【過去画清算#21】E257系500番台団臨、京成宗吾工場見学、E257系2000番台NN入場回送、E353系富士回遊乗車、E131系・3448編成試運転とE217系。3448編成の思い出も少しだけ(笑) (original) (raw)

おはようございます。結局今日も過去画ですみません。

本日のこの記事は令和2年秋に撮ったと思われるスマホの写真からの抜粋です。一部写真は公開済かもですが、何卒ご容赦くださいませ。結局過去画ですかい。そんなオチだと思った←これに限らず私さんは基本的に私さんへのマウンティングやいただいたご意見をこうしてそれはもう大感謝して採用させていただいているんだけど、ああいう傾向がある人間って白黒思考を持っていて、また誰かに対して上に立たないと不安で仕方ない人間らしいです(笑)。可哀想に(笑)。

さっそく本題。

f:id:ComExp2133:20240917030844j:imageまずはE257系500代の団体列車。こちらは当時豊田車両センターに常駐ちうだったNB-11編成によるもの。甲府付近での撮影ではあるんだけど、何の団臨でどこから来ていたのかは覚えていない。こりゃ将来が心配だ(笑)。当時の私曰く、これは都賀行だった(四街道で折返しかな)だったらしいので、修学旅行か何かのアレだろうか。

まさかこの時は500代が踊り子用ではない5500代として大宮支社に強奪されるとも思わなければうち3編成(このNB-11編成も含む)が実質的に高崎・吾妻線特急になってしまうとも思わなかった。また500代自体も運用数に大して所帯数が少ないので、こういう団体列車も撮っておいてよかったものだなと思う。まあ、だからって、例えば緩行線走行のそれをいちいち撮ってその写真をLINEの個チャで送ってマウンティングはしないけど(笑)。「元気が出るかなって思ってさ~」大きなお世話です。そんな建前であんたの承認欲求に俺を使うな(笑)。バレバレだよ。本当に信用している親友からの写真はむしろ楽しみにしているけど。

次。
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なんかスマホに入ってた写真。こちらは推定で平成18年春前後と思われるが、京成電鉄の宗吾工場の見学に家族で訪れた際の写真。言わずもがな左が私さん(6ちゃい)。頭は今だと2ちゃいぐらいに退化している気がしつつ、この時に大変親切丁寧に宗吾工場や各車両についてご案内いただいた宗吾の社員の方には今でも感謝しています。宗吾工場見学、また行きたいな。この時は超現役だったAE100形も今ではAE161号車のみ保存されるに過ぎないのが寂しい。やはりAE100の喫煙席で一服したい人生だったなあ、と思いつつ、AE100との思い出が消えることは別にないのでヨシ。そういえばTHE葬式鉄みたいなの(高校の陸上部の先輩(笑))がなんかうるさかったなあ(笑)。松戸の某ラーメンの常連とのことで、松戸には近づかないでおこうと思います(笑)。ご冥福をお祈りいたします。

次。
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一気に令和2年9月の写真に戻ります。アンタ他人の事バカにしておきながらそんなことしてんじゃないよ(笑)。甲府駅南口の家系ラーメン「大黒屋」にて撮影。当時は生ビールがあったんだね。今じゃ家系ラーメンですら完飲が難しい年になってしまった私さんだけど、当時はラーメンに加えて白米にビールに、元気だったんだなあ(しみじみ)。二十歳の思い出ってやつだ。どういうやつだよ。今は知らないが、この店の前には灰皿があって、食後の一服にも困らんかった思い出。また行きたいな。

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同日の撮影かは不明だが、E257系2000代NA-09編成の臨時回送も撮影していた(多分同日)。案外この塗装もシンプルで引き締まっていて割とよかったのではないかと今になっては思う。NA-09の出場は台湾留学と被っていてライブカメラのスクショ以外のリアタイができなかったが、何だかんだで一応こうして撮影ができて良かったと思っている。またNA-09編成はこの際、残工事のために再入場しているんだけど、結果としてE257系2000代としては最後に改造が終了した編成ともなっていた。

次。同年9月の連休(記事の公開がいつかは不明ながらも、執筆時点ではちょうど4年ほど前)に佐倉在住時の上っ面の友人が「コロナ禍にもかかわらず」遊びに行きたいからって強引に押しかけてきていたことがあった。他人の家で酒イキリしてゲロ吐きまくって、翌日は少しだけ金出すからって富士急ハイランドに半ば強引に連行してカネも出さず、最低だ(笑)。以降、彼はフライングくんと呼ぶ。

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富士急ハイランドは別にいいんだけど、高所恐怖症の私を無理くり絶叫刑に連行しておいて礼の言葉も金もないんだから、フライングくんは大したもんだ。これを機にこっそり縁を切ったので、ご冥福をお祈りいたします。多分あの後私が名古屋に移り住んだことも、千葉県人に戻りつつもまさか千葉市に住んでいるとも、よもや思っていないだろう(あの世で)。

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これはその帰りに乗った特急「富士回遊」。ちなみに往路は富士急バスだった。フライングが寝ている間に降りて逃げてもよかったなあと後悔するのは簡単。少なくとも当時は富士急線内のみの利用では回遊の座席指定はできなかった記憶がある。ま、そんなわけで回遊+中央線で帰ることとしましょう。

