京都市伏見区に現存している伏見市時代の仁丹町名表示板 (original) (raw)
事前調査したところ、伏見区に現存している伏見市時代の仁丹町名表示板は9枚あるようだ。
今回の探索ですべて発見できるだろうか?
伏見の中心地は伏見稲荷周辺だと思っていたのだが、違っていた。
勉強不足。
探索の開始だ。
初の伏見区。
期待で胸が膨らみドキドキだ。
お子ちゃまか。
紹介する順番は発見順ではなく、五十音順になっている。
発見日 2024年1月5日
①御駕籠町(おかごちょう)
②京町大黒町
③白銀町(しろがねちょう)
これはストリートビューで確認できなかったため、現地で確認。
⑤新町十四丁目
⑥西大文寺町
⑧東大黒町
➈東菱屋町(ひがしひしやちょう)
よかった~。
1879年(明治12年)4月10日
郡区町村編制法により(初代)伏見区が設置される。
1889年(明治22年)4月1日
町村制施行により紀伊郡伏見町が発足する。
1929年(昭和4年)5月1日
伏見町が京都府下で2番目に市制を施行して伏見市が成立した。しかし、これは京都市への編入を前提とした市制施行であった。
1931年(昭和6年)4月1日
伏見市、紀伊郡深草町、下鳥羽村、横大路村、納所村、堀内村、向島村、竹田村、宇治郡醍醐村の1市1町7村が、京都市に編入された。自治体としての伏見市は消滅し、1市1町7村の区域をもって京都市の行政区としての(2代目)伏見区となった。
「伏見市」が存在した日数は700日で、改称されたことにより消滅した市を除けば、日本の「市」の中で最も短い存続期間であった。また、合併や編入によって日本で最初に消滅した市でもある。
伏見市が存在したのは1929年(昭和4年)5月1日から1931年(昭和6年)4月1日のわずか1年11ヶ月だったので、それを考えてみてもこれらはとても貴重なものである。