ディプロマシー考・近くは大切、という『通弊』 (original) (raw)
以前に下の記事のなかで、
『ディプロマシーを「うまくプレイできない人」に顕著に表れる傾向が、中立的な言動(つまり外交と行軍)をすることにあります。』と書きましたが、今回は
ディプロマシーを「うまくプレイできない人」は確実に「近くは大切」である、と考えている。
という内容を考えていきます。
初めにまとめを持ってきてしまえば、
師曰く『「ディプロマシーというゲームは東西南北は相互に関係し合っています。」、この様に言うと人は「それは理解しています」と返答されることが殆どです。
しかし、本当にこの意味を理解しているプレイヤーは実は少数です。』
となります。
初めてこれをご教示頂いたときは、そこまで理解できていませんでしたが、今現在は至言だと考えています。
では以下解説いたします。
・・・
「ディプロマシーでは盤面全てが相互に関係し合っている」ということをそのプレイヤーが理解しているかどうか? これは本当に直ぐに把握できます。
なぜなら理解していないプレイヤーは、
遠くの国と会話しないし、会話しても短いし、短いのに何の中身も無いからです。
…と、ここまでは良いのですが、逆に自分は何故そのように考えるのか?が全然わからなかったのでここから記事が書けず仕舞いでした。
そこで記憶を辿って過去のあれこれを思い起こしていると、あるプレイヤーさんの書簡卓での一言を思い出しました。
かなり昔のことなので詳しい経緯は覚えていないのですが、
「東側で起こっていることだから(自国には)関係無い」というメッセージでした。
正直これを見た時は大笑いして(失礼)、そのあと2週間くらいはこの一文を反芻して笑ってたのですが、これは「ディプロマシーというゲームは東西(または南北)それぞれの地域で勝者が決まり、そこからまた相争って最終的な勝者が決まる」という認識が基礎となっていることを示唆しており、本記事の執筆に大変に有益でありました。
なので本記事では、
① 「地域で勝利するためには盤面全体でプランニングする必要がある。」
② 「制覇するためには盤面全体でプランニングする必要がある。」
この2点から、遠国を含めたすべての国をコントロールしてゲームを進める必要があることを述べていきます。
・・・
① 「地域で勝利するためには盤面全体でプランニングする必要がある。」
この会で私は露担当であり、仏を担当する方は2回目のプレイで初回のプレイでもご一緒させていただいた方でした。
まず露土でのアライアンスを取り付けた上で仏に対して、露土同盟に呼応して英仏で結び、独墺伊の中央三国を撃破しましょう、と英仏露で持ち掛けました、が、
仏PL「仏は英独と中立を保ち、伊を攻撃する。」とのお返事でありました。
これは、「ロシアは滅べ。 口が臭いから二度と話しかけて来るなよ。」と言ってるのとほぼ同意です(注釈・つまり英仏独同盟なら英独に露に対しての攻撃を誘導することになるので)。
このときに思ったのが、
① 「ああ前回のプレイで自分は嫌われたのだな、嫌いな人間とプレイしたくないだろうから参加して悪かったな(つまり利益度外視で露を切っている)。」であり、次に
② 「最初から西欧三国同盟で決め打ちしてきたのかな? 決め打ちで西欧三国も不思議ではあるが…」であり、次に
③ 「仏にとっての露の存在の意味合いが全く理解されてないのではないだろうか? つまり『ロシアはフランスから遠い国だからフランスに関係ない』と思われてる?のではないだろうか?」ということでした。
そこで外交で、
「独の力の拡張は仏にとって利益にならない・英仏露土の多数派形成は仏が受諾してくれれば英も受諾するとの合意を得ている・仏の対伊は時間がかかる割に利益は少なく、しかも遅い・露の力の拡張は仏の利益に直結する」旨を説いたが不発であり盤面は推移していきます(要は英独と反転した土に攻撃を受け露の力は急速に減少する)。
1902秋行軍/露のA Galは解体
秋行軍が始まる前に仏の真意が那辺にあるか、それが動きで解るだろうと考え、興味深かったのですが結果は上記盤面。
つまり仏にとって「最初であり、かつ最後の、そして最良の対独反転のタイミング」である盤面ですが、A Spaの動きは単純なミスだったとしてもA Bur Hはまったく対独を考えていないことが明白であり、そうなら英も呼応できず、Holでの衝突も合意だろう、ということです(逆にそうであるからこそA Bur-Munの成功の目途も立っていたはずですが…)。
このあと仏がどうなったか(また仏を上手く動かせなかった英がどうなったか)は元記事を参照していただきたい。
ゲーム終了後にXのポストで、
『最初、露に「露が伸びれば仏も伸びる」と聞いて正直ピンと来なかったけど、独と土の関係みて分かった。次から対象国大事にしよ。』と言っていただけたので、
学びの資となり、本当に何よりでした。
ここでのまとめ
仏にとって露は「遠い国」であるが英であれ独であれ仏と「挟み撃ち」にできる位置関係にあり、露の力の増大はそれら両国の力を拘束し、仏の利益につなげやすいです。
また今回のように露を「使い潰す」場合でも「露の力が減少する=英や独の力が増大する訳であり、増大するそれら両国にどう対処するか(今回であれば独の力が東側に分散したタイミングで攻撃する、といったように)しっかりプランニングする必要があります。
そしてこれらの関係は、英にとっての墺や土、伊にとっての英や露など、他の国にも援用可能な理論であり、自国の力の拡張には遠国のコントロールが非常に大切であるということが理解しやすいのではないでしょうか?
