝手に思っているが、正体は不明。

インペリアルビル

発見日 2024年9月30日

発見場所 神奈川県横浜市中区山下町25-2

横浜市歴史的建造物

クリーニング店の看板の下あたりに境界石があった。

埋められていて文字の確認はできない。

旧横浜居留地48番館

発見日 2024年10月1日

発見場所 神奈川県横浜市中区山下町54

横浜最古の洋風建築物で神奈川県指定重要文化財に指定されている。

角にある境界石

埋められていて文字の確認はできない。

他にも発見しているが、気になったものだけを紹介した。

田辺商事本社ビルの壁面に円形のモニュメントが並んでいた。

近くを通る度、気になっていたのだが、2024年10月5日、ようやく「時を濾過する五つの円形補虫網」と書かれてプレートがあるのに気が付いた。

おそ~い。

横浜の歴史を題材としたモニュメントだった。

①ペリー提督横浜に上陸
1854年 嘉永7年3月8日 午前11時

②新橋-横浜間鉄道開通
1872年 明治5年10月14日 午前10時

関東大震災
1923年 大正12年9月1日 午前11時58分44秒

④横浜大空襲
1945年 昭和20年5月29日 午前9時

ベイブリッジ開通
1989年 平成元年9月27日 午前11時

陶壁画製作 田辺和郎
1999年夏 滋賀県信楽・大塚オーミ陶業にて

慶応3年(1867年)
現在の横浜市中区元町に於て、初代田辺幸七の創業により砂糖問屋として発足。

平成29年(2017年)
創業150周年を迎える。

今回の横浜市探索で公園には何回か訪れていたのだが、足元に気が付かないものがあった。

それは、ハート形をした敷石がいくつか設置されているということだった。

横浜公園港の見える丘公園、大通り公園にあるらしい。

横浜市役所の職員の発案で、造られたものらしい。

それぞれの公園には見どころがいくつもあり、それらの記事を先に書こうと思っていたのだが、こういう探す系が好きなのである。

いい年をしたオジサンが、キモイ?

横浜公園

横浜市広報課の情報によると無数とも思える石畳の中に5枚あるらしいが、全部見つけることができるだろうか?

探索時間短縮のために、念入りに事前調査を行った。

でも、ストビューでははっきりと確認できないので、現地で確認するしかない。

探索日 2024年9月30日

横浜公園の全体図

設置されているのは、芝生広場と遊具広場の周辺らしい。

右下の出入口から確認していくことにした。

歩道を左回りに歩いていこう。


みなと通り側の出入口

他のに比べてとても小さい。

これでコンプリートか?

噂のミッキーも発見!

家に帰って調べていると、上で発見したものと違うものがあることが分かった。

場所ははっきり特定できていないので、再訪して探してみることにした。

好きだねぇ~。

2024年10月4日に発見したもの。

7枚となった。

重複しているものはないかと思うが、ダミーも交じっているのかもしれない。

港の見える丘公園

先日近くを通ったのにまた来る羽目になってしまった。

でもレンガ造り井戸の遺構も見落としていたので、その見学を兼ねて探しに行こう。

探索日 2024年9月30日

ここにたどり着くまで階段を何段上ったことか。

何と工事中だった。

フランス山にフランス領事館と領事官邸が建設されときに設置された井戸。

物はポールの中にあった。

大通り公園

近くを探索していたのだが、探すのを忘れてしまったので、2024年10月1日、訪問する。

ロダンの「瞑想」の彫刻の周りにあるらしい。

これ?

これ?

これだ!

上のふたつはダミー?

ここにあった。

若者が近くに座っている中、探すのはこっぱずかしかった。

横浜市内を歩いているとタバコを吸いながら歩いている人をよく見かけた。

市内全域では、歩きながらのたばこは吸わないように努めることとなっているが、こんなに多くの無法者がいるところは見たことはない。

横浜市中区は、神奈川県でみても非常に治安の悪いエリアらしい。山手のようなハイブランドのエリアもあるが、住んではいけないと噂されている横浜の町が、黄金町、寿町、福富町、日ノ出町伊勢佐木町、初音町、若葉町、末吉町、曙町、松影町、野毛町らしい。ほとんどが中区にあるらしいが、実際に歩いてみても、確かにそう感じるところもあるが、でも、こういうところに面白そうなものもあるので、探索に外せないんだよね。

最後は💛とは関係ない話になってしまった。