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E353系に「まもなく富士山」表示が出ているのがとても新鮮。いやね、元号が変わる少し前からほぼ毎日定期運用で見られているんですよ。富士回遊で。でも当時はコロナ禍(令和2年)で外人なんておらず、そりゃもうスーパー快適でよかったもんですわ(笑)。外人、特に赤い大陸の人間に関しては、彼らの国では外人が殺されるのはどの国でも起こり得るとのこと。だったらこんなこと書いた私は明日にでもそいつらに刺殺されてしまうのだろう(笑)。

次。この件の翌日とその翌日には幕張車両センターに新製配置されたE131系0代が試運転として中央東線に来ていた。当時からお世話になっている方からその報を得たものの、前日の疲れ(精神的なものと、ケガによる)で1日目はお会いできず。しかしこれは自分の責任でもあるので一概に故・フライングのせいにもできない。2日目もギリギリで乗せてくださったので、恐縮しつつも少しだけご同行させていただいた。

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千葉の電車が山梨県内を走る。結局この試運転が何のためだったのかは不明だが、「各駅に停車していた」ことと「一部区間での所要時間が異様にかかっていた」ことの2点に鑑みると、勾配がある中央東線だからこそできる試運転だったのではないかと思っている。

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ちなみにE131系はこの時が初撮影でした(笑)。あんた、本当に千葉県の人…? ※当時は甲府に住んでましたが、でもいくないね。配給なり試運転なり撮っていないからってまた裏でマウンティングされてるんだろうな(笑)。誰かの上にというよりは、誰か下に見る人間がいないと自我を保てない、そういう人間にはならなくてよかったと思う。

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甲府付近で撮影。E131系も撮りたいんだけど、いかんせん千葉県人と言えども割と遠くまで行かないと撮れない上に撮影地もそこまで知らないので、コマ単価も高くなってしまって重い腰がなかなか上がらない。でもこの電車、普通にかっこいいと思う。

しかしまあ、何の試運転だったんだろうね。

次(最後)。

E217系の車内からおはようございます。えきねっとトクだ値を利用して上京し、この日はとある予定のために京成線へ向かう。

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当時のあずさ16号に乗車。車掌さんが改札に見えたので事情を申し上げあると、そうであればということで車内で乗車券を発行してくださった。朝早くから大変恐縮でした。だからって媚びを売るつもりはないんだけど、個人的に特急あずさは松本運輸区派。わかりやすい放送や接客もだし、繁忙期の自由席でも絶対に改札に来てくださるし、何なら新宿駅での乗換案内もスマホよりわかりやすいし。この時に限りませんが、あずさ・かいじユーザー時代は大変お世話になりました。

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なお八王子ではEF64形37号機と離合しました(笑)。

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話をE217系に戻す。この日は京成3400形3448編成の試運転があるとのことで、出たばかりのバイト代で向かっていた。こりゃもう育ちの悪さを丸出しですなぁ!ポロン。

この時はまだE235系1000代デビュー前だったので、こうしてE217系に乗れるのが当たり前だった。

でさ、

甲府からそんな写真撮りに行くやついる?←オマエだよ

という訳で、最後は3448編成の試運転(笑)。まだこの頃は3448編成以外もいたものの、流石に試運転なので(笑)多少は(笑)人間がいた。せめて曇ってくれていたらなあ。なおこの3年と少し後に「また」3448編成は車検を通っている。すまんが流石にそこまでは想定外だった。なお当ブログでは来たる10月17日に、この前の3448編成の試運転等を含めた過去記事を公開いたします。ぜひそちらもお楽しみいただければと思います。

結局そんな写真ですかい。甲府からそれですかい。そんなオチだと思った。ってな(笑)

ということで、余談として最後に今まであまり掲載していなかった(していないとは言ってない)写真を少しだけ。こちらは臨時回送に見せかけた構内移動。以上。うん、あんまりなんか面白いことをかけなさそう…クソ(笑)。※中学生の時の撮影なんで10年前の写真です

高校生の時に撮った羽田特急。現行(令和6年9月現在)でも特急羽田空港行は京成線内でも存在するが、まあ3448編成が入った日には各所お祭りワッショイトレインなんだろう。何がワッショイだよ(笑)。個人的にはこれを別の編成で撮っておきたかった。

個人的には一番思い入れのある3428編成とちゃんとお別れができなかったのが未だに残念だ。思えば中学生の時の遠征に際して帰路で都営線内から当時の最寄だったうすいまで乗ったが、まあ徹夜明けもあって爆睡して首を寝違えたのが一番の思い出かな(笑)。そのうち3400形各編成の思い出記事でもやりたいけど、まあ多分もうやってるかも。

以上、長くなったが、令和2年9月の思い出を中心に書かせていただいた。あれから執筆時点で4年、公開時はいつになっているんだろうか。何はともあれ、当時は特に珍しいと思ってもいないことばかりだったので、今から4年後を見据えて、もう少し趣味の時間も大切にできたらいいなと思う。頑張れ私さん、ファイティーン。