「言語化」とはなにか?(「世界を分節化しろ!」) (original) (raw)

日記の練習です。

ということで「言語化」とはなにか?*1

wiktionary を探してみると「言語化」ってページがあって、例として2000年のものが上がっていて一つは学会誌の論文、もう一つは衆議院委員会の議事録だったりします。この二つの例はどちらかというと「お硬い」文章の例なので、おそらく世間ではもっと前から使われるようになっていたんでしょう。「言語化」は wiktionary では、このように説明されています。

それまで言葉による表現・説明がされて来なかったもの、あるいはできなかったものを、言葉で表現すること。

言語化 - ウィクショナリー日本語版

この程度の意味を成すために、なんでわざわざ「言語」とか大きな単語を使ってしまったんだろう?「言葉」(ことば)より「言語」(ゲンゴ)の方が響きがカッコ良かったからかな?日本語の「言語」っていうのはかなり大きなオブジェクトだと思います。

  1. 意思を疎通させるために、人間が発声や動作、文字などを使って行う手段や方法。脳科学的には、大脳の中の言語野の活動によって引き起こされる行動。
  2. ある特定の集団が用いる、音や文字による事態の伝達手段。個別言語。
  3. 話された言葉(文章と対比される)
  4. (プログラミング, 略語) プログラミング言語。 言語 - ウィクショナリー日本語版

最近まで掘っていた分析哲学では、「言語」というと、それは「論理」とか「真理」に強く強く結びついていてドロ沼に嵌まるそれはそれは危険な単語です。

「言語化」を Google 検索したときにサジェストされた英文の wikipedia が "Intrapersonal communication" ( Intra- personal communication ) というページでした。日本語だと「個人内コミュニケーション」、対義語は「対人コミュニケーション」になるようです。ふつうコミュニケーションというと相手があるものですから「対人コミュニケーション」の方が本来の「コミュニケーション」のような気がします。

Intrapersonal communication (also known as autocommunication or inner speech) is communication with oneself or self-to-self communication.

(個人内コミュニケーション(「オートコミュニケーション」または「内なる言語」とも呼ばれる)は、自分自身とのコミュニケーション、または自己同士のコミュニケーションです。)

Intrapersonal communication - Wikipedia

Intrapersonal communication encompasses a great variety of phenomena. A central type happens purely internally as an exchange within one's mind. Some researchers see this as the only form. In a wider sense, however, there are also types of self-to-self communication that are mediated through external means, like when writing a diary or a shopping list for oneself.

(個人内コミュニケーションには、多種多様な現象が含まれます。中心的なタイプは、心の中でのやり取りとして純粋に内部で発生します。一部の研究者は、これが唯一の形式であると考えています。ただし、より広い意味では、日記や買い物リストを自分で書くときのように、外部手段を介して媒介される自己対自己コミュニケーションのタイプもあります。)

For verbal intrapersonal communication, messages are formulated using a language, in contrast to non-verbal forms sometimes used in imagination and memory. One contrast among inner verbal forms is between self-talk and inner dialogue. Self-talk involves only one voice talking to itself. For inner dialogue, several voices linked to different positions take turns in a form of imaginary interaction. Other phenomena related to intrapersonal communication include planning, problem-solving, perception, reasoning, self-persuasion, introspection, and dreaming.

(言語による個人内コミュニケーションでは、想像や記憶の中で時々使用される非言語形式とは対照的に、メッセージは言語を使用して作成されます。内部言語形式間の1つの対照は、「セルフトーク」と「内なる対話」です。「セルフトーク」では、1つの声だけが自分自身に話しかけます。「内なる対話」では、異なる位置にリンクされたいくつかの声が、想像上のやり取りの形で交代します。個人内コミュニケーションに関連するその他の現象には、計画、問題解決、知覚、推論、自己説得、内省、夢などがあります。)

Intrapersonal communication - Wikipedia

英文では "speech", "verbal", "language" となっているところが、日本語に翻訳すると*2、すべて「言語」に置き換えられています。

"speech", "verbal", "talk", "dialogue", "voice", "communication".

そうか「言語」って「言う」+「語」ですね。つまり「話す『ことば』」。

そういえば途中で放っぽり出している、イアン・ハッキング『言語はなぜ哲学の問題になるのか』の第二部「世界を『分節化』する話」で、ノーム・チョムスキー、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(、本文には出てこないけどフェルディナン・ド・ソシュール)が扱っていた「言語」というのは「話す『ことば』」のことでした。

インターネットにいると「ことば」とは書かれたもの、文字列だと考えがちだけど、「ことば」の本来の姿というのは、誰かの(私の)口から発せられるものなんですね。

キリがないので最後に、私が魅了されて止まない、『言語はなぜ哲学の問題になるのか』の「世界を『分節化』する話」についての引用を上げて終わります。

事物はみなそれぞれが一つの全体からなるのに対して、語はそれぞれが分節化( articulated )されている。

キンセンカ(つまりキンセンカは事物である)は、鮮やかなオレンジ色をしているのと同時に、2インチくらいの大きさで、11の花弁をもっている。キンセンカはそれらの全体を同時に持っている。これに対して、キンセンカについての我々の言明(言語、言葉)は分節化された部分からなる。「キンセンカはオレンジ色であり、かつ、それは11の花弁をもつ」。(また、これに対して、キンセンカについての我々の)観念は、それが分節化されているかどうかは判然としない(つまり私の心の中にあるキンセンカも、あなたの心の中のキンセンカも、それがどのようなものなのか漠然としている。知るすべがない)。

キンセンカ - Wikipedia
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一般文法(生得文法)の問題とは、いかにして分節化された言語が、世界の中の分節化されていない部分の表象というものを生みだすことができるか、ということを説明することである。

世界は諸事実( facts )からなる全体であって、諸事物( things )からなるそれではない。

世界はキンセンカやトラファルガー広場*3、縄、蚊、虹といったものからできているのではない。それは事実からできている。そのうえ事実は分節化されており、そして事実を表す文もその本性からして分節化されている。

「世界を分節化しろ」。

「世界をクリックしろ」。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2020/12/01/000000#16

https://web.archive.org/web/20130415053758/http://theinterviews.jp/retlet/13554
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