・・・
② 「制覇するためには盤面全体でプランニングする必要がある。」
1907春
さて上記の盤面は先日終了した長期書簡卓「One Supply Center」の最終盤面であり、この盤面で英仏墺土の4国が停戦に同意し、終了しました。
しかしこれはとても奇妙であると言わざるを得ません。
というのもこの盤面は圧倒的に英土が強力な主導権で形成してきたものであり、それが結実したものです。 それが結実した結果として停戦に合意、ではそもそも最初から制覇を目指していなかったのでしょうか?
英側でも土側でも記述できるのですが、英PLは書簡卓を10回プレイされているのに対して土PLはこれが最初の書簡卓であること、また英の動きの方が今回の記事の内容に当て嵌まる点が多いので英側視点で記述していきます。
なお必要な部分のみ取り上げますので、ゲーム全体の行軍を見たい方は、
— COM-E (@f1933f1945) 2024年8月28日
Xの該当ポストにてご確認ください。
1901秋行軍
英仏同盟からの強力な対独で始まったこの戦いは、
1902秋行軍
紆余曲折はありながらも順調に進展し、
1903秋行軍
1904秋行軍
04年の秋に仏が対英反転するまでそれは続きました。
この時点で東側では墺土のアライアンスが継続しており、それは露の力の減少とイタリア利権とIon周辺の制海権を巡って仏土が衝突する、ひいては仏のパワーを南方に拘束できる可能性が高く英にとって有利な条件であると言えます。
事実、Mosで獲得分の増設をConでの艦隊建造に充て、これは墺土同盟をさらに継続する意図をもってなされたものであり、実際そうなります。
1905秋行軍
結果仏は3艦隊目を北側に展開できず、彼の対英は決定的な足止めを余儀なくされます。
しかし英としても土軍の軍構成が大きく艦隊に偏りを見せることにより、土が対墺という選択肢を失いかけていること、つまり制覇の競合国として土を選ぶことが難しくなっている点には留意すべきでしょう。
1905秋増設
そして英自身もLonで艦隊建造することで英仏和解の可能性を潰します。
ここで陸軍建造しMos方面へ陸軍を集中投入しGreat Stillmate Line(以下 GSL)をMos,Warで突破するとともに英仏土の三国志プランも有力でした。
英自身の発言によると「英を直接攻撃できる、かつ制覇のためにはそうせねばならない仏を残したくない」との意でした。 これはこれで自国の安全保障の観点からは正しいのですが代わりに、英墺土という歪な形からの制覇を余儀なくされます。
1906秋
英の運命が決まった06秋。
英墺土の形で英が制覇するためには、
① 土軍が墺の先手を取って対墺し、英土で仏墺を挟撃する中で補給地獲得競争で英が勝利する。
これは土の本国補給地がGSLから遠く、よって前線への押し上げに時間がかかるので英としては望ましい形です、が前述したように軍比率の関係から土軍は墺への攻撃力を失っており、それを解消する最後のチャンスがここからの対墺です。
② 墺軍が土の先手を取って対土し、墺軍が南下する背後を襲いつつ、仏軍を撃破しイベリア方面で拡張する。
これはなかなか難しいように思います。 というのも襲うのが少しでも早ければ墺は進撃を止めて墺土で一体化し、GSLを引いて停戦に持ち込めますし、そもそも南下するには北側である程度の「余裕」を英が墺にプレゼントしないとその選択肢を持ちえないからです(かといってプレゼントが大きすぎれば墺に制覇されてしまうかもしれません)。
では英はどのような決断を下したでしょうか?
土に、このタイミングで墺を切るように『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、(ルカによる福音書 10:27)』口説き落としたでしょうか?
それとも土に「制覇の意図も気概も無し」と見切りをつけて困難でも墺を制覇競合国として選び、苦難の道でも制覇を狙うことにしたのでしょうか?
結論から書いてしまうと、
英はそのどちらも選ばず問題を先送りしました。
1906秋行軍
墺からはMunへの行軍を支援するよう求められていましたが、それを実行せず墺を選ぶわけではありませんでした(英をフォローするとSevへの攻撃を前提としてないこの提案自体は墺にとって「虫のいい」提案だと思います)。
かといって「誠心誠意、言葉のすべてを尽くして土PLを口説きましたが力不足でした…」という訳でもなく、
『この形から対墺を始める!ということなら、それはそれである程度合わせます』みたいな… なんというか言葉にし難い態度に終始されます。
その結果として英にとって最悪のシナリオである。
③ 墺も土も相手を攻撃する手段もタイミングも気概も失って墺土が一体化する。
といった状況になってしまいます。
1907春行軍
ここでのまとめ
イギリスの成功は「近くの国」に対して適切に対応できていたことにありますが、
イギリスの失敗は「遠くの国」のコントロールにあまりに無頓着であったこと、「遠くの国」のために外交であれ行軍であれ、彼が「真に必要とするもの」を提供できなかったことにあります。
そしてその原因は制覇といった観点から見た「遠くの国」が自国にとってどのような意味合いを持つのか、認識が不足していたように思います。
まとめ
「ディプロマシーというゲームは東西南北は相互に関係し合っています。」
本当にこの意味を理解しているプレイヤーは実は少数です。
「近くは大切であるが、遠くも同じくらい、またはそれ以上に大切である。」
この記事が理解の一助になれば幸いです。
以上