今週末の良かったこと(夏期休暇3つの目標、地震で始まり台風で終わる) (original) (raw)

夏期休暇特別編。

史上最大規模

8/10の週末から山の日の振替休日、つづく8/13の迎え火から8/16の送り火までの盆休み、そして8/18の週末までという史上最大規模の夏期休暇だった。こういう長い休みはどうせ自分の思う通りにはならないし、そもそも盆休みというのは、一年に一度ご先祖様があの世からこの世に戻ってくるという、死者のためのお祭りであるわけで、

あれをしたい、これをしたいという「我」を張らないようにした。正月は神様のためのものなので。ここで簡単に「神様」と言っているけども、ようは「自分ではない何か」全般を指して「神様」と言っている。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2018/01/04/184317

盆休みはご先祖様のためのもの。ここで簡単に「ご先祖様」と言っているのは、「自分ではない何か」全般を指して「ご先祖様」と言っている。実際にそれは「世界」だったり「宇宙」だったりする。

目標1: 早起きについて

今回の「起床成功」は「5時(もしくは6時)のアラームで目を覚ましてランニングに出かけること」と定義します。8/9から8/18までの9日間で7勝2敗、うち1敗は意図的戦略的起床失敗、残り1敗は正真正銘盤石の起床失敗、そして起床失敗未遂1回。

最後の最後に正真正銘の起床失敗しているのですべてが失敗したような気持ちになるけれど、数字上は成功いや大成功といえるでしょう。勝率は 0.778 。走りたい気持ちが、寝ていたい気持ちに、半分以上勝っている。大勝利。

熱中症未遂事件以降、週末だけ早起きを継続していたので、もうすでに早起きによる高揚感やスペシャル感は一切なくなっているけれども、それでも意外と続けられるものだなというのが率直な感想です。ただ残念なのは夜型の傾向は変わっていなくてつまり就寝時間はほぼいままで通りということで、至極単純に睡眠時間が短くなっています。そんなわけで隙あればうつらうつら、暇あればウトウトと昼寝を貪っていて、家人からはド・ひんしゅく(弩・顰蹙)をかって(買って)いたことを付け加えておきます。

これを日常にも繋いでいきたい気持ちもあるけれど、なぜ早起きするのかというのが走るためだとすると、洗濯物や片付けといった手間にかかる時間がバカにならないのと、さすがに業務中に昼寝を貪ることはできないので、ちょっと躊躇しているというのと、最終日に失敗した途端に体内時計が巻き戻っていて、すでに完全に日常に逆戻りしてしまった。

目標2: 読書復活 & 目標3: 日記の本番

7月の「日記の本番」ちょっとした理由で「退屈」について書いた*1。僕にとって「退屈」というのは実は古くからのテーマだったりする*2*3。で、その話は置いておいて。書いてみて初めて気がついたのは僕は「退屈」していたのだ、ってことだった。

2024年の始めからずっと、哲学、言語にまつわる哲学、それと、それに関係する論理学を追っていて、これは本当に面白かったんだけど、やっぱり同じことをやっていると人間は飽きるのだ。業務ではないのでなにかの成果や結果を求められていなくてそれは本当に自由で素晴らしいけども人間はその自由さの中でも退屈してしまうのだ。ということに*4ハタと気がついたというわけ。

読書にまつわる自由についての断片を貼っておく。忘れないように。

作者が命を掛けて何十年も書き続けた作品を派手に手荒に適当に扱って木っ端微塵に読み散らかすことも出来るし、そのまま放っておいて何年間も積読山脈に積み上げておくことも出来る。自分たちが完全に主導権を握っている。そこに読書の素晴らしさがあると思う。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2021/12/01/000000#32

読書は読了とかスピードとか冊数から自由であるのと同時に、習得することとか理解することとか同意することからも自由なので、時間さえ許せばいくらでも時間をかけても良いし、あとちょっとで読み終わる寸前に読むのを放棄しても良いし、そういう自由さがある。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/03/07/182305

なにをするのも自由なんだけど人間というのはそんな単純にできていなくて、習慣というか惰性というかこれまでやってきたことの慣性力っていうのはけっこう巨大で、状況が変わってこれまでのやり方ではうまくいかなくなったときそこからエイヤっと脱出するのって意外と難しい

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/07/30/145142

そんなわけで、暑い日差しの中、本屋へ行って3冊買ってきた*5。最初は「ちょっと哲学からは離れた方がいいだろう」とか「ウィッシュリストに上げてた本はないな」とか「原典にあたるべきだろう」とか結構頭デッカチになっていていつもだとそのままなにも買わずに帰ってくるところだったけど、もう途中からは全部忘れて目についた分厚そうなヤツ*6を片っ端から抱えてその何冊ものかたまりから泣く泣く取捨選択して3冊選んだ。サラ・ベイクウェル『実存主義者のカフェにて』、中西昭雄『漱石『門』から世相史を読む』、ホルヘ・ルイス・ボルヘス『ボルヘス・エッセイ集』。

一つだけ記録を残しておくとすると、

そんなに大きな本屋じゃないけど意外と品揃えが良くてミッシェル・フーコー『監獄の誕生』があった。買うかどうか最後まで迷ってページを開いたら見開き2段組で「まだ早い」と思ってそっと棚に戻した*7*8

『実存主義者のカフェにて』の冒頭にこんな一文があった。

実存主義を脇へ追いやった華やかな思想たちも、すでにそれ自体がひどく古び、衰退してしまった。二一世紀の関心事は、もはや二〇世紀後半の関心事と同じではない。もしかしたら、現代のわたしたちは新しい哲学を探しているのかもしれない。

すでに僕の関心事は、さっきまでの関心事と同じではない。新しい積読山脈を探している。

gyazo.com

それから、

サッカーはあった。素晴らしい勝利と*9ひたすら悔しい敗戦と*10。だがしかし、最後に笑うのはオレたちだ*11

それから、それから、

この夏期休暇は、宮崎県沖の日向灘の地震*12と南海トラフ地震臨時情報*13*14から始まって、950hpa という強い勢力のまま関東をかすめて北上した台風7号(アンピル)*15*16で終わったことを記録しておきます。